第12話 彼岸花の使者が狩り立てる

百舌鳥もず、そのライフル撃てるのか?」


 エレベーターを降りた先は、がらんとした木造校舎の廊下だった。板の床も壁も細かい傷が目立ち、年代を感じさせるが、ぴかぴかに磨き上げられている。

 どうやら学校だった建物を、居抜きにして使っているらしい。何か役立つものはないかと廊下に置かれたロッカーを物色していたら、百舌鳥が一挺の銃を発見した。


「手入れはされとるな。暴発や不発の心配はあらへんやろ」

「そういう意味じゃなくて……」訂正しようとして、道眞どうまは考え直した。「いやそれは大切なことだが、撃った経験が?」

「拳銃の訓練は受けた。ライフルは初めてやが、似たようなものやろ」


 頼もしいと言っていいのかどうなのか。悩む道眞に、「おんどりゃに銃は危なっかしいから、これを持っとけ」と百舌鳥はサバイバルナイフをよこした。


「素人の射撃なんざ、よほどの近距離でもあらへんと当たらんからな」

「剣道三倍段、嬉しいよ」


 刃物の扱いに自信はないが、皮肉ではなく道眞はそう言って礼にした。茶色い革のカバーに収められた刃を確認してから、着物の懐に収める。


「〝刃物を持った相手に丸腰で勝つには、剣道で言えば三段上の実力が必要〟っちゅーやつやな。剣道、したことあるんか」

「いや、運動は苦手でね」

「さよか」


 廊下を駆けながらそんな会話を交わしていると、百舌鳥の口調がやや和らいだ雰囲気になった気がした。そういえば警官なら、銃剣道か何かの訓練があったはずだ。


「もしかして、君は剣道を?」

雁金かりがねせんせはな、俺に剣術を教えてくれた師匠なんや」


 雁金先生。三年前に亡くなったはずが、三ヶ月前に百舌鳥に電話をし、おそらくは娑輪しゃりん馗廻きえの教団に誘った元凶と考えられる人物……まずい話題だったか。

 道眞の不安をよそに、百舌鳥の表情は特に変化がない。なんとなく会話が途切れたまま、二人は昇降口に行き当たった。ここまで誰にも会っていない。


(信者は全員、あの地底湖に集まっていたんだろうか?)


 教主である娑馗しゃき聖者しょうじゃは、なぜだか知らないが百舌鳥は逃がしてくれるらしい。だが、道眞については何も言われていない……このまま二人共に逃げ切れるだろうか。

 下駄箱が居並ぶ中を駆けて、観音開きの扉を開く。


 夏の夜とは思えない、涼しい風が体を通り抜けた。扉の先は山に囲まれた盆地のような場所で、下り坂に向かって等間隔に朱塗りの鳥居が立てられている。

 鳥居の上には縄が張られて、左右にまばゆい提灯が吊されていた。武器と一緒にマグライトを拝借していたが、これなら明かりに困らないだろう。


 そして、あたりは道のひとつも拓かれていない、一面の彼岸花畑。

 火災報知器のランプのように、警告と注意を促す赤、赤、赤。この先に進むべからず、足を踏み入れるべからずと、冷たく燃えさかる花の命がびっしりと。


「また、この花か……」


 道眞は勘弁してくれという気分でこぼす。

『彼岸花』の中には七月から八月上旬に咲く品種もあるが、それはキツネノカミソリというまったく形の違う花だ。目の前にあるのは、間違いなく秋の曼珠沙華ヒガンバナである。


 地獄花、死人花、捨子花。毒があるため、不吉な呼び名をいくつも持つ、美しくも影のあるこの花に、今日一日でどれだけ出会っただろうか。

 娑馗聖者が〝閻魔童子のキヨイ〟をなだめるために歌ったのも、生出おいずるが授けられた聖痕しょうこんも彼岸花だった。


「連中、よっぽどコイツが好きらしいな」


 感慨なく言った百舌鳥が前へ出ようとした時――海原に輝くウミホタルのように、何百という青い光が道眞たちを見つめた。

 それは、彼岸花の中心に座す真っ青な眼球だ。


 一瞬前まではただの花だったはずなのに、花弁のまぶたを持ち上げて、剥いた青い眼が無感情に視線をそそぐ。

 フン、と鼻で笑って、百舌鳥は手近な一輪を踏み潰した。


「おい!?」

「ビビんなや、黒しょっぱいのう。こんなんただの花やろ」

「目玉のついた花なんて知らない!」


 花が潰れる時、草花のそれだけではなく、ブドウでも潰れたような音がしたのは、絶対に道眞の気のせいではない。よくこんな物を踏む気になれるものだ。

 単に気持ち悪いというのもあるが、眼というものは、人間を自然と臆させる。ただの花より人に近く感じられて、踏み殺すのも哀れに思えた。


「とっとと先に、」


 百舌鳥が言いかけて言葉を切る。

 彼が足をどかすと、踏み潰された彼岸花がぴくぴくと動いていた。一つ震えるたびにその身が盛り上がり、徐々に元の形を取り戻す。

 ものの十秒ほどで、青い目玉の彼岸花は何もなかったかのように咲いていた。


「……まあ、放って置いても害はないやろ」

「感想はそれだけなのか、この、の……」


 脳みそゴリラと言いかけたが、道眞は観念して口を閉じた。


「先に進もう」

「ああ」


 百舌鳥が〝味視あじみ〟した感触では、鳥居の坂をとにかく下っていけば出口へとたどり着けるらしい。二人は彼岸花畑に分け入って、ひたすら駆けていった。



 絡みつく彼岸花の視線を気のせいだと言い聞かせ、走り続けること小一時間。森の中に分け入ってさらに小一時間すると、何事もなく山中の道路へ出た。

 もう彼岸花も鳥居も、あの教団に関する奇妙なものは何も見えない。あたりは真っ暗闇で、少し離れた所に白い街灯が立っていた。

 とりあえず灯りを目指しながら、百舌鳥がつぶやく。


「ほんまに逃がしてくれるとは拍子抜けやな。なんかあると踏んどったんやけど」

「刑事さんのカンが外れるのを祈っているよ」


 雪駄の道眞も、革靴の百舌鳥も、元々山歩きの格好ではないので足が痛くなってきていた。それでもまだ立ち止まるわけにもいかず、歩き続ける。

 会話する気力も無く、マグライトを頼りに黙々と歩を進めると、前の方から車が近づいてくる気配がした。追っ手か、それとも救いの手か。

 どちらにせよ、渓流沿いの道路には身を隠せる場所はない。相手が教団と関係のない誰かなら、ふもとまで乗せてもらえないだろうか。


「ヒッチハイクするとして、君のライフルなんとか隠せないかな」

「……これでごまかせるやろ」


 百舌鳥は草むらの中に銃身を横たえた。この暗さと相まって、しらを通せばなんとかなりそうだ。後は、百舌鳥のスプラッタな格好をどう言いくるめるかだが。

 角から車のヘッドライトが差し込んでくる。道眞たちが声をかけるまでもなく、軽トラックはこちらの居場所を知っていたかのように、少し手前で止まった。

 エンジンをかけたまま、運転席から長身痩躯の男が降りてくる。


「ダメじゃないか、逃げちゃあ」


 ヘッドライトに照らされたのは、経帷子きょうかたびら姿で斧を持った生出おいずるだった。

 左前の白い着物に、縦結びの帯。ご丁寧に手甲と脚絆きゃはんをつけ、足元は足袋と草履。首から下げるずだ袋や天冠といった小物はないが、見事に死に装束だ。


「百舌鳥くん、大聖者だいしょうじゃさまが、君はもう帰っていいってさ。僕は羽咋はくいくんだけ迎えに来たんだ。さ、儀式をやり直そう。みんな待っているよ」


 ねちゃりと粘着質な音を立てて、血液が胴体から生出の首を持ち上げる。くねる血の触手の間、息づく鮮血の動きが夜目に焼きつくようだ。


「凄いと思わない? 私はもう死なない体の神餌かみえなんだ。こんな光栄なこと……」


 ばがんっと音を立てて生出がのけぞる。

 百舌鳥が草むらに隠したライフルを取り、胸に向けて撃ったのだ。


「死人ならおとなしゅうくたばっとれ!」


 生出はすぐさま体勢を立て直した。経帷子が少し破れたようだが、彼自身は血の一滴も流していない。百舌鳥が立て続けに頭、足、腰とライフルを撃つ。

 徐々に生出が近づき、避けようとしないため全弾命中。だが彼は一歩も止まらない。道眞は意を決し、生出に向かって走った。


 正確には、その隣を走り抜けて軽トラックに。

 頭から運転席に転がりこみ、ハンドルに眼鏡と額にぶつける。痛みをこらえながらサイドブレーキを解除し、道眞は車を急発進させた。

 目を閉じてアクセル全開。どん、という衝撃で生出を跳ねたのを確かめる。


「百舌鳥! 乗れ!」


 言うが早いか百舌鳥は助手席に転がりこんだ。シートベルトもそこそこに、ポケットに詰めた弾薬を取り出し、ライフルに装填していく。用意の良いことだ。

 ずんっ、と荷台に重みと音。何が乗ったかなど確認するまでもない。


「しつこいわいワレェ!」


 狭い車内で無理やり後ろに向けて、百舌鳥はライフルをぶっ放した。今度は屋根に生出が乗り、発砲と人間の移動で車体がガクガク揺れる。

 道眞はハンドル操作を誤らないようにしながらも、気が気では無い。生出の手には斧があるのだ、いつ窓や天井を叩き割ってこられることか。


 だんっ、と音を立てて、生出がボンネットの上に乗った。腹ばいに近い格好で、ワイパーを片手でつかみながら斧を振り上げる。


「落ちんかいクソダボ!」


 撃たれたフロントガラスに蜘蛛の巣のようなヒビが入り、真っ白なそれに視界が遮られる。道眞は肘を使い、必死でガラスを割って視界を確保した。

 ライフルは生出を弱らせられないようだが、動きを遅らせることは出来るらしい。同じく拳でガラスを取り除きながら、百舌鳥は引き金を引きまくる。

 がちん、と不吉な音に道眞は弾切れを悟った。生出の背後にガードレールが迫る。あっと思った時には、三人を乗せた軽トラックは崖下へと転げ落ちていった。



……緊急事態とはいえ、シートベルトをしなかったのはやはり間違いだ。

 もうろうとした意識でそんなことを考えて、道眞は車外に投げ出された自分を発見した。苔の匂いとひんやり湿った土の気配。川のせせらぎが聞こえる。

 起きて動かねばと思うが、体が中々言うことを聞かない。ぴんと引っぱられた糸のようだ。その腹を蹴られて、道眞は仰向けに転がされた。


「……ッ~!」

「羽咋くん、おとなしくしててねえ」


 生出が道眞の胸を踏みつけ、動きを押さえた。やせぎすの平凡な男が、日曜大工でもするように無骨な斧を振り上げる。

 おとぎ話の金太郎が持つまさかりのような、ただただ大きく荒削りな刃。このまま自分の首を落とされるのかと思うと、たまったものではない。


んだ花がご神慮、幽冥かくりよの大神おおかみ、憐れみたまえ、恵みたまえ」

「生出さん」


 百舌鳥はどうなったのか。そして自分はどうされてしまうのか。後者は火を見るより明らかだが、懐のサバイバルナイフは踏まれて取り出せない。


此岸しがんでも彼岸ひがんでもなく我岸ががんせよと。天地たかはにしきの実身さねみとなりて」

「生出さん、やめてくれ」


 足の下で必死にもがくが、生出が少し力を入れると、体を中から裂かれるような激痛が走る。肋骨かどこかが折れているのだろう。


蘇我ぞが土重はにえ新実にざね。ぞがはにえにざね。ぞがはにえにざね。人柱じんちゅう無苦むく麻賀禮まかれへ」

「助け……」


 げうっ、という自分の断末魔は、悲鳴と言うよりも、えずきのようだった。


 ギロチンで殺された人間は、首を落とされた後もしばらく意識が残ると聞くが、それが事実だったとは……。ぽっかりと開いた穴のような感情は、絶望だろうか。

 切り離された頭がてんてんと転がるのを、回る視界で感じる。瞬きしようとすると、まだ自分の肉体は意識に従って動いた。

 頭が転がったその先、木にもたれかかった百舌鳥を見つける。その首の端を、折れた枝が貫通しているのが見えた。


(ああ、百舌鳥も死ぬのか……)


 どうやらこの自分は、己が死ぬことよりも、彼が助からないことを悲しく感じているらしい。そのことが妙に可笑しくて、くすぐったくて、情けなくて、


 闇。

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