第二輪 大儺(たいな)、魂(たま)ぶるまい

第13話 真っ赤に出会え

「ああ、ああ、百舌鳥もずくん! なんてことだ!」


 道眞どうまの首を落として、「綺麗に一撃だ。やったぞ」と満足したのもつかの間。瀕死の百舌鳥を発見した生出おいずるは狼狽した。

 娑馗しゃき聖者しょうじゃから彼が命じられたのは、道眞を連れ戻すこと、抵抗するならぞがはにえにざねを念じて首を落とすこと。そして、百舌鳥ヤマトを生きて帰すことだ。


「ど、どどどどうしよう、どうしよう。ねえ羽咋はくいくん、どうしたらいいと思う?」


 大事に抱えた道眞の生首に問うが、返事はない。目を見開いたまま固まったそれは、まだ聖痕しょうこんを授かっていないただの死体なのだから当然だ。

 生出は道眞にも百舌鳥にも、早く不死の栄光に預かってもらいたいのだが……。


「あ、そうか! 死なないように殺しちゃえばいいよね!」


 このままだと、遅かれ早かれ百舌鳥は死ぬ。ならば聖痕が授かれるよう、命が尽きる前に自分が首を落として、二人の遺体を持ち帰るのだ。

 これで聖者から与えられた使命は果たせるだろう、と生出は算段を立てた。なれば、善は急げ。生出は道眞の首を優しく置いて、百舌鳥の方へ駆け寄った。


「ごめんよ、百舌鳥くん。こんなつもりじゃなかったんだ。手遅れになる前に、ちゃんと正しく、首を落としてあげるから」


 軽トラックから放り出された百舌鳥は、どこをどう転がってぶつかったのか、喉の右半分を折れた枝が貫通していた。即死はしないまでも、失血死まで長くない。

 この枝ごと首を断って、それから木を取り除いてあげよう。生出はバッティングの要領で、斧を横に構えて振りかぶろうとした。


んだ花がご神っ……!?」


 びたりと、首筋に刃物を当てられる冷たさを覚える。血のぬくもりを吸い取られ、中から凍てつくような身に覚えのある悪寒。

 ず、ず、ず、ず、ず、と巨大な気配が自分を上から見下ろす感触。先の儀式場でも現れた、〝閻魔童子〟のキヨイだ。生出は顔をしかめて叫んだ。


「キヨイ! 邪魔をしないでくれ、間に合わなくなっちゃう!」


 ぱち、と百舌鳥が瞬くと、虚ろな眼から血の涙があふれ出した。とめどなくあふれる血の涙をぬぐうこともせず、く、く、く、と笑うように慟哭する。

 ゆら、と百舌鳥――〝キヨイ〟は、木の枝から首を抜いて立ち上がった。餌に食いつく獣のように、生出の腕をわしづかむ。


「オマエ、ヤマをコロす?」

「違う、違う。これは事故だよ!」


 さっきは恐ろしさに泡を吹いていたが、不死の自覚を確かにした今は違うのだ。堂々と目の前の同胞はらからに、敵意はないとアピールする。


「私たちは神餌かみえ霊餌たまえ、聖なる兄弟だろう? このままだと百舌鳥くんは無駄死にだ、だから私が首を切って、聖者さまから聖痕を授かれるようにするんだ」

「へぇ」


 せせら笑うように生出の言葉を流し、キヨイは首の傷口に指を突っこんだ 喉に触れそうなほど深々と入れ、そこから、大きな血まみれのを取り出す。

 キヨイは生出の腕に刃を当てて、「ちょきん」と口にした。


「いっ、ぎぃっ!?」


 ただそれだけで、ライフル弾を物ともしなかった骨肉が裁断される。


「ひいいっ、ぎぃッあああっ!!」


 斧を握ったままの手首が足元に転がり、血がしぶいた。腕の断面を押さえようとしたが、そちら側はキヨイにつかまれたままだ。


「オレ、ヤマ、コロす! オマエなんかいらない! クルしめてクルしめて、ぜんぶコウカイさせてコロす! ヤマのきょうだい、オレだけ! やらない! やらない! イタいか? なあ、おいずる、イタいか? ナけ! ナけ! ナけよ!」


 ぎゃらぎゃらぎゃらぎゃらぎゃらと、音程の狂った笑い声を垂れ流し、キヨイは苦悶する生出の口に裁ちバサミを突っこんだ。


「っうぶッ、ご!? あぐ……」

「ちょっきーん」

「ぎっ、いぃッ、ががぅくぶっ! ごぢゃあぁっいッあぉぉあ!!!」


 ばつりと舌を真っ二つにされ、生出は血を吐いて悶える。


「イタいかぁ? おいずる? いタいカ? オマエ、カわいソウ! かワイそー! ナミダ、とまらないなァ? ナーけ、ナーけ、ナーけ、ナーけ、ナーけえ!」


 キヨイはハサミを閉じると、ざくざくと生出の胴体を突いた。


「カわイソう! カワいそウ! ダーレもタスけてくーれないっ♪ オレもオマエもかワイそう。でも、いちばんカわひソウ、オマエ! オマエオマエオマエ!」


 恐怖と苦痛と混乱で、生出はわけも分からないまま悪意と刃をぶつけられる。裁ちバサミ一つで、キヨイは手も足も切断し、ズタズタに体を引き裂いた。

 不死身の神餌だから死にはしないが、痛みだけは生者のように新鮮で生々しい。両手両足を八分割され、芋虫のように転がる生出をキヨイは蹴り転がした。


「い~ことオモいツいた。オマエでさんだはな、サかすぅ」


 裁ちバサミを背中に突き立て、ぢゃきぢゃぎぢゃきと肉を切り裂く。


「キーレイはきたな~い♪ きたないはキーレイ~♪ オーレはキヨ~イ♪」


 四肢を失った体がびくびくと跳ねる様は、逃げようとしているのか、ただ苦悶しているのか。いずれにせよ無力に組みしかれ、解体される一方だ。


(……どうして?)


 なぜ、自分はこんな目に遭うのか。

 痛みと苦しみの中で、かすかな正気が生出にそんな疑問を抱かせる。


(どうして、こんなひどいことができるんだ?)


 やがてキヨイはハサミを投げ捨てると、傷口に両手をつっこみ、彼の体内をまさぐった。内臓がぷちり、ぶちゅりと潰れ、ゴリゴリと骨が折れていく。


「え~いっ!」


 ボギャッともゴキャッとも形容しがたい音がした。焼き魚の骨でも取るように、キヨイは生出の背中から、二つに割った肋骨を引っ張り出す。


「ほ~ら、さんだはな! キレイ、できた!」


んだ花〟とは、娑輪しゃりん馗廻きえで神聖視される彼岸花のことだ。……確かに、鮮血にまみれた肋骨は、花のように見えなくもなかった。

 キヨイは大はしゃぎで、生き血に汚れた両手を叩く。


(もずくんのうそつき。いたみのてっぺんなんて、そんなもの、なかったよ)


 生出の体は破壊され尽くして、もう原型を留めていなかった。それなのに、まだ意識は明瞭で、遠のくような気配はどこにもない。

――ああ、ただの人間なら、もっと楽に死ねていただろうに。


 初めて、生出は不死の栄光を後悔した。



 位牌の形をした白木の板――神道で使われる、死者の御霊の依り代となる霊璽れいじが、緋色のひな壇にずらりと並べられていた。

 その中の一つ、『生出敬一郎大人尊霊位』の霊璽れいじにピシリとヒビが入り、真っ二つに割れて倒れる。断面からは、じわりと赤黒い血がにじみ出していた。



 ぴちゃぴちゃと、犬が水を飲むような音がする。半分眠って半分起きているように曖昧だった道眞の意識が、再び現実に焦点を結んだ。

 太腿のようにたくましい腕が自分の頭を抱えている。頭だけ、と言ってもいいかもしれない。悪夢のような話だが、自分は今、頭と首だけの存在なのだ。

 目の前にあるのは、今朝も鏡で見た単衣の着物。首を抱えた誰かが自分の体に覆い被さり、上体を起こさせているらしい。ということは、この水音は。


(僕の体から、血をすすっているのか?)


 自分を抱えている相手は、血まみれのYシャツといい、筋肉の付き方といい、百舌鳥で間違いない。その彼が頭越しに、道眞の死体から血を飲んでいる。


「ぷはぁ」


 百舌鳥らしき誰かが、満足したように首無し死体を離した。ばたりと倒れたそれをよそ目に、髪の毛をつかんでぶら下げられる。

 そこには虚ろな眼で血の涙を流し、口元を生き血で濡らしたキヨイの顔があった。大きく開いた口からは、割れた舌スプリットタンが見せつけるように覗いている。

 心臓の端切れのような二つの肉は、生き血をすすってより赤々と妖しい。


「どーま、ドーま、オきたな?」

「お前は……キヨイ、だったな」

「そう。ヤマのきょうだい、かぞいそろさまのコ」こくん、と。


 うなずく仕草も、恐ろしげな血涙の顔も、動いてみれば邪気もなく単純だ。


「僕をどうする気だ」

「トモダチ、する」

「僕が、お前と?」

「そう。なカよシ♡ コよシ♡」


 いいえと断ったら殺されそうだが、生首だけで意識を持っている自分は、はたして生きていると言えるのだろうか? 道眞は頭がおかしくなりそうだ。

 もうすぐ沸騰する湯を、冷たい水と思いながら浸かっている、そんな心地。

 完全に一線を越えた破滅にいるのに、自分自身はそれがどうでも良いかのように知覚できない。……心が、しんしんと硝子のように凪いでいる。


「なんで友だちにならなきゃ、いけないんだ。死人仲間ってことか?」


 苦心の末、道眞は問いかけた。


「トモダチならないと、ヤマ、シぬ。だからトモダチ」

「人質ってことか」

「ひとぢ、ち? ナニ、それ」


 きょとん、とキヨイは首を傾げる。どうやら本気で、人質の意味が分かっていないらしい。友だちにならないと百舌鳥を殺す、と脅されたのかと思ったのだが。


「待ってくれ、ヤマは百舌鳥ヤマトのことでいいんだよな?」

「うん」

「で、僕が友だちにならないと、どうして百舌鳥が死ぬんだ」

「オマエ、めんどくさい」


 キヨイは髪をつかんでぶら下げた道眞の首を、ぶんぶんと頭上で振り回した。


「やめろやめろ! 目が回る! 毛が抜ける!」毛どころか体が抜けているが。

「ヤマ、シぬ。オマエ、カミエなるからシなない。オマエとヤマのイノチくっつける、キズなおるまで、ヤマ、シなない。だから、トモダチ」


 この状態でも三半規管が生きていることを恨みながら、道眞はキヨイの説明を必死に理解しようと試みる。確かに、どう見ても百舌鳥は致命傷だ。

 その命をつなぎ止めるに、この状態の自分を使うというのは、筋が通っているように思えた。飽きたのか、キヨイはようやく道眞の首を振り回すのをやめる。


「トモダチ、なる?」

「その前に一つだけ、聞かせてくれ。生出さんをあんな風にしたのは、君か?」


 視界がまだグラグラしてよく分からないが、キヨイはひどく不満げな顔をしたようだった。眼鏡が落ちなかったのは幸運だ。


「ウン。キレイはきたない、きたないはキレイ、アイツはキライ!」

「そうか」


 視界の端に、無惨な肉塊と臓物を見たというのに。仕事で相対するご遺体とはまた違う、見知った相手の惨憺さんたんたる有り様にさえ、道眞は感情が動かなかった。

 自分はあっち側へ逝った生出と同じく、狂気の世界にいるのだろう。生首のままこうして奇怪な何かと話しているのに、平静そのものなのだから。

 だが百舌鳥は、自分や生出のように手遅れになる前に助かるのだ。壊死した感情の下、まだ血が通った部分がほのかな体温を持っている。


(なんだ、僕の心にはまだ、あいつ一人分の正気が残ってるじゃないか)


「分かった、トモダチになろう。で、百舌鳥を助けるのに何をしたらいいんだ?」

「チ、のめ。たくさん」

「わか」


 った、と続ける前に、キヨイは道眞の口を首の傷にあてがった。じくじくとにじみ出る血液は、れすぎて自壊しかけた果物のように汁気があふれてくる。

 飲んだ端から漏れないかとも思うのだが、道眞は無心にそれをすすった。

 他人の体温と体臭、それらがもっと凝縮された生命のエキス。煮こごりのように、舌の上でぷるりと震えるほど濃い。


 人間は血の味を感じると反射的に吐くらしいが、今は体が塩気と鉄錆を求めるように、するすると入ってくる。鼻の奥が猛烈に錆びていくような心地がした。

 やがて満足したかのように、キヨイは道眞の首を傷口から離す。そしてまたがったままだった道眞の体、その切断面に首をぴたりとくっつけた。


「えーとぉ~。ぞがはにえにざね。ぞがは…にににえざね。ぞがはにえにえざね。じんち、ゆーむくに、まっかに、であえ!」


 キヨイがつっかえつつ唱えると、道眞の傷口からぞわりと血の花弁が広がり、一度頭を包むとまた体内に戻った。儀式で見たものと同じ、彼岸花だ。


「僕も聖痕を授かったってことか……」呪文を間違えていた気がするが。

「ドーマ、これからヨろしく」

「よろし……」


 く、と言い切ったかどうかは定かではない。頭の後ろを誰かに引かれたように、道眞はすーっと意識が遠のくのを感じた。

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