第6話 太蝕天娑馗聖者、降臨す
「パーティーなんて、楽しみだなあ。
「そうですね。ところで、トリアゲ婆さん」
はしゃぐ
「わたくしめはオババとでもお呼び下さい」
「じゃあオババさん、彼は大丈夫かな。儀式ができる状態に見えないけれど」
「ふむ。百舌鳥さまは
「
人相の良くない百舌鳥だが、不細工呼ばわりされるほどには見えない。寝ているとガラの悪さも鳴りをひそめて、地はむしろ整っているのが分かる。
「失礼いたしました。我らは霊能ある
「えっ、てことは……百舌鳥くん、霊能者だったの!?」
びっくりした生出だが、すぐ「あ、だからいつも味がどうって言っていたんだね」と合点した。道眞も同意見だ。彼は本当に
水差しを持ってきた作務衣の男たちが、百舌鳥を起こして水を飲ませた。それから二人で脇を抱え、
「では、参りましょうか」
部屋を一歩出ると、そこは東京ドームのように広大な竪穴の中だった。閉鎖空間で我知らず縮こめられていた手足が、解放感でのびやかに呼吸する。
「うわあ! こんな場所、よく作ったねえ」
「自然に出来た竪穴なのかな……ここは日本なんですか?」
生出も道眞も純粋に驚嘆した。壁面に通路や階段が張り巡らされ、何十と重なる層の一つに、道眞たちが監禁されていた部屋がある。
向こう岸はあちこちに設置された照明のおかげで見渡せるが、上にも底にも果てが見える気がしない。道眞が予想した以上に、巨大な施設だ。
ほほほ、と先頭を歩くトリアゲ婆が微笑む。
「ここは俗世の
「ところで、
「あ、それ私も聞きたい」
道眞と生出の質問を、トリアゲ婆は「儀式場にて改めてご説明いたします」と返した。落ちないよう頑丈な鉄柵を設けられた広い通路を、信者らとしばらく進む。
突き当たりのエレベーターに乗ると、階数表示はギリギリ五十に届かなかった。縦だけ考えても、東京都庁舎に匹敵する高さだ。
「楽しみだなあ、瑞穂に会うの、楽しみだなあ。あの子、茅を可愛がっていたから、大きくなった妹を見たらきっと喜んでくれるよ」
「良いですね。僕も、父と話したいことがたくさんあります」
「そういえば、百舌鳥くんは死んだ誰と会いたいんだろうね?」
両脇を抱えられた百舌鳥は、目こそ半開きだが意識はハッキリしてはいないようだった。生出や道眞は話している間、何度か声をかけたが反応しない。
こんなことで儀式は大丈夫だろうか……道眞が不安に思っている内に、エレベーターが到着した。扉が開く前に、トリアゲ婆がこちらを向いて告げる。
「これより先は、我らの神聖なる霊場。一礼してからお参りください」
言って、老婆は扉の向こうへお辞儀して見せる。一同がそれにならうとエレベーターが開き、水の匂いが入ってきた。しん、と冷たく湿った空気が気持ち良い。
そこは上の竪穴より二回りほど小さい、天然洞窟の空間だった。
天井がよく見えないが、少なくとも建物の三階以上はあるだろう。そこにずらりと提灯が灯され、ほのかに息づく光を灯している。
エレベーターを出てすぐ左右に石畳の道が敷かれ、地底湖に添って伸びていた。どうやらこの霊場は、湖を中心に作られているらしい。
道の両端には等間隔に、苔むした石灯籠が立っていた。
湖には何か浮かんでいるようだが、この暗さと水面の
「こちらへ」
トリアゲ婆を残して、信者たちは右の道へ進んだ。道眞らが言われるがまま左へ行くと、ど、ど、ど、ど、と大量の水が流れ落ちる音がする。
それを圧して、人々の歓声と鈴の音が聞こえてきた。
「さんだはながごしんりょ!」
道の両端、覆面をした白装束の人々が、石灯籠を挟んでずらりと並んでいた。
男性は
「かくりよのおおみかみ!」
男が白い紙吹雪を振りかけてくる。
「あわれみたまえ、めぐみたまえ!」
女が神楽鈴を打ち鳴らす。下から七個、五個、三個と輪状に鈴をつけた、神道特有の楽器だ。別名を七五三鈴。
「ぞがはにえにざね!」
「ぞがはにえにざね!」
「ぞがはにえにざね!」
そして割れんばかりの拍手、拍手、喜びに満ちた不可思議な歌。
「うわあ、
「新たなる〝
「カミエ?」
部屋の文書が道眞の脳裏によみがえる。「神餌」か、それとも「神廻」だっただろうか……不死なる身の上をそう呼ぶらしい。道眞の宗教学的好奇心がうずいた。
「ぞがはにえにざね、というのは?」
「もうすぐお分かりになります」
トリアゲ婆はニコニコするばかりで、何も教えようとはしない。
その代わり、信者たちに応えるよう道眞たちにうながした。あんなに青い顔をしていた生出は、照れくささに頬を染めながら手を振ったり、笑いかけてみせる。
「なんだか恥ずかしいですね、生出さん」
「こんなにお祝いされるの、私は結婚式以来だよ」
「でも、これは結婚よりずっとずっとおめでたい」
「だね!」
何しろ永遠の存在になれるのだから。冠婚葬祭、人生の節目は大事なことだが、不死になるとはその四つすべてを合わせたよりも素晴らしい。
(葬儀屋として、そんなめでたい席にあずかれるなんて、)
幸せだなあ。
(し、あ、わせ……だよな?)
もう一人の自分が、すぐ傍で己を見つめ、何かを必死でわめき立てている。両者の間には分厚い硝子の壁があって、その声が届くことはない。
それでいい。
足が止めた彼を、トリアゲ婆が「どうなされました?」と呼ぶ。道眞は「いえ、なんでもありません」と笑って再び歩み始めた。
道の終わりは、湖へ少し突き出した岬だ。一段高い白木の舞台が設けられ、三つの膳と座布団が用意されている。
地底湖には、遙か高みから滝が流れていた。石畳の道は、左右どちらも湖を半分ほどしか囲んでいないらしい。手で促され、道眞たちは座布団に腰を下ろした。
「本膳は後ほど宴席にてご用意しますが、こちらはそれに先駆けての弔い御膳となります。神餌となられる用木の方に、亡き者の身を捧げて弔いといたします次第」
膳には、薄く切って平皿に並べられた燻製肉と、タレの小皿があった。見ただけでは牛豚鶏のどれともつかないが、老婆の言葉を素直に受け取れば、答えは一つ。
「亡き者って、
「へえ、人間のお肉なんて初めてだなあ」
以前の生出なら、人肉料理など泡を吹いたことだろう。それが道眞には可笑しい。
白木の台の傍には、酒器を載せた小さな台があった。トリアゲ婆は朱塗りの盃を赤い液体で満たし、道眞たちに差し出す。
「これなるは
「お神酒みたいなものだね。いただきます!」
「
道眞が百舌鳥の方を見ると、彼は信者に支えられてやっと座布団に座っていた。大きさで周囲を威圧するような堂々たる図体が、まるで首の据わらない赤ん坊だ。
くい、と頭を上向かされて、酒を注ぎ飲まされている。あれで儀式がちゃんとできるのだろうか? 再三心配しながら、道眞も盃をあおいだ。
「けっこうなお手前で」
「美味しいよねえ、これ」
燻製肉はよく熟した香味で、濃厚でありながら後味はさっぱりしている。この
「百舌鳥も可哀想に、
百舌鳥をここまで連れてきた信者たちは、肉を細かくちぎっては、甲斐甲斐しく彼に食べさせていた。おかげで二人は、少々待ちぼうけさせられる。
ようやく百舌鳥が二杯目を飲み、ぱん、とトリアゲ婆は手を打ち鳴らした。
「それでは、教主さまのお
信者たちが水を打ったように静まりかえる。
何の仕掛けか滝の水量がみるみる減り、下に隠されていた漆黒の鳥居が姿を現した。どういうわけか、巨大な刃がついている。
その向こうに、錫杖を手にした黒い巫女装束の人物。
全身をしとどに濡らし、膝下まで水に浸かった女の姿が、釣り針のように道眞たちの目を射た。一瞬でこちらを惹きつけて離さない、妖しい力が。
こちらの熱い視線に応えるように、琥珀色をした目が輝く。
「ようこそ、羽咋道眞
錫杖をしゃりんと突き立て鳴らしながらの名乗りは、洞窟内に朗々と響き渡った。聞く者も発する者も、心と言葉をひとつにして澄むような厳かさ。
聖なる者と冠されるにふさわしい第一声だ。
「おお、
「聖者さま!」
「聖者さま!」
湖を取り囲む信者たちが一斉に平伏し、道眞と生出もそれにならう(百舌鳥は信者に手を引かれて伏した)。あれは間違いなく、道眞が町中で出会った女性だ。
月のような白金色に整った顔立ちに、琥珀の瞳が四つ輝く。二つの目の中に、四つの虹彩と瞳孔――
(聖者さまじきじきのお迎えなんて、
娑馗聖者は、これまで道眞が見てきたどんな人間とも似ていなかった。
少女のようにも若いようにも、ひどく老いても見えるし、声も女性のように甘く澄んだ響きと、男性のようにどっしりとした張り双方が感じられる。
巫女装束が女と仮定させるだけで、老若男女のどれにも見え、どれにも見えない。その底知れなさに、道眞はカミソリで肌を撫でられるような畏怖を覚えた。
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