第6話 太蝕天娑馗聖者、降臨す

「パーティーなんて、楽しみだなあ。かやも連れてきたら、全力でお祝いしなくちゃ」

「そうですね。ところで、トリアゲ婆さん」


 はしゃぐ生出おいずるをよそに、道眞どうまは奥の青年を指さした。百舌鳥もずの筋骨たくましい体はぐったりと力なく、ベッドに横たわったまま目を覚まさない。


「わたくしめはオババとでもお呼び下さい」

「じゃあオババさん、彼は大丈夫かな。儀式ができる状態に見えないけれど」

「ふむ。百舌鳥さまは志挙乎しこおであられるようですからな。ご準備の間にさまざまな感応かんのうを起こされて、心身が疲弊ひへいなされたのかもしれませぬ」

醜男しこお?」


 人相の良くない百舌鳥だが、不細工呼ばわりされるほどには見えない。寝ているとガラの悪さも鳴りをひそめて、地はむしろ整っているのが分かる。


「失礼いたしました。我らは霊能ある男巫おかんなぎ志挙乎しこお女巫めかんなぎ志許売しこめと申すのです。シコという音は、野性・勇猛・頑強さなどを意味するものでございますれば」

「えっ、てことは……百舌鳥くん、霊能者だったの!?」


 びっくりした生出だが、すぐ「あ、だからいつも味がどうって言っていたんだね」と合点した。道眞も同意見だ。彼は本当に裂けた舌スプリットタンで何か読み取れるらしい。

 水差しを持ってきた作務衣の男たちが、百舌鳥を起こして水を飲ませた。それから二人で脇を抱え、朦朧もうろうとしている彼を部屋から連れ出す。


「では、参りましょうか」


 部屋を一歩出ると、そこは東京ドームのように広大な竪穴の中だった。閉鎖空間で我知らず縮こめられていた手足が、解放感でのびやかに呼吸する。


「うわあ! こんな場所、よく作ったねえ」

「自然に出来た竪穴なのかな……ここは日本なんですか?」


 生出も道眞も純粋に驚嘆した。壁面に通路や階段が張り巡らされ、何十と重なる層の一つに、道眞たちが監禁されていた部屋がある。

 向こう岸はあちこちに設置された照明のおかげで見渡せるが、上にも底にも果てが見える気がしない。道眞が予想した以上に、巨大な施設だ。

 ほほほ、と先頭を歩くトリアゲ婆が微笑む。


「ここは俗世の青人草アオヒトクサなんぞには、生涯たどり着けぬ聖地にございます」

「ところで、聖痕しょうこん之儀のぎというのは、僕らは何をしたらいいんですか?」

「あ、それ私も聞きたい」


 道眞と生出の質問を、トリアゲ婆は「儀式場にて改めてご説明いたします」と返した。落ちないよう頑丈な鉄柵を設けられた広い通路を、信者らとしばらく進む。

 突き当たりのエレベーターに乗ると、階数表示はギリギリ五十に届かなかった。縦だけ考えても、東京都庁舎に匹敵する高さだ。


「楽しみだなあ、瑞穂に会うの、楽しみだなあ。あの子、茅を可愛がっていたから、大きくなった妹を見たらきっと喜んでくれるよ」

「良いですね。僕も、父と話したいことがたくさんあります」

「そういえば、百舌鳥くんは死んだ誰と会いたいんだろうね?」


 両脇を抱えられた百舌鳥は、目こそ半開きだが意識はハッキリしてはいないようだった。生出や道眞は話している間、何度か声をかけたが反応しない。

 こんなことで儀式は大丈夫だろうか……道眞が不安に思っている内に、エレベーターが到着した。扉が開く前に、トリアゲ婆がこちらを向いて告げる。


「これより先は、我らの神聖なる霊場。一礼してからお参りください」


 言って、老婆は扉の向こうへお辞儀して見せる。一同がそれにならうとエレベーターが開き、水の匂いが入ってきた。しん、と冷たく湿った空気が気持ち良い。

 そこは上の竪穴より二回りほど小さい、天然洞窟の空間だった。


 天井がよく見えないが、少なくとも建物の三階以上はあるだろう。そこにずらりと提灯が灯され、ほのかに息づく光を灯している。

 エレベーターを出てすぐ左右に石畳の道が敷かれ、地底湖に添って伸びていた。どうやらこの霊場は、湖を中心に作られているらしい。


 道の両端には等間隔に、苔むした石灯籠が立っていた。

 湖には何か浮かんでいるようだが、この暗さと水面のもやでよく見えない。そしていたる所に、火を灯す赤いロウソクの群れ。


「こちらへ」


 トリアゲ婆を残して、信者たちは右の道へ進んだ。道眞らが言われるがまま左へ行くと、ど、ど、ど、ど、と大量の水が流れ落ちる音がする。

 それを圧して、人々の歓声と鈴の音が聞こえてきた。


「さんだはながごしんりょ!」


 道の両端、覆面をした白装束の人々が、石灯籠を挟んでずらりと並んでいた。

 男性は烏帽子えぼしと白い狩衣かりぎぬ、女性は白い小袿こうちぎ――道眞が見る限り、これはおそらく神葬祭の神衣かむい、つまり神道式葬儀の死に装束だ。


「かくりよのおおみかみ!」


 男が白い紙吹雪を振りかけてくる。


「あわれみたまえ、めぐみたまえ!」


 女が神楽鈴を打ち鳴らす。下から七個、五個、三個と輪状に鈴をつけた、神道特有の楽器だ。別名を七五三鈴。


「ぞがはにえにざね!」

「ぞがはにえにざね!」

「ぞがはにえにざね!」


 そして割れんばかりの拍手、拍手、喜びに満ちた不可思議な歌。


「うわあ、羽咋はくいくん見て。私ら大歓迎されているよ!」

「新たなる〝神餌かみえ〟の方がお生まれになるのです。当然でございましょう」

「カミエ?」


 部屋の文書が道眞の脳裏によみがえる。「神餌」か、それとも「神廻」だっただろうか……不死なる身の上をそう呼ぶらしい。道眞の宗教学的好奇心がうずいた。


「ぞがはにえにざね、というのは?」

「もうすぐお分かりになります」


 トリアゲ婆はニコニコするばかりで、何も教えようとはしない。

 その代わり、信者たちに応えるよう道眞たちにうながした。あんなに青い顔をしていた生出は、照れくささに頬を染めながら手を振ったり、笑いかけてみせる。


「なんだか恥ずかしいですね、生出さん」

「こんなにお祝いされるの、私は結婚式以来だよ」

「でも、これは結婚よりずっとずっとおめでたい」

「だね!」


 何しろ永遠の存在になれるのだから。冠婚葬祭、人生の節目は大事なことだが、不死になるとはその四つすべてを合わせたよりも素晴らしい。


(葬儀屋として、そんなめでたい席にあずかれるなんて、)


 幸せだなあ。


(し、あ、わせ……だよな?)


 もう一人の自分が、すぐ傍で己を見つめ、何かを必死でわめき立てている。両者の間には分厚い硝子の壁があって、その声が届くことはない。

 それでいい。お・前・は僕は黙・っ・て・い・ろ黙らない!


 足が止めた彼を、トリアゲ婆が「どうなされました?」と呼ぶ。道眞は「いえ、なんでもありません」と笑って再び歩み始めた。


 道の終わりは、湖へ少し突き出した岬だ。一段高い白木の舞台が設けられ、三つの膳と座布団が用意されている。

 地底湖には、遙か高みから滝が流れていた。石畳の道は、左右どちらも湖を半分ほどしか囲んでいないらしい。手で促され、道眞たちは座布団に腰を下ろした。


「本膳は後ほど宴席にてご用意しますが、こちらはそれに先駆けての弔い御膳となります。神餌となられる用木の方に、亡き者の身を捧げて弔いといたします次第」


 膳には、薄く切って平皿に並べられた燻製肉と、タレの小皿があった。見ただけでは牛豚鶏のどれともつかないが、老婆の言葉を素直に受け取れば、答えは一つ。


「亡き者って、も・し・か・し・て 嘘だろう!? 人・肉・料・理・な・ん・で・す・か冗談じゃない!、これ」

「へえ、人間のお肉なんて初めてだなあ」


 以前の生出なら、人肉料理など泡を吹いたことだろう。それが道眞には可笑しい。

 白木の台の傍には、酒器を載せた小さな台があった。トリアゲ婆は朱塗りの盃を赤い液体で満たし、道眞たちに差し出す。


「これなるはんだ花で作った毉酒くしびきにございます。こちらを一杯飲み干されてからそちらの膳を召し上がり、最後にもう一杯飲まれてから儀式となります」

「お神酒みたいなものだね。いただきます!」

い・た・だ・き・ま・す待ってくれ


 道眞が百舌鳥の方を見ると、彼は信者に支えられてやっと座布団に座っていた。大きさで周囲を威圧するような堂々たる図体が、まるで首の据わらない赤ん坊だ。

 くい、と頭を上向かされて、酒を注ぎ飲まされている。あれで儀式がちゃんとできるのだろうか? 再三心配しながら、道眞も盃をあおいだ。

 馥郁ふくいくたる香りが広がり、口当たりは酒精の刺々しさが一切なく、絹のように柔らかい。腹の中が優しい陽光に照らされて、さあっと温かくなった。


「けっこうなお手前で」

「美味しいよねえ、これ」


 燻製肉はよく熟した香味で、濃厚でありながら後味はさっぱりしている。このひとは生前、どのような人物だったのだろうか。思いを馳せながら、道眞はよく味わう。


「百舌鳥も可哀想に、あ・れ・じ・ゃ・味・な・ん・て人間の肉だぞ!?分からないだろう」


 百舌鳥をここまで連れてきた信者たちは、肉を細かくちぎっては、甲斐甲斐しく彼に食べさせていた。おかげで二人は、少々待ちぼうけさせられる。

 ようやく百舌鳥が二杯目を飲み、ぱん、とトリアゲ婆は手を打ち鳴らした。


「それでは、教主さまのおいででです」


 信者たちが水を打ったように静まりかえる。


 何の仕掛けか滝の水量がみるみる減り、下に隠されていた漆黒の鳥居が姿を現した。どういうわけか、巨大な刃がついている。

 その向こうに、錫杖を手にした黒い巫女装束の人物。

 全身をしとどに濡らし、膝下まで水に浸かった女の姿が、釣り針のように道眞たちの目を射た。一瞬でこちらを惹きつけて離さない、妖しい力が。

 こちらの熱い視線に応えるように、琥珀色をした目が輝く。


「ようこそ、羽咋道眞郎男いらつおのみこと、百舌鳥ヤマト郎男尊、生出敬一郎大人うしのみこと。其の方らの栄光と、新たなる神餌の誕生を言祝ことほごう。我が名は太蝕天たいしょくてん娑馗しゃき聖者しょうじゃなり!」


 錫杖をしゃりんと突き立て鳴らしながらの名乗りは、洞窟内に朗々と響き渡った。聞く者も発する者も、心と言葉をひとつにして澄むような厳かさ。

 聖なる者と冠されるにふさわしい第一声だ。


「おお、大聖者だいしょうじゃさま!」

「聖者さま!」

「聖者さま!」


 湖を取り囲む信者たちが一斉に平伏し、道眞と生出もそれにならう(百舌鳥は信者に手を引かれて伏した)。あれは間違いなく、道眞が町中で出会った女性だ。

 月のような白金色に整った顔立ちに、琥珀の瞳が四つ輝く。二つの目の中に、四つの虹彩と瞳孔――重瞳ちょうどうだ。


(聖者さまじきじきのお迎えなんて、幸・せ・だ・な・あ幸せか?


 娑馗聖者は、これまで道眞が見てきたどんな人間とも似ていなかった。

 少女のようにも若いようにも、ひどく老いても見えるし、声も女性のように甘く澄んだ響きと、男性のようにどっしりとした張り双方が感じられる。


 巫女装束が女と仮定させるだけで、老若男女のどれにも見え、どれにも見えない。その底知れなさに、道眞はカミソリで肌を撫でられるような畏怖を覚えた。

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