第3話 死者の名前と舌切り坊主
『コノタビハ神慮メデタク、誠ニゴ同慶ノ至リデス』
放送は延々と同じ内容をくり返す。口に突っこまれた布を取り出して、
一人元気な
「
単刀直入な物言いは、刑事という職業柄なのだろうか。百舌鳥に悪意があるのかないのか考えながら、道眞は思い出したことを告げた。
話している最中、百舌鳥と生出が目線を交わしていたことに道眞は気づく。
「二人とも、黒い巫女姿の人に会ったんですね?」
うん、ああ、とそれぞれの応え。一様に不自然な迷子。話しかけられて、ついそれに応えてしまったが、その後どうしてここにいるかは思い出せない。
「京都、奈良、兵庫の三ヶ所で、全員同じ日に拉致されたのか。かなり大規模な犯罪組織みたいだけれど、
葬祭業は不規則な仕事で、基本は二十四時間体制だが、友引だけは例外だ。
友引とは「友人を引きこむ」の意。元は中国の占いで、明治以来、日本のカレンダーに「日々の吉凶を判断する占い」としてよく記載されている。
この日に葬儀を執り行うことは、〝凶〟――普通の葬儀社は休業日だ。
妖怪、という一語を百舌鳥は鼻で笑った。
「日本の年間行方不明者は八万人以上。見つかるヤツも死んどるヤツもおるけど、都市伝説だの妖怪だのが、ほんまに人をさらうワケがあらへん」
「というか、警察は何かつかんでいないのか? 刑事さん」
道眞がやや皮肉を込めて言うと、百舌鳥は「確かに、心当たりならある」と答えた。情報があるならば、実にありがたい話だ。
百舌鳥は鉄扉を、と言うよりは自分の正面にある張り紙を指さした。彼から見て左右に、道眞と生出のパイプベッドは向かい合う形で配置されている。
「四月ごろ、俺の恩師から……」
す、と板を挟んで流れを一旦止めるように、妙な間があった。
「電話が来たんやが、しきりに
「それ、今思いっきり私たちを捕まえている連中じゃないか!」
生出がぎょっと目を剥く。道眞は喉が渇くような焦燥を覚えた。
「じゃあ百舌鳥、今すぐ君が娑輪聖者について分かっていることを話してくれ」
「俺が知っとるせんせは、宗教にハマる人やなかったんや。乾いた血みたいに赤黒うて、舌がヒリヒリする苦渋い声やった。……で、調べてみたら俺が警官になる前に、〝
百舌鳥は紙を拾い、「娑」「輪」「馗」「廻」の文字を指さしながら言った。
「容疑は強引な勧誘、誘拐、拉致監禁。ところが、当時担当したヤツらが次々と依願退職しくさって……どうやら全員、その教団の信者になってもたどとや」
「……マジで?」
素、という感じの声が、生出の細い喉からこぼれる。額にじわりと汗が浮いて、青白かった顔がいよいよ蝋のように白くなった。
「有力な証拠はつかめんまま、捜査は打ち切りになったそうやが……俺らをこんな目にあわせよるのは、そいつらで間違いあらへん」
「生きた人間は怖いね」
独りごちる道眞に、百舌鳥が面白げに「葬儀屋ちゅうのは
「怪談話の多い業界だけれど、あいにく僕は無いんだ。幽霊はいるいないの問題ではないと思うけれど、強いて言えば〝いるかもしれないね〟ぐらいだよ」
いても良いしいなくても良い。個人の信仰を否定しないのは、礼儀というものだ。
「見た言うたら、はり倒しとったとこや。さっぱり黄い
「ゴリラは温厚で平和主義だが、君は体格以外彼らにまったく及ばないな」
百舌鳥は返答に満足げな様子だったが、道眞はげんなりとした。だいたい黄色いとかしょっぱいとか、何かにつけ色と味の話を持ち出すのも意味が分からない。
「死んだ人間が、生きた人間に手ぇ出すんは筋違いやろが。どういう手段で俺らを拉致したかはともかく、この件はオカルトやのうて、人間の仕業や」
「それは僕も賛成だ」
「あと、次ゴリラ言うたらシバくど」
この男、人相も悪ければガラも悪いし、取りつくろう気すらないのか。
「うん、人の身体的特徴をあんまり口に出すのは、私もどうかと思うよ」
「すみません」
生出にまで言われると、さすがに道眞も反省した。朗らかに振る舞いつつ、そこはかとなく無理がにじみ出ている彼の言葉は一段と重い。
一方、百舌鳥の威勢の良さは虚勢ではない。刑事という肩書きのせいもあるのか、この中で最も修羅場慣れしているのは彼だろう。
敵はあくまで人間。三人で力を合わせ、なんとしても脱出せねばならない。生出は、やにわに青白い顔をきりりと引き締めた。
「私ね、妻と娘がいたけど、実は二月に離婚しているんだ」
思わず道眞が「えっ」と声を上げると、生出は「といっても円満だよ? 誤解しないでね」と付け加えた。
「面白いかなってバレンタインデーに離婚届出してさあ。娘の
死人のようだった生出の顔に、ふわっと血色が戻る。
「だから私は絶対に、生きて帰るんだ!」
「やる気ぃあって結構なこっちゃ。青おして酸っぱいのんは、悪ないさかいな」
百舌鳥は分厚く広い胸の前で、自分の拳を突き合わせた。
「
「僕も葬儀屋の仕事が待っているんだ、とっとと帰らせてもらおう」
貴重な休日を潰されたあげく、この拉致監禁。顔には出さないが、道眞は内心怒髪天だ。――犯人たちを許さない。必ず抗い、この行いに報いてやる、と。
生出が拳を突き上げ、大声で空元気を出す。
「よーし、えい、えい、おー!」
「えい、えい、おー!」
道眞も同調して拳を上げる。百舌鳥の冷ややかな視線が突き刺さるが、二人は示し合わせたようにそれを無視した。挙げた拳をそのままに、道眞は口を開いた。
「ところで、葬儀屋として気がついたことがあるので、聞いてもらってもいいかな」
「おう、とっとと話さんかい」
(こいつは横柄ゴリラ国から横柄を広めに来たのか?)
道眞は生出と顔を見合わせたが、百舌鳥が「その黒しょっぱいツラはやめい」とぼやくので、それ以上は触れないことにした。こいつはもう、そういう男なのだ。
「僕ら一人一人にベッドと名札が割り当てられている。自己紹介を聞いた時から思っていたけれど、これは名札じゃない、
「この位牌のようなブツか」
百舌鳥が親指で自分の札を指す。実際、それはただの長方形ではなく位牌のような形をしていた。そこには『百舌鳥ヤマト郎男尊霊位』と記されている。
生出が「なんだいそれ?」と首を傾げた。
「神道で使われる、仏教の位牌と同じようなものですよ。書かれるのは戒名ではなく
生出の霊璽は『生出敬一郎大人尊霊位』。道眞自身には『羽咋道眞郎男尊霊位』。
「僕と百舌鳥さんはイラツオノミコトレイイ、生出さんはウシノミコトレイイ。戒名と違って、故人の姓名にそのまま尊称を重ねてつけます」
拉致監禁した人間に死者の名をつける、演出ならば実にあからさまだ。
「つまり死の宣告か」百舌鳥は手近な紙束を蹴飛ばした。「黄色いけど笑えんなあ」
百舌鳥は冗談でも聞かされたような反応をしているが、生出はひゅ、と喉の奥で息を鳴らす。無理もないが、心臓が止まってしまわないか心配になる顔色だ。
「私だけ君らと霊号が違うのはなぜなんだ!?」
「大丈夫ですよ、生出さん。単なる年齢での区別です。ただ、細かく年齢別の霊号をつけるのは珍しいですね。それが彼ら教団の流儀なんでしょう」
その後も道眞たちは、室内をすみずみまで探した。大量の紙束にも目を通してみたが、書いてある内容は放送と大して違わない。
乱雑を極める書面にまともな中身を期待してはいなかったが、どうにも芳しくない結果だ。このままでは、自分たちの体で狂人の理論を実践されてしまう。
そもそも、何の薬物を注射されたかも分からないというのに!
「ドス黒うて黄色うて、吐き気がするほど甘じょっぱい連中や。儀式ちゅうていで、凝りにこった拷問ショーでもお見舞いされそうやな。目ん玉スプーンでえぐるとか」
教団の狂気的な思想を、百舌鳥は笑い飛ばした。明らかな嘲笑は、自分達を捕らえたカルトへの強い侮蔑がある。しかし、その一方で。
「だからさあ! 百舌鳥くん、そういうの本当良くないと思うよ! ワケの分からない味の例えもいい加減にしてよ!」
震え声で言葉を濁した努力を粉砕され、ついに生出が声を荒げた。
「なら、
「痛みの頂点なんて、私はゴメンだ! そのふざけたしゃべり方も!」
百舌鳥は慣れっこだという風に、眉一つ動かさない。
「おどれらにこの味が感じられんのは知っとるけど、俺は他に言い方を知らんからな。おどれが今一番青酸っぱい、つまり
「君さ……、言いたくないけれど、少し……頭が、」
生出の恐怖と忍耐は限界に来ているらしい。道眞は二人を仲裁することにした。
「ところで
無理やり百舌鳥と生出の間に割って入ると、早口で話題を変える。
「それに、この漢字が」〝殪〟を指して。「まったく分かりません。文の内容と〝
スマホがあればもう少し調べられただろうが、脳内の知識ではこれが限界だ。とはいえ、二人に口を挟ませずにまくし立てることで、なんとか空気は変わった。
「名前なんざどうでもええ」百舌鳥はにべもない。「連中の教義と合わせりゃ明々白々や。人を殺して救いとほざくカミサマやで」
「そんなの、神さまなんかじゃないよ、悪魔だよ」
生出の声に落ち着きが戻るが、それは彼の怯えと区別しがたい。
「ああ。世の中には生きとうても生きられへんやつが、ごまんとおるのにな」
道眞が
生出が「ひ」としゃっくりのような声を出すのを、ただ呆然と聞く。
そもそも、彼の滑舌に違和感はなかったのだ。どこまで矯正できるものなのか道眞は知らないが、その訓練に百舌鳥はどれほどの努力を費やしたのだろう。
それは縦真っ二つに分かれた舌――スプリットタンだった。
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