実習

「〈練習問題⑦〉視点の問四:潜入型の作者」より 約2000字→1000字


 浮浪児に芸など見せたのが間違いだった。人波が消えた後に残っていた汚らしい少女に人形芝居を披露してしまったのだ。以来、少女はあたしの周りを離れなくなった。

 同じだ、と溜息を吐く。浮浪児であったあたしも大道芸の人形に魅せられ、芸人に取り入った。

 人形は操り人形マリオネットにするような代物ではなかった。磁器製で、ガラスの目玉が入っていて――学のないあたしにはこの人形の優れた様子を言葉にできない。ただ貴族の遣いだという執事風の男がとんでもない額で買い取ろうとしてきたり、人形職人が目の色を変えて根掘り葉掘り訊ねてくるような逸品であるのは間違いないらしい。

 芝居の道具にしているにもかかわらずこの人形は汚れもせず、傷もつかない。服はほつれ古びていき更新しているのに、だ。

 少女は殺されることになってもあたしの――人形の元を離れないだろう。けっきょくあたしはあたしの親方と同じことをした。煤と脂と虫だらけであった少女を小綺麗にし、大道芸の助手として使い、骨と皮ばかりだった体が少しだけ柔らかな曲線をまといはじめたところで恋人に――いや、慰み者にした。

 浮浪児だった少女はいつの間にか美しい娘へと成長していた。

 そんなある日、芸を終えて天幕の下で片付けをしていると男が一人押し入ってきた。別の町で芸を披露していたときに自分の人形だと騒いで兵に連れて行かれた男だ。彼は壊れかけた言葉で人形の所在を問い、血の付いた刃物をかざした。

 人形は少女が手入れをしている最中だった。あたしは背後に人形と少女を書くし、男の前に立ちはだかったが無力だった。刃物が振るわれあたしは倒れ伏す。少女に向かい「逃げろ」と叫んだつもりだったけれど口は動かなかった。

 少女は人形を片手に立ち上がり近くにあった剣に手を伸ばす。芝居用の軽い木剣だった。そんなもので打ったとしてもかすり傷一つ与えられない、と思ったが奇術のようなことが起きた。少女が振り回した木剣は易々と折れたものの、折れた部分が鋭く尖って男の体に突き立ったのだ。男は咆哮を上げて腕を振り回し、その手がランタンを弾いて壊した。油が散り、男に降り注ぎ、炎が移る。一瞬のことだった。

 少女は人形を抱えたままあたしを引き摺り天幕から逃れた。炎に包まれた天幕を背後に少女と人形が影を作る。

 予感がした。

「ありがとう」

 かつて、あたしがあの人形に魅入られたときに聞いた声だった。同時に少女の声も聞こえた気がした。「おつかれさま」と。あるいはその声の主は逆であったかもしれない。暗闇に沈み込もうとしているあたしにはもう区別は付かなかった。

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アーシュラ・K・ル=グウィン『文体の舵をとれ』実習 藤あさや @touasa

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