神様のひとでなしっ!!

浅葱 ひな

神様のひとでなしっ!!

「今日は、人通りが多いと思ったら、サッカーの試合があるのか? オレンジが多いよね?」

「ハロウィン前日っていう所為せいもあるんじゃない?」


 街は、オレンジ一色と言ってもいいくらいにハロウィンの飾りつけで溢れていたし、鳥居前の交差点には、駅のほうから、オレンジのレプリカをその身に纏った人たちが、大量に流れ込んできていた。

 わたしたちは、巨大な鳥居の下で、楽しそうに通り過ぎていく人たちを眺めては、笑いあっていた。



 十八丁(およそ2km)をゆうに越える氷川ひかわの参道の両脇では、楠や欅や桜の巨木が、太陽の光をいい感じで遮ってくれている。

 地上に降り注ぐ秋の光は、巨木の緑や茶色や黄色の葉を通して木漏れ日となり、その下を歩く者たちを優しく包み込んでいた。

 巨大な朱塗りの鳥居とりいを過ぎると、それらの植生には、明らかに人の手が加えられているようだ。更に、巨木の欅と桜の間にはイロハモミジなどが植えられ、その葉は一部紅葉している。その、緑色の葉とのグラデーションに、道行く人々がスマホやカメラを向けていた。


 三の鳥居をくぐると、左手には『さざれ石』が、右手には『神楽殿』や『夫婦楠』が見える。ここから先は神域になるのだろう。

 本殿を囲むように、いくつものやしろが点在している。それは、宗像むなかた神社だったり、天津あまつ神社、門客人もんきゃくじん神社のほかに、末社や六社などと呼ばれるやしろもある。

 それらに守護されるかのように建つ、武蔵国一の宮、氷川神社は、二千有余年前に創立された、歴史のある神社だった。須佐之男命すさのおのみことや、稲田姫命いなだひめのみこと大己貴命おおなむちのみことが祀られているらしい。

 ここは、正月三ヶ日の参拝客の数が、毎年、全国でも上位に食い込む大社なのだ。

 


 わたしは、久しぶりのデートに浮かれていたのかもしれない。目の前に現れたサッカーボール、避けようと思えばできたかもしれない。しかし、ふと、わたしの後ろの人たちが視界に飛び込んできた。

 華麗に胸でトラップして、優雅に下に落とそうと思ったそのボールが、予想とは違う方向に弾んだ。

 ゴンッ!

 鈍い音が聞こえた……気がした。



 目を覚ますと、そこはまったく身に覚えのない場所だった。

 わたしは、かけられていた布団をめくり起き上がる。途端に、額がヒリヒリと痛んだ。なんとなく、擦りむいたのだろうと思ったが、そうなった原因が思い出せない。

 それこそ、頭を抱えて呻いていると、御簾みすの向こうに見える衝立の裏側で、ふたつの人影が動いていた。


「目が醒めましたか?」


 凛とした涼やかな声がした。そして、衝立から顔を覗かせた後、わたしの目の前にひとりの女の人が現れた。もうひとりは、この部屋から出て行ったようだ。

 しかし、そこに強烈な違和感が芽生えた。なんだろう? この女の人の服装はとても今風、もとい現代風とは思えない。かと言って和装でもないし……。ところで、あなたはいったい誰ですか? そして、ここはどこ?

 そんな考えが頭を巡って混乱しているわたしに向かって、その女の人は、にこりと上品に微笑むと、自らを稲田姫いなだひめと名乗った。


「はい?」


 稲田姫、自分で姫ってどうなの? 実はイタい人? この、たぶん緊急事態に、そんな失礼なことを考えていると、部屋の外から、今度は男の人の声が聞こえてきた。


「おぬし、意外と失礼な娘じゃな」


 その男の人が、部屋に入ってきて、わたしの前に座った。その隣に、稲田姫と名乗った女の人も座る。


「わたしの名は、須佐之男すさのおじゃ。このやしろを任されておる。おぬしらの世界で言うところの、神様じゃ。ん? なんじゃ、その胡散臭い者を見る目は?」


 まったく理解の追いつかないわたしは、相当、マヌケ面を晒していたのだろう。

 自称、神様が、ひとつ咳払いをして、わたしに向かう。


「さて、どうして、おぬしは、神界であるこの場所にやってきたのじゃ?」


 わたしは、首をひねる。


「覚えとらんのか? 仕方ない……」


 神様は、そう言って、お付きの人に持たせていた、丸い盆のようなものを差し出してきた。わたしに、その上に手をかざすようにと言う。その言葉に従うと、丸い盆の表面がにわかに輝き始め、そして、鏡のようになった。そこには、見覚えのある風景が映しだされていた。


「少し、時間を巻き戻すぞ……」


 神様は、そう言った後、風景の映っている盆の表面を、コツコツと小さく叩いた。すると、スマホの動画を逆再生しているかのように、そこに映る人々の動きがぎこちなくなった。

 神様が、ほんの数瞬をおいて、もう一度、表面を小さく叩くと、人々からそのぎこちなさが消え去った。

 そして、そこには、わたしと彼と、参道を行き交う多くの人たちが映っていた。


「まぁ、当たりどころが悪かったんじゃろ? 急所だと言われておる眉間で受けるからじゃよ。ヘディングは額で受けるもんじゃろ?」

「ヘディング?」


 訝しむ雰囲気が満載のわたしの言葉に、神様の目が、一瞬だけ泳いだ気がした。そして、あからさまに話の方向をねじ曲げてきた。


「それにしても、おぬしのその白い髪、綺麗じゃの。わたしと同じ色をしておる」

「わたしは、病気の所為せいで白くなった、この髪が嫌いなんですよ」

「そんなに毛嫌いすることではなかろう?」

「そうですけど……」



 わたしが、ここに来てしまった理由が、あまりにも恥ずかしすぎたので、わたしは、神様に八つ当たりしてしまった。罰当たりにも程がある。

 稲田姫いなだひめは、それでも、微笑んでくれていたけれど。


「神様のひとでなしっ! 久しぶりのデートだったんだぞ、どうしてくれんだ?」

「ひとでなし……と言われてもなぁ? そもそも、わたしは人ではないし……」

「シャレてる場合じゃねぇんだよっ!」

「それに、おぬしが魂だけになったのは、わたしの所為せいではなかろう?」


 それを言われたら、反論のしようがない。映しだされた映像によると、確かに、サッカーボールと間違えて、飛んできたジャックオランタンに、ヘッドバットかましてたけど……。イヤ、ちょっと待て! カボチャって、神様の時代に、この国にはなかったよな? 南蛮渡来とかじゃなかったか?


「なにをバカなことを考えておるのじゃ? ところで、おぬしの願い……、叶えてやってもよいのだぞ。あの男のもとに戻りたいのだろう? 商談といかないか?」

「ん? 商談?」


 この神様、今度は商談って言わなかったか?

 わたしに、ジト目で睨まれた神様が、慌てて言い直した。


「イヤイヤ、相談じゃ。そう、聞こえんかったのか? 相談に乗ってやってもよい……と言ったんじゃ」

「わたしを帰してくれるんなら、その相談に乗ってやんないことはねぇぞ」

「おぬし、神様に対して、ずいぶん、上からじゃのう。まぁ、よいか。わたしはこれから少しの間、ここを留守にしたい。その間、おぬしにわたしの代わりを頼みたいのじゃ」

「神様の代わり? イヤな予感しかしねぇけど?」

「二時間ほど、ここに座っていてくれるだけでよいのじゃ」

「わたしが、ここに座っている間、神様はどこに行くんだよ?」

「お主らの世界の様子を、ちょっとだけ見てこようと思ってな。今日は、なんだか騒がしいのが、気になるんじゃ」

「本心は?」

「サッカー、イヤ、蹴鞠けまりじゃ、蹴鞠けまりの試合を、生で見たいんじゃ。応援団の熱量をこの身で感じてみたいんじゃっ!」


 言い直してるけど、神様が存在してた頃って、サッカーは愚か蹴鞠けまりすらなかったでしょうが? なんだ、この現代かぶれした神様は。

 あ、応援団は、サポーターだな。


「おぬしは、神であるわたしをあがめようという気はないのか? たてまつろうという気は? 信仰心は正月の三ヶ日さんがにち限定なのか?」


 そう言った神様が、頬を膨らませて拗ねている。わたしの惚けた顔の意味を理解したのだろう。

 よくよく、聞いて、もとい、問いただしてみると、神様が渋々本音を吐きだした。


 普段から、このやしろを離れることができない神様は、一度も外の世界に行ったことがないのだとか。

 わたしが、十月には出雲に行くんじゃないのか? と聞けば、それらの行事には、すべて自分の総代を送っているらしい。大己貴命おおなむちのみことという神様が、滞りなくこなしてくれるので、自分の出る幕はないのだそうだ。

 稲田姫いなだひめは、そんな神様がかわいそうで、いつも隣にいるという。仲がいいのはいいことだけど……。う〜ん、仕方ねぇか。

 わたしは、その時間だけ、神様の代わりをすることを承諾した。



稲田姫いなだひめとふたりだけで出かけるのがこんなにも楽しいとは。それに、こんなにたぎる想いをしたのも初めてじゃ。おぬしには礼を言う。ありがとう」

「サッカー観戦、楽しめたのならよかったです。わたしも貴重な経験ができましたし」

「おぬし、本当にもとの世界に帰るのか? この世界で暮らすのもアリだと思うが?」

「わたしは神様にはなれないんで。それに……」

「それに?」

「向こうには、最初に、この白い髪を綺麗だって言ってくれた人がいるんですよ。神様はふたりめです」

「そうか、なら、引き止めまい。あの男と幸せになるんじゃぞ……」


 次第に、神様の声がフェードアウトしていく。ふたりの神様が、優しい笑顔で、手を振って見送ってくれている。

 名残惜しさがないわけではないけれど、しかし、その姿も、少しずつ揺らぎ始めた。

 今度は、その揺らぎが少しずつ大きくなり始める。

 わたしは、目を覚まして、その身を起こした。


 ゴンッ!

 鈍い音が聞こえた。

 わたしのすぐ目の前には、額をおさえる彼の顔があった。彼の第一声は。

「この、石頭っ!」



「うん、じゃあ、まずは博物館だね。そのあと、氷川神社の参拝もしていこうよ」


 わたしは、彼の手を取り、参道の人の波を縫うようにして、今日の最初の目的地へと向かって歩きだした。

 神様には、ひと言、文句を言ってやらないと気がすまない。それから、ちょっとだけ、お礼も。


「神様は優しいのか、ひとでなしなのか、わからねぇな。でも、ありがとうございます、優しい神様」

「わたしは、そもそも、人ではないからのう……」


 わたしの純真な想いに対して、そんな声が聞こえた気がした。

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神様のひとでなしっ!! 浅葱 ひな @asagihina

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