ひとつひとつ、積み上げて

アーガントリウス視点のお話。4章ラストまでのネタバレあり


***



「わあっ……! 外から見ても、とっても綺麗な町ですね」

「そだねえ」


 弟子が上げた弾けんばかりの喜びの声に、師――アーガントリウスは端正な口元を緩ませた。長きに渡って城に閉じ込められていたというこの娘の目には、こんな田舎町の景観さえ新鮮に映るのだろう。


「やはりこの、町をぐるりと取り囲む白壁が見事です!」

「魔獣避けかな。たしかに、田舎にしちゃよくできた防衛策だわ」


 弟子である王女フィールーンは、身分も忘れて壁に張り付き検分している。彼女の言う通り、小さな町は白い煉瓦を積み上げた壁によって護られていた。もちろん飛行する魔獣や道具を持った夜盗たちまで追い払えるわけではないが、ただの木柵しかない町がほとんどだと考えると上等と言っていいほどの構えだ。


「全体の風化度合いからして、おそらく建築時期は200年ほど前でしょうか。であれば接合素材は、当時主流だったコンクル泥とネチャールの実の混合物……? それにしては堅牢すぎる気がします」


 早口でそう呟く弟子は、いつもの“遥かなる歴史の浪漫”というモノを感じているらしくうっとりとしている。アーガントリウスは苦笑しつつも促した。


「歴史探究もいいけど、早く戻らないと。君の側付が発狂するでしょ」

「あっ、すみません。ハーブも取れましたし、早くエルシーさんに届けなくちゃですね」


 今晩の宿はすでに町内に確保している。自分達は市場で入手できなかった材料――食事や調薬に使うハーブ、そして獣人が愛してやまない木の実――を探しに近くの森へ出向いていただけだ。王女の側付騎士などは一緒に行くと最後まで粘っていたが、危険のない森であること、また大きな音を察知すると萎んでしまう“コミュッショ茸”の入手のため静粛が必要であることを理由に説き伏せてきた。


「そういえば見つかりませんでしたね、“コミュッショ茸”……。見てみたかったです。私、植物観察で興奮してしまって……」

「だいじょぶだいじょぶ。あればラッキーくらいで考えてたから」


 うなだれた黒髪頭をぽんぽんと撫でてやると、弟子は照れながらも瞳に輝きを取り戻した。頭上に広がる夕暮れとは正反対の、晴天を思わせる清らかな瞳。


「はい! 今度は森で、一言も喋りませんっ!」

「弟子の意気込みを挫きたくはないけど、それは無茶だと思うわぁ……。ところで、いつまで壁にくっついてるつもり?」

「はっ」


 自分でも気づいていなかったのか、王女が慌てて身体を壁から離す。深緑の旅装と頬が白く汚れていたが、まったく気にする様子はない。


「す、すみません……。なんだか、壁の一部から魔力を感じたような気がして」

「そ? まあ魔法や魔術がありゃ壁なんてあっという間に造れるし、田舎町でも使えるヤツがひとりくらいいたのかもよ」

「でも――」


 弟子はほっそりとした両の指を付き合わせ、ちらとこちらを見て言った。


「似ているんです。先生の……魔力に」

「……」


 敵わないな、と素直に心中で感嘆する。壁を巡る魔力は、植物の葉脈ほどの細さしかないというのに。ヒト姿をした竜は小さく嘆息したが、すぐに幾人もの女を虜にしてきた完璧な笑顔を浮かべた。


「悪いけどフィル、先に宿に戻っててくれる? 俺っちはちょっと、ぶらぶらしてから帰るわ」

「えっ! せ、先生」

「早く届けてあげてね。一部のハーブは鮮度が命よ」


 みずみずしい香りを放つ採取カゴを弟子の細腕に託し、アーガントリウスは弟子に細長い背を向けて歩き始めた。





「200年……ね。良いモン造ったじゃないの、アイツら」


 そう独りごちながら宣言通り“ぶらぶら”と、白壁に沿って緩やかな坂を下る。夕暮れの侘しさが織り込まれた風が吹き抜け、男の長い紫の髪を煽った。鮮やかな菫色のローブも、夕闇に呑まれるとくすんだ色に見える。


「この辺りだっけ」


 壁の一部で褐色の指をぴたりと止め、アーガントリウスは古びた壁を見上げた。先ほど弟子と観察した部分よりも、壁の状態が良い。一見して最近補強されたもののようだが――実は、ここが“はじまり”の地点なのだ。


「うん、たしかにまだ俺っちの魔力が残ってる。さっすが“知恵竜”! 惚れるわあ」


 おどけた声で言ってみるも、賑やかな町の中心から遠く離れた路地には会話相手もいない。800年を超える時を生きる竜は壁に静かに額を寄せ、長い睫毛を下ろした。


 思い出すのは、濃い血と臓物の匂いだ。





“大型魔獣か。手酷くやられたねえ”


 かつてただの小さな村だったこの場所は、移動型魔獣の群れに襲われ悲惨を極めた状態だった。たまたま通りかかったアーガントリウスの手によって村人の全滅は防げたものの、残された人々の失望の色は濃い。


“……アンタ、魔法使いか。魔獣の一掃、感謝する”

“お節介を承知で言うけどさ。ここは魔獣や動物に目をつけられやすい場所でしょ。これを機に、どこかへ移住するってのはどう?”

“いや、こういう場所は土が抜群に良い。ここに村を拓けば豊かな畑ができる。それに町と呼ばれるまで拡大すりゃ、誰もが安心して立ち寄れる場所になるだろう――それに何より、ご先祖さまたちもここで踏ん張ってきたからな”


 ヒトはやはり強欲だ、と正直に思った。脆い身体に宿る命は短いというのに、彼らが見る夢や理想には果てがない。竜はため息を別れの挨拶に立ち去ろうとしたが、頭の奥で鈴のような透き通った声がした。


『これからはもっと手を取り合って、分け合っていかなきゃ!』


“彼女”なら、この現状を前に立ち去るだろうか。そう思うと同時、竜は魔獣の突進によって倒壊した家屋に向かって手をかざしていた。七色の光が舞い踊り、やさしく瓦礫を持ち上げていく。


“強い土壌があるなら、いい煉瓦が焼けるでしょ。近くの火山から灰や粘土も取れる。そしたらこうやって、村を囲む壁を作るといい”


 風の刃で瓦礫の形を器用に整え、そのまま運搬して積み重ねる。間には彼ら自慢の土に魔力を練り込んだ粘土を流し込んでやった。そうしてあっという間に出来上がった白壁を見上げる村人たちは皆、口をぽかんと開けて放心している。


“す、すげえ……!”

“あと3棟くらい家を壊せば全部の壁が完成しそうだけど、やっとく?”

“い、いやっ、それはさすがに生活に困るッ!”


 慌てる村人に微笑みつつ、アーガントリウスは指輪のひとつを外した。まだ固まりきってない接合部にためらいなくそれを押し込むと、また村人たちがどよめく。


“何やってんだ! そんな高そうな指輪――”

“お守り。俺っちはもう行くけど、こいつが……まあ、君らが全員死ぬくらいまでは、ばっちり魔獣から守ってくれる。その間に壁を完成させりゃ良いっしょ。ま、村の資金繰りに困ったら売ってくれてもいいしね”

“あ、アンタ……いや、貴方様は、一体”


 真新しい白壁と自分をまじまじと見つめる村人たちに線の細い肩をすくめ、大魔法使いはいつもと同じように答えた。


“ただのお人好しだよ”

“しかし、どんな御礼をしたら……。村もこの有様だ”

“そゆのはいらないって、身軽な旅が好きだからさ。――ま、いつになるかわかんないけど、立派な壁が見れる日を楽しみにしてるってコトで”


 村人の声が湿っぽくなってきている。このまま滞在すると神のように扱われかねないことを知っている知恵竜は、ひらひらと手を振って彼らに背を向けた。





「――すごいのは君たちでしょ。ホントにこんな、どデカい壁を作り上げるなんてさ」


 ひんやりとした壁から額を離し、アーガントリウスは記憶の中にいる彼らに小さな賞賛を送った。指輪を埋め込んだ箇所は提案通り“資金”として役立ったのか、ちがう煉瓦に差し替えられている。


「……。完成した時に立ち寄れば、会えたのかねえ」


 そうこぼしてみてすぐ、男は端正な顔で静かに笑んだ。わかっている。この壁が完成したのは200年前。自分が彼らと出会ったのは、それよりさらに150年ほど前のことだ。


「短い命のくせに、何やってんだか。もっと楽な道もあっただろうに、ほんっと全員、真面目なんだから……」


 彼らは自分の助言を信じた。そして、その命が尽きる時には次の命へと仕事を託した。壁は完成し、堅牢な護りを誇る町は、旅人や商人たちの安息の地となった――。


「ていうか。あの時いた誰ひとり、完成した壁を見てないってさぁ。それって、どうなのよ」


 独りでいると、たまにこういった感情に呑まれそうになる。底のない大穴の中を、ひたすらゆっくりと墜ちていくような感覚。その途中で大事なものがすべて、指の間からすり抜けていくのだ。


「っ!」


 突如目に光が差し込み、アーガントリウスは思わず瞬いた。背後にあった家に灯りが入ったらしい。窓の形にくり抜かれた暖かい団らんの灯が、白壁にくっきりと投げ出された。


『おかーさん、今日のご飯なぁに?』

『シチューよ』

『やったぁ! おにく、いっぱいいれてね!』

『プクリエンドウも残さず食べるのよ』

『ええー……』


 硝子越しに聞こえてくる声に含まれた優しさに、男は眩しそうに目を細める。灯りから逃げるようにそっと一歩踏み出した途端、慌てたような声が耳を打った。


「せ、先生っ! アガト先生!」

「フィル?」

「はあ、はっ……! み、見つけました」


 細い路地から飛び出して来たのは、息を切らせた弟子――フィールーンだ。黒髪はぼさぼさと広がり、頬は紅潮しきっている。


「どしたの? 何かあった」

「――な、なかなか、お、お戻りに、ならないので……しっ、心配、で……!」


 ぜえぜえと苦しそうな息の合間にそう説明した王女だったが、ひときわ大きく息を吸い込むとようやく落ち着いた。アーガントリウスは顎に手を当て、いつもの笑顔を作って答える。


「ありゃー、ごめんね。ちょっと散歩が長引いちゃって――」

「と、とてもっ!」

「え?」

「とても……お寂しそうな顔をしていらした、気がして」


 ためらいながらも、伝えねばという強い意志を秘めた瞳。

 ずっとずっと昔にも、自分はこれと同じ光を見ていた。


「……そっか」


 数百も離れた歳の者に気を遣われるのは正直、居心地が悪い。アーガントリウスは褐色の胸元まで垂れた長髪を指で弄びつつ、苦笑した。


「……来たことあるんだ、この町。もっと小さかった、村の頃だけどね」

「ではもしかして、“白壁の英雄”というのは先生のことなんですか!?」

「そうそ……え? なんのナニだって?」


 聞き慣れぬ名称に驚くと、きらきらと目を輝かした弟子にがっしりと両腕を掴まれる。興奮した王女はいつもの口調になって捲し立てた。


「町の中央に、“指輪の広場”という場所があるんですがっ! そこに町の礎となる白壁の造り方を伝授した魔法使いの伝説が記されているんです。とても美しい男性の旅人像と一緒に!」

「わぁ、いやーな予感」

「や、やっぱりあれは先生なんですねっ!? 像に嵌め込まれた指輪から、先生の魔力がはっきりと感じられて――! セイルさんは“そもそも像が似てない”って仰るんですけど、私は絶対先生だと思って」

「フィル」


 長い人差し指をサッと弟子の口に充てがうと同時、家の中から不思議そうな親子の声が聞こえてきた。


『ママぁ、なんかうるさいよ』

『あら、だれか外で騒いでいるのかしら』

「やば。行こっか」

「は、はいっ」


 弟子の手を引き、窓が開く前にそそくさと闇へ逃げ込む。野菜と乳が溶け込んだ夕餉の香りがアーガントリウスの鼻をくすぐった。幸いすぐにその窓は閉まり、ふたたび路地に静寂が降りる。


「あ、危なかった……。すみません、お迎えに来たのに騒いでばかりで」

「いーよ。俺っちもごめんね。もしかして、他のヤツらも探してくれてんの?」

「は、はい。エルシーさんが“全員揃わないとご飯を出さない”と言うので、とくにセイルさんとタルトトさんが血眼になって探しています」

「心躍る情報ありがとね」

「あと成人しているのはリンだけなので、彼には色町の探索をお願いしました」

「たまに容赦ないよね、君? あーあ、あとですんごい恨みごと言われそ」


 申し訳ない顔をしつつも、弟子はぐっと拳を握って言い切る。


「先生の魔力は、町の中央と壁付近に分かれていて……私はなんとなく、こちらかと思って来てみたんです。大当たりでした!」

「ひとりで来たの? 危ないっしょ、さすがに」

「いいえ、大丈夫です。もう魔法で身を守るくらいはできますし。何より――」


 家々の明かりに浮かび上がる白壁を見上げ、王女は己が見てきたことのように嬉々として答えた。

 

「先生と町の皆さんが造り上げたこの壁が、悪しきものを寄せつけませんから」

「……!」


 そう言われてはじめて、この町に流れる魔力が他所に比べとても澄んでいることに気づく。自分が置いていった指輪の効果だけではこうはならない。住まう人々が心穏やかに生活し、清く栄えているからこそ出せる純度だ。


 アーガントリウスは、自分達を照らす家の明かりをぼんやりと見返した――思っていたよりも、眩しくはない。


「――ああ、そっか。自分達が、見られなくても」


 自分達の代で壁が完成せずとも挫けなかった理由を知り、老竜はひとり小さく笑った。弱くて脆い彼らが護りたかったのは、自分の命だけではない――ずっとその先の命が笑える日を夢見て、白き壁を高くしていったのだ。


「……やっぱ欲張りだわ。お前ら」

「先生?」

「んーん、じじいになると独り言が増えるモンなの。さ、帰ろ」

「はい! 壁を作った時のお話、聞きたいですっ!」

「はいはい」


 夜の気配が近づき、白壁が紫の光を帯びる。そこに映し出されたのは、暖かい生活の灯だ。その灯の隅で、素朴な町には不釣り合いなほどの美男が微笑を湛えている。


 ひときわ古い壁部分に触れ、竜は敬意を込めてささやいた。



「良い町じゃないの。ゆっくりさせてもらおっかね」




***


お読みいただきありがとうございます!こちらは凛々サイさまよりいただいたアーガントリウスのFAから着想を得たお話でした。めっっっっっっちゃくちゃ素敵な絵ですのでぜひ紹介ノートもご覧ください!!!(大声)


近況ノート:https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16817330659780524108

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