Re:Take off

牧 文弥

Re:Take off

 振り返ると、住み慣れた我が家はもうずいぶん遠くにあった。

 何台もの重機に牽引され、砂煙を上げながら運ばれる”それ”は夕陽を反射してキラキラと輝いている。銀色の外壁、ピンと伸びた翼、軋みながら回る車輪、そのどれもが美しい。こんな光景を目にすると、つい昨日までそこに住んでいたというのが信じられなくなりそうだ。

 それでも僕は住んでいたんだ。700年間この地を見守り続けてきたあの宇宙船に。


 所沢航空記念公園から東に3キロ、閑静な住宅街の端にその巨岩はある。高さ30メートル程のそれが角川武蔵野ミュージアムという名の図書館だと知った時には随分驚いたが、今では見慣れた景色の一部だ。聞くところによると700年前、人類の半数以上が宇宙へ旅立つより前からここに建っていたらしい。そんな建物の一部を我らが航空宇宙研究会の部室として使わせてもらっているのだから人生とは分からないものだ。

 しかしそれ以上に分からないものがある。

「ホウキくん、読んでみてくれないかな!」

 ライトノベルだらけの部室の真ん中で鼻息を荒くした彼女――航空宇宙研究会会長、オウギは分厚い紙の束をこちらに押し付けてきた。

「なんですか、これ?」

「何って、新しい論文に決まっているだろう!」

「それは分かりますけど……」

 本当は分かりたくもないんだけど。彼女から渡された紙の束の一枚目には『過去の角川武蔵野ミュージアムの運用についての考察 宇宙船のドックとしての使用例』と書かれている。

「前も似たようなの書いてませんでしたっけ」

「あれは人工衛星説だ。これとは全然違う!」

 図書館を宇宙に飛ばそうとしている以外の違いなんて誤差ではないだろうか。内容もそれほど違いは感じられない。

「どうだ?」

「どう、とは」

「論文の出来についてだよ。我が航空宇宙研究会の副会長であるホウキくんなら、流し読みでも内容は理解できるだろう。来月のコンクールで発表する前に意見を聞きたいんだ」

 確かに内容は理解できる。しかし、それは彼女のこの手の論文を読むのが初めてではないからだ。角川武蔵野ミュージアム軌道エレベーター説、ワープ装置説、ノアの箱舟説。その他にもどれだけ読んできたことか。

「今回はすごいぞ! なんと地図上で角川武蔵野ミュージアムと所沢航空記念公園を結ぶと東西に伸びるまっすぐな線になると分かったんだ。ここが宇宙船から振り落とされたドックだという説の裏付けとして申し分ないだろう」

「……宇宙船を作れるくらいの文明力を持った人たちが人口密集地で打ち上げなんてしますかね?」

 キャッチボールの前ですら周囲は見渡すものだ。それが打ち上げとなれば尚のこと。会長の説には現実味がない。

「オカルトコンクールなら優勝間違いなしでしょうね」

「キミには先輩に対する配慮はないのか……」

 がっくりと肩を落とす会長に申し訳なさを感じるが、僕だってつらい。彼女の論文に衝撃を受けて転校してきたというのに、今ではトンデモ論文ばかり読まされているのだから。

「そんなに落ち込むなら昔みたいな論文書けばいいじゃないですか」

「そんなことしてる暇があるか」

 これこそ暇な時に書くべきですよ、という言葉は言わないでおこう。

 しかし、当時の論文の功績があったからここを借りられたようなものなのだ。もう少しまじめにやるべきではないだろうか。

「それに私だって目的もなくこんなことをしているわけではないのだよ」

 それは初耳だ。このでたらめな論文にも何か意味があるらしかった。

「キミは愚公山を移すという説話を知っているかい?」

 首を横に振る僕に頷きを返し、会長は続ける。

「昔々あるところに一人の老人がいたんだ。彼の家の前には大きな山があって、それが交通の邪魔をしてみんな困っていた。その様子を見ていた彼はある日思いついたのさ。毎日欠かさずこの山を削れば、いつかは無くすことができるだろう、とね」

「気の長い話ですね」

「ああ、そうだね。周りは老人を馬鹿にした。しかし彼はめげないどころか、自分が倒れても次の者が、その者が倒れてもその次の者が跡を継げばいつか山はなくなるだろうと言ってのけた。最後にはそれに心を動かされた神様が山を他所にやってくれたのさ」

 努力はいつか報われる、いい話じゃないか。

「この話を聞いて私は思ったね。ここが宇宙船のドックだと言い続ければいつかはそうなると!」

「なっ……」

 思わず頭を抱えてしまった。

 あまりのショックに俯いていると「プフッ……!」と何やら噴き出す声が聞こえてきた。もしやと思い顔を上げると、案の定その声の主は会長だった。

「あっははは、いや、申し訳ない。キミがあまりにも真剣なものだからからかってやりたくなってね」

「本気かと思って身構えちゃったじゃないですか……」

 この人の冗談はたちが悪いから嫌いだ。

「そんな顔をするんじゃないよ。それに宇宙船にかける気持ちならキミの方がよっぽど愚公だと思うね」

「それ、褒めてます?」

「認めてはいる」

 それはどうなんだろう。褒められているのか、いないのか。

 部室の隅に積まれた僕の荷物を弄りながら、会長は続ける。

「宇宙船を研究したいからといってこっそり住み着くなんて聞いたことがないよ。挙句、撤去が決まったせいで宿無しになるなんてね」

「あの時はありがとうございました」

 会長がここでの宿泊許可を取り付けてくれなければ、今頃僕は畑でテント生活だっただろう。

「だからこそキミに聞いておきたいのさ。いつまで愚公でいるつもりだい?」

 いつまでとはどういうことだろう。首をかしげる僕に、彼女は困ったように笑う。

「だってそうだろう。どれだけ資料の収集に明け暮れたところで誰もそれを紐解かない。それどころか先人の努力の結晶である宇宙船をしまい込む始末だ。努力したところで、人類も、天照大御神あまてらすおおみかみも、素戔嗚命すさのをのみことも、白狼はくろうだって私たちを宇宙に連れて行ってはくれないのさ」

 彼女の言葉に我が家の最期を思い出す。美しい流線型の彼は今どこにいるのだろう。

「諦める心構えくらいはしておいてもいいかもしれないね」

 そう言い残して会長は出ていき、部室には僕だけが残された。


 あんな会話をした数時間後に僕を顎で使う会長は、やはり大物だと思う。

「ありがとう。思ったよりも荷物が多くてね。研究会式一号が必要だったんだ」

 本屋の前に置かれた台車――研究会式一号には、山のようにライトノベルが積まれていた。

「一応聞きますが、これ、会長の私物じゃないですよね?」

「も、もちろんだとも。ラノベ図書館の新しい蔵書に決まっているだろう!?」

 本当かどうか怪しくもあったが、どちらでも大差ないだろう。古今東西のライトノベルを収集し、学校に領収書を送り付けていると噂の彼女のことだ。今は私物でも明日には蔵書になっているに違いない。

 黙ってそんなことを考えている僕を見て何を思ったのか、会長はいそいそと財布を取り出すと「ジュースでも奢ってやろう」と言って近くの自動販売機に駆けて行った。飲み物は外でしか買えないからありがたい限りだ。

「夜遅くまですまないね」

 ジュースを渡してくる彼女は申し訳なさそうだったが、僕はこの時間が嫌いではなかった。怪しげな論文に勤しむ会長と腰を据えて話せる機会なんて滅多にないのだ。

「会長、あのきれいな星ってこの前言ってたライトノベルに出てきたやつですよね」

 星空を指して話しかけるが、彼女の表情は硬い。

「…………」

「会長?」

 なるほどね、と呟いて会長は僕に視線を向ける。

「夕方の話だけどね。あれ、忘れてくれて構わないよ」

「急にどうしたんですか?」

「宇宙を見て笑顔になれることに感心しただけだよ。やっぱりキミと私は違う人間なんだね」

「……」

「少し、愚公の話をしよう」

 視線を落とし、暗闇の向こうを彼女は見つめている。

「私はライトノベルが好きだ。だからこそ、今私がそれを読めてしまうことが我慢ならないんだ」

「読めてしまうことが……?」

「ああ。700年前、宇宙に新天地を求めた人類は価値あるものを持てるだけ持って行ってしまった。それ自体は仕方のないことだ。でもね、それなら何故ライトノベルはここにあるんだ?」

「それは……」

 選ばれなかったから、なんてとてもじゃないが言えなかった。それは僕たちにも返ってくる言葉だから。

「一年前、初めてライトノベルを読んだときに決めたのさ。どんなに滅茶苦茶な理屈を捏ねてでもライトノベルの名誉を守ると。……だから角川武蔵野ミュージアムはワープ装置なんだ! ノアの箱舟なんだ! 宇宙船のドックなんだ! 誰にも見捨てられたなんて言わせないんだっ!」

 あの論文は彼女なりの慰めだったのだろう。ライトノベルは見捨てられたのではないと叫んでいたのだ。

「会長は山を移そうとしていたんですね」

「全然上手くいかなかったけどね。もう諦めた方がいいのかもしれない」

 会長は力なく笑った。今までの研究を放り投げてライトノベルへの慰めにすべてを費やした彼女。その想いを聞いて無視できない僕もまた愚公なのだろう。

「宇宙船が誰かの努力の積み重ねであるように、角川武蔵野ミュージアムだって大きな山が切り崩されてできたもののはずです。それなら僕が引き継がない理由がありません」

 覚悟が決まると同時に口が動いていた。心臓は張り裂けそうだ。

「今日から僕は宇宙船を作ります。角川武蔵野ミュージアムをドックとして組み込めるくらいの宇宙船を! だから、どうか一緒に山を移してくれませんか?」

 おかしなことを言っている自覚はあった。余計なものを背負い込んだかもしれない。それでも後悔はなかった。

「キミはどうしてそんなに宇宙へ行きたいんだい?」

 会長の質問に僕は考える。一番やりたかったこと。僕が求めていたこと。それは――

「勝手に忘れてるんじゃないって言いに行くために決まってるじゃないですか!」

 答えた勢いのままに手を差し出す。彼女は戸惑いつつも手を伸ばし、握り返してくれた。

「乗った!」

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