悪意の理由
きと
悪意の理由
「先輩、大丈夫ですか?」
男は、言葉を
警察官である男は、とある青年の
あの青年に対する取調べは、もう何度も行われている。
でも、まだまだ取調べは行われるだろう。
そう思わせるほど、青年は
「どうします? 先輩さえよければ、今日の取調べはここまでにしますけど。幸い、あいつには怪盗みたいに牢屋をするりと抜け出すような技術はありませんし。時間はありますよ?」
「いや、大丈夫だ。
「それに?」
「あいつとは、なるべく会う回数を減らしておきたいしな」
冗談交じりにおどける男を見て、後輩も「確かに」と言って笑った。
さて、休憩はここまでだ。男は、再び青年が待つ取調べ室へと舞い戻る。
「刑事さん。遅かったね、なんかしてたの? あ! もしかして、俺がまだ話してない
取調べを受けている人間とは思えないほど、
そんな男を見て、青年は何か文句を言っているようだ。
だが、青年の言動の一つ一つに付き合っていると、時間がいくらあっても足りなくなる。
どうせ新しい証拠うんぬんの発言は、噓だろう。
青年は、逮捕されてからというもの、ずっとこの調子だった。
青年は、自身が通う大学の助教授とその下で研究に
研究室前の廊下に取り付けられた防犯カメラに、青年が事件現場から出てきた姿がばっちり映っていたので、すぐさま
だが、現場の凶器は
青年は、そのことを
そして、現在進行形で進められている取調べ。
犯人特定までは、すんなりと進んだが、ここから進まなくなった。
凶器をどこで用意したかと聞かれると、ホームセンターで買ったと言う時もあれば、自宅にもともとあったものを使ったと言う時もある。
犯行前の行動を聞かれると、家で犯行への
時には、警官にハマっている歌手や食べ物の話をしようとしたこともあった。
とにかく、青年は適当だった。
雲のようにつかみどころがない。
何が本当で、何が
噓発見器の使用も行われたが、そうなると噓のことしか言わなくなったので、使われなくなった。
本当に厄介な存在。青年は、捜査官たちからも
だからといって、取調べをしないわけにもいかない。
男は、気合を入れて、青年への取調べを始める。
今は、犯行の動機を聞き出すところだった。
「それで? 結局のところ、お前はなんで犯行に及んだんだ?」
「えーそれ前にも話さなかった? あの助教授には嫌がらせを受けてたんだよ。だから、その仕返しに……」
「それは、大学関係者への聞き込み捜査で、噓だってことは分かっている」
青年は、ニヤリと笑い、「よく調べてんじゃん」と呟いて、話を続ける。
「実はね、あの助教授さ。俺の親戚で、両親に酷いことをしていたんだ! だから俺は、そいつに正義の
「お前の両親は、すでに他界しているだろうが」
青年は、ニコニコした表情を崩さない。
本当にこの瞬間を楽しんでいるようだ。
「うーん、それじゃあ、こんなのはどうかな? 実は、あの助教授。殺しちゃったあの女と付き合ってたんだよ。俺とあの女が付き合っているのを知っていながら、単位で脅して身体の関係を……」
それも今までの捜査の中で、噓だと言うことが分かっている。
もう限界だった。
「いい加減にしろ! そんな噓をついて何がしたいんだ! 殺された平井助教授や
怒れる男を青年は、ニコニコしながら見ていた。
人殺しなどしないような、
「ふーん、じゃあ俺も本音を言っちゃおうかな?」
「なに……?」
息を切らす、男の目を青年はまっすぐに見つめる。
いくつもの罪を重ねた罪人のような、黒く
「あんなカスどものことなんか知るかよ! 俺は、純粋に人殺しをしてみたかっただけさ! 平井とかいうデブも目に付いたから殺しただけだよ! 女の方は、デブを殺したのを見て俺に自首するように説得し始めたのがウザくて殺しただけだよ!」
その言葉に、男の怒りがさらに燃え上がる。
「ふざけるな! そんなことが人を殺す理由になるか! いいか、本当のことを話せ!」
「はっ、刑事さんは何も分かってねーな! 全ての行動に意味を求めるな! いるんだよ! 世の中には理由なく悪意を振りまく俺みたいな存在が!」
「貴様! ふざけたことを……!」
男は、思わず
だが、その拳は青年には届かなかった。
「先輩、ストップです」
いつの間にか、部屋に入っていた後輩に拳を止められる。
そこで、男は落ち着きを取り戻した。
「すまん……」
「いいんすよ。でも今度からは気をつけてくださいね? こんなやつ、殴る価値もないんだから」
「はは、怖い怖い」
青年もいつも通りののんきな
まるで、何事もなかったかのように。
「今日の取調べは、ここでやめましょう。また後日改めて……ってことで」
「ああ」
青年は、別の警官に連れられて部屋を出ていく。
……あの青年の言葉は、どこまで本当だったんだ?
全ての行動に意味を求めるな。
理由なく悪意を振りまく人間がいる。
男の頭の中で、その言葉が残り続けていた。
悪意の理由 きと @kito72
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