悪意の理由

きと

悪意の理由

「先輩、大丈夫ですか?」

 男は、言葉をはっすることなく、うなずいて後輩の言葉に答える。

 警察官である男は、とある青年の取調とりしらべをしていた。

 あの青年に対する取調べは、もう何度も行われている。

 でも、まだまだ取調べは行われるだろう。

 そう思わせるほど、青年は厄介やっかいな存在だった。

「どうします? 先輩さえよければ、今日の取調べはここまでにしますけど。幸い、あいつには怪盗みたいに牢屋をするりと抜け出すような技術はありませんし。時間はありますよ?」

「いや、大丈夫だ。遺族いぞくためにも、早く真実を明らかにしなければならないしな。それに……」

「それに?」

「あいつとは、なるべく会う回数を減らしておきたいしな」

 冗談交じりにおどける男を見て、後輩も「確かに」と言って笑った。

 さて、休憩はここまでだ。男は、再び青年が待つ取調べ室へと舞い戻る。


「刑事さん。遅かったね、なんかしてたの? あ! もしかして、俺がまだ話してない証拠しょうこを見つけたとか!? うわーあれ、うまく隠したと思ったのになー」

 取調べを受けている人間とは思えないほど、無邪気むじゃきに目をキラキラ輝かせる青年に男は、思わずため息をつく。

 そんな男を見て、青年は何か文句を言っているようだ。

 だが、青年の言動の一つ一つに付き合っていると、時間がいくらあっても足りなくなる。

 どうせ新しい証拠うんぬんの発言は、噓だろう。

 青年は、逮捕されてからというもの、ずっとこの調子だった。

 青年は、自身が通う大学の助教授とその下で研究にはげんでいた学生、計七人のうち、助教授と一番優秀ゆうしゅうと言われていた女学生を殺害し、他の五人に重症の怪我を負わせた。

 研究室前の廊下に取り付けられた防犯カメラに、青年が事件現場から出てきた姿がばっちり映っていたので、すぐさま事情聴取じじょうちょうしゅを行うと、のんきに「あ、それやったの俺だよ?」とあっさりと自白した。

 だが、現場の凶器は指紋しもん丁寧ていねいられていたりと、あんなにあっさりと罪を認めた割には、証拠が残らないようにしていて、捜査官たちは不思議に思っていた。

 青年は、そのことをたずねられると、「気分だよ、気分」とちゃんとした理由になっていないようなことを答えた。

 そして、現在進行形で進められている取調べ。

 犯人特定までは、すんなりと進んだが、ここから進まなくなった。

 凶器をどこで用意したかと聞かれると、ホームセンターで買ったと言う時もあれば、自宅にもともとあったものを使ったと言う時もある。

 犯行前の行動を聞かれると、家で犯行への緊張きんちょうを落ち着かせるために音楽を聞いていたと言う時もあれば、大学の周りをうろうろしていたと言う時もある。

 時には、警官にハマっている歌手や食べ物の話をしようとしたこともあった。

 とにかく、青年は適当だった。

 雲のようにつかみどころがない。

 何が本当で、何がうそなのか、全く分からなかった。

 噓発見器の使用も行われたが、そうなると噓のことしか言わなくなったので、使われなくなった。

 本当に厄介な存在。青年は、捜査官たちからも忌避きひされるようになった。

 だからといって、取調べをしないわけにもいかない。

 男は、気合を入れて、青年への取調べを始める。

 今は、犯行の動機を聞き出すところだった。

「それで? 結局のところ、お前はなんで犯行に及んだんだ?」

「えーそれ前にも話さなかった? あの助教授には嫌がらせを受けてたんだよ。だから、その仕返しに……」

「それは、大学関係者への聞き込み捜査で、噓だってことは分かっている」

 青年は、ニヤリと笑い、「よく調べてんじゃん」と呟いて、話を続ける。

「実はね、あの助教授さ。俺の親戚で、両親に酷いことをしていたんだ! だから俺は、そいつに正義の鉄槌てっついを食らわせたんだ! あの女は、それを止めようとしたから弾みで、殺しちゃっただけなんだよ!」

「お前の両親は、すでに他界しているだろうが」

 青年は、ニコニコした表情を崩さない。

 本当にこの瞬間を楽しんでいるようだ。

「うーん、それじゃあ、こんなのはどうかな? 実は、あの助教授。殺しちゃったあの女と付き合ってたんだよ。俺とあの女が付き合っているのを知っていながら、単位で脅して身体の関係を……」

 それも今までの捜査の中で、噓だと言うことが分かっている。

 もう限界だった。

「いい加減にしろ! そんな噓をついて何がしたいんだ! 殺された平井助教授や安曇あずみさんに謝罪の気持ちはないのか!? 他に怪我をした人たちに対してもだ! あの事件がトラウマになり、外へ出ることも怯えている人がいるんだぞ!」

 怒れる男を青年は、ニコニコしながら見ていた。

 人殺しなどしないような、無邪気むじゃきな少年のような目で。

「ふーん、じゃあ俺も本音を言っちゃおうかな?」

「なに……?」

 息を切らす、男の目を青年はまっすぐに見つめる。

 いくつもの罪を重ねた罪人のような、黒くにごった邪悪な目で。

「あんなカスどものことなんか知るかよ! 俺は、純粋に人殺しをしてみたかっただけさ! 平井とかいうデブも目に付いたから殺しただけだよ! 女の方は、デブを殺したのを見て俺に自首するように説得し始めたのがウザくて殺しただけだよ!」

 その言葉に、男の怒りがさらに燃え上がる。

「ふざけるな! そんなことが人を殺す理由になるか! いいか、本当のことを話せ!」

「はっ、刑事さんは何も分かってねーな! 全ての行動に意味を求めるな! いるんだよ! 世の中には理由なく悪意を振りまく俺みたいな存在が!」

「貴様! ふざけたことを……!」

 男は、思わずこぶしを振り上げる。

 だが、その拳は青年には届かなかった。

「先輩、ストップです」

 いつの間にか、部屋に入っていた後輩に拳を止められる。

 そこで、男は落ち着きを取り戻した。

「すまん……」

「いいんすよ。でも今度からは気をつけてくださいね? こんなやつ、殴る価値もないんだから」

「はは、怖い怖い」

 青年もいつも通りののんきな雰囲気ふんいきを取り戻していた。

 まるで、何事もなかったかのように。

「今日の取調べは、ここでやめましょう。また後日改めて……ってことで」

「ああ」

 青年は、別の警官に連れられて部屋を出ていく。

 ……あの青年の言葉は、どこまで本当だったんだ?

 全ての行動に意味を求めるな。

 理由なく悪意を振りまく人間がいる。

 男の頭の中で、その言葉が残り続けていた。

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