「僕のお父さんは、武蔵野の風」【角川武蔵野文学賞・参加作】

水ぎわ

1話完結 『僕のお父さんは、武蔵野の風』

 吉祥寺の商店街をぬけた先は、まっすぐな道だ。僕は屋根のなくなった空を見た。オレンジ色と黒の夕暮れ。

 ポケットからスマホを取り出す。もう四時半だ、時間がない。今日は塾に行く前にプラモ屋に寄るから。

 そのまま走って信号を渡る。背中のバックパックで、塾の参考書がバタバタと音を立てた。


 少し走ると、プラモ屋の重いガラスドアが見えてくる。お父さんがいっしょのときは、僕のためにドアをあけてくれた。もう五年前のこと。お父さんが生きていたときのこと。

 いま僕は小六。もう一人でドアをあけられる。

 僕は重いガラスを力いっぱい押した。ドアが開いた瞬間、風が僕に向かって吹いてきた。

 店を見まわす。

「こんにちは、誠也せいやです。頼んであったプラモをもらいに来ました」

 僕がそういうと、店の奥から低い声がした。

「むーん。どれのことだ?」

 ……どれ? この店はおじいさんひとりがやっていて、どのプラモだって、瞬時に山から取り出してくれる。

 それに。

 聞こえてきたのは、おじいさんの声じゃない。

 低くて、くぐもっている。ぼくはちょっと後ろにさがった。店の中が暗くなった気がする。

 帰ろうかな。

 僕は、こわがりだ。友達にはうまく隠しているけれど、夜がこわい。お父さんが死んだのが夜だったからだ。

 僕はちょっとだけ声を小さくした。


「あのう、また来ます」

「ありゃ、帰っちゃだめだ。今すぐ行くから」

 ずぞっと、店の奥で影が立ち上がった。

 大きな影。

 僕はまた一歩、ガラス戸のほうへさがる。

 それから目をみはった。

 天井に届くほど大きな男が、ぎくしゃくした動きでカウンターから出てきた。

「あー、首が痛い。椅子の上で寝るんじゃなかった……おっと、いらっしゃい。何がいるって?」

「……“バラモ”。ギンプラの」

「どれだ」

 大男は通路にしゃがみ込み、プラモ山を崩し始めた。

「わからん」

「いいです。また来ます」

「そういうなよ。店番くらいしないと、おやじは俺を雇ってくれないだろう」


 新しい店員さんか、と僕は思った。やがて男は立ち上がり、がりがりとお尻を掻いた。ほんのりと埃がたった。


「ここにはないな」

 そういうと大男はふらりとドアのほうへ歩き、僕をふりかえった。

「外で探してみよう。ここでまっているか?」

 僕はあわててドアに駆け寄った。こんな暗い場所に一人でいるのは嫌だ。近づくと男からは、何かのにおいがした。

 僕の記憶のどこかが、ぎゅっと動いた。なんだろう、と思ったときドアがあいた。

 オレンジと黒の空。冷たい空気にのって、にぎやかな笛と太鼓の音が聞こえてきた。

「お祭り?」

 僕がつぶやく。男はいった。


「今日は“いちとり”だ。プラモくらい売っているだろ」

「お酉さまで売っているのは熊手か宝船だよ」

「そうかい」


 大男はひょいひょいと歩いて、武蔵野八幡宮に入っていった。

 鳥居をくぐると、まだ夕方なのに照明がたくさんついていた。僕はほっとする。暗い神社ってこわいから。

 お酉様の日は縁起物の熊手を売る屋台がならぶ。店の人と、買う人。値段の交渉が終わると、にぎやかな声がはじまる。

「家内安全・商売繁盛! よーおおっ!」

 声のあとには、手をたたく音。店の人が景気づけに手をたたいてくれるんだ。


「むかし、よく来たよ。お囃子はやしもみた――お父さんと」

 しかし男はこっちの言う事なんか聞かずに、屋台の人と話し始めた。

「プラモがいるんだよ。種類? なんだったかな?」

 僕は大男としゃべっているものを見て、びっくりした。相手は人間じゃない。屋台のテーブルに乗っているムササビだ。ふわふわのしっぽを振ってしゃべっている。

「品名もわからないの? 相変わらずあんたは足りないのね」

「今日は客の案内だよ。お客さん、何のプラモがいるんだっけね?」

 僕は口をパクパクさせながら答えた。

「……バラモ。ギンプラの」

 ムササビはちらっと僕を見た。それから小さな三角の耳をぴんとさせて、男を見た。

「なんだ。そういうことなの。覚悟がついたのね。それなら、特別に探してあげるわ」

「ぐうぜんだよ、ぐうぜん」

 大男は、僕の隣でちょっと不愛想に答えた。ムササビは首を振って、笑った。

「この世界に偶然なんてあるもんか。あんたが決めたんだ。ぼうや、ちょっとまってね、いま出してあげるから」

 そういうと、ムササビはすばやく熊手のならぶ棒を駆けあがり、熊手をひとつくわえてきた。

 僕はおそるおそる熊手をうけとる。金色の小判や稲や緑色のはっぱと並んで、プラモの箱がついていた。バラモだ。

 僕がうなずくのを見て、隣の男がいった。

「じゃ、これ買うわ」


 僕はあわてて、

「お金は僕が払います」

 ムササビはこっちをじろりと見た。

「あんたに払えるかね。お代はその“におい”だよ。あんたの耳の後ろにくっつている」

「におい?」

 ムササビのピンク色の鼻がぴくぴく動いた。

「そう。あんたが大事に思っているもの。支払いは、それよ」

 なんのことだろう? 僕はそっと耳の後ろに手をあてた。

「においは、お金の代わりになりません」

「この世界じゃ、においも記憶もお金の代わりなんだ。みんな、なくした記憶を探している。あんたの記憶も売り物よ」

 僕はムッとして、手にした熊手をムササビの前につきだした。


「返します。僕の記憶は売りません」

 きっ、とムササビが小さな歯をむき出しにして笑った。思った以上にとがった歯だ。噛みつかれたらすごく痛いだろう。

 そう思ったら、まわりが急に暗く感じた。

 こわい。夜が始まるんだ。身体じゅうがキュッと硬くなる。

 すると僕のうしろから大男の声が聞こえた。

「売れよ。たいした記憶じゃないだろう。お前の父親は五年前になくなった。記憶は役に立たんよ」

「勝手なことを言わないでよ! お父さんの記憶は大事だ。僕は今でも、暗いところを走っていくときお父さんに教わった呪文をとなえるんだ。

『だいだらぼっちさん、だいだらぼっちさん、僕の前に明かりを』って。そうすると、暗いところもこわくないんだ!」

「お前、もう十二才だろう」

 男が僕の顔をのぞきこむ。

「こわくない。大人になるんだ」

「大人になっても、僕は“だいだらぼっちの呪文”をわすれない。お父さんとの約束だから!」

 ふと気づくと、武蔵野八幡宮じゅうが静まり返っていた。笛と太鼓の音が止まり、屋台の人が打ち鳴らす手の音も聞こえない。

 しん、とした夜のなかに。

 小さな裂け目ができた。

 漆黒の闇の、いちばん深い黒。黒はとろとろと動いて、蛇のように首をあげて僕を見た。

 僕は手に持った熊手をかまえる。ギンプラのバラモみたいに。

 こいつが僕の記憶を持っていこうとするのなら。

 僕は、戦う。

 記憶は僕のものだ。お父さんとすごした七年間。どの時間も全部、僕のものだ。僕を作り、僕を動かしているのは、記憶だ。

 お父さんと歩いた林のにおい、お父さんの背中。肩ぐるまをしてもらったとき、僕が耳の後ろに顔をつっこむとお父さんは笑った。

 お父さんのにおい。

 僕は、はっとして振りかえった。さっき暗いプラモ屋で大男が耳の後ろをかいていた時のにおい。

 あれは、お父さんのにおいだ。

「お父さん?」

 大男はニコリとした。やわやわと男の姿が変わっていく。お父さんの顔だ。

「お父さん!」

 ぎゅっと抱きつく。お父さんは手でとんとんと僕の背中をたたいた。それからじろっと、黒い蛇を見た。


「誠也。ここの払いはおれがする」

 お父さんはそういって、僕から熊手を取って夜空に投げた。キラキラした明かりのなかで、熊手が回転する。熊手がまわるのと同時に、お父さんの身体が少しずつ大きくなる。大きくなり大きくなり、やがて八幡宮より大きくなった。

 右手で、夜空に浮いている熊手を取る。

 左手で黒い蛇をつかみあげる。

 お父さんは蛇に向かっていった。


 「甘く見るなよ。あれはただの子どもじゃない。武蔵野の風が育てた子どもだ。おれの、息子なんだ」


 お父さんは、手にした熊手で蛇をまっぷたつにした。蛇は、ちぎれたまま跳ねまわり、やがて白くかすれて消えていった。


 神社じゅうから、どわああっと声がたった。

「やったやった!」

「だれか、手締めを」

 すっと、小さなムササビが屋台のテーブルに立って叫んだ。


「よおおおおっ、家内安全・商売繁盛!」

「かないあんぜん・しょうばいはんじょう!」


 境内のぜんぶの屋台から、勢いのいい声が聞こえた。

 見れば、どの屋台にも不思議なものがいた。大きな荷物をせおったお坊さん。ひんやりした着物をまとった雪女、小豆を洗う女、猫の顔をしたお地蔵さま。むかしお父さんといっしょに雑木林を歩きながら聞いたお話に出てくるものばかりだ。


 武蔵野八幡宮にいる全員が、にぎやかに踊りながら言った。

「かないあんぜん・しょうばいはんじょう!」

「かないあんぜん・しょうばいはんじょう!」


大きくなったお父さんは、大きくなりすぎて夜の空にとけていく。夜空とひとつになっていく。


「お父さん! いっちゃやだよ!」

 僕がそういうと、どこかから、お父さんの声だけが聞こえた。

「おれのにおいを耳の後ろにもっていてくれ、誠也。それでもう、なにもこわくないから――さあ。最後の手締めを」


 シャンシャンシャン、シャンシャンシャン。

 景気のいい音とともに、お父さんと熊手は夜空に消えた。

 あとには、夜風がはらひらと吹いてきた。

 少しかわいた秋の林のにおい。お父さんの、においだ。



 ★★★

「ほい、これだ」

 気づくと、僕はプラモ屋にいた。目の前にはおじいさんがいて、ぼくに箱を差し出していた

 僕はじっと箱を見る。外箱の絵は、カーキ色の戦闘ロボットだ。でもよく見るとロボットはビームサーベルの代わりに小さな熊手を持っていた。

 僕はお金を払い、店を出た。急がないと塾に遅れる。日が暮れる。

 だけどもう、夜はこわくない。

 僕は塾に向かって走りはじめた。手にしたプラモの箱がカタカタと軽快な音を立てた。

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「僕のお父さんは、武蔵野の風」【角川武蔵野文学賞・参加作】 水ぎわ @matsuko0421

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