最終話

 涙が出ない。こんなにも悲しいのに。こんなにも悔しいのに。こんなにも自分が憎くて、こんなにも御子柴先輩を想っているのに。

 全部全部、私のせいだ。私が彼を好きになって、軽率にあんなストーカー行為をして。そのせいで御子柴先輩は今、何も感じない暗闇の中で一人、私に心配かけまいと横たわっているんだ。生きながら死んだも同然だ。私が――私が御子柴先輩を死なせた。

 会いに行かなくちゃ。彼と話せなくてもいい。私を感じなくてもいい。ただただ私のエゴだけど、私は彼に会わなくちゃいけない。

 昨日御子柴先輩の携帯から彼の父親に電話した時、念のため番号を控えておいた。こんな時にもストーカー行為が役に立ってることに、私は怒ればいいのか喜べばいいのか分からなかった。

「もしもし、御子柴先輩のお父さんですか」

「はい。そうです。昨日お会いした保科さんですね。うちの息子の件……で合ってますか?」

「分かってたんですか」

「はい。梗に昨日『電話が来たら出てほしい。多分、後輩の保科さんだから』と、車の中で言われましてね」

「そうだったんですね……」

 御子柴先輩は凄い。先のことを見通している。それなのに私ときたら。

「梗は杉尾崎中央病院に入院しています。……ぜひ、会ってあげてください」

「分かりました。ありがとうございます」

 私は急いで身支度を済ませ、家を出た。学校も授業もどうでもいい。御子柴先輩とは比べものにならない。

 私はタクシーに乗り、杉尾崎中央病院に向かった。

 初めて廃診療所に行ったあの時、彼は呪い研究に夢中で怪我に気がつかなかったんじゃない。触覚がなかったからだ。

 私はあのチョコクッキーに自分の血液を混ぜた。それなのに、彼は味の違和感にまるで気づかなかった。味覚がなかったからだ。

 私が叶芽さんが殺されたと思って気が動転してる時に、私の顔をしっかり見て話していたのは私を安心させるためだけじゃない。聴覚がないから読唇術で会話しようとしてたんだ。

 なんで私はもっと早く気づけなかったんだ。彼を一番近くで見ていたのは有賀でも叶芽さんでもなく、私だ。それなのに――これじゃ助手失格じゃないか。

 私は甘えていたんだ。彼に甘え、依存した結果がこれだ。

 病院に着くや否や、私は受付に事情を話し病室に面会をしに行った。階段を駆け上がるたびに、心臓が破裂しそうなほどに痛む。

「御子柴、先輩……!」

 そこには、力なくベッドに座る彼がいた。患者衣を着て、向かい側の窓の方を向いていた。私が来ていることには完全に気づいていないようだ。もう視覚もなくなってしまったんだろうか。

 彼はこちらを向いた。そして、微笑んだ。あの屈託も曇りもない優しい笑みだ。

「やっぱり、来たんだね」

 まだ視覚だけは残っていた。

「良かった……!本当に、本当に……」

「でも、ごめんね」

 彼はまた窓の方を向いた。その表情には悲しみが満ちていた。

「視界が、ぼやけてるんだ。ある程度の輪郭りんかくしか分からない。もう君が何を言ってるのかも、僕には見当がつかなくなってしまった」

「え……」

「手紙を書いただろう。『会いに来なくていい』と。なぜ来たんだい?」

「私は、御子柴せ――」

「なんとなく分かる。『御子柴先輩に会いたかったから』だろう?」

 彼はまた余裕のある微笑みを浮かべていた。本当に、なんでも分かってるんだ。

「ほら」

 彼は私に手招きしていた。電灯に誘われる蛾のように、私は彼の傍まで寄った。

「この近さだったら、君の表情が少しだけ分かるね」

「先輩、私……」

「そんな悲しそうな顔はするものじゃない。呪いとは人を害するための絶対的な制約だ。避けられないんだよ」

 彼は私の頭を撫でた。

「でも……」

「僕のことは忘れるんだ。君は過去と未練に足を引っ張られるべき人間じゃない」

「嫌だ……無理です、そんなの」

「僕は君のしがらみになりたくない。この病室を出るんだ」

 その時だった。私の頭に一つのアイデアが浮かんだ。

 

「──私は助手として、最後の任務を全うしようと思います」

 御子柴先輩から離れる私を見て、彼はまた微笑みを湛えた。

「それでいい。遥か彼方の天の川で、また会おう」

 私は頷き、扉とは反対方向に向かった。

「……どうしたんだい?」

 窓を開き、火傷しそうな日の光と心地よい風を顔に受けた。

 御子柴先輩がいなかったら、叶芽さんはどうなってしまうのか。

 きっと彼女は病み、死のうとするだろう。

 御子柴先輩がいなかったら、百瀬先輩はどうなってしまうのか。

 きっと彼女は捕まりもせず、また誰かを殺すだろう。

 御子柴先輩がいなかったら、呪われている全ての人はどうなってしまうのか。

 きっと永遠に解呪されず、ただ死期を待つのだろう。

 私は病室の中を振り返った。

 そんな顔をしないで。御子柴先輩。先輩には笑っていてほしい。

 いつもの屈託も曇りもない笑みを浮かべて。

「『言葉には責任を持て』。そう言われ育ってきました。私はあの夕暮れの中で、御子柴先輩の助手になると約束しました」

 私は窓のふちに座った。徐々に重心を後ろに傾ける。

「だから私は、最期まで助手を全うします」

「保科……君、何を……!」

「助手とは、手助けをするものです」

――『呪った側が死んだ時点で呪いは解除される。それがルールだ』


「大好きでした。御子柴先輩」

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