第13話

 何も起きない。エリさんの方を見ても、さっきと変わらない。

「駄目……!?」

 その瞬間、彼女のエリンジウムが突然に枯れ始めた。暗い緑に変色し、徐々に萎れていく。枯れ切ったエリンジウムは、そのまま塵と化して地面にさらさらと零れていった。

 そこに残ったのは、机に突っ伏している黒いセーラー服姿の少女だった。今までエリンジウムで見えなくなっていた彼女の姿が、そこにはあった。

「エリさん!」

 私は彼女に駆け寄り、肩を揺すった――わずかに体が上下している。

 呼吸してるんだ。生きてるんだ。呪いは成功したんだ。

「良かった……!」

 心の底から安心が湧いて来て、私は力なく地面に座り込んだ。

「う、ん……?あれ……?」

「おはようございます。エリさん」

 私は立ち上がり笑みを浮かべた。彼女は不思議そうに私を見上げていた。

「おはよう……え、ちょっと」

 彼女は手足を見たり、頭や顔を何度も触ったりしていた。

「エリンジウム……ない?」

「はい。もう終わりましたから」

「終わったって……解いたの?呪い」

「はい」

「どうやって……」

「これです」

 私は『恋慕と依存の簡易呪術』の紙を見せた。途端に、エリさんの顔が紅潮する。

「え、嘘……!?」

「本当です。こうするしかありませんでしたから」

「でも、いいの?」

「いいんです。『言葉には責任を持て』。母から散々教えられた教訓です。私は呪いの研究の助手になると誓ったから、誰かの呪いを解くのは当然です」

 薄々気づいていた。この狂った恋心は仕舞っておくべきだ。彼女は椅子から立ち私を抱きしめた。制服にはまだわずかにエリンジウムの香りが残っていた。

「ありがとう……!」

 彼女は再び泣いた。今回は嬉し涙で。

「……あれ?」

 私はその時違和感を覚えた。こんなにも感動しているのに、涙が出てこない。

 そうか。呪いにどんな意図があるのか知らないが、これが今回の呪いの代償。『もう泣く必要はない』という励ましだと受け取っておこう。

 それから私たちはまたいつものように話をした。エリさんの本名が西沢にしざわ叶芽かなめであること。実は両親が『咒学』の研究者で友達が出来ずにいたこと。両親の影響でこの『開花と枯死こしの簡易呪法』を知ったこと。この先御子柴先輩とどうするのかということ。とにかく、沢山のことを。


    *


「本当にありがとう。心咲には感謝してもしきれない」

「いいんです。……それより、ごめんなさい。私この前、『エリさんを呪った人も、内面は醜いに決まってます』とか酷いこと言ってしまって」

「いいの。本当に醜いから。それじゃあ、今日はもうお開きにしようか」

「そうですね」

 気づけば、白い廃墟の壁はオレンジ色に染まっていた。4時間近く話し込んでいたようだ。

 初めてはっきり見えた叶芽さんの姿は、とても綺麗だった。夕日がスポットライトのように彼女を照らす。

「それじゃあ、またね」

「はい。明後日は学校に来るんですか?」

「うーん……まだ行けないかな。御子柴の話によると私、捜索願出てるっぽいし。このまま夏休みに入るつもりだよ。夏休み入ったら、遊ぼうね」

 ああ、そっか。今日は7月27日だ。波乱の1学期ももうすぐ終わるんだ。

「バイバイ」

「はい。また会いましょう」

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