3-2
内側に入りまず驚いたのは、とても静かという点だった。広場での賑やかしい声がまったくない。実際に広場を見ていなければ、外が賑やかだなんて信じられないだろう。
今は授業時間だろうか。生徒の姿が見えない。談笑する声も聞こえない。単純に敷地が広すぎて、ここまで声が届いていないだけかもしれないが。
クオイトは正面にある建物に向かう。遠くから見えていた塔である。
おそらくあれが校舎だろう。敷地内には他にも建物がある。しかしこれほど目立つものはない。
校舎は間違いなく縦に長いが、低層では横幅もかなりのものだった。
正門から校舎までの舗装された道をゆき、クオイトは目視する。校舎の正面に背筋をしっかり伸ばした女性がいた。
若く見える。おそらく二十代にも行っていない。ここの生徒だろうか。赤い刺繍のローブを纏っている。
その人は染みひとつない顔に微笑みを湛えていた。
「ようこそ、いらっしゃいました」
「あなたは?」
「私はこの学校の生徒会、会長を務めています、スピコ・ツエクスです。今回の案内役を仰せつかりました」
「生徒か。それで赤刺繍とは、大したものだ」
スピコが纏っているローブには、赤い刺繍が施されている。赤色は刺繍入りのローブでは最も低位だが、そもそも刺繍入りという時点で、優秀な魔術師の証明だ。
学生の内にこのローブに袖を通した者はどれだけいるのだろう。
「いえいえ、私はまだまだですよ。しかしそう褒めていただけると、自信になります」
スピコ・ツエクスか。名前を覚えておこう。後々は優秀な魔術師になるに違いない。
「だいぶ静かだが、今は授業をやっているのか?」
「いいえ、今は試験明けの長期休暇に入ったところで、しばらく授業はありません。多くの生徒が帰省していますから。寮に残った生徒も自室でゆっくりしているか、遅い朝食中ではないでしょうか。こんな朝早くから研究に勤しむ熱心な子もいますけど」
「この校舎に人が居ないってだけか」
「ところで私は案内するようにとしか言われていなくて、どちらまで案内すればよろしいのでしょうか」
スピコが困り顔で見上げてくる。そういえばクオイトは名乗ってすらいないと思い出した。
「俺の名前は、クオイト・ルエクティロ。ペスケル・エン・カイヤから紹介されて来た。天文部へ用があるんだが、案内を頼めるかな?」
「ペスケル様から……。ご案内いたします。こちらへどうぞ」
スピコが校舎へと入っていく。クオイトはその背中を追わずに、空を見上げた。
グラティス中央魔法学校は、魔法都市の中央にある。その魔法都市の大部分には空がない。上空が岩盤に覆われているからだ。
しかしここだけは違う。魔法都市で唯一、ここだけ空があるのだ。
天文部と口に出して気がついた。ここからなら星が見られる。高い位置ならより都合がいいだろう。
目的の天文部がどこにあるのか、推測を立ててみると、自然と首が上を向いた。
塔の最上階を見たときには、クオイトは星を見るような姿勢で固まる。
まさかあそこまで登るのか?
「安心してください」
察したのか、振り返ったスピコが言った。
「備え付けの転移魔法がありますから」
「本当か? それは助かるよ」
「階段では日が暮れてしまいますから。比喩ではなくて本当に」
スピコはまるで、何かを思い出したかのように笑った。
「こちらへどうぞ」
案内されたのは円柱状の部屋だった。出入り口があるだけで、窓ひとつない密閉空間だ。
スピコはクオイトがその部屋に入ったと確認して頷く。部屋中央には二十面体の、赤い宝石がはめ込まれた台があった。それに触れると、足元が仄かに明るくなる。
「着きました」
「もう?」
転移魔法とは優秀なものだ。特別なことをした覚えはない。しかし部屋から出ると、窓から街全体が見渡せる高さにいた。
「ここからは階段で行きます。もうすぐですよ」
スピコに従って細い螺旋階段を上がっていく。するとワンフロアをまるまる使った、開けた部屋に出た。
ここが天文部か。部屋の天井には、開閉できるギミックが仕込まれているようだ。等間隔に筋が入っている。
部屋の中央には巨大な筒が鎮座していた。おそらくこの筒で星を見るのだろう。
部屋には三人いた。全員が一般的なローブ姿の生徒だ。
たまたま螺旋階段に目をやっていた男子生徒がいた。
「あれ? 生徒会長。どうしたんで――そちらは?」
その声に部屋にいた全員が気づく。
スピコとクオイトは、ひとまず階段を上りきり、それから横に並ぶ。
「こちらはルエクティロ様です。天文部へご用件があるとのことで、いらっしゃいました」
クオイトは生徒たちの浅い会釈を無視して、懐に手を入れる。
「こちらにあるマジックアイテムが紛失したと聞いて来た」
「はい、確かに。光の調整につかっていたマジックアイテムがなくなりました。そのせいでここしばらくは星を見られていません。街の明るさが邪魔で」
「そのマジックアイテムってのは、これか?」
木彫りの鳥を取り出した。それを差し出すようにして見せる。
「はい、そうです! これです! どうしてこれを?」
「えーっとだな」
クオイトは言葉に詰まる。
伝えていいことなのだろうか。エン・カイヤの邸宅が襲われた件が、どういった扱いになっているのかわからない。
口止めはされていないので問題ないとは思う。邸宅の前にも多くの人がいた。しかし暗黙の了解が間に挟まっていないとも限らない。
安全を考えるなら、黙っているべきだ。しかしそれでもしマッチポンプと思われたら癪だ。……それは穿って見すぎか。
「伝えてよい事柄か、判断がつかないから話せない。でもそれじゃ納得できないだろうから簡単に言うと、とあるルートからそれが転がり込んできた。そのルートが実に怪しくて、どういったマジックアイテムか調べてみたら、ここへ行き着いたってだけだ」
「そうですか。マジックアイテムについて街中でいろいろ起きているという話は耳にするので、これ以上はお聞きしません。とにかく届けてくださりありがとうございます」
「もうひとつ用があるんだが、いいか?」
「なんでしょうか」
「そのマジックアイテムがなくなったときの話を聞きたい」
「調査されてるんですか? でも答えられるようなことはなにも」
『ん?』
「どんな些細なことでも、勘違いでも構わない」
「わかりました。力になれるかはわかりませんが」
とりあえず座ろうと、椅子があるところまで案内された。
どうやら記録の整理をしていたようで、机には手書きの資料が散らばっていた。
机を空にするため、男子生徒は資料をさっさと集める。空になった机には、すぐお茶が運ばれてきた。
男子生徒とクオイト、スピコの三人が座る。
「おまたせしました」
『あれはなに?』
「手間かけたようなら悪かったね」
「気にしないでください。あのマジックアイテムが戻る以上のことはありませんから」
「喜んでもらえたなら、こちらとしても嬉しいよ」
『クオイト、教えてよ。あれは?』
さっきから頭の中で声がする。
『リズア、うるさいぞ』
『ごめんね。それで、あれは?』
リズアが示したのは、いくつかの計器が備わった機械があった。それがどういった物か、素人のクオイトにもわからない。
『よくある機械だろう』
『私は初めて見ました』
『俺もだ』
「マジックアイテムがなくなったときのことでしたね」
「そうだ」
「役に立つかはわかりませんが……。俺は毎朝早くに、ここに来ているんです。マジックアイテムがなくなっていることに気付いたのはそのときで――」
話からは特にこれといった情報は出てこなかった。
しかしこの部屋まで何者かが入り込んだのは間違いないようだ。校門を抜け、校舎に入り、最上階まで入っている。
学校の警備は厳重だったはずだ。クオイトも紹介状がなければ、簡単には入り込めなかっただろう。
「っと、こんな感じです。なにかわかりましたか?」
「なにもわからないことがわかった。これ以上は言うべきじゃないな」
学校内に犯人がいる可能性は、彼らも少なからず感じているだろう。ここのマジックアイテムが盗まれた時点で、全員が思っている。
それでも解決に向かっていないということは、学校関係者に犯人はいないのか。
『無視しないでよ』
さっきからリズアがうるさい。その姿はまるで駄々っ子で、優秀な魔術師の痕跡はうかがえない。無視し続けているこちらも悪いのだが。
『そうだ。リズアって魔術師だったんだよな』
『急になに?』
もしかしたらスピコを始めこの学校の生徒なら、リズアについて知っているのではないだろうか。
「話は変わるけど、リズアって魔術師、知ってる?」
その瞬間、スピコの目が輝いた。
「もちろんです」
『リズア、どうやら好かれているみたいだぞ』
『みたいだね』
スピコは顔を赤らめる。今までしっかりと落ち着いた雰囲気だったので、可愛げがあるしおらしい姿は新鮮に思えた。
おそらく本当に珍しい姿なのだろう。以前からスピコを知っているであろう、天文部員も驚いていた。
「す、すみません」
「もしかして、訊いちゃいけないことだったか?」
「いいえ、全然そんな」
むしろもっと訊いてくれと顔に書いてある。
なかなか可愛らしく笑うものだ。リズアがくすりと笑うほど、解けた雰囲気だった。
「ところで、どうしてリズア様の話を?」
『様って、呼び捨てでいいのに』
「最近ちょっとな。悪いけど話せるものでもない。それと様を付ける必要はないぞ」
「いいえ、これだけは譲れません。私はリズア様を尊敬しているのです」
『うへぇ。なんか重たい』
「尊敬か。じゃあリズアについて教えてもらえるか?」
「もちろんですよ」
クオイトは実践的な魔法については、ある程度知っている。しかし歴史に関してはまるで無知だった。
スピコは何を聞かせてくれるのだろう。当のリズアはすぐ横で気恥ずかしそうにしている。しかし満更でもない様子だ。
「リズア様は魔法の極地へ至ったという、最高の魔術師のひとりです」
「極地?」
「魔法のランクには、基本、下級、中級、上級とあります。そのランクの頂点は、一般的には神話魔法ですけど、その枠にすら収まらない魔法が、極地魔法とされています」
『リズアって、そんな魔法を使えたのか?』
『うん』
『軽く言ってくれる』
「ただしこの極地魔法は、長い歴史の中で、たった五人しか使えた者がいません。なので神話魔法が実質の最高ランクになっているんです」
「そのひとりがリズアってわけだ」
「はい」
『五人? 六人じゃなくて?』
リズアがそんな疑問を口にする。クオイトには同意や訂正ができる知識はない。
『歴史資料なら歯抜けでもおかしくはないし、ただスピコが知らないだけかもしれないぞ』
『そうだね』
スピコとリズアが思い浮かべた極地へ至った人物は、何人まで一致しているのだろうか。
もし完全に一致しているなら、リズアが生きていた時代から今まで、たったひとりも極地まで至った魔術師がいないことになる。記録上ではそうなる。実質的に神話魔法が最高という話も尤もだ。
「それで、リズアはその魔法で何をしたんだ?」
『私にするべき質問を、その子に訊くんだね』
『その方が面白い』
リズアの反応もそうだが、スピコが嬉々として語る姿が、可愛らしくて見ていて飽きなかった。
「人々を守るために、魔物や亜人と戦っていたんです」
『なんだ。俺と似たようなことしてたんだな』
『そうなの?』
『一応、傭兵だからな。魔物討伐も亜人退治も経験があるよ』
「それにより、多くの人が救われたんです。他にも様々な魔法の研究開発や、指導もされていたようです」
「魔法以外では何かやったのか?」
「それは記録に残っていないので、わからないんですよ」
『どうなんだ?』
『訊かないでよ』
どうやらここはリズアの急所だったようだ。きっと料理も手芸も、上手だったに違いない。
まだまだ知らないことだらけだが、リズアについて少しはわかった。まだ水たまり程度の深さだが、全く知らないよりはいいだろう。
次はリズアの何について訊こうか考えていると、下から急ぐ足音がした。
「部長! いますか!」
叫びながら螺旋階段を上がる生徒がいた。
その生徒は首だけ上に出すと、こちらを見て固まった。
「生徒会長? それと……」
天文部員が前に出る。
「こちらはルエクティロさん。紛失していたマジックアイテムを届けてくれた方だ」
「ということは、ぴーちゃん戻ってきたんですか? 部活を再開できるってことですか?」
ぴーちゃんとはクオイトが届けたマジックアイテムのことのようだ。木彫りの鳥の形をしているからぴーちゃん。安直だがわかりやすい。
「そうだ。でも今以上の防犯対策を整えるまでは別の場所に保管しておくから、再開はもうちょっと先だ」
「仕方がないですよね。また盗まれたら大変ですから」
「それでどうして急いでいたんだ?」
「それがついさっき駅でマジックアイテムが盗まれたって。もしかしたらぴーちゃんの手がかりがあるかもと思ったんですけど」
マジックアイテムが盗まれた? それもついさっき。犯人はエン・カイヤ邸への侵入者と同一人物かもしれない。
クオイトは立ち上がる。勢いがよくて椅子がそれなりの音を立てた。クオイトはそんな音には構わない。
「それ、どこの駅か教えてもらえる?」
リズアの話も興味はあるが、それまた今度にしよう。
リズアズアイ 羊の毛玉 @sheeppillow
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