3-1

『ねえねえ、なんですかあれは?』


 リズアが指を向けた先には、全面ガラス張りの喫茶店があった。別に珍しい店じゃない。

 しかしずっと地下にいたリズアにとっては、真新しいものなのだろう。


『悪いけど、今はそれどころじゃない』

『いいじゃない。見て回ろうよ』

『俺にはやらないといけないことがあるんだよ』

『それこそ後回しでもいいでしょう。ほら、あの生き物は?』

『どこかの店のマスコットだな。仮装して客引きしてるんだよ。こんな早朝からよくやる』

『じゃああれは? あの魚――って、道間違えてます。あっちですよ』

『いいや、合ってる』


 クオイトは、エン・カイヤ邸に向かっていた。前をゆく使用人から、一定の距離を保ちつつ進んでいる。


『だから、あの魚を見に! 離れてる! もう!』


 耳を塞いでみたが無意味だった。リズアの声は頭に直接響く。頭痛薬でも飲めばマシになるだろうか。


『いずれ観光でもなんでも付き合うから、今は我慢してくれ』

『約束だよ? でもまあ、私がわがままを言うのが筋違いなんだけどね』

『俺にとって、リズアは命の恩人だ。多少は目を瞑れる』

『そう? じゃあいずれ』

『ああ』


 エン・カイヤ邸に到着する。敷地の内外には、昨日よりも多くの人がいた。

 ローブ姿の魔術師、武装した治安維持部隊、エン・カイヤの私兵その他、昨晩の襲撃が大事になっているようだ。


 使用人が前にいるおかげで、簡単に門をすり抜け、邸宅まで進む。邸宅内は外と違い静かだった。

 出迎えは使用人ではない。ペスケル・エン・カイヤ本人である。


「詳しくはまだ聞いていませんが、大変だったようですね」


 エン・カイヤはそう言った。何を他人事みたいにと、クオイトは思う。


「襲撃されたのはあんたの、この邸宅だ。大変なのはそっちだろう」

「いいえ、そうではなく、街の地下に飛ばされたとか」

「貴重な体験ができたよ。地下ダンジョンでの出来事は、多分一生忘れられないだろうな」


 すぐ横に微笑むリズアを幻視する。いいや、これは幻ではない。


「その話にも興味はありますが、今は立て込んでいるのです」

「わかってる。俺もあんたの依頼を請けたんだ。協力するよ」

『依頼って?』

「この街でマジックアイテムを略奪するやつらがいる。そいつらの捕縛ないし、情報収集をするってのが依頼内容で間違いないよな?」

「はい。そのとおりです」

『そんなことが起きてるんだ』

「で、昨晩の襲撃者、あれが俺のターゲットか?」

「確証はありませんが、おそらくはそうでしょう」


 ここまでの道中で使用人から聞かされている。昨日の侵入者には逃げられた。

 ひとりでも捕縛できれば違ったのだろう。不覚を取ったのが悔やまれる。穴に落ちなければ、侵入者を捕らえられたかもしれない。


「俺が借りた部屋に、ひとつ死体があったろう? あれはどうなった?」


 クオイトは昨晩、侵入者をひとり殺している。死体はナイリも確認した。話は伝わっていることだろう。

 しかしエン・カイヤは否定する。


「見つけられませんでした。血痕が残るだけで、あとは綺麗さっぱり」

「消えた?」


 こんな嘘をつく意味はない。つまり真実だ。

 情報源がなくなったのは厳しい。しかし全てが失われたわけではない。まだ残っているものがある。

 死体が消えた現象そのものだ。


 おそらく処理したのは、侵入者かそれに類する誰かだろう。見られて困る何かがあったと推測できる。

 見られて困るものとは、侵入者の顔そのものではないだろうか。仮面で隠していたのが証拠だ。


 顔を見たのは、クオイトとナイリだけである。どちらも魔法都市とは縁遠かった。クオイトは、エン・カイヤの顔も知らなかったし、道ゆく人に知り合いはいない。

 しかしもし魔法都市で顔が広い人なら、死体の顔に覚えを感じたのではないだろうか。敵は意外と近くにいるのかもしれない。


「そうか、死体は消えてしまったのか。残念だけど仕方がない」


 エン・カイヤから聞いた話によると、マジックアイテムを盗む犯人は、今までは影も形も見えなかったという。

 その姿を確認し、戦闘までしたのだから、出だしとしては上々ではないだろうか。

 相手の戦闘能力が、おおよそ把握できた。これは進歩だ。


 しかしクオイトの本当の目的は、エン・カイヤの仕事達成ではない。黒翼の杖の奪取である。侵入者には逃げられたというが、杖の行方はどうなったのだ。


 あまり直接的に訊くのは気が引けた。黒翼の杖に興味があると悟られたくないからだ。


 クオイトは許可をもらい、書斎隣にある隠し部屋へと向かった。侵入者が空けた穴はそのままで、しばらくは修復されそうにない。


 隠し部屋へ行く理由は、侵入者の証拠集めだ。これは表向きの理由で、本意は黒翼の杖の確認である。

 予想通り杖は見当たらなかった。侵入者に持ち去られたようである。

 困ったものだ。杖を探すところから始めなければいけないじゃないか。幸いエン・カイヤからの仕事内容と一致している。


「ああ、そうだ」


 木彫りの鳥を忘れていた。ゴーレムと相対したときには、実に役に立ってくれた。もしかしたらこれも、盗まれたマジックアイテムかもしれない。


 エン・カイヤに聞いてみると、魔法学校をひとつ紹介された。グラティス中央魔法学校。そこの天文部からマジックアイテムが失われたのだという。木彫りの鳥はそこのマジックアイテムではないか、という話だった。


「ところで、地下から上がったとき、身体検査は受けなかったのですか? そこで没収されそうなものですけど」


 エン・カイヤの疑問は尤もだ。クオイトもそう思っていた。だから身体検査のとき、木彫りの鳥を検査員の懐にスリ入れたのだ。そして検査が終わるとスリ取った。

 正直に話しても、よいことはなさそうだ。だから黙っておこう。


「見逃してもらえたと思ってたんだが、単純に検査漏れかもしれないな」

「そんなに甘いはずがありませんが、まあいいでしょう」

「じゃあこれ、返してくる。ついでに情報集めも」

「少々待っていてください。グラティス校へ行くのなら、紹介状をしたためます」

「助かるよ」


 そういえばエン・カイヤは、グラティス中央魔法学校の研究員なんだっけ。

 クオイトは木彫りの鳥を懐に収める。目的地はグラティス中央魔法学校だ。

 そこは世界一の魔法学校として、世界中に名を轟かせている。多くの高名な魔術師を輩出しているらしい。


 歴史はなんと千百年までさかのぼる。始めは学校ではなかったが、次第に移民へ魔法を教える場として使いはじめ、学校へと変わっていったのだとか。

 学校の歴史は街の歴史そのものだ。なぜなら魔法都市で最初に作られた建造物が、そのグラティス中央魔法学校なのだから。

 何度も改築されているので、初めは今よりもみすぼらしい建物だったらしいが。


 クオイトは装備を整えてから出発する。


『魔法学校かぁ。楽しみだね』

『正直俺もだ。魔法学校にはあまり縁がなかった。各地の学校を遠目から見たりはしたが、入るのはこれが初めてだな』

『どんな子たちがいるんだろうね』

『念の為言っておくが、遊びに行くわけじゃないぞ』

『えー。さっきは感謝してるって言ってくれたじゃない』

『それとこれとは別だ。魔法学校は機密事項で溢れてる。うろちょろしすぎると、すぐに目をつけられかねない』

『本当に目をつけられるかを、自ら確かめるという手も』

『ないな』

『そうですか』


 魔法都市の道はまだ覚えていない。しかし魔法学校への道は簡単だった。

 なぜならグラティス中央魔法学校はとても大きい。敷地の広さも凄まじいらしいが、高さも無視できない。遠くからでもよく目立っている。

 それぞれ長さが違う塔が集まって、一本の巨大な塔になっている。階層はどれくらいになるのだろう。見上げるほど高い。階段では上りたくない高さだ。


 クオイトはリズアの希望により、中央通りをゆく。そこを真っ直ぐいくと、魔法学校が待っていた。


 学校正門の前には、球技ができるほどの広場がある。中央には噴水ベンチもありまるで公園のようだ。すぐ近くには食事ができる店もある。学校に用がなくてもこの広場に遊びにくる人はいるだろう。今もたまに人の隙間を縫うくらいには賑わっている。


 学校の正面がこう賑やかでは、学生は集中できないのではないか? そんな疑問が浮かんできたが、この後すぐに掻き消えた。


 正門の両脇には、目に青い宝石がはめ込まれた鹿の像があった。その像から異様に視線を感じる。つい意識してしまい像にばかり目が行った。


『これも魔法生物だね』

 リズアは鹿を示す。

『これが? 像じゃなくて?』

『門番ってところかな。結構強い魔力が注がれてる。すごくいい出来だよ。これ作った人、すごく優秀』

『俺にはわからないな。ただの彫刻にしかみえない』

『条件付きで稼働する石像。ガーゴイルって呼ぶ人もいるかな。結構かわいいね』

『聞いたことはあるけど、可愛くはないだろ』

『さっき紹介状を受け取ってたでしょう。それを見せたら入れてくれるかも。この子たちの目は内部にいる術者とも繋がっているみたいだから』

『わかった』


 エン・カイヤから渡された紹介状を宝石の目にかざす。するとあっさり正門のすぐ横にある、小さな扉が開いた。通れという意味だろう。

 断る理由もない。クオイトはさっさと扉を通った。

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