カチ

鮫山龍司

カチ

分からないな。


いつまでこの地に居続けるのだろう。

なんのために今を過ごしているのだろう。


分からない。


生まれてこの方30年、この地を離れず育ってきた。

幼い頃には地元の名前が「武南市」になるなんて話もあった気がするが、もう記憶の片隅だ。

今日もいつもと変わらない1日になるんだろう。諦念に近い感情を纏い、今日も暖簾をくぐる。


−−−−−−−−−−

「週末どこと試合やんの」

鉄腕アトムの発車メロディーがなるホームで制服姿の男の子がユニフォーム姿の同級生に話しかけていた。

『久我山。めっちゃ強い。』

「武蔵野対決じゃん。絶対勝てよ。遠いから応援は行かないけど」

そういうと制服姿の男の子は笑いながら2番線ホームの電車に乗り込んだ。



勝ちとは何だろう。監督や周囲の人達から勝ちを求められる。高校サッカーはあくまでプロへの通過点。試合に勝つよりもマッチアップした選手とのデュエルに勝ち続けて数字を残した方がプロは近づく。試合に負けても特に何も思わない。最後に勝てば良い。僕にとっての勝ちは「プロになる」という夢を叶えることなのかもしれない。



週末は実家のうどん屋の手伝いをしなきゃいけない。

だから部活にも入らなかった。

中学生の頃から生粋の帰宅部だ。

同級生のあいつはプロを目指してサッカー部で頑張ってる。

俺は何か頑張っているだろうか。

実家の手伝いだったり、日ごろの勉強は自分なりに頑張っているつもりだ。

だけど、あいつの頑張りとは何かが違う。

俺は何のために頑張ろうとしているのだろう。

俺の価値って何。


−−−−−−−−−−

 「地元クラブへの入団となりました。今の気持ちを率直にお聞かせください」

かつての同級生がテレビの中でインタビューを受けていた。

 『にいちゃーん、注文まだなんだけど』

すいませんと客に謝りながらオーダーを取るも目はテレビから離れない。

高校を卒業後、俺は実家を継いだ。

地元の友人と連絡を取ることはあれど、それ以外の同級生とはほぼ疎遠になっていた。

 「素直に嬉しいです。ずっとプロになることだけを考えて過ごしてきました。それがようやく報われました。ここまで支えてくれた人達に感謝しています。」


いつもと同じ時間、いつもと同じ店、いつもと同じ飯、のハズだった。

今日は何かが違う。

暖簾をくぐって直ぐのテーブル席手前に腰を掛け、肉汁うどん・もつ煮・生と口にする準備をしていた。

来ないのだ。

店に入ってもう5分は経った。

毎日淡々と仕事をこなしていた店の兄ちゃんの様子がおかしい。

ずっとテレビを凝視している。



高校最後の選手権、2回戦で強豪の久我山に破れ、選手権優勝から即プロという夢への最短ルートは途絶えた。

関東1部リーグに昇格したばかりの大学から声をかけていただき進学をしたものの、モチベーションはどん底まで落ちていた。

慣れ親しんだ地元を離れての寮生活。

個人としての勝ちを求めたがゆえに、チームは負け、アピールの機会を失ったというトラウマ。

色々なプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。

何もかもが嫌になり、パチスロでもして気晴らしをしようと思い立った僕は、京浜東北線でチームメイトにバレないであろう駅まで移動した。

その駅を降りて直ぐのうどん屋に見覚えのある姿があった。

慣れた手付きで店先に暖簾をかけ、そそくさと店内に姿を消す彼。

何気ない光景にもかかわらず、不思議と胸が傷んだ。

「肉汁、一人前!!」

オーダーを取る声が外まで漏れて聴こえていた。



高校を卒業して2年が経とうとしている。

実家を継ぐ決意をしたものの、店の切り盛りというのはすぐに出来るようになるほど簡単ではなかった。

調理は未だに親父に敵わない。

一人前と言えるのは開店準備くらいだろうか。

開店準備に関しては、かれこれ10年近くやっている。

目を瞑っていてもこなせる自信があるし、もうベテランの域だと思う。

飯の腕を鍛えて、さっさと独り立ちしたいと日々考える毎日だ。



木曜は肉汁うどんの日と決めている。

28歳になって、遂にビールの美味しさがわかってきた。

今日は肉汁うどんを食べて、あとで生とあと一品「アテ」を頼んでみよう。

何がうまいのか皆目検討もつかないし、最近よくいる店員の兄ちゃんに後で聞いてみよう。

「すいませーん。肉汁うどん一つ。」


−−−−−−−−−−

一人前。あいつはもう一人前になっていた。

僕は今何をしてるんだ。

そう思った瞬間、駅へ踵を返していた。


課題は分かりきっていた。

個人プレーに固執しすぎて周りを使おうとしないこと。視野の狭さ。


僕はなぜ課題から目を背けてきたのだろう。

まだ選手権のことを引きずっているのだろうか。

その時の自分を自分で否定したくなくて、意固地になっているのだろうか。

とにかく変わらなければいけない。

変わる覚悟を決めろ。



最近よく来る客がいる。

決まって木曜は肉汁うどんを注文してくる。

ルーティンに縛られたような生活をしていて窮屈に感じないのだろうか。

正直俺は毎日変わらぬ生活に息苦しさを感じはじめている。

飯の腕が上がれば少しは変わるのか。

腕が上がっても、今度は飯を作るのが美味い男のルーティンが始まるだけなんじゃないか。

レールの上をただ進む。

俺にはアクセルとブレーキしか選択肢はない。



おすすめのビールのアテを問うと、もつ煮込みか天ぷらがよく売れるとのことだった。

「君はどっちの方が美味しく作れる?」

店員の少し返答に困る様子を見て、自分の口からこんなにも面倒くさいおっさんのような質問が出たことを悲しく思った。

『天ぷらはまだちょうどいい揚げ具合が分からないので、まだもつ煮込みの方が良いかもしれないです。』

じゃあ、生ともつ煮で。


−−−−−−−−−−

練習場についた頃にはすっかり夕暮れ時だった。

全体練習はとっくに終わった時間で、今は独自に個人練習をしている数人だけがグラウンドに残っていた。

沈みかける太陽側のゴールに、上体フェイントをかけてからのシュートをひたすらと練習している同期の姿があった。

「練習、一緒にやらん?」

『風邪治ったんだ。付き合ってくれるなら助かるよ。』

風邪で休んでいたと思われていたことに若干悲しさを覚えたが、それとともに安心している自分もいた。

こっからこっから!と柄にもなく頬を叩いて気合を入れると、まだ体調悪いのか?と同期から心配されて少しバツが悪くなった。



はじめてだった。

店のおすすめを問われることはあっても、自分の得意料理を聞かれたことはなかった。

天ぷらに自信があまりないのは本当だ。

かと言ってもつ煮込みも得意かといわれるとよく分からない。

親父にオーダーを伝えず、厨房へ向かう。

なんとなく今日は行ける気がした。

薄力粉をまぶしたキスの開きを油に入れる。

揚がるまで、もつ煮込みを鍋からよそって待機。

油の跳ねる音がやけに鮮明に聴こえた。

生ビールともつ煮を運んだあとに、キスの天ぷらをサービスだと伝えて渡し、カウンター横の定位置に戻る。

何かが自分の中で動きだした瞬間だった。



ビールともつ煮の相性は抜群で、悪魔的な美味さだった。

何故かサービスで貰ったキス天は、衣が薄過ぎたものの、味自体は普通に美味しい。

店員の様子を見るに、柄ではないが少しチャレンジしてみたといったところか。

彼はなんだか自分に似ていると思っていたが、そうでもないのかもしれない。

決まりきった生活の中で、何かを変えるためにチャレンジできる人間なんだなと。

あ、でも、ビールのアテを探したという意味では自分も挑戦したんじゃないか?

低次元なレベルを挑戦と捉える自分にまた嫌気がさした。


−−−−−−−−−−

-ご自身のアピールポイントを教えてください-

「足元の技術と… 広い、視野です。」


-最後にサポーターの皆さんに一言お願いします-

「まだスタート地点に立ったばかりです。クラブのために一つでも多く勝利を届けられるよう、早くプロとして相応しい、一人前のプレイヤーに成長したいと思います。皆さん、応援よろしくお願いします。」


プロになることが自分にとっての「勝ち」では無くなった瞬間だった。

次なるゴールへ向かって、僕は歩み続ける。



かつての同級生のインタビューが終わり、テレビは地元銀行のCMを映していた。

まだスタート地点に立ったばかり。

プロを目指してずっと努力を続けていた姿を高校時代見ていただけに、そんな台詞が出てくることに素直に尊敬の念しか沸かなかった。

決められたレールの上をただ進むだけの人生だと思っていたが、つい先日、所沢に出来る商業施設への出店オファーが届いた。

実家を畳むことにはなるが、もつ煮込みうどん店として独立するチャンスが来たことは素直に嬉しかった。

「一人前のプレイヤー」俺もならないとな。

一人前? ふと我に返り目の前を見ると、常連客の姿があった。

オーダーを復唱し、新店舗を所沢に出すことを最後に伝えた。


俺は俺の「価値」を証明するために、レールの分岐を切り替えて、次の目的地へ向かう。



『今度、所沢でもつ煮込みうどんのお店を出すことになりました。このお店は閉めてしまいますが、またもつ煮食べに来てくださいね。サービスで生ビールお出しします!』

テレビがCMになった途端、今まで様子のおかしかった店員の兄ちゃんにスイッチが入った。

所沢か、結構遠いなと内心思いながらも、

「そっか、応援してるよ。店できたら食べに行くよ。あー、でも車ないんだけど徒歩で行けるかな?」とおっさん丸出しの返しをした。

自然とこうした言葉が出てくることに老いを感じつつ、一人の青年が着実に成長していく姿が眩しく思えた。


無為徒食の生活はそろそろやめよう。

外の世界を知るために、一歩ずつ「徒」を進める時が来た。


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カチ 鮫山龍司 @R_sameyama

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