大丈夫、まだ笑顔でいられる

明日、笑えるかな

 僕は鏡を見る。

 今日も笑顔の練習だ。口角を手で無理矢理上げて、そこから笑顔を作る。

 うん、笑顔だ。大丈夫。僕は大丈夫。


 二階の僕の部屋から一階のリビングに降りる。

 今日もまた僕のお父さんとお母さんが喧嘩している。

「なんで作ってないのよ!」

 お母さんの怒鳴り声をお父さんは無視している。

「もういい!!」

 お母さんは会社の鞄を持って家から出て行ってしまった。僕には目もくれずに。

「ああ、おはよう。浩二」

 お父さんはエプロンを着てゆっくりと振り向く。

「ああ、浩二の分はちゃんと用意しているから」

「う、うん」

 そうして僕はお父さんが用意してくれた、ベーコンエッグとご飯を食べる。

 なんで喧嘩をしているのか。

 それは昨日、お母さんとお父さんが何かの原因で口論になったからだ。

 まあ、大抵はお母さんが仕事の愚痴を言って余計な一言、例えば「主夫は暇で良いわよね、こっちは生理のことまでもお局に管理されてるし、男は良いわよね、そういうのが無くて」とか言ってお父さんを怒らせてしまったのだ。

 昔は男性が働いて女性が家で家事をするのが基本の形だったと聞くけど、その頃は今と逆の絵図だったのだろうか。

「いただきます」

 僕はそう言ってご飯を食べる。今日もご飯が喉に通らない。でも我慢して食べなければいけない。


だって男の子は元気で活発じゃないと男の子らしくないからだ。僕が生まれた頃はまだ女の子はスカートを履いていたけど、いつしか女の子はスカートもズボンも履くようになり、男の子はそのままズボンだけである。

それで別に問題ないんだけど、なんか最近は男の子の男らしさ、というのが問題になっているらしい。結婚の未婚率が高くなっていて女性に振り向こうとしない男性が増えたという。

それは決して不細工とかじゃなくて顔が良くてちゃんとしている男の人が結婚なんてしなくても良い、と言って結婚しなくなっているらしい。

それを国は男性の性質が弱まっていることが原因だと、国がそう言ったものだから男性らしさというものを強要するようになった。


最近は、男の子は外で遊ぶべきだ。声を張り上げるべきだ。どんどん喧嘩をするべきだ。服装も整理整頓なんてしなくて良い、という変な決まりが出来ていった。


因みにどうして男の人が結婚しなくなったか、お父さんが言うには、お父さんの時代はこれまで男性が働くものだったのが女性も働くようになった。それは別に良いのだが、それなのに結婚市場? みたいな物では女の人は男の人がどのくらい金を持っているか、それを重視するのが変わらない、男の人はどんどん妥協しているのに女の人は全く妥協しない。だから男の人が参加しなくなるのは必然だって言った。


僕が、どうして必然なの? と聞くとお父さんは寂しそうな顔で「昔の女の人は結局は男を金でしか見てなかったの、もうそうすると男の人も恋愛って嫌になるでしょ。結局は金を生み出す銀行みたいにしか見られてないから」と言った。僕も納得した。


そして、専業主夫が主流となった今でも男性は外に出て働くべきだという考えを持った女性の団体が声を上げている。何でそんなことを言うのか僕には分からない。

「言ってきます」

 ご飯を食べ終えて歯を磨くと僕は学校へ登校する。


 その途中、なんかでっかいビルのモニターのテレビに男性アイドルが出ていて、女の子たちが黄色い声援を送っている。昔は男性アイドルだけじゃなくて女性アイドルもあったらしい。

 でも女性の性の搾取と言って全部なくなった。漫画も昔は女性のグラビアアイドルが乗っていたらしい。でもそれも同じ理由で無くなった。代わりに男性のヌード写真が漫画雑誌に載るようになった。

 なるほど、これは購買意欲を無くすものだ。男性のヌードなんて気持ち悪いもん。それに今モニターで踊っている男性アイドルの股を広げて踊っている姿もなぜだか知らないけどものすごい嫌悪感を感じる。なんだろう、女性に媚びているからなのか、それとも股を広げる行為が気持ち悪いからなのか、それは分からない。


 ここまでで今更だけれど僕は学校へ行きたくない。

 学校へ行くと、女の子たちは一斉に僕の方をチラッと見た。そしてすぐにまた自分たちの会話に戻っていく。でも、話している内容は聞こえてきた。

「あいつ、男の癖にろくに運動ができないんだぜ?」

「ないわ~、本当にない。あ、そうそう、私みたんだけど、あいつ、料理が得意らしいよ?」

「マジで? 男が料理しても別にって感じじゃ無い? 元々、料理なんて女の子の方が得意なんだし」

 料理人にも男の人はいるだろ。なんて思っていたけど無理には言わない。

「男のくせにナヨナヨしてさ。静かで元気がなくて男の子らしくなくて本当に気持ち悪い」


 ここで僕はきづいていた。

 今の世の中、女性らしさには多様性があるけど男性らしさには多様性がない、と。

 女性が男のように口調を荒げても良いけど、男が大人しそうな口調だともの凄く気持ち悪がられる。そして、今は男が料理しても何の問題が無いのに実際、男が料理が得意だとすると何故か引かれる。女の子はおしとやかでも、元気があっても良いし、料理ができても出来なくても、運動が得意でも勉強が得意でも良い。

 だけど、男の子は大人しかったり、裁縫が得意だったり、運動がそんなに得意じゃなかったり、あまつさえ読書をするときも何か批判される。それは男らしくないって。


 僕はそれに疲れていた。

 そしてその日は最悪な日だった。

 一時間目から体育だ。この時間が僕は一番きらいだった。

 その日は持久走の時間だった。男女関係なく一斉に走り出す。

 当然、運動が出来ない僕は一週目でスタミナが尽き果てていた。

 息を絶え絶え吐いて、脾臓の辺りが痛い。足も重くなって汗が目に入って視界が滲み始める。

 クラスの嘲笑が聞こえてくる。もう汗が涙かどうか分からなくなってきた。

 たまらず僕は地面にへたりこんでしまった。

 そうなるともう男子も女子も関係ない。みんなが僕のことを嗤っていた。

 もう、足が限界だった。手も痺れが来ている。

 はぁ、はぁ、と息をすると半分、結核になったんじゃないか、というほど肺が枯渇している感覚に陥る。

 だから、体育は嫌いなんだ。いつも僕は嗤いの的になってしまう。


 もう立ち上がれない。助けなんて言っても先生にどやされるだけ。もし、これが女子だったら保護されるけど男子は最後まで走り抜けとされる。女性の悪しき風習は改めようとしているけど男性の悪しき風習は改められないのが今の世の中だった。

「どうした!! 浩二!! もう駄目なのか!!」

 先生が僕を必死で励まそうとしている。余計なお世話だった。

 もう気絶しそうだった。

 その時、僕の目の前に手が差し伸べられた。

 僕はびっくりして顔を上げた。顔を上げるとそこには髪が長い可愛い女の子がいた。

「大丈夫?」

「……う、うん」

 僕は思わずその手をとった。

「男の子って大変だよね」

 その時、僕は何を思ったのだろう。嬉しかったのだろうか。頬から何か暖かいものが落ちてきた。

「みんな女の子は認識を改められているのに、男の子はいまだに強くなければいけない、とか泣いちゃだめ、とか文句を言うと女々しいとか、男の子への要求は止まらないから、本当に男の子は大変だよね」そういって女の子はニッコリと笑った。

 僕はそれを聞いて声を押し殺して泣いてしまった。

 初めてだったのだ。こういうことを言われたのは。男の子を配慮したようなことを言われたのは。


 その後、僕がないたのが異変だと思ったのか先生が僕を保健室に運び、今日の一日を保健室で過ごすことになった。保健室の先生は女の先生だ。色々聞かれたけど僕は泣いた理由が恥ずかしくて、というより言った所でなんなんだろう、と思って何も言わなかった。でも言わなくて良かったと思う。だってその先生は「男の子なんだから泣かないの」とか「男の子は強くなくっちゃね」と言ってきたので僕は自然と言ったら変な顔をされたり叱られたりするのだろうと思って言わなかった。

 やがて、放課後になって僕は下校の支度をした。

 あの女の子に速くお礼を言いたい。そんな思いで一杯だった。

 だからもしかしたらいるかと思って教室へ行く。扉は飽きっぱなしだった。ドアには僅かに細い窓があるのでそこから中が少し見える。


 いた。あの女の子だ。

 僕がお礼を言おうと足を踏み出したが「だから違うって!!」と女の子の叫び声で怯んでしまった。

 よく見ると女の子は男の子と喋っていた。背が高くて頭も良くてクラスで一番足が速い男子だった。

「だから違うって、あんな運動音痴、好きになるわけ無いじゃん」

 女の子は嗤いながら弁解していた。

「あんな落ちこぼれ、論外でしょ」

「でも、気をつけろよ、ああいうのが誤解してお前のことを好きになったりするんだから」

「え? マジで? キモ」

 僕はその場から音もなく立ち去った。

 一時間目の体育の時間、全ての時間が色を無くした。


 そのまま僕は家に帰った。

 家に帰ると、お父さんが迎えてくれた。

 お父さんは僕の様子が変だったことに気付いていた。

 だから僕は今日のことを話した。

 それを聞いてお父さんは一言「強くなりなさい、浩二」と言った。

「……うん」

 僕はそのままトボトボと二階に上がって自分の部屋に入っていった。

 階段は全身が鉛をつけられたように重かった。

 勉強なんて身につかなかった。


 ただ、そうか…そうか…と僕は机に向かってそんなことを呟いていた。

 僕は強くならなければいけないんだ。

 その為に生きるから楽しいことなんて考えなくて良いんだ。

 僕は社会の歯車だ。

 でも、悪いことかな、男の子らしくないことは、僕は自分の部屋にあるボロボロに破られた人形たちを見つめてそんなことを思った。

 そう思っていたらいつの間にか一日が終わり寝ていた。


 また朝が来る。

 お父さんとお母さんはまた喧嘩している今日も笑顔の練習だ。口角を手で無理矢理上げて、そこから笑顔を作る。

 うん、笑顔だ。大丈夫。僕は大丈夫。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大丈夫、まだ笑顔でいられる @ugounosyuu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ