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新作を投稿しました!!

新作を投稿しました!!!
 
良かったら是非!!

『時音の音』という名前です!!

2件のコメント



  • 応援コメントに書きこみました件について、
    こちらでもいいからもう少し具体的に、とのリクエストでしたので、お伺いしました。

    率直に言って、迷いました。
    この問題は、たぶん年単位でだんだんにわかってくるようなことだと思うのです。
    今ピンとこないならそれはそれで書き続けるのに何の問題もないし、
    なにか特別なトレーニングをしたら一日で解るようになる、というものでもないだろうし。

    でも、指摘を受けてそのままというのも収まりが悪いはずで、
    私自身、書き込んだ責任もありますので、何とかの上塗りを承知で書いてみます。
    実はコメントした本人、指摘内容の是非も含めて、かなり悩みつつ書いているということは、心に留め置きください。
    少しだけ、とのお言葉でしたが、たぶん最低限の説明だと「え、なんで?」と思われると思うので、この際まとまった形でご説明することにします。
    長くなります。


     先に訂正させていただきます。
     キャラの行動に関して疑問なところが色々と、と先に書きましたが、改めて作品を読み通すと、疑問箇所は一つでした。他はむしろ設定の問題です。

     当初疑問がついた箇所について、具体的に挙げますと、一つは刑事たちが「興味がとるにたらないものを見るかの様な目」で主人公を見るシーン、もう一つは審査員たちの言動です。前者について言うと、事件の真相に関わりそうな関係者の証言を、軒並みスルーするというような警官はそうはいません(いないとはいいませんが)。また、後者については、いかにもな芸術家気取りのセリフしか吐かない空っぽそうな審査員というものも、そうはいないでしょう。
     ただ、この種の類型化したキャラというのは、二時間サスペンスでも大河ドラマでも山のように出てきます。こういうパターン化した人が出てこないと話が進まないからです。この二つの場面では、要するに「結果として警官たちに話を聞いてもらえなかった」こと、「審査員の過半は主人公の演奏の表面しか理解しなかった」ことが描かれればいいのであって、そのためなら、ある程度カリカチュアのようなキャラ設定は必要悪とも言えます。
     ですが、こういうキャラを多用すると、作品のリアリティ度は明らかに目減りしていきます。「あ、そういう虚構がアリな作品ってわけね」と読み手が読書態度を修正するからです。それが作者の目指した作品イメージと一致すればいいのですが、そうでない場合は「リアリティ感覚がおかしい」と指摘されて、戸惑うことになります。
     それを避けるために、普通は露骨すぎるテンプレなキャラを避けたり、話の展開そのものを工夫したり、プロは結構細かい技を使います。件の刑事のシーンなら、「主人公の言動に一応刑事は注意を向けたが、対面を気にした親に止められて話が出来なかった」という展開にするとか、審査員の会話は一応マジメだけれども、みな自分の弟子ばかりが気になっていたとかの理由で、主人公の人生にまで気を遣ってやる余裕はなかった、みたいな設定を加えます。シリアス系の現代ドラマならここまでやるとリアリティ度はそれなりに上がりますが、まあコメディノリを狙ってならこの作品での審査員みたいなのはありでしょう。
     何にしろ、書き手がどれだけ自覚して設定してるか、というのが重要です。これ以上、この箇所には触れませんが、「このあたり、解ってやってるのかな」と読んでいて少し疑問に思ったことは事実です。

     で、ようやく本題ですが。
     私がもっともリアリティ度が気になったのは、凪君の自殺です。
     ストーリーの終盤では、「凪が自殺をしたのかしてないのかも分からない。でももう関係なかった。」という一種悟りの境地に主人公は達するのですが、セリフの上ではともかく、作者としてはどっちだったのか、はっきりさせておくべきです。改めて窺いますが、凪君は自殺なんでしょうか、そうでないのでしょうか?
     何をここまではっきりさせる必要があるのかと言うと、これは作品の根本に関わるからです。

     仮に凪君が自殺でないとします。すると、この話は「親友が急死した主人公が、コンクールで思い出の曲を弾いているうちに、自身の責任で親友が自殺したのではないかとの思いにとらわれ、絶望するが、演奏を通じて故人への友情と信頼を回復する物語」ということになります。話の中心は二人の友情で、音楽はその手段です。言い換えると、すべては主人公の気の迷いだった、というオチ。
     だけれども、現にズタズタの楽譜とかショッキングな物証もあるし、あれは一体何だったの? という疑問が読み手には残ります。しまいには、「主人公は結局逃避したのでは?」という身もふたもない解釈すら出る可能性があるわけで、ゆくゆくは再び主人公は責任感に囚われ、無限ループする、なんて予想まで浮かびます(ただ、今回のように明るい雰囲気になったところで、曖昧にしたまま逃げ切る、という書き方は一応ありです。書き手がそれと自覚した上で、色々と逃げの手を打つ必要がありますが)。

     次に、凪君が正真正銘自殺の場合。これだとこの話全体は「親友の急死の後にコンクールに出場した主人公が、演奏中に親友は自殺したとの思いに至り、自責の念に駆られ、演奏の目的すら見失うが、回想を通じて音楽を取り戻し、演奏家として一皮むける物語」。つまり、自殺したことは仕方ないけれど、音楽の中に関する限り、彼との対話はいつまでも自分の中に生き続ける、というのが終着点で、主役は音楽です。友情はその手段。
     一件きれいにまとまりそうですが、このパターンでは自殺する理由が分かりません。いろいろとほのめかされているようにも見えますが、すべてがあまりにも断片的で、重要キャラ一人死ぬ流れにはなっていないと思います。
     申し上げておきたいのですが、リアル系の小説やドラマで一人人間を殺すのは大変です。現実世界では、「よくわからない自殺」とか「説明不能な殺人」なんてのは結構ありますが、そういうテーマで書くのならまだしも、シリアスなストーリーで十分な状況描写も伏線もないまま、突然ぽろっと死ぬのはいけません。その後でいくら主人公が嘆いてもダメです。読み手はついて行けないだけです。あまりにあっけなくて受け入れられない、というのならアリですが、この作品はそういうストーリーとはちょっと違う感じがしますし。
     彼の自殺に説得力がないと、「でも音楽に関する限り、私達はかたくつながってた」という逆説が逆説にならないので、話が弱いという印象が残ります。リアリティが弱いのでは、という私のコメントは、つまりはそういうことです。

     あるいは、「ここまで考える必要があるのか」とうんざりしたかも知れませんが、ご安心ください。私も相当考え考えしながらここまで書いてます。
     いわば、以上の説明は、私が違和感を感じるところを、強引に説明しただけで、もしかしたらただのこじつけかも知れません。でも、違和感と言うか、なにか違うな、という感触は確かにあるのですよね。
     多分、「なんかまだよくわからんな」と言った感想ではないかと想像します。先輩風を吹かせた言い方で恐縮ですが、それ、みんな通る道です。私も、そういう見方が納得できるまで、何年かかったか思い出せません。実際はたぶんまだ解ってないと思います。それぐらい、作家にとっては大きくて広いテーマです。
     とてつもない長文で、とてつもなく恐縮ですが、以上、参考になましたら。今でなくても、いつか思い至るきっかけになっていただけましたら。


     あと、忘れてました。
     今こんなところでこれを書くのは、また失礼かなとも思うのですが。
     ショパンのエチュード作品10の3の冒頭の表記は、Lento ma non troppoです。こういうところでミスると、この先もずっと舐められるはずなんで、不興を承知であえてお知らせしておきます。
  • コメントありがとうございます!!

    当初はやっぱり、刑事さんの行動とか凪の死がアレかなと思いましたが予想は当たりました。
    そうですね、凪の死については凪の目線からみた描写を描いたら良かったのですが私の技術が足りなくそれができませんでした。申し訳ありません。

    凪の死についてですが、実は設定としては、凪は天才であるが故にピアノに対して自分と対等な存在がいないことに退屈を抱いていました。それと同時に父親のネグレクト。毎日毎日、ほぼ暴力をしながら凪のピアノの指導をしていました。凪のピアノは金になるという理由で。母親はそれを冷たい目でみていました。

    それでもまだ自分は愛されていると思っていましたが、ある日、母親がボソッと「女の子が生まれて欲しかったのに、男の子なんて……しかもあの人(父親)に似ている」というような言葉を発したことを聞きました。そこから全てが真っ白になり……
    という状況に陥りました。

    そういう理由があったんですが、私の技術が乏しく、それを描くことができませんでした。申し訳ありません。
    しかし、こんなにコメントを頂いて私は嬉しい限りです!!

    ありがとうございました!!
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