第9話 狩場の弱者





ストン、と何かが落ちる感覚。

その瞬間、意識が明確に覚める。


「っ……どこだ、ここ……」


暗いの夜道に目を凝らす。

周りを見れば知らない街並みだ。

来たことは恐らく無いし、特に目立つ建物もない住宅街。

在り来りな街並みのはずなのだが、けれど、どこか不穏な空気が流れている気がする。


それは例えば音か。

街並みとは思えないほど静かすぎる。

車は勿論、他の生物だってここには存在してないみたいだ。


スマホを取り出し時間を確認する。

時刻は1時。

なぜこんな深夜に出歩いていたのか、それを考える前にとりあえずマップアプリからここが何処なのかを調べる。


「ほんと、なんでこんなとこに居るんだ俺は」


見れば場所は隣町の住宅街。

平地に区分けされた住宅密集地で、南に15分降りれば駅に出られるような立地だ。

駅を挟んだ南側には以前悠花との集合場所にしていた噴水公園がある。


自分が立つ場所とマップアプリが合っているのか、ぐるりと辺りを見渡してようやく異変に気づいた。


「どこも暗すぎだろ」


確かに深夜の1時ではあるが、普段であれば明かりのついた家だって幾つかあるはずなのに。

それらは冷たく、まるで廃墟の隊列のようだ。


「確か……修練場に行って……いや、行かなかったのか? くそっ!頭が回んねぇ」


ガシガシと頭をかく。

記憶があやふやだ。ここまでの道のりを断片的にしか記録できていない。


確か旧校舎から帰らされた後、帰宅中に何か大事な要件があったのを思い出してこの街に来たはずだ。

でもそれが見つからないから、歩いて歩いて歩いて歩いて……歩いてどうしたんだっけか。


目的が形を持たない。行動が明確にならない。

まるで夢中の霧のよう。

これじゃあ夢遊病だ、マトモな人間じゃない。


「くっそ、どうなってんだよ……はぁ……とりあえず駅に行くか。もう終電は終わってるだろうけど」


ここに居ても何も始まらない。

とりあえず帰ろうと駅を目指して────


カツン、という金属音に後方を向く。


暗すぎて先が見えない。

時折壊れかけの街灯が息を吹き返すが、それでも先の闇には届かない。

それにしても暗すぎる。

見上げれば月光が雲で隠れていた。


仕方ない、とライト代わりのスマホを取り出すが。

先を照らそうとしても、体が言う事を聞かない。

生物としての本能がその闇を明かしてはいけないと叫んでいる。


本能は既に分かっていた。もう相手の狩場にいると察していた。

けれど俺は鈍感で。既に手遅れだなんて分かっていても認めたくなくて。

理性が本能に覆る中。


臆病者の代わりに、月がその姿を顕した。

月光は緩やかに、そして残酷に。

希望のない暗闇を明かしていく。


「────────犬?」


音がした方向。

その先にいたのはドーベルマンと呼ばれる種類の犬だ。海外の富裕層が番犬として飼っていそうなイメージ、それ故に高級感さえ感じさせる風貌の犬が────いや、いやいやいやいや!


カラカラの喉で息を飲む。

圧倒的なまでの死の予感が背筋を撫でている。


一目見たイメージは、認識していくうちに剥がれていく。

確かにそれはドーベルマンの見た目だろう。

しかしそれは表面上でしかない。

獅子と並ぶ体躯、鋭利すぎる牙、ナイフを思わせる大爪。そして白く濁った眼。


怪物にペタリとドーベルマンを貼り付けたような風貌。

生きるために狩りをする生物ではなく、殺すために狩りをする殺戮機巧。

それぐらい奴の存在は冷たく無機質であった。


凶獣は動きを止め、獲物を見ている。

いや、その目には何も映っていない。

それは獲物を見ているのではなく、何かを待っているようだ。

まるで停止した機械のように。


「──────っ」


あまりの恐怖に息を忘れる。

思考にあるのはいつかの夢。

俺は前にも野生の狩場に足を踏み入れた人間を見た事がある。

武器も何も持たない人間は、野生のルールに則って強者に蹂躙される。


これじゃあまるで。

まるで、あの悪夢にでてきた凶獣にそっくりでは無いか。


「◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️ッッーーー!!」


身の毛もよだつ始まりの咆哮。

カツンッ、と一際大きな金属音───つまり駆け出した合図。

獲物への欲望を抑えきれず、獣はとうとう狩りを始めた。

いや、狩りとは最早言えない。

実際目の前の獲物である俺は逃げることすら出来ず、ただ奴が来るのを待っている。

それはただの食事だ。皿に並べられた俺を奴は口に運ぶだけ。


「はっ────は、はあっ、はあっ」


ようやく心臓に意識が戻る。

鼓動が痛い、あまりの酸素不足に肺が暴れ回っている。

それでも自分の体など気にしている暇なんてない。


駆け出した奴との距離はもう無い。

1秒の後、奴は飛び掛ってきて、その大爪を俺は腹で受け止める。

理由は不明、ただあの夢で見たという馬鹿馬鹿しい根拠。

でも、今はそれにさえ縋るしかない────!


「う、うわああッ!」


恐怖と気合いが混ざった声と共に身をよじる。

同時、飛び掛ってきた奴の大爪はさっきまで俺が立っていた所へ振り下ろされた。

ガリッと嫌な音は地を削ったのか、意識の動転を必死に抑え状況を確認して、


「いっつ」


じわり、と燃える熱が腹から感じる。

背筋の凍る予感は現実を侵食し、嫌だと何度止めても視線は自身の腹へと向けられて。


「あ、ああっ……」


鮮血が服を染めていく。

恐怖で固まった体じゃ避けきれなかった。

ほんの少しの切っ先が腹を割いて真っ赤な花を咲かしている。


熱い痛みで体をくの字に曲げる。

余りの激痛で思考を止めてしまう。

それは余りに愚行だ。弱者が強者に勝つためには、それを上回る武器か思索は絶対的に必要だ。


だから、それを辞めた以上、弱者に勝ち筋など存在しない。

案の定、次に気づいた時には獣が大口を開けて俺の足に噛み付こうとしていた。


濁ったヨダレを垂らすそれは大きな大きなシュレッダーだ。

噛み付かれたが最後、一瞬にして骨を砕き獲物から足を奪って行動不能にさせる。


「───────は」


口からは諦めの声。

そう、結局はあの夢とおなじ。

だってあれは俺の末路、つまり運命が導いた裁定ルールだ。その存在すら知らなかった俺がこの先を変えることなんて土台無理な話だった。


遅くなる世界の中で、獣は右足に牙を入れて──────途端、バチンッッと破裂する閃光。


「キュァッッッッ!!?」


狂獣は一瞬にして吹っ飛ぶ。

硝煙に巻かれたそれは悲鳴を上げながら遥か後方へ。

続く防雷符スパークに感電し、緑の閃光が獣に走った。


「──────は……?」


蘇る呼吸をしながら吹き飛んだ獣を見る。

緑の電光を纏いながらピクンピクンと痙攣する強者。

激しく上下する胸は次第に緩やかになり、そしてそれは息を止めた。


「何が……一体……」


硝煙の香りと焦げ付く右足。

痛みはないが不快に感じる匂いに、ようやく理解不能な現実が認識に追いつく。


しかしそれは生き残った実感だけだ。

例えば、なぜ雷属性の魔術が発動したのか、とか、なぜここに化け物がいるのかなど思いついてさえいない。


今日この日、あの獣に蹂躙されるはずだった俺は何故か生き残ってしまった。

知らないうちに死の運命は変わっていたようだ。

思い返せば全ては初めの決断だ。結局避けきれなかった未熟な回避ではあったが、あの行動で以前の悪夢から違う世界になっている。


俺は絶対の死から逃げ切ったのだ。


────────でも、だからこそ。

そこから先は夢にはなかった現実アドリブ


「「「◼️◼️◼️◼️◼️◼️────ッッッ!!!!」」」


感電している肉塊の先から三体の同族が吼える。

彼らに仲間意識があるのか不明だが、腐乱臭を撒き散らしながらこちらに駆け出してきている。


「っくそ、くそっ!なんで……なんでこんな事に!?」


狼狽する心中とは裏腹に、頭の中は酷く冴えている。

誰かから渡されたお守りのお陰だ。

強者を覆すだけに留まらず、使用者の精神安定にも効果を発揮していた。


しかしそれも1度限り。


もはや紙切れになったそれに願った所で意味は無い。

ここから先は白藤 透の底力で運命が切り替わる。


駆け出す足。痛む脇腹。

駆け出して間もないのに絶え絶えな息。

けれど俺は足を止めない。


片道切符は既に切られている。

後悔するには遅すぎだ。

夜の狩りはもう既に始まっているのだから。

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魔眼の少年と魔銃使い きまま 夢空 @kimama_yumezora

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