第21話 運命の予感

「あれあれ? どうしたの、勇者さん。相手は、こぉーんな小さい子供だよー。この子を捻り潰す語彙カードを出すのなんて、簡単じゃないかな?」


 VR空間に顕現けんげんした幼稚園児を手で示して、雪風ミレイがくすくすと笑う。彼女に上目遣いの視線を向けられた勇者コスプレのプレイヤーは、残った手札を握り締めて何やら苦渋の表情をしていたが、ややあって、ああっと叫びながら一枚のカードを前方に放り投げた。


「……俺の語彙は『強い方の女騎士』! ……そんな子供一人、ま、真っ二つだ!」


 彼が震える声で言い放った詠唱に反応して、鋭い片手剣レイピアを持ったブロンドの女騎士がコロシアムに現れ、園児に向かってぶおんと剣を振り上げる。

 幼い少年リトルボーイの主であるミレイが、きゃあっとわざとらしい声を上げて顔を両手で覆った。


「やだやだ、そんなのミレイ見れないっ。かわいそうっ」


 自分はあれだけ核の雨を降らせておいて、どの口でそんなことを――。

 彼女の態度に呆れながらも、言悟も思わず目の前の光景から目を背けた。ざしゅっと嫌な音に続いて、VR空間に血の飛び散る雰囲気。


「こわぁい。語彙大富豪ってほんとに残酷なゲームだねっ。くすくす。でもぉー、せっかくそこまで心を鬼にしてくれたのにー、あははっ。勇者さん、まだ手札二枚も残ってる。パスなんかしちゃうから。もったいないなぁー」


 ミレイは彼の前でぴょこぴょことポニーテールを揺らし、小悪魔の笑みを見せていた。


「今度対戦するときはぁー、ミレイちゃんの核祭りに耐えきる語彙を積んできてねっ」

「く……!」


 勇者の悔しそうな表情が、言悟の意識にもぞくりと影を落とす。

 まだあのプレイヤーの負けが本当に確定したわけではないが、しかし、ひとたび差の開いてしまった手札のアドバンテージを今さら取り戻すことは、きっと彼には無理だろう。それこそ、先日の東京都予選の決勝であの白馬が見せたような、研ぎ澄まされたプレイングスキルが無い限りは……。

 と、そこで、次のターンプレイヤーであるモヒカンが、しびれを切らしたように叫んだ。


「ヒャハハ、雪風ミレイよぉ! 俺様の語彙を見てもそんな風に笑ってられるんだろうなァ!?」

「えー? わたしはいつでも全力スマイルだよっ。じゃあじゃあ、あなたの新しい語彙、早く見せてっ」


 ワンピースの裾を広げてくるりとターンしたミレイが、モヒカンにもお決まりの上目遣いを向ける。その黒い瞳が語っているように見えた。あなた程度のプレイヤーのことなんて全てお見通しだよ――と。


「ヒャッハァァ、見やがれぇ! 俺様の語彙は『服を溶かすスライム』! 女騎士には10-0ってやつよぉ!」


 モヒカンの乱暴に投げ入れたカードが巨大化して光を放ち、粘性のスライムが女騎士の全身にまとわりついていた。


『くっ……殺せっ!』


 あまりに定番すぎる台詞を吐き、バーチャルの女騎士がボディアーマーを溶かされる屈辱に身悶える。


「ヒャッハハァ! 純情可憐なアイドルちゃんにはよぉ、刺激の強すぎる光景だよなァ!?」


 モヒカンはピアスの付いた舌をこれ見よがしに見せつけて笑い、ミレイを挑発していたが――


「えーっ、すごいすごい! よくそんなピンポイントなカード持ってたね! あははっ、ミレイちゃん平気だよー、子供じゃないもん。……あ、モヒカンさん、わたしがきゃあって恥ずかしがるの期待してた? くすくす、そんなにミレイに意地悪したいんだー。悪い人だなー」


 ひらひらと舞う蝶のように言葉を弾ませるバーチャルアイドルは、モヒカン野郎の何枚も上手うわてだった。


「えっと、なんだっけ? あ、スライムが女騎士の服を溶かしちゃったんだ。じゃあはい、場には『服を溶かすスライム』。言悟君っ、次の一枚でわたしの反撃を封じちゃえばー、わたしに勝てるかもしれないねっ」


 残り一枚の手札を指先でもてあそびながら、ミレイは言悟に瞳を向けてきた。

 言悟に残された手札は二枚。今から出す一枚でスライムを焼き払い、返しのターンでミレイの語彙カードをバウンスさせることができれば、確かに勝利に近付くことになる。

 ……だが、果たして自分に彼女の手を封じることができるだろうか。これほどの力を持つ彼女を、自分の語彙で……。


「あれあれ、どうしたの? 黒崎言悟君っ。ダメだよー、戦う前から怖気づいちゃうのはっ。悩んでたってカード出さなきゃいけないのは一緒なんだからー、ほら、どーんとやってみよー!」


 両手を広げて挑発してくるミレイに、言悟はチッと小さく舌打ちする。

 どこまでも舐めたヤツだ。だが、自分にだって、初代語彙大富豪と呼ばれた父・黒崎言四郎から受け継いだ語彙が……!


「……オレの語彙カードは『正義』! 正義のヒーローはスライムなんか一掃して、核攻撃にだって――」

「くすくす。言悟君、ほんっとにそういう語彙好きだよねっ」


 ぞくっとこちらを射竦いすくめるようなミレイの眼力に、言悟は言葉を返せない。


「そういうの、ワンパターンって……あっ、わたしが言える立場じゃなかったねっ」


 くすりと笑って、ミレイは最後の一枚をぽんっと投げ入れた。


「はぁーい、ミレイちゃんの最後の一枚は『核界かくかいの不祥事』でしたっ。勇気を出しての告発をしたお相撲さんがどうなっちゃったか知ってるよね? 平成の大横綱とまで言われたのにー、えーん、最後は核ミサイルでどっかーん!」


 まるで意味がわからないが、不思議と彼女の詠唱に抗うことができない。呆然と立ち尽くす言悟の前で、バーチャルアイドルがくるりと回ってVサインを突き出す。


『WINNER――雪風ミレイ!』


 盛大なアナウンスがコロシアムに響き渡り、観客達の拍手喝采が溢れ返った。

 勇者の男性は意気消沈した様子でVR空間から消え、モヒカンも悔しそうに悪態をつきながら背中を見せて去ってゆく。


「くすくす。楽しませてくれてありがとっ。そうだねー、言悟君はー、わたしが今までやった中で五十二番目くらいに強かったかなー」


(クソッ……!)


 悔しいが、完敗を認めるしかなかった。父より強いという彼女の自称はどうしても信じたくなかったが、それでも、少なくとも自分が彼女に敵わなかったのは事実だ。


「知ってる? 敗北が人を強くするんだよ、言悟君。今度会うときまでには、もっと強くなっててねっ」


 ぎりっ、と言悟がアバターを通じて奥歯を噛んだ、そのとき。


「ボクがリベンジを請け負おうか、言悟君」


 聞き覚えのある甘い男の声が、言悟のアバターの背後から響いた。


「! あんたは――」


 言悟が振り向いた先で見たもの。それは、純白の毛並みも鮮やかな駿馬しゅんめに跨り、白を基調としたきらびやかな装束を纏った、の姿だった。


「白馬っ!?」

「おや? よくアバターだけでボクだとわかったね」

「いや、わかるだろ!」


 語彙大富豪界隈でこんな格好をしている者が二人もいるはずがない。先日の東京都予選の優勝者にして、「語彙大富豪の王子プリンス」の異名を自ら名乗る、あのイケメン野郎の白馬だ。

 白馬はフッと笑って、ひらりと格好つけた動作で馬から飛び降り、ミレイの前に立った。


「姫。今度はこのボクと腕試しはいかがかな?」


 白い歯をきらりと見せて笑う彼だったが、しかし、ミレイは自分の唇に手を当てて「んー」と唸るばかり。


「だってー、白馬さんとは、年明けすぐに全国大会で会うでしょー? くすくす。腕試しはその時でいいよ」

「……ほう」


 誘いをつれなく断られながらも、白馬は少しも動じることなく不敵に口元をつり上げる。


「ということは……やはり、と、は同一人物ってことなのかい」


 ぎらりと彼女を見据えて言った白馬の言葉に、えっ、と言悟は目を見開いた。

 雪風ミレイのアバターが、にこりと微笑む。


「ミレイはいつでも一人だけだよ。昔も今もずっとね」


 そして、くるりときびすを返し、ミレイはうーんと伸びをして言った。


「今日はたくさん戦って疲れちゃった。皆さん、ミレイをいっぱい楽しませてくれてありがとっ。観に来てくれた観客のみんなも、ありがとねーっ!」


 スタジアムの全周を見回しながら笑顔で手を振る、その華奢な姿が、言悟の目には得体の知れない魔物に見えた。


「すごかったぞー、ミレイー!」

「ミレイちゃーん!」


 観客が口々に彼女の名を呼ぶ中、彼女はワンピースの裾をつまんで小さくお辞儀をすると、


「またねっ」


 ばしゅんと音を立てて、虹色の光に溶けて消えてしまった。


「……やれやれ。全国大会で戦う前に少しは彼女の正体を知っておきたかったんだが、見事に振られてしまったよ」


 王子の装束を纏った白馬が、わかりやすく肩をすくめて言う。


「彼女には気をつけなよ、言悟君。わかってると思うけど、あの子はただのVRアイドルじゃない」


 ふいに真剣な目になった彼の言葉に、言悟は、ごくりと息を呑んだ。

 

「初代語彙大富豪さえも手こずらせた彼女の実力は底が知れない。それに……現実世界の雪風ミレイがアイドルになったのは、僅か二年ばかり前のことだが……」


 言悟は白馬の言葉から意識を放せなかった。

 ……おかしいとは思っていたのだ。父が死んだのは七年も前。バーチャルのミレイの中身が現実のアイドルのミレイだというなら、明らかに計算が合わない。


「『核使いのミレイ』はそのずっと前から存在していた。語彙大富豪というゲームの黎明の瞬間からね」


 ぞわり、と背筋が凍りつくような感覚。

 白馬が「また会おう」と言ってVR空間から姿を消し、言悟自身も現実に帰還してからも、その不気味な感覚はずっと言悟の意識を金縛りにしたままだった。



「……ちょっと、言悟。アンタ、最後に白馬と何話してたのよ」


 臙脂えんじのコートのコトハがくいくいと学ランの袖を引いて問い詰めてくる。乗り物酔いのような気持ち悪さを僅かに感じながら、少しぶりに生身の足で地面を踏み締め、言悟は彼女と並んでアミューズメント施設の門を出た。

 本来の目的だった特訓は何も出来ていないが、とにかく外の空気を吸いたかったのだ。


「……何か、このままじゃ終わらねー気がする」

「? 何よそれ」

「あのミレイってヤツとは、多分また戦うことになる……」


 そんな不穏な予感を心に抱えたまま、言悟は冬の冷たい空気を生身の胸一杯に吸い込んだ。


(次章「語彙大富豪の王国ボキャブリスト・キングダム編」へ続く)

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語彙大富豪への道 板野かも @itano_or_banno

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