写真



「撮ってください。お願いします」

「わ、ありがとう」

 日向さんの言葉を遮るように香南が続ける。

「ただ。私だけじゃなくって、結妃と一緒のと、結妃だけのも、撮ってもらいたいんです。それと、撮った写真、プリントしてもらいたいんですが」

「もちろんだよ。せっかくだもの、二人一緒のも撮って、記念撮影ってことで贈らせてもらうよ」

「あと、結妃」

 香南がくるりと私に顔を向けた。

「いつもと同じように結妃も撮ってよ?」

「何。結妃ちゃん、写真なんて撮ってるの?」

「ああ、撮ってるって言っても私のは彼女のヘアアレンジの記録みたいなものです。それもスマホでですよ? カメラ持ってないですもん私」

 およそプロに見せられるような写真じゃない。慌てて言い訳がましく口にした。

「そりゃふつうそうでしょ。カメラ好きか仕事ででもなければ、スマホで十分。ほんと今のスマホって凄いからねえ」

 知ってる? 今は、プロって言ったって、スマホでばかり撮ってるひとだっているくらいなんだよ? 日向さんは軽口を叩きながら早速カメラを用意している。撮るとなったら被写体に迷う間も与えない。

「そこに立ってくれる?」

 カメラを構えながら日向さんが香南に指で立ち位置を示す。不慣れな香南が戸惑っているのを見て、

「あ、じゃあ、私から撮りますか?」

 香南に助け船を出したつもりだった。それなのに、

「悪いけど、結妃ちゃんは後」

 その口調が、ただのお遊びではないと告げていた。

 なんで? と思わず口から出かかった。だってたしかに香南は可愛いけれど、でもそれはすずらんのような可愛さであって、モデルのそれとは別物だ。香南の描いた絵を見て、香南に興味を持った訳でもない。それなのに何を思って日向さんは初対面の香南を撮ろうとしているのだろう。初対面にも関わらず、何でこんなに香南にこだわっているのだろう。理由が分からない分、妙に気持ちがざわざわする。


 香南は困ったように私を見てから、困惑を隠そうともしないまま日向さんが示した位置に立った。

「そうそう。そこでいいよ。それで僕の方を見て」

 いつの間にか日向さんの顔から笑顔が消えていた。こういう時はふつう、カメラマンも含めて周囲は笑顔を作る。被写体を緊張させず、自然な笑顔を引き出すためだ。そうでなくても日向さんにはいつも笑顔の印象しかない。

 それなのに、香南はただの女子大生なのに、日向さんは撮られ慣れた手強い相手と対峙するかのように、ひどく厳しい顔つきに変わっていた。対する香南も、いつもの慎ましやかな香南ではなく、何か、そう、まるで怒ってでもいるみたいに、腹を空かせた獣みたいに、ぎりぎりと歯ぎしりが聞こえてきそうな顔をしていた。


「それでね、今、あなたが一番欲しいもののことを思ってみてよ」

 何でもいいんだ。例えばお金でもいいし、恋人でもいい。服でも化粧品でも、とにかく今、思いついたものを。ああ、別に何を思いついたか言う必要はないよ? 心の中で思い浮かべてくれればそれで十分。

 日向さんはそう言うと、構えていたカメラを胸のあたりに下ろした。そうして香南の顔をファインダー越しではなく、自分の目でじっと見つめている。穴が開きそうなくらい、じっと。

 香南も日向さんのことを見返していた。瞬きひとつせず、真っ直ぐに。

 ふたりの眼差しに私は息が詰まりそうだった。それでも目を離せない。離したら最後、大事な何かを取りこぼしかねない。そんな気がした。

 ──カシャッ

 シャッター音が耳元を走り抜ける。一瞬の火花。

「……ありがとう。じゃ、ふたりを撮る前に、結妃ちゃん、先に彼女のこと撮って」

 聞き慣れた日向さんの声。口調が柔らかい。空気が緩んだ気がする。

「あ、はい」

 慌ててポケットのスマホを取り出すと、香南の正面に回った。


 そこには見知らぬ顔をした香南が立っていた。驚きのあまり私は危うくスマホを落としそうになる。

「香南?」

 声が上ずる。

「香南、撮るけど、いい?」

 スマホを構える手が震える。返事はない。

「香南? ねぇ、香南? 香南ってば」

 バカみたいに何度も名前を呼ぶけれど、呼んでも呼んでも香南が遠い。

「香南、」

 我慢しきれなくなって、とうとう手を伸ばした。触れる、指先。

「結妃、」

 ようやく香南の口から言葉が零れた。その顔がわずかにほころび、指が私の指の付け根まで差し込まれ、絡み合う。

「撮って」

 唐突に急かされた。慌ててボタンを押す。1枚、2枚。ボタンを押した分だけ香南が近づいてくる気がした。いや、違う。近づく、ではなく、戻ってくる、だ。

 ちゃんと私の下に戻ってきてほしくて、何度も何度もボタンを押した。押しているうちに何故か笑いがこみ上げてきた。ふふふ。笑いながら、香南の横に回ってボタンを押す。押して押して押して、気付いたら香南も笑っていた。ふふふ。ふふふ。横顔が笑っている。ふふふ。編み込んだ髪から零れた髪が一筋、頬を伝う。ボタンを押す手を止め、頬に手を伸ばす。生え際に乱暴に指を這わせたところで、

 ──カシャッ

 ──カシャッ

 続けざまのシャッター音。

「撮れたよ」

 日向さんの声が柔らかく響いたところで、私たちは顔を見合わせた。

 いつもの香南がそこにいた。




「そう言えば、名前、聞いてなかったね」

 別れ際、日向さんが思い出したように香南に向かって尋ねた。

「青木香南、です」

「あおき、かな、ね。分かった」

 日向さんは頷くと、

「香南ちゃん。今日は突然だったのに付き合ってくれてありがとう。写真できたら渡すから、連絡先書いてくれる?」

 そう言ってもう一枚、名刺を差し出した。

「これの裏でいいからさ」

「分かりました」

 ペンをカバンの中から取り出すと、香南はさらさらと書き込んだ。

「ありがとう」

 書かれた文字もろくに見ないまま、日向さんは名刺をカメラバッグの横ポケットに手早くしまう。

「今日はこのあとまだ別の仕事があるから、また今度ゆっくり」

 どこまで本当か分からない、いかにもな言葉を口にすると、笑顔を残して日向さんは立ち去った。














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