カフェ


 華奢な手にわずかに力が込められた。「ねぇ?」って言いながら、香南が私が握った手から離れようとしてる。

「ん?」

 立ち止まらずに顔だけ向けると、困ったような半べそかいてるような顔で

「どこ行くの?」

 って聞いてきた。

「決めてない。あんなのただのはったり」

 だから香南が行きたい所あるんだったら、この際だから行こう? このあともう何もなかったよね? たしか。

 そう言ったら、「そうだけど」って、もっと困った顔をして立ち止まった。

「香南が困るんならやめとくけど」

 顔を覗き込むと、んんん、と顔を横に振る。

「困らない。困るのは結妃なんじゃないの?」

「なんで? あ、もしかして心配してくれてるとか?」

「……だって。あのひとたち、仕事とかで付き合いあるんでしょ?」

「ないよ。あるわけないじゃん。聞いてて分かんなかった?」

「ごめん。私、そういうの、ほんとうとくって」

 香南が水切れした花みたいにしおしおと下を向く。水やりするみたいに慌てて言葉をつなぐ。

「気にしないでってば。あの子たちのは『仕事』って言っても読モ。サークル活動とたいして変わんないようなやつ。だから 私の仕事とは全然関係ないし、一緒になることなんてないの。

 それよりほら、この前、言ってた美術館。リニューアルして開いたばっかりって香南が見せてくれたあれ。今からでも予約取れるなら取って行こうよ。平日だし、取れるんじゃない? 取れなかったら、そうだな。一緒に仕事したばかりの美容師さん、時間がある時にでも顔出して、って言われてたから、覗きに行かない? そこで編み込みとか何かまた面白いの教えてもらえるかもしれない。ね?」

 話しながら香南の髪を指先にくるくると巻いて、解いて、もてあそぶ。されるがまま小首を傾げる香南を見ていたら、他のひとに目の前でこんな風に香南の髪、触られたらイヤだな、って急に思い浮かんだ。香南連れてくの、やっぱり無し。やめとこう。

 そう思ったのが伝わったみたいに、香南も

「知らない美容師さんの所は、ちょっと……」

 って目を伏せた。良かった。行きたいって言われなくて。

「じゃ、調べて? 美術館の予約」

 そう言って、香南の手をしっかりと握り直して、いつものカフェに向かう。香南の手はもうさっきみたいに私から離れようとはしていない。指と指とが柔らかく絡みあっている。それだけで嬉しくなって、それこそ結んだ手を振りながら歩きたいくらいだ。


 ふだんはどこに座ったって構わないけど、香南と一緒の時はなるべく目立たない席を選ぶ。誰かに声かけられたり、じろじろ見られたりして邪魔されたくなんてないから。階段横の奥のソファ席が空いていたのは、だからラッキーだった。

 座ると同時にコーヒーを頼んだ。香南は早速、美術館の予約状況を調べている。

「あ、空いてる。一番最後の時間だけ、二人分、空いてる」

 香南が声を上げた。

 ああ、やっぱり。あの場からさっさと離れて正解だった。

 香南の指が凄い早さで動き続けている。

「取れた!」

 嬉しげな声と一緒に、ぱっ、と笑顔が開いた。さっきまでの顔とは大違いだ。

「ね。言った通りでしょ」

「うん。ありがと、結妃」

「で、何時にここを出ればいい?」

「あ、そっか。ここからの行き方も見ないと」

 グラスの水に一口だけ口をつけて、香南の指がまたすぐに検索に戻る。

「割と近いみたい。ほら」

 差し出されたスマホを見ると、時間にはかなりの余裕があった。

「これなら慌てなくて大丈夫だね?」

「うん」

 にっこりと頷く香南と私の前に、コーヒーが置かれる。ふわりと立ち上がる湯気と香り。

 店員が離れるのを待ってから、

「だったらほら。早くこっち座って」

 ぽんぽん、とソファの横を軽く叩いて促した。

「髪、編むよ?」



 今日の編み込みも上手く出来た。だから「可愛い。似合ってるよ」って真剣に言ってるのに、香南は「ほんとに?」なんて軽く聞き流してる。

「ほんとにほんと。ウソだと思うならトイレ行って大きな鏡でちゃんと見ておいでよ」

「ん。どっちにしろお店出る前に行っておいたほうがいいもんね」

 ちょっと待っててね。そう言い残して香南が慌ただしく席を立つ。

 わざとほんの少し残した後れ毛がいい感じにうなじに絡んでて、後ろ姿も可愛い。我ながら見惚れるような仕上がりに、急いでスマホで写真を撮った。あとで前からと横からのも撮らなくちゃ、と思いながら。



 ふたりで美術館に行っても、中ではいつも別行動。お互い好きに見て回った後、落ち合うのはミュージアムショップで。

 今まで何度、香南と一緒に美術館に行っただろう。高校からだから、かなりの数になるはずだ。

 香南とは高校の美術部で出会った。それ以来の付き合いだ。当初から私たちの希望進路は美大一択。家から通える大学って条件では選択肢なんていくつもなくて、受験したのは全て同じ大学だった。進学先も同じここに決まった時は込み上げる笑いを堪えるのに必死だったけど、そんなこと香南はきっと知らない。

 その時の香南は、にこっと笑って「また四年間、一緒だね」、そう言った。私はその言葉をいい意味にしか受け取らなかった。仮に少しでも悪い意味が含まれていたところで、だからと言って香南と離れるだなんて考えは私の頭の中にこれっぽっちもなかった。

 だってあの時からずっと、私は香南に絡め取られたままだ。















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