第7話 モカとアル中女⑤
まもなく日付が変わる。
それまでに、すべての片を付けたかった。
彼女の酔いが醒めるのが先か。
夜が明けるのが先か。
「はぁー、なんか久々に楽しく呑めてるかも」
ナツミが大きく伸びをする。
そのナツミに問いかける。
「ナツミさんは、どうしてお酒がお好きになったのですか?」
「んー、何でだろうね。大学の頃の付き合いとかで呑むようになって。そこからかな」
「お酒ジャンキーですね」
「タバコとかよりマシでしょ」
「アル中も相当ですよ」
「アタシはまだアル中じゃないよ」
「自覚がないのが1番怖いですね」
「えー、ひどいよモカくん。ひどモカだね」
「ナツミさん、マメ先に毒されてますよ」
「ちょっと!人をウイルスみたいに言わないでくれる?不謹慎だよ!」
会話に割り込み、マメ先が口を尖らせる。
そのマメ先に冷たく言い放つ。
「マメ先は存在が不謹慎だから仕方ないです」
「いやどーいう意味なのソレ!?てかマメ先呼び定着させようとしてない?」
「客に水ぶっかける人が不謹慎じゃないわけないでしょ。あと、マメ先呼びはもう定着してま」
言い終わらない内に、マメ先が顔の前で人差し指を立てて、小声でまくしたてる。
「しー!内緒内緒!モカくん!キミ、バカなわけ?」
ナツミに水をぶっかけたことは内緒にして欲しいらしい。なら最初から掛けるなよ。
「人間少しバカなくらいが人生楽しいもんですよ」
「キミのは少しじゃないから」
マメ先とくだらないやり取りをした後、ナツミの方に向き直る。
「ナツミさんも、そう思いません?」
「え、何が?」
「人間少しくらいバカな方が楽しいって話ですよ」
「あー、なるほど」
空になったコーヒーカップの縁をスプーンでなぞりながら、ナツミは穏やかに答える。何か考え事でもしていたのか、少しぼんやりとした様子が見受けられる。
「それは、確かに....思うかも」
ボソリと呟くようにナツミが言う。
「楽しそうなフリをするよりも、素でバカやった方が楽しいですよ。それこそ、お酒の力なんて借りなくても」
「確かに、それが出来たら.....て、モカくんはただ、呑めないだけでしょ!」
「あ、バレました?」
モカは小さく口元に笑みを作った。
それを見て、ナツミも小さく笑う。
ナツミも心の中で何か思うところがあるのだろうか。それとも酔いが覚めてきているのか。
表情がどことなく穏やかだ。
「モカくんはさ、優しいよね」
「僕はいつでも優しいですよ。ナツミさんが目の前で笑ってくれる限りは」
「モカくん、それ素で言ってる?」
「もちろん。ま、モテたいですからね」
「それ言っちゃうんだ。なんかパワーが違うよね、アタシとは」
どことなく発言が弱気だ。
「出会ってすぐに店員にキスした人が何言ってんですか」
「それはお酒の力があったからだよ。お酒が無いとバカやれないんだよね、アタシは」
やはり酔いが醒めてきているように見える。
ナツミの素の状態が、少しずつ見れているような気がした。
「無くても大丈夫ですよ、ナツミさんなら」
「無理だよ」
「無理じゃないですよ、だって.....」
伝えるのなら、今しかない。
そして、今なら伝わる気がした。
「その為に、僕たちがいますから」
ナツミに笑いかける。
その笑顔は、嘘ではない。
今の気持ちが自分の本音だから。
本当の想いは、必ず届く。
アルコールが無かろうと、本気でバカやれる仲間がいれば、きっと、そんなバカな奴らと人生を生きることができる。
そう、伝えたかった。
それが、このカフェでコーヒーを淹れる以外に出来る、自分のすべてだから。
お客からしたら、いらないお世話だろう。
でも、その"いらない"ものに、自分の人生は詰まっていて、それはナツミも同じなのではないかと思った。
だから伝えた。
ナツミはもう笑いはしなかった。
ただ、何も言わず、モカの言葉に頷くのだった。
午前0時の鐘が鳴る。
「あちゃ〜、閉店だねー」
のんびりとした口調でマメ先が呟く。
そして、ナツミの前に歩いていくと、頭を下げて右手を差し出した。
「申し訳ありません、お客様。お会計お願いします」
「切り替え早くないですか?」
現金なマメ先にはいつも呆れさせられる。
「モカくん、経営者は時に心を鬼にする必要があるんだよ。お客様、このわたくしめにご慈悲を!」
「あの、恥ずかしいんで、辞めてもらって良いですか?客に媚びる店長とか店員として見てられないんで」
割と本気でそう思った。
「ま、時間なら仕方ないか」
ナツミが席から立ち上がる。
酔いが少しは醒めたのだろうか。
来た時よりもナツミの足取りはしっかりしているようだ。
ナツミとレジで向かい合う。
「おいくらですか?」
「珈琲一杯で400円ですね」
「あれ?」
ナツミが驚いたような声を出す。
「どーされました?」
「いらないボケの値段は良かったのかなって」
「あれ、サービスなので。てか、改めて言わないで貰えますか?照れるんで」
「照れるんだ。やっぱ、モカくん可愛いよね」
「からかわないで貰えます?」
ナツミがクスりと笑う。
「良いと思うよ。店員からのいらないボケ。メニューにしなよ」
「嫌ですよ。アレは咄嗟の言葉のあやですから」
「なんか安心したよ。モカくんも照れるんだなって。あんなに口説き文句はスラスラ言えるのに」
「出会い頭のキスのときに照れたの見たでしょ。照れますよ僕だって」
「あ、そっか。そう言えばそうだったね。ま、でもまたモカくんの照れ顔見たいから、また来ようかな」
「キスだけは辞めてくださいね」
「どうしよっかなー、なんて」
ナツミが照れたように笑う。
「ありがとね」
ナツミが唐突にボソッと呟く。
その言葉の背景は、なんとなく理解できた。
ただ、性格の悪い自分は聞いていた。
「何が、ですか?」
「何でもだよ。モカくんには教えてあげないっ」
「ひどいですね、ひどナツです」
「モカくんもマメコちゃんに毒されてるじゃん!」
ナツミが大きく吹き出す。
ナツミからお代を受け取り、モカは代わりにレシートとショップカードを手渡した。
「今度は、最初からシラフでお会い出来るのを楽しみにしてますので」
「出来るかなー、アタシに。ま、酔いたくなったら、モカくんのキスで我慢しようかな」
「それ僕が損してるじゃないですか」
「損とか言わないの。アタシもうシラフに近いんだから普通に傷つくからね」
ナツミが照れたように笑う。
なんとなく顔が赤い気もする。
でも、それがお酒のせいじゃないことを、モカはもう知っていた。
「じゃ、またね」
ナツミが背を向け入口のドアに向かって歩いていく。その背中に声かける。
「ありがとうございました」
またのお越しを、とは言えなかった。
彼女がココに来ることは、もう無いだろうから。
死にたくなるほど辛い夜など、もう来なくて良い。
それが自分の願いだ。
「モカくん、良かったのー?」
ナツミが出て行ってから、マメ先が声を掛けてきた。
「せっかく、好きになってくれそうな人がいたのに。モテたいんでしょ?」
「そんな手当たり次第に狙ってないですからね」
カウンター周りの片付けをしながら、片手間で答える。
「それに、もう彼女はココには来ないでしょ」
「だと良いけどね」
「マメ先は、ナツミさんは、また来ると思いますか?」
聞きたかった。
そして、それは今日の自分の仕事の評価でもあるから。
自分のやったことは正しかったのだろうかと。
「さー、どーだろうね」
マメ先は肯定も否定もしなかった。
「それは、ナツミさん自身が決めることでしょ」
なんだか煮え切らない。
「.....マメ先の個人的な意見としては、どうですか?」
「分からないよ。アタシたちはただのカフェ店員。お客様に必要なサービスを届けるだけでしょ」
「本当にそれだけなんですかね」
一度聞きたかった。
ここは、何故だか死にたい人の前に現れる不思議なカフェだ。そんな場所で働くのなら、少なからずお客の人生にだって干渉していくことになる。
その、はずだ。
マメ先はモカの感情など気にしていないのか淡々と答える。
「別に、それ以上でもそれ以下でもないでしょ。あくまで、やることは変わらない」
「じゃあ」
マメ先の言葉に納得できなかったモカは思わず言ってしまっていた。
「どうして、俺をこのお店に誘ったんですか?」
後片付けをしていたマメ先の手が一瞬ぴたりと止まる。
「それは.....」
が、次の瞬間その手は通常運転に戻っていた。
「モカくんが可愛かったからだよ」
「ふざけてるんですか」
「本当だよ。それがアタシの気持ち。」
マメ先はこちらを見ようとはしない。
何だか釈然としない。
マメ先が言葉を続ける。
「ナツミさんも言ってたでしょ。モカくんは可愛いって。その可愛さがお客さんには心地いいんだよ。この仕事に向いてると思った。だから誘った。それだけだよ」
「.....」
何も言い返せない。
ここで言い返して駄々を捏ねられるほど、自分は子供ではなくなっていた。
「いつか、モカくんにも分かるよ。この仕事に就いて良かったと思える日が」
「......」
本当にそうだろうか。
自分の正しさを証明できるだけの根拠を、自分はまだ持ち合わせてはいない。
「キミの夜が明けるまで、それまでは一緒に働いてよね。頼りにしてるよ、バリスタさん」
ようやくこちらを向いたマメ先の瞳は、いたずらっぽく光っていた。
その瞳は、このお店で働くと決めた3年前と何ら変わらない。
俺の夜は、いつ明けるのだろうか。
「てか、濡れたソファどうしようか?」
「頼りにしてますよ、マスター」
「こういうときだけ、マスター扱いするの辞めようよモカくん」
ただ、今はまだ、この関係を続けていたいと、そう思った。
モカと彼女 あめいろ @kou0251
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