第6話 地道な作業の積み重ね
スコスコ、トントン、そんな音が林の奥から聞こえてくる。少しくすんだ空の下、私達の秘密の営みが、そんな音を立てていた。
今日も北風が寒さを運んでくる。けれども私の額にはわずかに汗が滲み、適度に身体も熱くなっていた。
隣りにいる彼女の吐息は、煙突から吐き出される煙の様に真っ白で、ゆっくり何度も空に昇っていく。
「ねぇ、ナット。今日はまだするの?」
「もちろんです、ちょうど良い所ですから」
「そっ、そうなんだ」
「次はもう少し深く。この辺りは、どうですか?」
「うっ、うん……」
オリビアは軽く頷いて、手に持ったスコップを地面に突き刺した。そして乾いた地面を軽々と掘り返していく。
精霊の力は強大だ、まるでケーキの上の生クリームをスプーンですくう様に、彼女は固い地面を優しく
彼女の身体能力は私の十数倍はあるだろう、もう彼女と喧嘩をしても勝てそうにない。喧嘩など私達は滅多にしないが、もう単純な力比べなら負けてしまう。
昨晩も私の肋骨は悲鳴をあげた。寝ぼけたオリビアは容赦がなく、無意識では力を加減も出来なかった。
こうやって色々と手伝ってもらいながら。身体を動かす練習を、繰り返すしかないのだろう。少なくとも、誤ってドアノブをねじ切ることは無くなった。
だが、年相応の子供には戻れないのだ。たまに彼女はうつむいて、少し悲しい顔をしてしまう。
それでも、少しずつ笑顔も戻ってきた、僕と一緒に出かける様にもなった。きっと僕だから出来た、マリスくんでは上手くはいかないだろう。
そう思うと、本当は悲しいはずなのに、少し嬉しくなってしまう。良くないことだとは理解していたが。
「ありがとう、オリビア。今日の作業も順調だ」
「私も役に立ってるのかな、それは嬉しいかも!」
笑顔を見せる彼女に、つい私もうなずいてしまう。
さて、ここからは私の作業だ。掘り返された土をスコップで叩き、更に細かく崩していく。そして深呼吸をすると、両手を広げて地面に向けた。
「アトラクト!」
そう唱えると、土がフルフルと動き出し、小さな黒い粒がゆっくり手に集まってくる。これらは微細な磁鉄鉱だ、多少はチタン鉄鉱を含むかもしれないが、いわゆる砂鉄だ。
磁鉄鉱はマグネタイト、四酸化三鉄とも呼ぶ、そしてチタン鉄鉱と比較して帯磁率が大きい。簡単に言えば、磁石にくっつきやすい。
現状では、これが私にとって一番操りやすかった。実家に置いてあった鉄鍋やフライパン、スコップもそうだが、大きいと動かしにくい。まだ私もこの力を上手く使いこなせていなかった。
「うーん、何度見ても不思議だよね。ナットの魔法ってさ」
「魔法ですか、確かに魔法ですが。これは手から鉄を引き寄せる力を発生させているんです」
「何だっけ、ええと……ジリョクだっけ?」
「そうですね。磁力とは磁極間で引き合う、もしくは斥け合う力の事です。この砂鉄は磁性体と言いますが、これは外部から磁界を加えると、磁界と同じ方向の磁気を強く帯びる。これが引き合う力なんです。そもそも全ての物質は原子から構成されていますが、原子には原子核と電子が存在しています。この原子核の周りを回る電子の軌道運動が、原子の軸方向に軌道磁気モーメントを生じさせ。さらに電子の自転運動が、正確にはスピンによって、スピン磁気モーメントを生じます。この力の合計を全磁気モーメントと言って、原子が発生させる磁気、つまり磁力の元なんです」
「うっ、ううん……」
「更に補足すると、磁気モーメントは通常は熱振動によって方向が定まりません。けれども外部から加えられた磁界によって、熱振動が抑えられて磁化が起こります。特に鉄などの強磁性体は、隣り合う磁気モーメント間にお互い平行になろうとする磁気的結合があって、室温よりも高い温度まで耐えられるんですよ。鉄なら七百九十度くらいで磁化が無くなりますけど。これをキュリー温度と言いますが、磁石は高温には弱いんです。あぁ、私が磁気工学や量子力学に詳しければ、もっとオリビアに詳しく説明出来るのですが……」
「いっ、いや、大丈夫だよ。ナットって大人だよね、難しい話も出来ちゃうし……それにしても凄く楽しそうだね」
『オリビアサンモ、コマッテイマス。ソノクライニ、シテアゲテハ?』
いつの間にか手の甲に乗っていたカタツムリが、こちらを向いて私をたしなめる。確かにオリビアは少し困惑した表情を浮かべていた。
「すみません、つい……」
「いいよ、ナットが楽しいと私も楽しいから。それに、いっぱいだね!」
彼女の言うとおり、手には握れるほどの砂鉄が集まっている。私は軽く手を振るって土を落とした。そして残った砂鉄を溢さない様に、そっと皮の袋に集める。
こんな事を村の外れで毎日繰り返しているが、オリビアの両親は止めることもなかった。いってらっしゃい、おかえりなさい、そう言って私達を自由にしてくれた。
二人ともオリビアの事を心配している、きっと思うところもあるだろう。それでも今は彼女の事を私に任せてくれていた、その信頼はとても光栄だ、責任は重大だが。
「それじゃあ、いっぱい取れたご褒美が欲しいな?」
彼女はそう言って目を閉じた。身体から力を抜いて、安心しきって私の方を向いてる。私は手についた土を軽く払ってから、少しためらった後、彼女を抱きしめた。
『シンパクスウノ、ジョウショウヲ、ケンチシマシタ』
いちいち教えてもらわなくても大丈夫だ、自覚はある。生体情報モニタは絶賛稼働中だ、私の心電図、心拍数、血圧、体温、酸素濃度、脳波、血中の物質、つまり分子バイオマーカーまで彼女は把握している。
以前の私にとっては、もちろん
さて、オリビアはゆっくり息をしながら、私に少し体重を預けている。こうしていると本当に普通の女の子にしか見えないが。その内には強すぎる力を宿しているのだ。
「オリビア、ありがとう。いつも君の力に助けられているよ」
「うん……」
「今日も上手く出来たね、オリビアは天才かもしれないな」
「ナットのおかげだよ、私は、そんな……」
彼女はそう言って、身体を左右に揺らした。私は少し腕に力を込めて、そんな彼女を繋ぎとめる。今の私には、これしか出来なかった。
「もちろん私はオリビアの味方だ、君の力になりたい。困っていることは、一緒に一つずつ解決していこう」
「うん……ありがとう、ナット……」
私達の依存的な抱擁はしばらく続いて。彼女の吐息が落ち着く頃には、そっと私達は離れたのだった。
家に帰ると私はオリビアを両親に預けてから、一人で実家に向かった。別れ際、彼女は行かないでと目で訴えたが、お母さんが優しく彼女の頭を撫でてくれていた。
さて実家の扉を開けると、そこは、あの日のままだ。母が亡くなってから、この家はもう時を刻んでいない。とても静かで、とても感傷的だ、ため息が部屋の中に伝わってしまう。
今まで貯めていた砂鉄を机の上に置くと、私は台所に向かった。少し錆びた鍋とフライパン、包丁にターナーなど鉄製のものを集めていく。これらは母の遺品だ、母が楽しそうに料理をしていた頃を思い出してしまう。
『ダイジョウブ、デスカ?』
「少し胸が苦しいよ。だが、そうは言っていられない……」
『オリビアサンノ、コトデスガ。イッシュノ、タイコウゲンショウデス』
「幼児退行、強いストレスから自分を守るための防衛反応か」
『ソノトオリ』
会話を続けながら家の中を歩き、鉄で出来た物を探し回る。
「スキンシップは多いな、これは私のせいだろう。負荷の小さなタスクを達成させ、賞賛を積み重ねながら成功を感じさせる。心の回復を目指すことが重要だと考えているが、君の意見を聞かせてくれないだろうか?」
『ゲンジョウ、モンダイハナイカト。トキニハ、ミマモルコトモ、タイセツデスガ』
「落ち込んだ同僚を励ますのとは訳が違うな」
『ソレデモ、カイフクノ、キザシハアリマス』
「エンジニアの仕事は設計だけやっていれば良い訳ではないからね。半分は事務仕事、それに対人関係の調整だ。よく機械工事と計装工事が干渉しただろ?」
『アリマシタネ、ソンナコトモ……』
私は机の上に並べられた鉄達を眺め、そして彼女にこう言った。
「つまりは、困っていることを具体的に解決するのが我々の仕事だ。その専門的な知識と経験、そして、いくつかの試行錯誤によって。では計画を進めよう、何事も段取り八分だ」
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