ネコとニンジャ

 聖アンティゴノス教会第三騎士団のゴートンは、見張りという非常に退屈な仕事についていた。野良怪異や警察が近付かないようにするためだが、数百匹のイヌモドキがいる空間に近付く物好きなど、猫の子一匹いなかった。


 せっかく騎士になったのに、ゴートンはまるで活躍できていなかった。そもそも第三騎士団自体、あまり出世できない職場である。本部の目が届きにくい海外に出張って、そこに巣食う怪異を倒すだけの仕事だ。

 その後、その土地に教会を立てて、上層部が何やらいろいろしているようだが、ゴートンのような末端の人間からは何が起こっているかはわかりづらい。ただ、苦労の割に評価されていないことは、上司のザックを見ていれば察することができた。

 ひとつ大きな手柄を上げて、第二、できれば第一騎士団に配属されたいが、こんな見張りという地味な仕事ではそれも敵わないだろう。


 やる気がどん底に落ちていたゴートンだったが、耳がかすかな物音を聞きつけると、すぐさま立ち上がって武器に手をかけた。

 何かがいる。イヌモドキか、野良の怪異か、それとも別のものか。大きく深呼吸して心を落ち着けた後、ゴートンは物音がした路地を慎重に覗き込んだ。


「にゃあ」


 猫だった。


「なんだ、猫か……」


 どうやら、物好きな猫の子一匹が迷い込んだらしい。


「こんな所にいたら危ねえぞ。ほら、行った行った」


 ゴートンは手の甲でしっしっと猫を追い払おうとする。


「にゃあ」


 今度は頭の上で猫の声が聞こえた。もう一匹いたのかと思い、見上げる。


「えっ!?」


 猫がいた。それも1匹や2匹ではない。狭い路地に張り巡らされた配管や室外機、窓枠、ベランダといったありとあらゆる出っ張りに猫が登って、ゴートンを見下ろしていた。


 ただごとじゃない。ゴートンは慌てて仲間を呼ぼうとしたが、遅かった。

 頭上の猫たちが一斉にゴートンに向かって飛び降りてきた。


「うわーっ!?」


 たちまち積み重なる猫。重みに耐えかね、ゴートンは地面に倒れ伏す。その背中にも容赦なく猫雪崩が襲いかかってくる。

 そして、パンチ。猫パンチ。防具は身につけているものの、全身くまなくボコボコにされては意味がない。たちまちゴートンは猫に埋もれたまま気絶してしまった。



――



 ヴェサーゲンできそこない。『腕章の少年』が操る四足歩行の人型怪異である。

 元は日本の地下に古代から住んでいた怪異であった。それが潜水艦伊8によってドイツへと運び込まれ、『最後の大隊』のフランケンシュタイン3世によって研究、培養、品種改良され、運用できるようになった。

 犬型怪異の因子を組み込んだヴェサーゲンは、チェーンソーを失った代わりに、元の怪異よりも命令に忠実となり、敵味方の区別ができる程度の知能も手に入れた。

 だが、アダムとイヴが知恵を手に入れたことで己の全裸を恥じたように、知能を手に入れたヴェサーゲンも動物として『できそこない』の自分の体を恥じるようになってしまった。


 それでも、普通に運用するには問題ない。むしろ人間に対しては憎悪を募らせるようになったので、戦闘力は向上した。

 問題があるとすれば、犬や猫といった動物と遭遇すると、途端に恥じ入ってしまいまともに戦えなくなるという点だ。しかしそれも、動物と戦わせなければよいということで無視された。


 現在、そんな場面が来てしまっている。


「フシャーッ!」

「ミャオオオウ!」

「フギャロッパベロベロ」


 ホテルを囲んでいたヴェサーゲンたちに突如襲いかかったのは、猫の群れであった。

 それもただの猫ではない。チェーンソーの猫である。四足歩行のはずなのにチェーンソーを振り回し、猫たちは次々とヴェサーゲンを斬り伏せる。


 一方のヴェサーゲンは、生き生きとチェーンソーを振り回す猫たちを目撃して、混乱と羞恥の最中にあった。猫が猫らしくのびのびとしているというのに、このできそこないの自分たちの体ときたら!

 数で勝るはずのヴェザーゲンは、たちまち右往左往して逃げ回るようになった。騎士たちが必死に落ち着かせようとするが、チェーンソーの猫たちに襲われてそれも叶わない。

 包囲網はたちまち大混乱に陥った。



――



 最後の大隊が猫に襲われていると聞いた騎士たちは、戸惑いながらもホテルへと向かっていた。銀座の道路は一直線、日比谷公会堂からホテルまでは迷わずに迎える。


「よし、来たか。予想通りだ」

「征くぞ皆の衆!」

「にゃーっ!」


 その一団に対して、周囲の物陰に潜んでいたチェーンソーの猫たちが一斉に襲いかかった。


「伏兵!?」

「猫が兵法を!?」

「クソッ、応戦しろ!」


 奇襲を受け数人が倒れたが、騎士たちは素早く陣形を組んで応戦しようとする。だが、その内の一人が矢を受けて倒れた。


「射撃!?」

「猫が矢を!?」


 驚く騎士たちの前に現れたのは、ヘルメットを被った猫たちが押す猫車に乗ったミイラ男であった。弓を手にして猫車に乗る姿は、さながらエジプト王国を席巻した戦車チャリオットのようであった。


「この道を通った時点で、貴様らは既に袋のネズミよ!

 天におわしますラー神よ! 御使いを送りしバステト神よ! このネコ2世の戦い、どうかご照覧あれ!」


 ミイラ男――ネコ2世が更に矢を放つ。結界を張ろうとしていた助祭が射られた。


「よぉし、一気呵成に突撃せよ!」

「突撃ヨシ!」

「ご安全に!」


 ヘルメットを被った猫たちが猫車を押し、ネコ2世が突撃する。周りの猫たちもそれに続く。騎士たちはあっという間に叩きのめされた。

 そんな戦いをやや離れた所から見守るミイラ男が2人。


「孫が立派な将になってる」

「つよい」


 ネコ1世とパミである。ネコ2世と同じく、ヘルメットを被った猫が押す猫車に乗っている。2人はネコ2世の後に続いて突撃するつもりだったが、あっさり決着がついてしまったため、出る幕がなかった。

 2人ともファラオである。ネコ1世は戦地も経験している。戦争の素人というわけではない。

 ただ、ネコ2世は指揮能力が頭一つ抜けていた。部隊の配置、敵の進軍ルートの推測、猫の鼓舞、不測の事態への対応、どれも見事にこなしている。


 名前のせいでどうしてもふざけた印象が残るネコ2世だが、生前は4万人を率いてパレスチナ地方へ遠征を行い、ユダ王国のヨシヤ王を討ち取り、新バビロニア軍を撃退している。その後、新バビロニアの決戦神造兵器ネブカドネザル2世が突っ込んできたためパレスチナ地方からは撤退することとなるが、数度の侵略を跳ね除け、遂にエジプト本国を失うことはなかった。

 ネコ2世という名前に惑わされがちだが、彼もまたメソポタミアに覇を唱えた一廉の王であった。



――



「黙って聞いてりゃチピチピチャパチャパ……!」


 第三騎士団のピーターは、苛つきを腕力に変えて戦斧を振り回した。群がっていたチェーンソーの猫たちが吹き飛ばされた。


 ピーターたちはホテルから一番遠い所にいたが、それが却って功を奏す形となった。彼らが現場に着くと、ちょうど騎士が猫に奇襲を受ける場面に出くわした。

 猫を追い払ったピーターたちは味方と合流。他に奇襲を受けた味方を助けて回っていた。


「ライオンならともかく、ただの野良猫だろうが! こちとら完全武装の人間様だぞ! ひれ伏せや犬畜生どもが!」

「ただの野良猫はチェーンソー持ってないし、犬畜生じゃなくて猫畜生じゃないかねえ?」

「俺は犬派だ!」

「そういう問題?」


 助祭のミッチェルがツッコミをいれながら、突進してくる猫たちに光弾を放つ。勢いが鈍った猫たちへピーターが突進。斧を振り回して次々と斬り伏せる。

 左遷組とはいえ、世界各地の怪異と戦ってきたアンティゴノスの祓魔師エクソシストたちである。体勢が整えば並の怪異では太刀打ちできない。


「チッ、あっちにも埋もれてるか!」


 道の向こうに猫の山がある。その下から僅かに人の手が見える。どうやら猫にやられた騎士らしい。

 ピーターが斧を振り回して近付くと、猫の山は散り散りになって逃げ出した。後には倒れた人影が残った。ピーターが斧を担いでズカズカと近寄る。


「おい、さっさと起き」

「イヤーッ!」

「グワーッ!?」


 倒れていた人物は体を回転させながら跳ね起き、その勢いでピーターの顎へ蹴りを放つ! 兜を蹴られよろめくピーター!


「あれは……メイアルーアジコンパッソ!」


 優れた動体視力を持つミッチェルは、一連の動きからカポエイラの攻防一体の蹴り技、メイアルーアジコンパッソを見て取っていた。

 だが、騎士団にカポエイラを習得した者はいない。ならばこの人物は何者か!?


「……ドーモ、騎士の皆さん。『忍者』です」


 メイアルーアジコンパッソからのバックフリップで立ち上がった人物は、顔の前で両手を合わせお辞儀した。一寸の乱れもない、日本式の見事な挨拶である。

 その腕は黒いブレーザーで覆われている。腕だけでなく、全身も黒色の装束で覆われており、まるで影が人の形をとって立ち上がったかのようだ。顔も頭巾と面頬で大半が覆われているが、唯一目元だけは外に晒され、鋭い視線を放っていた。


「ニンジャ!? ナンデ!?」

「ほ、本物か……!」


 忍者とは、誰も見たことがないがいると言われている、ある意味日本で最も有名な都市伝説である。

 日本国内に限らず海外でも大人気であり、忍者が出てくるマンガやゲームには枚挙にいとまがない。第三騎士団の何人かも、日本に来たら忍者に会えるのではないかとワクワクしていた程である。実はミッチェルもその一人だ。


 だが、今の状況は喜んではいられない。出会い頭のメイアルーアジコンパッソだ。忍者なら手裏剣や火遁の術ではないか、という疑問はさておき、いきなり敵対されているというのが非常にマズい。


「待て……待った! なんで蹴ってくるかなあ!? 我々、猫に襲われてる貴方を助けたと思うんだが!」


 不慣れな日本語で呼びかけるミッチェルに対し、忍者は決断的に怒声を浴びせた。


「お主らが! 猫を虐めるからだ!」


 忍者の名は敷戸シキド賢治ケンジ。怪異ではない。忍者好きが高じて『忍者』の怪異を宿した人間だ。普段は旅行代理店に勤めるサラリーマンで、家に帰れば妻と子がいる。

 そんな彼の趣味は猫。妻子が猫アレルギーで、ペット禁止のマンションに住んでいるため、こっそりと野良猫を餌付けして可愛がっていた。その猫がチェーンソーを持ち、翡翠に襲いかかるという事件が起きた後、猫たちは敷戸よりもメリーさんに懐くようになった。

 敷戸は血の涙を流しながら地面をチョップして悔しがったが、広い山の中でのびのびと暮らす猫たちを見てしまっては認めるしかない。メリーさんに猫のチェーンソーを預け、自身は都内の猫カフェで合法的に猫を喫するようになった。


 だが今日、かつて別れた猫たちから助けを求められたのだ! 猫好きとしては感無量である! 妻からの生暖かい視線を浴びながら家を飛び出した敷戸は、猫たちと共に騎士団との戦いに参戦したのである!


「お主らが踏みにじってきた猫たちの怒り、思い知るがいい!」

「イヤーッ! こんな変な忍者、イヤーッ!」


 ミッチェルの叫びも虚しく、忍者はチェーンソーを構えて騎士団に襲いかかった。

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