人狼

 ホテルが敵に囲まれている。しかも下のフロアから戦闘音が聞こえてくる。気付いた俺たちは、すぐにエレベーターに乗ってロビーへ降りた。

 エレベーターを降りると、そこはとっくに戦場だった。『グリム兄弟団ギルド』のメンバーがなだれ込んできたイヌモドキと騎士たちと戦っている。


 まず目についたのは、入口の近くで暴れるクマだ。ヒトじゃない。しかもツキノワグマじゃなくてヒグマだ。敵はクマまで連れてきたのかってギョッとしたけど、太い前足がイヌモドキをまとめてなぎ倒したのを見て安心した。味方らしい。

 続いて、ムチを振り回す男が目に入る。凄まじい速さで打撃を繰り出していて、一振りで7匹ものイヌモドキを叩きのめしている。その横には鎧兜で身を固めた男がいて、ムチを掻い潜ってきた騎士を殴り飛ばしている。

 それと目立つのは金髪の女だ。床にまで届く長い髪が生き物のように動いて、イヌモドキたちを次々と串刺しにしている。そこへ騎士が盾を構えて突っ込むが、四方から伸びてきた有刺鉄線に絡め取られた。


 他にも武装した兄妹とか、ハサミを持った褐色の女とか、トレーナーを着たオッサンとかいろいろいるけど、敵の方がずっと多い。正面玄関だけじゃなく、裏口や非常口からもイヌモドキがどんどん押し寄せている。ぼーっと見てる場合じゃない。


「片っ端からぶっ殺す! 行くぞ!」


 後ろのメリーさんたちに呼びかけて、チェーンソーのスターターを引く。ガソリンエンジンが点火し、ソーチェーンを回転させる。最高速に乗ったチェーンソーをイヌモドキの顔面に叩き込むと、血を撒き散らしながら吹っ飛んでいった。

 すぐさま別のイヌモドキが飛びかかってくる。飛びついてきたのに合わせて顔面を殴りつけ、地面に倒れた所にチェーンソーを振り下ろす。

 一匹一匹は強くない。だけど数が多すぎる。メリーさんとアケミはチェーンソーを振り回し、雁金はショットガンを撃ちまくっているけど、殺す数より増える数の方が多い。


 後ろから襲いかかってきたイヌモドキを、チェーンソーで弾き返す。着地したイヌモドキはもう一度飛びかかろうとしたが、その首筋にナタを叩き込まれて崩れ落ちた。


「大した日本人だなあ、オイ!」


 イヌモドキにとどめを刺したのは、凶悪な笑みを浮かべた少女だった。メリーさんより1つか2つ上くらいか。赤いフードを被って、血塗れの分厚いナタを携えている。見るからにヤバそうな奴だ。

 誰だ、と声をかける前に、両脇からイヌモドキたちが迫ってくる。俺は右に一歩踏み込み、チェーンソー発勁で相手を吹き飛ばす。素早く振り返り、左から来ていたイヌモドキの胴を両断する。

 ひゅうっ、と赤いフードの少女が口笛を吹いた。足元に迫っていたイヌモドキにナタを突き刺すと、犬歯を剥き出しにして笑った。


「アタシは『赤ずきん』! 『グリムギルド』の怪異憑きだ! お前は!?」

大鋸おおが翡翠ひすい! チェーンソーのプロだ!」

食人鬼オーガか! 大層なこった! よろしくなァ!」


 それだけ言うと、赤ずきんはナタを振り回してバケモノたちに斬りかかっていった。怪異憑きなんだろうけど、赤ずきんがあんなに凶悪でいいんだろうか。あれだと狼に食われても自力で腹を掻っ捌いて出てきそうな気がする。


「行くぞぉぉぉっ!」


 後ろから雄叫び。振り返ると、グルードが取り外したドアを盾にして突進していくのが見えた。前にいたイヌモドキや騎士が容赦なく跳ね飛ばされる。そのままグルードはホテルの入口にドアを叩きつけた。


「ほいっ! ほいっ! ほいっ!」


 更にグルードは、近くにあったソファやテーブル、石像などを手当たり次第に入口に積み重ねる。軽々とやっているけど、とんでもない馬鹿力だ。驚いているうちに、正面の入口にバリケードができあがった。


「社長のお出ましだ! お前ら、気合い入れろ!」


 鎧兜の男が叫んだ。同時に、周りのドイツ人たちが一気にイヌモドキたちを倒しにかかる。俺たちもチェーンソーを振るって、敵の数を減らした。

 頑張ったかいがあって、どうにかロビーの敵は皆殺しにできた。だけどホテルの外にはまだまだ追加の連中が群がってる。グルードが作ったバリケードも徐々に壊されつつある。このままじゃジリ貧だ。


「皆さん!」


 薄汚れた服を着た女が階段を駆け下りてきた。


「最上階に陣地を形成しました! そこまで後退してください!」

「ここで守るのは無理か!?」

「入り口が多すぎマース! 全て守りきるのは無理ネ!」


 トレーナーを着たおっさんが言う通り、ロビーは守るのには向いていない。全員指示に従って、最上階に戻ることにした。


 最上階のエレベーターホールには家具を積み重ねたバリケードが作られていた。そこで外国人の爺さんが待っていて、ギルドの連中に指示を出していた。何人かはバリケードに残り、他は廊下の奥に走っていく。別の場所を守るらしい。『赤ずきん』もどこかへ走っていった。

 俺たちは何も言われなかったから、グルードといっしょにスイートルームに戻った。そこではアネットとトゥルーデが真剣な表情で待っていた。


「グルード! 無事だった!?」

「おうとも! ちっともぞっとしなかったぜ!」


 グルードは満面の笑みで親指を立てているけど、状況はちっとも良くない。


「ロビーは今頃イヌモドキで埋まってるぞ。ここまで上がってくるのもすぐだ」

「イヌモドキ?」

「あの四つ足のバケモノのことだよ」


 道路にたむろしているイヌモドキを指差すと、アネットはなるほど、といった様子で頷いた。


「あれはヴェサーゲンです」

「ヴェ……なんだって?」

「ヴェサーゲン。ドイツ語で『できそこない』という意味ですよ。『最後の大隊』に所属する『腕章の少年』が操る怪異です」

「ああ、あれがナチスの怪異なのか」


 ガスマスクを被って銃を持ってるような奴らかと思ってた。あんな生物兵器も出してくるんだな、ナチス。


「相手はどこから入ってきたんでしょう?」


 地上の様子を見ていた雁金がぽつりと呟く。


「ここは異界ですから、縁が無ければ入れない、という話でしたよね?」

「後をつけられたのかもしれないな。車はちゃんと乗り換えたのに……」

「出てきたものは仕方ありません。この最上階で迎え撃ちます」

「立てこもってるだけじゃ厳しくないか?」


 アネットの作戦はちょっとマズい気がする。窓から見下ろすと、うんざりするほどの量のイヌモドキがうろついている。こいつらがいなくなるまで立て籠もるとか、何日かかるかわからない。追加もあるだろうし。


「『腕章の少年』さえ倒せば、イヌモドキは統制を失います。一度守り、敵の勢いを削いでから突撃し、『腕章の少年』を討ち取れば……」


 一応作戦は考えているらしいが、アネットの表情は暗い。無理があるってのはわかっているらしい。


「誰か他に助けてくれる人とか、いないのか?」

「申し訳ありません。他のメンバーは本国に残っていて……」


 ドイツから日本まで来るのは無理だよなあ。いよいよどうしようもない。

 途方に暮れて遠くの空を見る。異界の東京のビル街が見える。ホテルの最上階だから無駄に景色がいい。しかもここは銀座の一等地。皇居も、国会議事堂も、警視庁も見える。

 ……うん、警視庁?


「あっ」

「どうしました?」

「警察呼べばいいじゃん」

「……大鋸くん、それは無理だよ」


 アケミが呆れた顔で言ってくるけど、いやいやそんな事はないぞ。


「ほら、この前東京の地下が凄いことになった時にいただろ、怪異を何とかしてくれる警察。目の前でナチスが暴れてるんだから、すぐに駆けつけてくれるだろ」


 あの時、警察の大麦とLINEのIDを交換した。それから何度か、怪異絡みの事件に関わってないかメッセージが飛んでくるくらいの付き合いだけど、こういう時は助けてくれるはずだ。助けてくれなかったら警察仕事しろって話になる。


「……お願いできますか?」

「任せろ。向こうが何かの事件に関わってなければ、すぐに来てくれるはずだ」


 すぐにスマホを取り出し大麦にLINEを送る。なるべく早く折り返してくれよ。

 あと、陶にも連絡しておこう。あいつの会社は怪異相手の要人警護をやっている。この前の事件でも警察と協力して怪異の大軍団と戦っていたから、上手くすれば助けてくれるかもしれない。

 会社だから金を取られるだろうけど……要人警護って数百万? それとも数千万? まあ、いくらになろうと命よりかは安いに違いない。借金してでも助けてもらおう。


「私も!」


 メリーさんもスマホを取り出し、どこかにLINEを送り始めた。メリーさんにそんな知り合いいたっけ……?

 まあいいや、誰が来るか知らないけど、味方は多い事に越したことはない。


 ともかく連絡を終えた所で、外国人の爺さんが入ってきた。さっき、エレベーターホールで皆に指示を出していた人だ。なんか渋い顔をしている。


「会長、ご報告が」

「聞かせて」

「『赤ずきん』が殺されました」

「――なんですって?」



――



 『赤ずきん』は空き部屋の真ん中に倒れていた。首を大きく食い千切られて、胴体も鋭い爪で斬り裂かれている。ついさっきまでナタを片手に暴れ回っていたっていうのに、あっさり死んでしまった。


「『赤ずきん』がやられるなんて……」

「クソッ、ナチスの連中め!」

「ヴェサーゲンが入り込んでいるのか? すぐに全部の部屋を調べるんだ!」


 部屋に集まってきた人たちの反応は様々だ。混乱する奴。憤る奴。敵が入り込んだと焦る奴。

 そんな中、冷静に『赤ずきん』の死体に近付く奴がいた。雁金だ。『赤ずきん』の傷口に顔を近付け、念入りに観察している。

 やがて雁金は顔を上げると、周りの人たちを見回して言った。


「これは、ヴェサーゲンの仕業ではありません」

「何?」

「見てください。首を食い千切られていますが、傷跡がギザギザの三角形ですよね? これは動物による咬傷ですよ。

 ヴェサーゲンは頭が人ですから、噛み跡も人と同じ形になるはずです。えっと……」


 雁金は俺の肩口に目をやり、それから小さく首を振って言葉を続ける。


「こう、ご自分の歯を指でなぞってみてください。丸いでしょう?」

「ほんほふぁ」


 グルードが言われた通りに歯をなぞりながら頷いた。口は開けなくていいと思う。


「ヴェサーゲンに襲われたのなら、それと同じ歯型がつくはずです。それにこの体の傷。鋭い爪で斬り裂かれています。ヴェサーゲンの指でつけるのは無理な傷です。

 ですから彼女を襲ったのは、肉食獣か、それに類する怪異だと思います」


 さっきロビーに降りた時、そんな敵はいなかった。俺たちがまだ知らない別の敵がいて、そいつが赤ずきんを襲ったって事になる。


「『赤ずきん』を襲ったんだし、オオカミじゃないのか」


 そんな事を呟く。根拠はない。イヌやキツネにここまでのことができるとは思えなかっただけだ。

 ところが俺の一言で、場が一気に冷え込んだ。なんでだ。そこまで怒られるような事を言ったつもりは無いぞ。


「ヴェアヴォルフ」


 トゥルーデが青い顔で呟いた。


「なに?」

人狼ヴェアヴォルフ。人間に化けた狼人間の怪異です」

「……それ、ナチス関係あるのか? マンガの影響とかじゃなくて?」

「あります。現実に『人狼部隊』というゲリラ・暗殺専門の秘密部隊が、終戦後も活動していました。それを率いていたのが『最後の大隊』のひとり、ヴェアヴォルフ。会長の祖父を殺害した犯人です」


 振り返る。アネットはこの場にいる誰よりも真っ青な顔をしていた。グルードが肩を支えていなかったら、倒れていたかもしれない。


「そいつがこの階にいるって?」


 そんなに強い奴が陣地の中に忍び込んだのか。そう思ったけど、トゥルーデの答えは違った。


「違います。恐らく人狼は我々の中の誰かに化けています」


 思わず周りの面々を見回した。みんな俺と同じ反応をしている。思ってることも同じはずだ。

 この中に、仲間を殺した『人狼ヴェアヴォルフ』がいるだって?


「何を根拠にそんな事を……」

「根拠はこの状況そのものです。

 なぜ『最後の大隊』は我々の会合を察知できたか。

 なぜ何の縁も無いはずの異界に、これだけの戦力を的確に送ることができたか。

 この中に内通者がいるとすれば、すべて辻褄が合います」


 敵に居場所がバレたのは、俺たちが尾行されたからだと思っていた。だけど、スパイがこの中にいたのなら話は変わる。

 最悪だ。これから籠城戦をするっていうのに、裏切り者が紛れてる。これじゃあまともに戦えないぞ。


「誰か怪しい奴はいないか?」

「自分が怪しいと思う奴は手を上げてくれ!」


 グルードが呼びかけるけど、もちろん手を挙げるバカはいない。これじゃあ疑心暗鬼まっしぐらだ。

 誰かいないのか、いかにも裏切ってそうな怪しい奴は。それなりに強いはずの『赤ずきん』を噛み殺せるようなオオカミに変身できる奴は……いや……。


「オオカミって言っておいてなんなんだけどさ」

「はい?」

「……クマじゃねえのか、この傷?」


 人を食い千切るような噛み傷と、筋肉を切り裂く爪痕。それは別にオオカミじゃなくてもつけられる。例えばライオンとか、ジャガーとか、クマとか。


 そしてクマならそこにいる。さっきロビーで怪異相手に大暴れして、今は部屋のドアを潜れないから廊下からこっちを覗き込んでいる、『グリムギルド』のクマが。

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