グリムギルド
騎士団に襲われてから10日後。俺たちは銀座のホテルにやってきた。『グリム
騎士団に襲撃されたら一網打尽だってことで、ホテルは貸し切ったうえで異界化している。ここに入れるのは関係者、つまり俺たちと縁がある奴だけだ。
それに、ここに来るまで車を2回乗り換えて、尾行されないようにしている。スパイ映画みたいでワクワクするってメリーさんが言っていた。気持ちはわかる。
幸い、怪しい車やイヌモドキに追いかけられるようなことはなかった。一応チェーンソーは用意してるし、雁金もショットガンを持ってきてるんだけど、使わないに越したことはない。
「皆さん、お待ちしておりました」
ホテルに入ると、トゥルーデが挨拶に出てきた。従業員の代わりらしい。
ロビーには外国人が10人以上いる。ボディーガードみたいにスーツを着ている人もいれば、パッと見ただの子供にしか見えないのもいる。だけど異界の中にいるってことは、どいつもこいつも只者じゃないんだろう。
トゥルーデに案内されて、エレベーターに乗って最上階へ。一番奥のスイートルームに通されると、グルードが待っていた。その隣には、女が一人。
「皆様、ようこそお越しくださいました。
私、ヴィルヘルムスハーフェン重工の会長、そして『グリムギルド』の会長を務めております、アネット・ハーフェン・グリムと申します。どうぞ、お見知りおきを」
そう名乗ったのは、モデルみたいな茶髪の女だった。長い髪を頭の後ろで括って、黒いパンツスーツをビシッと着こなしている。フレームレスの眼鏡の奥からは、灰色の瞳がこっちを覗き込んでいる。仕事ができそうなオーラが凄い。
できるオーラに気圧されていると、アネットは俺の側にやってきて右手を差し出した。俺も慌てて右手を差し出し、ガッチリと握手する。
「大鋸翡翠さんですね? グルードから話は聞いています」
「ど、どうも」
俺の顔を見ても、少しもビビらないで握手してきた。根性も凄い。
「旦那のグルードです。よろしく」
続いてグルードが握手してきた。お前はこの前会って……うん?
「えっ、結婚してるのか!?」
「おう、名字が同じだろ?」
「いや、はあ……えー?」
思わずアネットの方を見る。ちょっと口元を緩めて頷いている。嘘じゃないみたいだ。
こんなバカがどうして社長になってるのか不思議に思ってたけど、家族経営とは恐れ入った。社長になるって決まった時は、めちゃくちゃ文句を言われたんじゃないだろうか。
アネットはそのまま、雁金、アケミ、メリーさんの順番に挨拶をしていった。メリーさんと話した時だけ、ちょっとだけ間があった。やっぱドイツの怪異だから、思う所はあるんだろうな。
一通り挨拶を済ませた後、俺たちはソファを勧められた。座るとすぐにトゥルーデがコーヒーとケーキを持ってきた。異界のホテルなのにおもてなしが整っている。
「ドイツであればなじみのパティシエに作らせたのですが、出張先なので今回は銀座の店で予約したものをご用意いたしました。
皆様のお口に合えばよいのですが……」
「おいしい!」
メリーさんがもう食べてる。まだ説明してる途中なんだから、もう少し遠慮しておけよ。
ただまあ、それがいい合図になったみたいで、みんなケーキを食べ始めた。俺も一口食べてみる。果物のソースやキラキラしたゼラチンで固められたケーキは、スーパーやコンビニで普通に売ってるケーキとは比べ物にならないくらいおいしかった。
「……本当に大人しいのですね」
そんな俺らの様子を見て、アネットがポツリと呟いた。
「なんだ、凶悪犯罪者だと思ってたか?」
そりゃあ確かに俺は出歩くだけで職質される顔だけど、手当たり次第に暴れ回る極悪人って訳じゃない。時と場合を考えて暴力を振るっている。
そう思っていると、アネットは首を横に振った。
「いえ、あなたではなく、そちらの『屠殺ごっこ』のことです」
「むぐむぐ」
メリーさんは何か言いたそうだったけど、口の中にケーキが入ってるから喋れない。なので、代わりに答える。
「俺の知ってるメリーさんはいつもこんな感じだぞ。見た目は子供だけど、礼儀とかマナーはちゃんとできるんだ。フランス料理のテーブルマナーも知ってるくらいだからな」
「……我がギルドに伝わる記録によると、『屠殺ごっこ』は突然家にやってきて家族を皆殺しにして遊ぶような怪異だったのですが」
「昔はそんな奴だったかもしれないけど、今は『メリーさん』だからな。人殺しなんかより楽しい遊びが沢山あるんだよ」
メリーさんが大きく頷いている。グルードも頷いている。なんでだ。
「そんな簡単に変わるものではありませんよ、怪異というものは。我々『グリムギルド』がこの150年間、どれだけ苦労したかご存知ですか?」
「それも含めて、今日は話を聞きに来たんだけど」
「……そうでした」
頭を下げるアネット。昔のメリーさんがどれだけ危険かって言われても、知らないんだから仕方ない。その説明を聞きに来たことを、アネットは忘れていたようだ。仕事ができるオーラを出してる割には、熱くなりやすいらしい。
「では『グリムギルド』の成り立ちからご説明いたしましょう。ちなみに皆様、『グリム童話』はご存知ですか?」
「それくらいは知ってるよ。『金の斧と銀の斧』とかだろ?」
「それはイソップ寓話です」
「あれっ」
違った。
「それは違うでしょ大鋸くん。『人魚姫』とかですよね?」
「それはアンデルセン童話です」
「あれー?」
ドヤ顔で答えたアケミも違った。
「『きつねのてぶくろ』!」
「……ああ!
元気よく答えたメリーさんは題名どころか国すら違う。ってか、あれ日本人が作った話なんだ……。
最後に雁金が得意げな顔で答える。
「皆さん捻った答えを出すからそうなるんですよ。グリム童話と言ったら『シンデレラ』でしょう?
カボチャの馬車に乗って、12時になると魔法が解けて、逃げた時にガラスの靴を落としていく、あの有名なお話ですよ」
「確かに『シンデレラ』はグリム童話ですが、ひとつ訂正を。
魔女の魔法によってカボチャの馬車やドレスを用意するのはシャルル・ペロー版シンデレラ『サンドリヨン』のストーリーです。
グリム童話版シンデレラ『灰かぶり』、原語に近付けるなら『アシェンプテル』となりますが、こちらに魔女はでてきません。シンデレラのドレスと靴はハトからの贈り物、あるいは母親の遺品となっています。
夜の12時になると帰るというのもペロー版の特徴で、グリム版では姉たちの目をごまかすために夕方に……」
「は、はあ……」
早口でシンデレラの解説を始めたアネットに、雁金はあっけに取られている。マニアって大外れは許すけど、細かい要素とか解釈の違いには厳しいからな。それに引っかかったみたいだ。
アネットはしばらくシンデレラのバージョン違いについて熱く語っていたが、一通り話し終わった後に我に返って、顔を赤くした。
「すみません。つい解説に熱が入ってしまいました」
「気が済んだならいいけどさ……えーと、それでグリム童話がどう関わってくるんだ?」
「はい。グリム童話というのは、ドイツに古くから伝わる
1人の作者が創作したアンデルセン童話や新美南吉の童話集とは違い、ドイツ各地に伝わる童話を取材、編集して1つの物語集としたものなのです。
ですから似たような展開の話があったり、他国の童話が紛れ込んだりもしていることもあるのです。
先程の『シンデレラ』を例に挙げれば、最も古いバージョンは古代エジプトの女奴隷ロドピスにまで遡り……」
「それはもういいから」
「むう……。とにかくグリム兄弟はドイツのさまざまな昔話を手当たり次第に掻き集めました。ですが、その中に怪異と縁が繋がる物語がいくつも紛れ込んでいたのです」
「あー、なるほど。ひとつの地域に収まってた怪異が、ドイツ中を動けるようになったのか」
怪異っていうのは、噂話や昔話、伝説なんかの物語がたくさんの人に知られたことで力を持ち、現実化したものだ。
そして怪異に出会うためには、その怪異との縁がつながっている、つまり元になった物語を知っている必要がある。
グリム兄弟が集めた怪異たちは、それまではドイツの一地方、下手したらひとつの村の中にしか縁が無い怪異だったんだろう。
だけどそれを本にしたせいで、ドイツ中にご当地怪異が現れるようになった。今の時代に例えると、ネット掲示板やSNSに怪談を書き込むようなものだ。
「『ほうちょうを持った手』、『餓死しそうな子どもたち』、『奇妙なおよばれ』、『三人の軍医』……それに、『子どもたちが屠殺ごっこをした話』。他にもいろいろありますが、とにかく童話に紛れた怪異がドイツ各地で猛威を振るいました」
「タイトルからして子供に聞かせるものじゃねえだろそいつら。なんで本にしようと思った?」
「ドイツ文化の豊富さを国中に知らしめるために、内容は二の次でとにかく数を集めていたのですよ」
それにしたって、選べ。内容を。
「ただ、集めた怪異がドイツ各地で事件を起こし始めたのは、グリム兄弟にとっては想定外でした。
責任を感じた彼らはドイツ各地を回って、怪異たちを倒しました。そして、それらの怪異の元になった童話を改変したり、童話集から削除して封印したのです」
「それなら覚えてるわ。凄かったわよ、グリム兄弟の
「そうでしょう、そうでしょう。かのハノーファー王アウグストに膝をつかせた必殺技ですから」
メリーさんの言葉に、アネットが頷く。前に聞いた時も思ったんだけど、
「とりあえず話を戻してくれ」
「そうですね。グリム童話から現れた怪異を一通り倒した後、グリム兄弟は怪異と戦うための秘密組織を作りました。
兄弟の死後はその子孫が代々会長を務め、ドイツに現れた怪異と対決してきました。
それが我々『グリム
っていうことはアネットはグリム兄弟の子孫なのか。いいなあ、ご先祖様に凄い人がいるって。
だけど今回は羨ましがってもいられない。怪異と対決する組織ってことは、メリーさんの敵ってことだ。そいつらがわざわざ日本にやってきたってことは。
「つまり、封印したはずのメリーさんが日本にいるのを見つけて慌ててやってきた、ってことか?」
アネットはちょっと難しい顔をする。
「半分合ってます」
「半分?」
「我々が察知したのは、『メリーさん』を確保しようとした騎士団の動きです。
『聖アンティゴノス教会』が日本に集結していると知って、企みを阻止しようとグルードとトゥルーデを送り込んだら、あなたたちと出会ったのです」
「聖……アンティゴノス……?」
「あなたの家を襲った騎士団です。しっかりしてください」
そうだ。グリム童話の話じゃなくて、屋敷を襲った騎士団をどうにかするために今日はここへ来たんだ。すっかり忘れてた。
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