他愛のない話
ドアをノックする。やっぱりしない。いやでも、ちゃんとケジメはつけておかないし。だけどノックしようとしたら、なんかいろいろ気になってノックしたくなくなる。
髪型大丈夫かな、なんて思って前髪をいじっていると、いきなりドアが開いた。
「うわっ!?」
「うおっ!?」
とっさに後ろに飛ぶ。ドアの向こうでは兄貴が驚いていた。
「輝? 何やってんだお前」
「いや!? えーっとな、えーっとな……」
どうしよう、話をしようか、やめようか。迷ってる時に来たもんだから、どうしよう。
「タバコ吸うからさ。通してほしいんだけど」
「あ、ああ」
道を開けると、兄貴は廊下を歩いていく。病院の裏が喫煙所だから、そこに行くつもりなんだろう。
にゃあ、と声がした。足元を見ると、三毛猫が俺を見上げていた。何やってんだお前、って感じでこっちを見ている。
そうだよ。何やってんだ俺は。兄貴に話があるからわざわざ来たっていうのに。
慌てて兄貴の後を追う。いやでも、手ぶらで追いかけるのはおかしいな。途中の自販機で缶コーヒーを買って、喫煙所へ向かった。兄貴は壁に寄りかかって、タバコに火をつけようとしていたところだった。
「んあ?」
「コーヒーだ、コーヒー。コーヒー休憩だよ」
それで隣に寄りかかる。チラッと兄貴の顔を見ると、何だかよくわからないものを見るような顔をしていた。やめろよ、人を話下手みたいな顔で見るの。
「普段はこんなんじゃないんだぞ。普段は。兄貴が自由すぎるのが悪い」
「いきなり何だ。自由すぎるって。俺はいつも通りだぞ」
「怪我人だってのにタバコ吸ってるし、どっから持ってきたんだよあの猫は。病院だぞ」
「タバコはいいだろ別に。メリーさんもアケミも嫌いだって言うから、こういう時じゃないとゆっくり吸えないんだよ。あと、猫はメリーさんが腹に乗せとけって言うから……」
「なんで?」
「さあ……」
そんな曖昧な理由で病室に猫を入れてるのか。本当に何やってんだ。
「外に逃がせよ。病院に迷惑だろ」
「そりゃそうだけどな。メリーさんが言ってるんだからしょうがねえだろ」
「……兄貴も人の言うこと聞く時があるんだな」
「まあ、身内の言うことだからな。ってか、そうじゃなくても話はちゃんと聞いてるぞ。聞くかどうかは内容次第だけど」
「だったら俺の言うことも聞いてくれればよかったのに」
思わず言っちまった。俺だって身内なのに、って思ったら、つい。
兄貴は少し考えてから、ああ、と思い出したようだった。
「あれか? この前言ってた、チェーンソーのプロをやりたくないとか、そういう話」
はあ、と口から溜息が漏れる。その話をしたかったのは確かだ。だけど他人に指摘されると、頷くのが恥ずかしい。
「それなあ。本当に悪いんだけど、今まで言ったことあったか? どうしても思い出せないんだ。言ってたら、スマン」
「いや、言ってねえよ。言えるわけないだろ。チェーンソーのプロの家系で、しかも兄貴がダメになって俺が家を継ぐしか無くなってたんだから。そんなこと言っても、父さんが許しちゃくれない」
そう言うと、兄貴は首を傾げた。
「……いや、それは無い、んじゃあないかな」
「は?」
「だって俺、親父や爺ちゃんに何度も『チェーンソーのプロは止めて、他の仕事を探せ』って言われたぞ。やるならせめて大学を出て、ちゃんとした仕事にもつけるようにしろって言われたし。
お前がやりたくないって言ったら、許してくれたと思う」
「いや、いやいやいや!? そんな訳無いだろいくらなんでも!? チェーンソーのプロの家系だろ、ウチは!?」
「それがな、親父も爺ちゃんも、人殺しの仕事なんて、江戸時代ならともかく現代でやるもんじゃないって言ってたんだよ。
……そういや、お前がチェーンソーのプロじゃなくて、宇宙船を作る仕事をしたいって言っててよかったとか、そんな事も言ってたな」
知らなかった、そんな話。でもそういえば、俺が兄貴の代わりにチェーンソーのプロになるって言った時、父さんは微妙な顔をしてたような……?
「でも変だな。それだったら親父がお前をチェーンソーのプロにするわけないもんな。親父に『チェーンソーのプロは嫌だ』って言ったんだよな?」
「……言ってない」
「いや、おい。言わなきゃわからねえだろそれは」
「言えるわけないだろ。親戚がたくさん八尺様に殺されて、村がひっくり返るかどうかって時だったんだから……。俺がやるしかなかったんだよ」
「そんなことないと思うぞ。親父だってバカじゃない。輝がチェーンソーじゃない仕事をしたいって言ったら、きっと聞いてくれたと思う。
それに、チェーンソーのプロはウチの一族だけじゃない。今だって古賀さんが長をやってんだろ? 任せとけばよかったじゃねえか」
そんなはずは……でも、父さんの性格を考えると……それに、兄貴がこんなややこしい嘘をつけるとは思えないし……。
考え込んでいると、兄貴は呆れた表情で言ってきた。
「最近わかったんだけどさ。お前、悩み事とか他人に相談しないタイプだろ?」
「いや……いや?」
そんな事はない、と思うけど。
「いーや、絶対そうだ。そうじゃなかったら彼女まで置いてけぼりにして突っ走ったりしねえだろ」
「いや、だって、内容が内容だから、誰にも相談できなかったんだよ」
「それで『にゃんにゃん』にいいように転がされてんじゃねえか。楓が大人しい人だったからまだ良かったけど、お前これ雁金だったらショットガンで撃たれてるぞ」
「雁金さんってそんなヤバい人なの!?」
「うん」
あんな大人しそうな人だったのに……。
「マジでさあ、悩みがあるなら言えよお前。言わなきゃ悩んでるかどうかもわかんねえんだよ。
察せとかナシだからな? ちゃんと言葉にしないと、彼女でも身内でもわからないぞ」
「……でも、自分で解決できることなら、自分で解決したほうがよくないか。何でもかんでも人に頼るのはカッコ悪いだろ」
「山仕事じゃそんなこと言ってられないぞ。木を切って、重機で運んで、製材してもらって……ひとりでできるにはできるけど、時間がかかって仕事にならねえよ」
いや、俺が聞きたいのは普通の仕事の話じゃない。
「八尺様は」
「あん?」
「八尺様は、だったらどうなんだよ。アレはひとりで倒したんだろ」
誰もが、母さんですら兄貴が死ぬと思ってたのに、兄貴は誰の手も借りずに返り討ちにしやがった。
それができるなら、最初からそうすれば良かったのに。そうすれば爺ちゃんも親戚の皆も死ななくて済んだはずだ。
そしたら、兄貴は思わぬことを言い出した。
「いや、あれは俺ひとりじゃないぞ」
「……は?」
ひとりじゃない? 味方がいたのか?
「メリーさんに手伝ってもらった。それに、アケミに救急車呼んでもらった。俺ひとりなら死んでたな」
嘘だろ。あのふたりが、怪異が2匹も、兄貴のために八尺様と?
呆然とする俺の横で、兄貴はタバコの煙を吐き出す。
「……聞かれる度にちゃんと説明してるのに、誰も信じてくれないんだよなあ。メリーさんだってちゃんと戦えるんだぞ」
そういう問題じゃないと思うんだけどな……。
「だから、俺だって誰かに助けてもらってここにいるんだ。お前が誰かに相談しても、誰も文句は言わねえよ。文句を言う奴がいたらブン殴ってやる」
それが当然、って顔だった。なんだか顔が合わせられなくて、俯いてしまう。
「今更兄貴面しやがって。もっと早く行ってくれよ……」
するとなぜだか、兄貴は得意げな顔をした。
「ほら、言わなきゃわかんないだろ?」
「んぐ……!」
確かに、言わなきゃ悩んでることも、考えてることもわからないけど。それにしたって兄貴に一杯食わされるのは、悔しい。
「だからさ、もうちょっと話そうぜ。この前来た時は、後始末が大変でゆっくり話せなかったからさ。もっとこう、くだらないことでコミュニケーションってやつをするんだよ」
「……兄貴、タバコ」
「えっ、熱ッ!?」
兄貴が話に夢中になってる間に、タバコは持ち手の所まで灰になっていた。熱さに驚いた兄貴がタバコを手放す。地面に落ちて散らばったタバコを踏み消した後、灰と吸い殻を拾い集めて携帯灰皿に放り込んだ。
「そういう所はキチンとしてるんだな」
「ルールを守らないと肩身が狭いんだよ、喫煙者は」
そう言うと、兄貴はもう一本タバコを取り出して火をつけた。
「まだ吸うの?」
「あんまり吸ってなかったからな。お前だってまだコーヒー、残ってるだろ?」
缶に口をつけ、傾ける。中身は残ってないんだけど、まあいいか。話をするのに口元が寂しいからな。
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