一条戻橋
腹の上に猫が乗っている。その猫をメリーさんが撫でている。
「効いてる?」
「何がどう効くんだこれ?」
青蛾をブン殴ろうとして返り討ちにあった後。二条城の医務室に運び込まれた俺は、3日経ってもまだ治療が済んでいなかった。自分では平気だと思っていたんだけど、体のあちこちを刀で斬られたり、槍で突かれたりして、思っていた以上に体がボロボロだったらしい。
幸い致命傷は無く、医者にちゃんと見てもらったから治りつつあるんだけど、ひとつだけ手の施しようのない怪我があった。青蛾に殴られた腹だ。未だに痛みが引かない。しんどい。
内臓が破れたんじゃないかと思ったけど、医者が言うには外傷はないらしい。しかし、輝の同僚の藤原が言うには、肉体じゃなくて魂にダメージが入っているそうだ。仙人の功夫は、そういう呪いじみた超常現象も引き起こせるんだとか。ヤバすぎる。
これを治すには何か特殊な呼吸だか気功だかをやる必要があるんだけど、そんなものは知らない。一から習っているけど時間はかかるし、腹がずっと痛いから習うのもしんどい。
そんな感じで苦しんでいたら、ついさっき、メリーさんが猫を持ってきた。生き物で温めた方が治りが早くなるから、近所の野良猫を手懐けて連れてきたんだとか。どういう理論?
一応まあ、メリーさんの言う通り猫を腹の上に乗せてみたら、温かさで痛みが紛れるくらいの効果はあった。それ以上は知らない。
ただ、看病を成功させたと思ってるメリーさんが凄く満足そうなので、何も言わないでおいた。
ちょっと暇になったので、サイドテーブルの箱に手を伸ばす。立派な桐箱を開けると、中には巻物が入っていた。紐を解いて巻物を広げる。『一般獄卒免許証』と書いてある。
ふふん、合格だ。さっき見舞いにきた閻魔大王と小野さんから受け取った。試験から一週間で結果が出るなんて爆速だと思ったけど、他が失格になってまともな受験者が俺一人になったから、ほぼ自動で合格だったらしい。
足切りギリギリの点数だから勉強し直しなさいよ、と小野さんからたくさんの本を押し付けられたけど、それはまあ一旦置いておこう。
これでいきなり鬼になって身内に迷惑をかけることはなくなった。正確には、テンションが上がりすぎるとやっぱり鬼になるけど、前みたいに手当たり次第に殺して回る暴れ鬼から、仕事で死人を痛めつける地獄の鬼に変化したらしい。進化先がスカルグレイモンからメタルグレイモンに変わったようなものだ。
ただ、自分で自由自在に進化、というかモードチェンジはできない。ブッ殺す、と決めた上でテンションが爆上がりすると初めてそうなる。正確には何かいろいろとルールがあるらしいけど、マジでむずかしい話だったから俺にはわからなかった。
小野さんと一緒に見舞いにきた閻魔大王は、このモードチェンジについて、体に悪いとか、そんな感じのことを言っていた。鬼化するくらいなら、メリーさんやアケミと合体攻撃した方がいいらしい。あれも鬼になるのと理屈としては同じだけど、メリーさんたちが負担を肩代わりしてくれるから、大分いいそうだ。
メリーさんたちはその話を聞くなり、顔を真っ赤にして閻魔大王をぽかぽかと叩いた。しかし閻魔大王は両腕で全部捌ききった。つよい。
まあ、体に悪くても死なないなら大丈夫だろ。何しろモードチェンジが必要な時は殺されそうな時なんだし。死ぬよりはマシなはずだ。
そう結論付けた俺は、別のことを思い浮かべる。
「そういやメリーさん、原木の奴はどこに行った?」
「プロレスの人? 知らない!」
話を聞きたかったんだけど、どこ行ったんだか。
地獄の試験が俺以外失格ってことは、あいつも失格になったって事だ。やらかしまくった青蛾が失格になるのは当たり前だけど、原木が失格になったのはどうしてだ?
あいつがやった事っていったら……プロレスくらいか。地獄はプロレス禁止なのか?
――
京都市内のとある神社で事件が起きた。樹齢300年と言われる御神木の上部が、チェーンソーのようなもので真っ二つに斬られたのだ。
地元の新聞に載るほどの騒ぎになったが、事件はすぐに迷宮入りした。目撃者も、手がかりも全く無い。そもそも木に登ってチェーンソーで切るという事自体が人間技ではない。
続報が無ければマスコミは興味を無くす。野次馬もひとり、またひとりと減っていき、3日もすれば誰も寄り付かなくなっていた。
早朝。閑散とした境内。そこにひとりの男が現れた。
大きな男、大男であった。単に、背が高い、というだけではない。首は木の幹のように太く、肩は山のように広く、腕は岩のように固かった。体の全てが大きい、大男であった。
彼は原木。先日、翡翠たちと共に、二条城を囲む屍鬼と戦った男である。
今は御神木に向かって両手を合わせ、瞑目している。祈りであった。
「何してんの」
女の声。振り返る。緑色の瞳と目が合う。橋姫。小豆色のジャージを着、汗を微かに纏わせた女であった。
「黙祷を」
「供養塔を建てたんだからそっちに行きなさいよ。神も神主も迷惑してるでしょ」
橋姫が視線を動かす。原木はそちらを見た。本殿の陰から視線がふたつ。この神社に祀られている神と、社務所に住む神主だ。早朝にやってきて、上部を切られた御神木に手を合わせる大男に、困惑の眼差しを向けている。
「だが、ゆかりのものがこれくらいで」
「さっさと出る」
橋姫の圧に引っ張られ、原木は境内を出た。無言で先を行く橋姫の後を追う。
彼らは少し離れた場所にある、コンクリート造りの橋で立ち止まった。一条戻橋、という名前だった。往時の面影は欠片も残っていない。
橋姫は近くの自販機でペットボトルの水を買うと、原木に投げ渡した。
「ほら。奢りよ」
「すまない」
蓋を開け、口をつける。ひんやりとした水が喉を潤す。
橋姫自身は、背負っていたリュックから水筒を取り出し、勢いよく飲んでいる。更にタオルで汗も拭く。
「筋トレか?」
「その前、体力作りよ。こんな体じゃ貧弱すぎて、筋トレも満足にできないもの」
橋姫は今も輝に取り憑いている。首無し鬼と戦うために術式を強化したら、縁が強くなりすぎて術式を解けなくなってしまった。そもそも青蛾が解く方法を用意していなかった。
それでは不便なので、不具合が出ない範囲で術式を改造した。今は半径京都市内くらいなら自由に出歩けるし、仮初ながら下半身もついている。代わりにダンベルも持てないほど弱体化した。だから筋トレ、そこへ至るための体力作りである。
「お前が羨ましいよ。千年経っても全然変わってないじゃない。どんな筋トレしたらそうなるの?」
「別に。山から山を渡り歩いて、普通に暮らしていただけだ」
「天然モノってわけね……」
橋姫は水筒に口をつける。
「で、お前、これからどうするつもり?
言っておくけど、検非違使だっていつまでも気付かない訳じゃないわよ。屍鬼騒動が落ち着いたら、いや、その前に、お前のおかしさに気付くでしょう。
そうなったらまた一戦交えるつもり? 言っておくけど、私は味方しないわよ。同じ鬼の
半目で睨む橋姫の横で、原木はさっぱりとした顔をしていた。
「供養は今日で一区切りだ。祈ってみて思ったが、やはり体が綺麗さっぱり無くなってしまうと祈りようがない」
「薄情なものねえ。首はまだ残っているというのに」
「首は……まあ、その。頼通が許さんだろう」
「でしょうね。お前も大概だけど、あの堅物はそれ以上の頑固者よ」
そう言いながら、橋姫は視線を遠くへ向ける。その先には宇治がある。
「で、供養を止めて、代わりに何をするつもり? 昔みたいに異界を巣にして、源氏に腕を斬られるまで強盗三昧、とか言うんじゃないでしょうね」
「侮るな。ちゃんと仕事は見つけている」
「へえ? どんな仕事よ」
「地獄の鬼だ」
「は?」
口の端から水をこぼす橋姫。それに気付かず、原木はなおも語る。
「この前、一般獄卒職の資格試験を受けてな。自己採点したら出来が良かった。多分、合格していると思う。本当は供養のために取ったつもりだったんだがな。
資格を取ったら、各地の地獄で面接を受けるつもりだ。ここの地下でもいいんだが、検非違使が真上に居るのはちょっと……」
「……ちょっと、ちょっとちょっと」
原木の滔々とした語りを止める橋姫。
「何だ?」
「あれって元からの鬼は受けられないでしょ。応募要項に書いてなかった?」
一瞬、呆然とする原木。すぐにスマホを取り出すと、応募要項ページを検索した。
少しすると、原木はよろめき、塀に手をついた。
「え、なんで……?」
「だって、地上の鬼と獄卒鬼は別物の怪異だもの。それがごちゃまぜになったら、怪異としてのあり方も危うくなるでしょう?
あの、区分に命かけてるような堅物の閻魔大王が、そんないい加減なこと許すわけないじゃない」
橋姫の説明に困惑する原木。やがて、スマホを操作して、ポツリと呟いた。
「そしたら……プロレスラーになるか……?」
「何でよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます