シュレディンガーの空海

 『猫又』。数十年を生きて怪異に成った猫の怪物だ。京都じゃそこまで珍しい怪異じゃない。

 ただ、元になった猫が全長1m近い巨大猫っていうパターンは初めてだった。もう猫っていうより虎だ。


 猫又が鋭い爪を振り下ろす。上体を反らせて避ける。斬り裂かれた空気が頬を打つ。間一髪。もう少し動くのが遅かったら、顔を斬り裂かれていただろう。

 続いて猫又は空中で体をくねらせ、足に噛み付いてきた。人間にはできない動きだ。反応できない。

 足に太い牙が食い込む。鉄板で補強したブーツを履いてたのに、それも貫通してきたか。

 だけど、これで動きが止まった。


「うおらっ!」


 チェーンソーを振り下ろす。下向きの半月を描いた斬撃が、猫又の首と体を泣き別れにさせた。切断面から血が溢れ出し、猫又の体が力なく地面に倒れ伏す。


「……っつう」


 地面に膝をつく。残った猫又の頭が、俺の足に噛み付いたまま離れない。

 両手で顎をこじ開けようとしたけど、よほど深く刺さってるのかビクともしない。

 これは、少しマズいな。このままだと歩けない。


「あらあら。大変なことになってるじゃない?」


 振り返る。娘娘にゃんにゃんが側に立って俺を見下ろしていた。相変わらず急に現れる奴だ。近付いてくる足音も、隠形の術を解いた気配もなかった。


「何か用か? 後にしてくれ。これを外さないと……」

「……それ、力づくじゃ外せないわよ? 呪いになってるもの」

「何?」

「動物霊の間際の一撃というのは執念深いものよ。犬神の呪いもそうでしょう?」


 娘娘は両手で印を組むと、俺の足に噛み付いたままの猫又の頭に、何事かを囁きかけた。

 すると猫又の顎は、するり、と開いた。


「はい、おしまい。頭は私が貰うわね。後は止血して、検非違使に戻って怪我と呪詛の手当てをしてもらいなさい」


 戻るのか。検非違使の本部に。こんな情けない傷を抱えて。


「……それはできない」

「あら、どうして?」


 口をつぐむ。

 言えない。まさか、検非違使の仲間たちから疑われてるなんて。


 先月、京都に駐屯している『過縄村チェーンソーの会』の一人が検非違使にやってきた。

 何かと思ったら、俺に『検非違使』を抜けて村のチェーンソーの長になってほしいとか頼んできやがった。このままだと兄貴が長になりそうだから、対抗馬になってほしいって話だった。

 勝手な話にも程がある。俺は検非違使でやっていくって決めたんだ。村の長になるつもりなんてない。


 すぐにそいつを追い出したけど、アイツがロビーで騒いでたのがマズかった。俺が辞めるかもしれないって噂があっという間に検非違使の中で広まっちまった。

 今の検非違使は、京都に居座る様々な対怪異組織から圧力を受けている。噂が広まったせいで、俺が過縄村と組んで検非違使を乗っ取ろうとしてるんじゃないかって考え出す連中もいた。

 そのせいで検非違使の本部に寄りづらい。楓とも顔を合わせづらい。向こうもこっちを気遣ってるってわかっちまうから、余計にだ。


 だから結果が欲しい。

 故郷の言いなりにならないための力が欲しい。

 検非違使を立て直すための手柄が欲しい。

 好き勝手暴れる兄貴の弟なんて言わせないための勇名が欲しい。

 こんな怪我で泣きつく姿なんて見せられない。


「何か事情がありそうねえ」


 娘娘はそう言うと、俺の足元に座り込み、血塗れのブーツに手をかけた。


「おい、何を」

「じっとしてなさい」


 娘娘は俺のブーツを脱がすと、傷口に護符を貼り付けた。紙の札が湿布のようにぴたりと貼り付くと、出血と痛みが和らいだ。


「はい。一日貼っていれば、肉と骨はこれで大丈夫。剥がしちゃダメよ? 半日くらいで痛みが消えると思うけど、中身はまだ治ってないから」

「……治してくれたのか?」

「そうよ?」

「どうして?」

「投資、投資。見込みのある若者が、こんなつまらない傷で意地を張って倒れるのがバカらしく思えただけよ」


 ふふん、と鼻を鳴らして、娘娘は立ち上がる。


「精進しなさい。あなたなら検非違使を立て直してくれるって期待しているんだから。それじゃあね」


 そう言って、娘娘は森の外へと歩いていった。その姿が見えなくなるまで、俺は呆然と後ろ姿を見つめていた。


 期待されてる。答えなくちゃいけない。だけど、どうやって?



――



 何事も暴力で解決するのが一番だ。


 日本でやると10分ちょっとで警察が駆けつけてくるけど、怪異相手ならこれが一番早い。

 そして、いろいろと考えていた楓もこの結論に辿り着いたらしい。


「洛外の怪異を片っ端から祓おう! 多分、その中に『にゃんにゃん』か、輝が目をつけている大物怪異がいる! そいつを先回りして倒して、輝がポカーンとしている間に説得しよう!」


 そして楓は俺たちに協力を求めてきた。他の検非違使に助けてもらわないのか、と聞いてみたけど、人手不足で無理らしい。楓も本来の仕事の合間を縫って怪異退治をするっていうから、相当厳しいんだろう。

 まあ、予想はしていたことだから、給料を出すって約束させた上で引き受けた。楓のポケットマネーから出すつもりらしい。さすがは検非違使長官の娘。金持ってるな。


 後は泊まる場所なんだけど、引き続き宗壁さんの家に泊めてもらえる事になった。

 しかもチェーンソーまで貸してもらった。宗壁さんが現役時代に使っていたもので、古いけど頑丈な造りのチェーンソーだ。手入れも行き届いてる。


「いいんですか?」

「かまへん、かまへん。若い子に使ってもらえるなら、ソイツも本望やろ」

「それもそうですけど、宗壁さんの立場的にはどうなんですか。あの、『三チェン家』、でしたっけ」

「あー、確かにウチらも京都で働いてるけどな。検非違使の代わりに京都を守るとか、検非違使を乗っ取るとかは考えとらへん。御三家合わせて20人くらいしかいないから、京都を守るには検非違使以上に人手が足りんのや。

 実質中立……っていうか、レースに参加できてないようなもんやね。せやから、一応は過縄村の人間の翡翠クンを泊めてほしい、なんて話を持ちかけられたんや」


 そういう事情があったのか。人数がいないのに新しい仕事を引き受けたら本末転倒だもんな。


 宗壁さんのお陰で準備は整った。楓に連れられて、怪異退治のスタートだ。

 楓が言うには、輝が退治している怪異は洛外に集中しているらしい。わかりやすく言うと、京都の外れの方だ。


 今、京都に居座ってる組織は洛中、つまり京都の中心地ばっかり熱心にパトロールしていて、洛外の怪異はほっとかれがちらしい。それで大丈夫なのか、と聞いてみたら、郊外に出る怪異は強くないから大事件にはなりにくいんだとか。

 ただ、輝が大物怪異を狙っているなら、雑魚が集まる洛外に集中するのは不自然だ。だから、どこかに輝だけが知っている大物がいるのかもしれない。それを先に祓って、輝の目を覚まさせようというのが今回の作戦だった。


 最初にやってきたのは化野あだしの。ばけの、じゃない。

 京都の西にある土地だけど、昔は墓場、というか死体捨て場だったそうだ。無縁仏や供養できなかった死体をここに捨てて、鳥や獣に食わせて処理してたんだとか。

 そのせいで今でも化野には寺や墓がたくさんある。今回、事件が起きたのはその寺のひとつだった。


「これは酷い」

「初っ端から豪快だな」


 案内された墓場にあったのは、たくさんの倒れた墓石。そして穴。

 話によると、ここに埋まっていた死体が100体くらい、一晩でなくなったそうだ。

 1体2体なら墓荒らしの可能性があるけど、この数は間違いなく怪現象だ。しかも副葬品にも手を付けていないから、ますます気味が悪い。


「これは……いきなり当たりを引いたかもしれないな」


 楓が呟く。


「知ってるのか、この怪異?」

「ああ。『火車かしゃ』だ。葬式や墓場から死体を持ち去る妖怪だよ。その姿は鬼とも、人の体の一部とも言われているが、『猫又ねこまた』が正体の時もある」


 なるほど、『にゃんにゃん』か。


「これだけの数の死体を一度に持ち去る『火車』は初めて見る。輝が必死に追いかけるのもわかるなあ」

「それじゃあ、これからはその『火車』がどこに行ったか探せばいいな」


 いきなり大きな手がかりが見つかった。この調子なら、輝が探している獲物もすぐに見つかりそうだ。


「おーっと、ちょっと待った。そいつは早計だよ」


 後ろから男の声。振り向くと、袈裟の上にスカジャンを羽織ったファンキーなお坊さんが立っていた。


「お寺の人……ですか?」

「いや違う。『高野山退魔課』所属の、空海さんだよ。初めまして」


 京都に来ている対怪異組織の人か。俺たちと同じで、事件を調べに気付いたんだろうか。


「は……空海?」


 楓が急に大きな声を出した。


「なんだ急に。知ってるのか。有名人か?」

「有名も何も、教科書に乗ってる人間だぞ。天才的な僧侶で、中国から密教を持ち帰り、真言宗を創立し、日本各地に伝説を残した弘法大師その人だ」

「……歴史の人じゃないのか、それ?」

「そうだ、歴史上の人物だ。千年以上前にとっくに亡くなっている。偽名を名乗るならもっとマシなものにしたまえ!」


 楓の指摘に対し、自称空海は苦笑いを浮かべた。


「いやそれは世間向きの話でな。死んだと見せかけて、高野山の霊廟で今も衆生の救済を祈っているんだよ。

 で、たまーにこうやって下山してきて、現世の様子を見守ってるわけ」

「うっそだあ……」

「あやしい……」


 メリーさんとアケミは疑っている。もちろん俺もだ。まずスカジャンを着たお坊さんっていうのが信じられない。


「まあ信じてくれないならそれでいいや! 今まで信じてもらえたことなんて、千年で5回くらいだし!

 それよりもこの墓荒らし、『火車』のせいとは言えないんじゃあないかい?」

「どういう事だ?」

「足跡だよ。地面をよーく見てみろ」


 言われた通り、足元を見てみる。通り道は石畳が敷かれているけど、墓の周りは土が剥き出しになっている。そして、死体が掘り返された墓の周りを見ていると、確かに足跡がついている。


「『火車』ってのは空を飛んで死体を持ち去る怪異だ。足跡が残るのはおかしいだろうよ。もしも背負って運んだとしても、お嬢さんがいう『猫又』なら、猫の足跡が残るはずだ」

「じゃあ……この墓荒らしは、人間がやったと?」

「そうでもない。こっちを見てみろ」


 自称空海が別の墓を錫杖で指した。そっちを見てみると、やっぱり人間の足跡がある。


「それと、こっちも」


 更に別の墓。こっちにも足跡だ。


「あれ?」


 アケミが声を上げた。


「どうした?」

「これ、全部違う足跡じゃない?」


 言われてみれば、大きさも形も違う。3つの墓にあった足跡は全部別物だ。他の墓も見てみるけど、やっぱり足跡が違う。


「その通り。さて、最後の仕上げだ。その足跡、どこから伸びている?」


 自称空海に言われた通り、足音の元を辿ってみる。ほんの数歩で根元がわかった。墓に掘られた穴の中だ。しかも、穴の縁には手形までついている。


「おい、これ、まさか……」

「ああ。これは墓荒らしじゃない。死体が蘇ったんだ」


 死体は盗まれたんじゃない。自分で墓から出ていったのか。

 しかし自称空海はよくこれに気付いたな。


「実はウチの『高野山退魔課』に似たような事件が持ち込まれてな。現場の寺に行ってみたら、ここと同じように死体が這い出して歩いていった痕跡が残っていた。

 その行方を追っていたら、化野の墓場でも同じような事が起こってるって聞いて、この空海さんが見に来たわけよ」

「ここだけじゃなくて、他の寺でも?」

「おう。もっともここほど豪快に蘇っちゃいないがな。しかしさっきの様子を見てみると、あんたらが犯人って訳じゃなさそうだね」

「……俺らを疑ってたのか?」

「怪異を2体連れた悪人面の男、疑うなって方が無理だろうよ」

「マンダラ背負ったスカジャンのお坊さんの方が怪しくないか?」

「おめーこれはファッションだよファッション! 失礼な!」


 顔だけで墓荒らしの犯人だって決めつける方が失礼だろうが。そう言い返す前に、楓が前に出た。


「怪しい者ではありません。私は検非違使巡視の八雲楓。こちらは協力者の大鋸翡翠氏と、彼が連れている怪異の『メリーさん』と『アケミ』です。

 今回の墓荒らし事件について調査しておりました。余計な疑いを抱かせたなら謝罪いたします」

「いや、もう疑ってないから気を使わなくて大丈夫よ。アンタらが犯人なら、こんな所でたむろして『火車』がどうのとか言っちゃいないだろ」


 自称空海の表情は柔らかい。そんなに気にしていないらしい。

 疑いは晴れたからいいとして、疑問がひとつ出てくる。


「それで、死体はどこに行ったんだ?」

「それがわからないんだよなあ。1体2体ならともかく、50、100がその辺ほっつき歩いてたら騒ぎにならないわけがない。

 だけど今のところ、そういう話は聞かないだろう?」


 1体2体でも大騒ぎになると思うけど、死体が歩いてるって話は、確かに聞いたことがない。


「つまり蘇った死体は、どこかに隠れてる」

「死体にそんな脳があるのか?」

「無いね。仏さんたちを蘇らせた奴が、隠れてろって命じたんだろう」

「何のために?」

「……少なくとも、ろくな事じゃないのは確かだ」


 どうやらこの京都、俺が思ってた以上に大変なことになってそうだ。

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