縊鬼
巨大な顔が正面から突っ込んでくる。その顔は、ひとりでに動く牛車の中に詰まっている。
呼吸を整える。勝負は一瞬。瞬きの間に終わる。手の中のチェーンソーは最高速で回転し続けている。大丈夫だ。やれる。
牛車が間合いに入った。その速さは目算で80km/h。俺を轢き飛ばすまでにかかる時間は、およそ0.8秒。
笑っちまうよ。トロくさい。
一閃。0.01秒で振り下ろされたチェーンソーは、巨大な牛車とその中の顔、更にはその周りの空気ごと断ち切った。俺の体のすぐ横を、左右に分かれた怪異牛車が走り抜け、倒れた。
残心。敵はいなくなったが、それでも辺りの気配を探す。極限まで集中して鋭敏になった今の感覚なら……あった。不自然に整った空間が。
「
氷が溶けるように空間の一部が歪み、
「気配を消してたからだよ。お前の周りだけ、雑味っていうか、ランダム性が無かった」
「武術家みたいなこと言うのねえ」
余裕ぶっているけど、娘娘の顔は僅かにひきつっている。自分の気配を悟られたことに驚いているらしい。ようやく先手を取れて、ちょっと嬉しい。
まあ、それはともかく。
「『朧車』の事、教えてくれてありがとうな。検非違使は普通の暴走車と勘違いしてたみたいだ」
『朧車』が洛外の道路に出ると言ってきたのは
「役に立ったなら良かったわ」
「だけど、どうして朧車が洛外に出たんだ? 普通なら洛中にいるのに」
「広い道路を走りたかったんじゃない?」
「そういう怪異じゃない。こいつは場所取りの怨念が怪異になったんだ。こんなに広いところに出てくる必要がない」
こんな郊外で場所取りをする必要はないし、そもそも人が集まるような名所がない。朧車が出てくる理由がない。あるとしたら、止むを得ず。いつもいる場所を追い出されたとか。一体誰に? あるいは何に?
「それよりも」
考えていると、娘娘がずいっと寄ってきた。俺の足首をじっと見つめている。
「足の調子は大丈夫?」
「……大丈夫だ」
答えたけど、娘娘は足から目を離さない。
「本当に?」
「あー……」
下からじっと見上げられるて、視線を逸らしてしまった。体は小さいのに圧が強い。
「言われた通りに札は剥がしてないんだよ。本当に」
「じゃあ何で傷口が開いてるの」
「さっき朧車とぶつかった時に、いつもの調子で発剄をやったから……」
「あのねえ……」
――
墓荒らし、もとい死体の大脱走については、自称空海を通して『高野山退魔課』と情報交換を続けることになった。
ついでに自称空海が自称なのか公称なのか聞いてみたけど、答えをはぐらかされた。どういうこと……?
とにかく死体探しでできることはここまでだ。今日の俺たちは、洛外の別の事件を探しに行くことにした。
今度の事件は、山の麓の空き家で、首吊り自殺が頻発してるってものだ。今月でもう5回目らしい。
首を吊ったのは近所の人から観光客までさまざま。共通点は一切なし。家に呪いや曰くもなく、家主は勘弁してくれと嘆いている。
とりあえず月一で手入れをして、変な人が住み着かないようにしろってアドバイスしておいた。首吊りは極端な例だけど、空き家って変質者が入り込む事が多いからな。
家主への聞き込みの後、俺たちは実際に空き家に向かった。
傷んではいるけど、普通の空き家だった。玄関に上がってみるけど、怪異が襲いかかってくるとか、怪現象が起こるとか、そういう事もない。
「普通の家だねえ」
「いや、禍々しい気配が漂っちょる。何かおりもっそ」
楓の言葉に、チェーンソーを担いだジャージの男が相づちを打った。
こいつは大門。京都に居座る対怪異組織のひとつ『樺山示現流』のチェーンソーのプロだ。鹿児島からわざわざ来てるらしい。
何でこいつがいるかというと、俺たちの案内だ。昨日の自称空海みたいに犯人と思われたらめんどくさいから、ここを縄張りにしてる『樺山示現流』に挨拶しに行ったら、案内をつけてくれることになった。それがこの大門だ。
そして、大門たちが所属している『樺山示現流』。何だか聞き覚えがある名前かと思ったら、この前の東京のテロ騒ぎで、俺たちと一緒に東京の地下に殴り込みをかけた人たちだった。あの時から『樺山示現流』は京都にいたけど、政府から呼ばれて何人かが東京に出てきていたらしい。
一度会ってたお陰で、俺たちが怪異事件について捜査するって話はスムーズに進んだよ。
「で、どこで首を吊ったんだ?」
「まずこの玄関のフックで1人」
「うおっ」
ちょうど俺の真横にフックがあった。ここで吊ったのか。
「後は廊下の梁、リビングのドアノブ、階段の手すり、2階のカーテンレール。バラバラの場所だ」
てっきり、いかにも首を吊りやすそうな場所があるのかと思ったけど、全部別の場所なのか。それはそれで気持ち悪いな。
「メリーさん、アケミ、気配はあるか?」
「うーん」
「うっすら……?」
ぱっとしない返事だ。逃げたのか、隠れてるのか。
「ぼさっと突っ立ってても始まらん。探すぞ」
大門がずんずん進む。俺たちも後を追いかけた。
1階には何もなかった。首を吊った場所はあったけど、怪異が出てくるようなことはなかった。
階段を上って2階へ。ここの手すりでも首を吊ったらしいけど、どうやって? 引っ張ったら取れそうなくらいミシミシ言ってる手すりだぞ。
そして2階にやってきた。ここのカーテンレールで吊ったらしいけど。
「曲がってるぞ」
吊ったらしいカーテンレールは、重みで大きく曲がっていた。人の体重を支えるようにできてないからなあ。
「こんなのでどうやって吊ったんだ」
「簡単じゃ。こうして縄を首にかけて」
大門が自分の首に、どこからか取り出したロープを掛けた。
「で、ここに結んで、こう」
そしてカーテンレールに紐をかけると、思いっきり首を吊った。
なるほど、意外と丈夫なんだな、カーテンレールって。
「……待て待て待て何やってんだ!?」
吊るなよ!? 完全に締まってるぞ!?
慌てて下ろそうとしたけど、首吊ってる人を下ろすのってどうやればいいんだ!? とりあえず引っ張ればいいのか!?
「ぐえー」
「大鋸くん何やってんの!?」
「下ろすんだよ!」
「逆に締まってるから!?」
じゃあどうしろってんだ!? 大門を引っ張る手に力がこもる。
バキッ、と嫌な音がして、大門の体が地面に落ちた。
カーテンレール、壊れちゃった……。
「どうしよう」
「そんなのあり……?」
隣にいる奴と揃って途方に暮れる。
……いや待て、誰だこいつ。肌は青白いし、首が妙に長いし、瞳が白く濁ってる。手には輪っかにしたロープを持っていた。
「翡翠ッ!」
メリーさんがチェーンソーを構えて叫んだ。こいつ、怪異か!
怪異が我に返るより速く、頬をぶん殴った。モロに食らった怪異がよろめく。
その後ろからメリーさんが斬りかかった。やたら長い首にチェーンソーが食い込み、あっさりと斬り飛ばした。
まだ起き上がってくるか、と注意するけど、怪異はピクリともしない。ちゃんと死んだらしい。
「何だこいつ」
「わからないが……この怪異が彼に取り憑いて首を吊らせようとしていたのかな」
楓が呟いた。
確かに、首吊り死体みたいな見た目だし、首吊り用のロープも持っている。
「ってことは、連続首吊り事件はこいつのせいか?」
「だろうねえ。まあ、死んでしまったからこれ以上の被害は出ないと思うが」
吊る首が無くなっちまったからなあ。
そんな事を考えていると、首を吊りかけた大門が目を覚ました。
「ぐ……おいは、何を……?」
「おう。何か幽霊に取り憑かれて、首を吊りそうになってたらしいぞ」
状況を伝えると、大門は目を丸くして。
「おいは恥ずかしかっ! 生きておれんごっ!」
チェーンソーで切腹しようとした。
「待て待て待て!?」
慌てて抑える。いや待てマジで何やってんだよお前は!?
「怪異に取り憑かれるなんぞ不覚! ここで腹ば斬らんと、親父っどんに顔向けできん!」
かなり変だ。別の幽霊が取り憑いたか?
「楓! これって切腹の幽霊に取り憑かれたとか!?」
「いや、ただの切腹じゃないかな……」
その方が困る!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます