暁総合警備術・四足編
今日は陶の会社に行って、紫苑と沙也加に護身術を教える日だ。
暴力は禁止されてるけど、これは護身術だからセーフ。そう伝えたら、雁金がついてくると言った上に、待ち合わせ場所で出会い頭に一発はたかれた。
「怪異のたまり場みたいなところに、のんきに一人で行こうとしないでください!」
だからってショットガンまで持ってくるのはどうかと思うんだけどな。職質受けたら一発アウトだぞ?
幸い、何事もなくアカツキセキュリティ㈱番町出張所に着いた。
「よう」
「お疲れさん」
出迎えた陶は、まだ肩と首に包帯を巻いていた。『猿の手』改め『河童の手』から湧いてくる薬の効果で一命を取り留めたとはいえ、普通なら死んでるレベルの怪我だ。そう簡単には治らないんだろう。
ついでに言うと吉田は休みだ。本人は腕の骨が折れただけとか言ってたけど、やっぱいろいろと無茶してたらしい。……病欠だよな? 有給取ってストレス発散とかじゃないよな?
ロッカールームで着替えて道場に行くと、ジャージに着替えた紫苑と沙也加が挨拶してきた。
「お久しぶりです師匠!」
「どうも。雁金さんも、お元気そうで何よりです」
「おう、久しぶり」
警察から逃げてる間は稽古とか言ってられなかったからな。本当に数ヶ月ぶりだ。
「陶さんから聞きましたが、東京地下に湧いた怪異をちぎっては投げ、ちぎっては投げの大活躍だったそうで! さすがですわ!」
「おい陶、教えたのかよ」
「いやァ、なあ? あんまりにしつこく聞いてくるもんだから、つい……」
まあ、特訓は休みにしてたし、アカツキセキュリティの人たちがボロボロになってるし、警察とか自衛隊とかも出張ってたし。紫苑たちくらい身近だったら何があったか察しはつくだろう。仕方ない。
ただ、紫苑や沙也加の様子を見る限り、チェーンソーのプロがどういう仕事かまでは知らないみたいだ。そもそも陶に教えてないから知りようがないけど、吉田がどうも勘付いてたみたいだから、ちょっと心配はしてた。警察に通報されたら厄介だからな。
「よし、そんじゃァ、今日の特訓は大鋸がメインだ。頼むぞ」
そう言うと陶は後ろに下がった。前の日に連絡を取り合って、今日の授業は俺が中心になって話を進めるって事になってる。陶がケガしてるってのもあるし、今回は俺の方が詳しいってのもある。
「師匠、本日はどのような技を学ぶのでしょうか!? 投げ技ですか、剣術ですか!?」
「私たちでもできるようなものでお願いします。男性のパワーがないとできない技とか、覚えても仕方ありませんから」
「そこら辺は安心しろ。何しろ今日は……」
そう言うと、俺は下の事務所から借りてきたノートンパソコンを取り出した。
「座学だ」
――
動画。山の中を車が走っている。カメラは車の後部を映していて、周りの木々が画面の奥へとすっ飛んでいく。ドライブレコーダーの映像だ。
山道は曲がりくねっていて、車はあまりスピードを出せない。すれ違う車が無く、道幅もそこそこ広いから、運転自体は楽なのがせめてもの救いだ。
急に車が止まる。
《え、待って待って》
男の声が入る。驚いている。続いて、女の声も入る。
《何あれ……》
《熊?》
《ヤバいじゃん》
後ろを映しているカメラには何も映ってないが、止まった映像と切羽詰まった声だけで、緊迫感は伝わる。
しばらくすると、車がゆっくりと動き出した。
《大丈夫だよね?》
《うん、うん》
やがて、画面の端に黒いものが映った。ゴワゴワとした毛皮に包まれた生き物。日本最強の陸上生物、熊だ。
身長は1mにも満たない。熊にしては小さいけど、その身に宿す迫力は、一般人にとっては十分だ。
熊は通り過ぎる車をじっと見ていたが、不意に四つ足で動き始めた。瞬く間に加速して、車との距離を詰めてくる。
《ヤバいヤバい来てる来てる来てる!》
《ハァ!?》
《早く早く!》
乗っている女がすぐに気付いて警告する。すぐに車は加速した。
しかし、熊との距離は離れない。むしろ熊の方が速い。曲がりくねった道とはいえ、車はそれなりのスピードを出しているが、熊の疾走がそれを上回っている。
《ヤバいヤバいヤバい!》
《何だよっ、オイッ!?》
遂に熊が車に追いついた。熊はそのまま車に体当りする。鈍い音と共に画面が揺れた。
《オ゛ア゛ーッ!?》
《ギャーッ!?》
悲鳴。ブレーキ音。激しく揺れる画面。草に突っ込む車。半分藪に飲まれたリアウィンドウの向こう側で、驚いた熊が逃げ出しているのが見えた。
――
「えー、今のが、『山の中で熊に煽り運転された件についてwww』の動画だ。Youtubuに上がってるから、見たい奴は後で検索しろ」
「たくましいですわね被害者の方」
いやまったくだよ。ツイッターにもアップして万バズさせた上に、取材も受けてネットニュースになったし、ちゃっかり自分のパン屋の宣伝もして荒稼ぎしてるし。
ただ、俺が紫苑たちにこんな動画を見せたのは、転んでもただでは起きないたくましさを身に着けてもらうためじゃない。教えたいのは別のことだ。
「熊っていうのは今見た通り、自動車相手にも引けを取らない。パワーもスピードも装甲も。
この自動車も、さっきの体当たりだけでトランクドアが思いっきりへこんで、窓ガラスが割れたそうだ。
だから、普通の人間が出くわしたらまず勝てないと思え。自動車と戦うようなもんだからな」
「普通じゃなくても厳しいですよ。初めて会った時は、銃があっても死ぬかもって思いました。
鹿用の散弾が効かなくて、
隣で見ていた雁金が補足してくれる。やっぱ経験者がいると説得力が違うな。
「やっぱ野生動物はヤバいよな。俺もツキノワグマと戦ったことあるけど、チェーンソー発剄が跳ね返されたぞ。かすっただけで作業着ごと腕を斬られたし。
まともに殴られたら防御とか関係なしに、骨が折れるか肉がちぎれるかしてたと思う」
「ヒグマじゃなくて良かったですね。多分、チェーンソー発剄の時点で腕が折れてたと思いますよ」
「すみません、人外視点の世間話は止めてもらえますか?」
「むう」
沙也加にめっちゃ辛辣に言われた。失礼な、人間だぞ。俺だってチェーンソー無しで熊に出くわしたら逃げる。
「そもそも私たちは怪異相手の護身術を習いに来てるんです。猛獣の話をされてもしょうがないんですけど」
「おっと、そうだった。何でこんな物を見せたのか、理由を話してなかったな」
雁金と話すために動画を見せたんじゃない。教材なんだよ、これは。
「この動画の熊は普通の熊だけど、もしもこれが怪異だったら、どうする?」
「……え?」
聞かれた沙也加がキョトンとした顔をした。紫苑も眉根を寄せている。どっちも考えたこともなかった、って感じだ。
「つまり動物、あるいは動物の要素を持った怪異だ。『チェーンソーの猫』とか、『鵺』とか、九曜院のところの化け物狐……あれはちょっと違うか。
いやそもそも沙也加、お前に『大ムカデ』が取り憑いてただろ。キョトンとしてんじゃねえよ」
「す、すみま……いや話が唐突すぎます! わかりませんよそんなの!」
うーん、そう言われると確かに、熊を引き合いに出して動物系の怪異の話に持っていくのはまずかったかもしれない。怪異じゃなくても普通に危ないし、熊。
「えーと、言いたかったのはな。怪異は人間型とは限らないってことだ。でもって、そういう動物が相手だと、対人戦の心がけはほぼ通用しない。
背の高さが違うし、筋力とか俊敏性も別物だ。なんだったら毒とか持ってることもあるし、見た目が気持ち悪すぎて近付きたくないっていうのもある」
クソデカきさらぎ駅で出くわした『巨大ヒヨケムシ』を思い出す。あれは本当に酷かった。
「で、そういう奴らと戦う時の鉄則なんだが……顔を狙うな」
「顔?」
紫苑が両手を頬に当てる。偶然にもかわいいポーズになっているが、これから話すことはちっとも可愛くない。
「モノにもよるけど、獣の顔っていうのは頑丈なんだ。『鵺』の顔にチェーンソーを叩き込んだ事があるけど、弾き返された。だから顔を狙うのは止めた方がいい」
「ハンティングでも同じですね。熊や猪の顔を正面から狙うのはNGです。銃弾が弾かれることも珍しくありませんから」
「でも、頭が急所なのは人も獣も変わりませんよね。それに獣も、顔を殴られたら痛くて怯むのでは?」
怯ませれば隙ができると沙也加は考えてるんだろう。だけどそうもいかないんだ。
「確かに痛がる。けどあいつらは痛みにずっと強い。顔の皮を半分削りとられながらブン殴ってくるから、牽制にもならない」
「では、目を狙うのはどうでしょう? 視界が塞がれれば、例え獣でも戸惑うとは思いますが」
「的が小さすぎる。現実的じゃない」
人間相手でも斬り合いの途中で目を狙うのは厳しい。もっと機敏な獣の目を狙うなんて、いくらなんでも無理だ。
「だからまあ、獣の怪異を相手にするのは人間の怪異以上に危険なんだ。立ち向かおうとしないで逃げてほしい……とは言いたいけど、出会った時点で逃げられないからなあ」
「車に追いついてましたものね、さっきの動画だと」
「手を挙げたり、上着をバッと広げて体を大きく見せて、静かにゆっくり下がって距離を取る、ってのが鉄則なんだけど、怪異にそれがどれだけ通じるかもわからない。
そういう訳で、獣の怪異に襲われたら、首を狙え」
自分の首を傾け、チョップを当てる。
「顔はダメでも、首はいいんですか」
「こっちは骨に守られてないからな。顔を殴るよりは効く。それに気道、血管、神経、全部が詰まってる。刃物が刺されば致命傷だし、鈍器で殴ってもダメージは見込める」
「後は脇の下とか脇腹とか、側面ですね。的が大きいので、ハンティングでもよく狙います。逆に正面を狙うはよくありません。特に猪とか熊とかの肉食動物がそうなんですけど、急所が顔に邪魔されますから」
雁金の補足説明。やっぱ現役の狩人がいると話が早い。今日はむりやりついてきたけど、いてくれて助かった。
「……あのー、すみません」
「どうした」
沙也加が遠慮がちな声を出した。なんか顔色が悪い。
「今、言われた通りに首を狙って倒す方法を思い浮かべてたんですけど」
「うん」
「首がブチッてなったら、中身の液がビチャってなって大変になりません?」
「それくらい我慢しろよ」
「あと、胴体がビチビチ跳ねて危ないと思うんですけど」
「待って、何の動物?」
なんか思い浮かべてるのがおかしくないか? 首をちぎったのに跳ねるって何?
そう思ってたら、沙也加が答えた。
「ムカデです」
……あー、そうか。俺らは哺乳類で考えてたけど、沙也加の立場じゃ動物の怪異って言ったら昆虫か。次は昆虫対策の話を考えたほうがいいかもな……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます