孵化

「大鋸くーん、買い物行こっ」


 暴力チェーンソーを封じられてから、アケミが事あるごとにアパートにやってくるようになった。

 俺が怪異につきまとわれてないかとか、出かける時に寄ってくる怪異を追い払うためだとか、朝ごはんをちゃんと食べてるかだとか、いろいろ理由はつけてるけど、一番は俺の側にいたいってとこだろう。


「わかった。今行く」


 財布をポケットに入れて、顔を洗って髪を軽く整えて、準備はOK。

 玄関に向かうとアケミがいた。白いキャミソールの上に薄い緑のカーディガンを羽織って、くるぶしが見えるくらいの丈の白いズボン。履いているのは白いサンダルで、紐みたいで素足がよく見えるやつだ。

 たかだか歩きで10分くらいの所にあるスーパーに行くだけだっていうのに、結構いい格好をしている。おまけに薄く化粧もしているみたいだ。

 自分の格好を確かめる。アルファベットが並んだ黒いシャツに、ジーンズ。あとスニーカー。それだけ。


「……やっぱ着替えた方が」

「いーから、いーからっ」


 気後れする俺をアケミは強引に引っ張り出した。相変わらず力が強い。勝てない。

 外に出ると日差しが強い。もうすっかり夏だ。7月も終わりに近付いて、梅雨もとっくに空けている。ここまで暑いと外に出たくなくなる。


「はい」


 アケミが日傘を差し出してきた。差せと。白い女物の傘を開くと、俺に降り注ぐ日差しが和らぐ。でもこれだとアケミが暑いだろ。それにこのデザインは俺には似合わない。

 返そうとしたら、アケミがピッタリと体を寄せてきた。


「これで一緒に入れるねえ」


 ひょっとしてこれが狙いか? だけどそんなにぴったり貼り付いたら、それはそれで暑く……いや暑くないか。アケミの体はひんやりしてる。人形の怪異だからだ。


「んじゃ行くか」

「ふふっ」


 アケミの方に少し日傘を傾けて歩く。はたから見たらカップルがいちゃいちゃしてるって思われるんだろうが、ここは東京の端っこ。人通りはそんなにない。たまにすれ違う、文句のありそうな奴も、俺がひと睨みすればビビって逃げていく。


「大鋸くん。暴力はダメだよ?」


 その度に、アケミが腕を引っ張ってくる。失礼な。ちょっと視線を突き刺しただけで、物理的には何もしてないぞ。


 2人揃って川沿いを歩く。俺ひとりで歩いていけば、スーパーまで10分くらいだけど、アケミにしがみつかれながらだと、もうちょっと時間がかかりそうだ。

 ……っていうか、アケミのおしゃれの気合の入れ方を考えると、完全にデートだよなこれ。デートがスーパーっていうのはどうなんだ。もうちょっと、ちゃんとした所に連れて行ってやりたい。

 でもちゃんとした所っていうと、どこだ? 雁金と会う時は飲み屋と取材現場とホテルくらいだけど、アケミは好みが違うだろう。そもそもアケミが行きたそうな所がわからない。


 いや考えてみると、なあなあで付き合ってるけどアケミの事はよく知らないな俺。怪異になっていきなり押しかけてきて、殺したと思ったら復活してきて、流れで屋敷に居座ってメリーさんの面倒を見てもらってる。

 高校の頃は……マトモに話すこともなく、明美アケミは学校に来なくなった。つまり情報はほぼゼロだ。


「どうしたのー、大鋸くん? こんなにかわいい彼女がいるのに、ボーッとしちゃって。何考えてるのかなあ? ほかの女の人のこと?」


 アケミが不満げに顔を覗き込んできて、ニヤニヤ笑って、真顔になって詰めてくる。コイツは本当に感情の切り替わりが早い。


「いや、お前とデートに行くならどこがいいのかな、って考えてた」


 思ってたことをそのまま告げると、真顔だったアケミの顔がみるみる真っ赤になって、俺の肩口に顔を埋めた。


「急にそういうの……反則……」


 自分から攻めてくる時は迷惑なくらいグイグイくるのに、こっちがからかうと途端にこうなる。反撃に弱い。

 静かになったアケミを連れて歩く。橋の上を渡っていると、川の方に視線がいった。何か変なものが見えた気がする。

 なんだろうと思って探してみると、川の上流から箱が流れてきているのを見つけた。誰かゴミでも流したのか。段ボールじゃなくて木の箱だ。

 箱が橋の下を潜っていく。何が入ってるんだ、と覗き込んでみたら、どうも雛人形っぽい。お内裏様とお雛様だ。何でこんなものが箱に入って川に流されてるんだ。人形なら燃やせ。お焚き上げしろ。


「大鋸くん」


 アケミに腕を引っ張られた。


「どうした」

「見ちゃダメ」


 いつになく真剣なアケミの表情。ヤバいんだな、と思って雛人形から目をそらした。

 アケミに引っ張られて、足早に橋を渡る。川から離れたところで、アケミがホッと息を吐いた。どうやら大丈夫になったらしい。


「何だったんだ、さっきの」

「『流し雛』だよ。穢れとか厄とか、そういう良くないものを身代わりの人形に押し付けて川に流すの。あんまり長く見続けたり、触ったりしたら、人形の厄が移されちゃう」

「今は7月だぞ? 雛祭りって3月だろ?」

「うん。多分、よっぽど急いで厄を流さないといけないことが起きたんだと思う。あるいは、怪異だから時期とかお構いなしかもしれないけど」


 アケミは川の下流の方に視線を向けて、頷いた。


「うん。もう流れていったみたい。行こっ」


 そして俺の手を取って歩き出した。なんだかよくわからないけど、怪異に絡まれずに済んだらしい。


「ありがとうな、アケミ」

「……ッ! うん、うんっ!」


 お礼を言うと、アケミは満面の笑みで頷いた。本当に、今度デートに連れて行ってやるか。


 それからスーパーに着いた俺たちは、無事に買い物を済ませた。俺が食べるものだけじゃなくて、アケミとメリーさんが屋敷で食べるものも買い込むから結構な量になる。ついでに、安かったからウイスキーも瓶で買った。あと炭酸も。今夜はハイボールだ。


 帰り道は荷物があるから日傘を差せなかった。俺もアケミも手が塞がってる。横に並んでテクテク歩いていると、さっき雛人形が流れていった橋に差し掛かった。下流の方を見てみるけど、流し雛がこっちに戻ってくる気配はない。

 俺は安心して、前に目を向けた。そしたら、視界の端に赤いものが映って、そっちを見た。


 川の上流だった。自然界には場違いな、色鮮やかな赤がある。階段状の飾り棚に被さった、赤い布だった。

 ひな壇だ。お笑い番組の芸人のことじゃない。雛人形を飾るあの棚だ。

 もちろん、壇だけじゃなくて上の雛人形もちゃんと揃っている。


 お内裏様とお雛様、二人並んで済まし顔。

 三人官女も勢揃い。

 その下では五人囃子が笛太鼓。

 さらに下にはひし餅が、両サイドを男人形に挟まれてそびえ立つ。

 下の段には男人形が3体。あれ、これと4段目を合わせて五人囃子だったっけ?


 そんな、全五段の雛壇が、上流から。凄い光景だ。どう考えたって倒れそうな棚が、まったく横揺れしないで滑るように川を流れてくる。


「アケミー……」

「なあにー……えっ」


 ニコニコで振り返ったアケミは、俺が見ているものを見つけると顔をギョッとさせた。


「なにあれぇ……」

「『流し雛』……じゃないか?」

「棚ごと流すのはちょっとダイナミックすぎるかなー……?」


 呆然としているうちに、流し雛はどんどん近付いてくる。近付いてくると、結構デカい。あと、人形だけじゃなくてぼんぼりとかひし餅とか桃の花とかもフルセットになってる。川に流すだけなのに、何でそこまでこだわった。


「ちなみにあれは呪われてるのか? あそこまで来るとおめでたそうな感じもするけど」

「……ッ! 呪われてる、呪われてるよ! さっきより多い! 早く行こう!」


 ひょっとしたら宝船みたいにありがたいものかと思ったけど、そんな事はなかった。アケミの言うことに従って、さっさと橋を渡る。

 渡り切ったら、振り返らずにさっさと川から離れる。家に帰るには遠回りになるけど仕方ない。あんな変な雛壇が流れているのを横に見ながら帰るのは、いくらなんでも落ち着かない。


 ゴン、と重い音がした。何かがぶつかった時に聞く音だ。嫌な予感がして振り返る。

 川岸に雛壇が乗り上げていた。そして、上に乗っていた雛人形たちが独りでに歩いてこっちに向かってきてた。雛人形による強襲上陸、ノルマンディー作戦だ。触って貰えそうにないから、厄を移すために自分から歩いてくるとか、そんなのある?


「ヤバいな」

「ヤバいね」

「さっさと逃げ――」


 足が急に痛くなった。驚いて足を見ると、太腿に何か刺さっている。引っこ抜いてみると、ミニチュアの矢だった。雛人形が持ってたやつか? この距離から当ててくるとか冗談じゃねえよ。


「大鋸くん?」

「すまん、足をやられた」

「は?」


 結構痛くて走れそうにない。こうなると迎え撃つしかないな。あれくらいの人形なら……素手で叩き壊せばいいか。指と手首の骨を鳴らして、拳を握りしめる。さあ、かかってこい。


「大鋸くんに、傷をつけたの……?」


 ゆらり、とアケミが前に出た。いつの間にかカーディガンを脱ぎ捨てて、背中から2本の追加の腕を生やしている。もちろん、4本の腕全部にチェーンソーを持っていた。

 雛人形たちが押し寄せてくる。先陣を切るのは、薙刀を構えた男人形だ。あの薙刀も本物同然の切れ味なんだろうけど。


「何してるのよっ、ボロ人形めっ!」


 今日はアケミの方がキレていた。チェーンソーを振り下ろし、薙刀人形を真っ二つだ。

 流し雛たちは怯まず、次々とアケミに飛びかかる。更にはひし餅の両脇にいた男人形が、手にした弓矢を放ってくる。レベルの高い連携だ。

 だけどアケミだってレベルは高い。四本の腕を器用に振り回して人形たちを迎撃する。矢は何本か受けてるけど、あいつは俺より頑丈だ。ちっとも怯んでない。


 下段の男人形が全滅したところで、雛壇に動きがあった。三人官女が舞い踊る。すると、隣のぼんぼりが明るくなって、野球ボールくらいの大きさの火の玉を放った。

 アケミは火の玉を避ける。地面に落ちた火の玉は、ピカッと光って爆発した。飛び散った小石が俺の足元までとんでくる。まるで爆弾……あかりをつけましょ爆弾に……?


「危ないでしょ!」


 怒ったアケミが雛壇へ突進する。今度は五人囃子が楽器で殴りかかってきた。動きはさっきの男人形と大差ない。ただ、弓矢とぼんぼりの援護射撃が激しく、攻めづらそうだ。

 助けに入らないとマズイか。


 俺は足をかばいながら土手に降りた。いい感じの石を拾って、雛壇へ投げつける。何個か投げると、一個がひし餅の横の弓矢人形を直撃した。よっしゃ。

 他の人形がこっちに気付いて、矢やぼんぼりを撃ってくる。危ない危ない、慌てて避ける。


「ありがとう、大鋸くん!」


 その隙を逃すアケミじゃない。残り三人囃子を吹き飛ばすと雛壇へ肉薄、チェーンソーで横薙ぎに切り裂いた。弓矢人形と三人官女がまとめて壊れる。

 さあ、残りは2体。お内裏様とお雛様だ。破壊された雛壇から飛び降りたお内裏様は刀を、お雛様は扇を構える。ふたり並んで済まし顔だ。

 アケミは間合いを詰め、チェーンソーを振り下ろす。2体の人形は散開して回避、お内裏様が足を、お雛様が頭を狙う。

 それに対してアケミはお内裏様を踏みつけた。しょせんは人形、お内裏様は一踏みでバラバラになる。

 しかしお雛様の突き出した扇が、アケミの頬に突き刺さった。普通の人間ならうずくまるような大怪我だが。


「だから何?」


 アケミは首が飛んでも平気なくらい頑丈な怪異だ。痛がりもせずお雛様を掴むと、雛壇に向かって投げつけた。

 豪速球で雛壇に叩きつけられたお雛様がバラバラになる。更に衝突の勢いで、ぼんぼりが倒れ、爆発炎上した。

 流し雛は全滅した。雛壇は炎を上げながら岸を離れ、下流に向かって流れていく。


「大丈夫? 大鋸くん」


 燃える雛壇をバックに、アケミが心配そうに近付いてくる。


「おう。ちょっと痛いけど大丈夫だ。ありがとう」

「ごめんね大鋸くん。私が守るって言ったのに、怪我させちゃって……」

「泣くな泣くな、これくらい平気だから」


 小枝が刺さるくらい、林業にはよくあることだ。消毒して包帯を巻いておけばすぐ治る。


「それよりも、早く逃げるぞ」

「逃げ……? まだ何かいるの!?」


 アケミはチェーンソーを構えるけど、そういう事じゃない。

 燃えながら流れる雛壇。その辺に散らばった人形。爆発音。こいつらが揃ったら、起こることはひとつ。


「警察が来る」

「……早く逃げよっ!」

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