怪物に言葉は通じない

 兵庫県六甲山。軽井沢に並ぶ、富裕層に人気の別荘地である。貸しコテージやキャンプ場は当然のこと、企業の保養地や資産家の別荘なども並んでいる。

 この六甲山の山奥に、土地を広大に使った別荘がある。書類上は大阪の貿易会社が所有しているが、それはペーパーカンパニーでしかない。

 実際には王錫おうしゃくグループ相談役の壬午苑じんごえん英晃ひであきが、極秘の会議や潜伏のために使う隠れ家であった。


「金融庁が捜査に入るだと!? すぐに止めさせろ!」


 別荘の地下には図面にも載っていない秘密の部屋がある。そこには壬午苑の他に、スマホに向かって怒鳴り散らす大鋸おおが石黄せきおうと、東京から逃げてきた太田原元理事もいた。


「……何ィ、金が無い!? だったら各務から金を……断られた!? バカな!? なら急いで証拠を処分しろ! 目につくもの全部だ!」


 石黄はスマホを操作し、本社の部下に指示を出し続ける。テロが失敗して以来、"政治"を司るはずの大鋸は、政治に対して後手に回り続けていた。

 自分の会社に警察がやって来る。事件の重要参考人として指名手配される。重役レベルでしか知り得ない情報が内部告発され、更にそれを大々的に取り上げられる。海外資産が凍結される。更に、金融庁が不正取引の疑いで家宅捜索に入るという。それを裏取引と賄賂で黙らせようにも、"金"を司る大鋸の一族に資金援助を拒否された。

 平たく言えば、石黄の社会的生命は風前の灯であった。


「なぜ……どうして、こんな……っ!」


 有効的な手立てが打てない。ことごとく外される。

 追い詰められる、ということ自体が石黄にとって数十年ぶりのことであり、起死回生の手を見出だせない。


「貴方、何とかしなさいよ! 今までスポンサーだとか言って偉そうにしておいて、肝心な時に役に立たないなんて!」


 太田原がヒステリックに叫ぶ。彼女は『全日本赤外套革命戦線』の関係者が政府から次々と排除されていることをいち早く察知して、身を隠していた。自宅や隠れ家にも警察の手が迫っていたため、リーダーの壬午苑を頼ってこの隠れ家へ逃げ込んでいたのだ。


「うるさいっ! そもそもお前が警察に目をつけられなければ、こんな事!」

「揉み消せるって言ってたのは貴方でしょうが!」


 石黄と太田原の醜い言い争いを前にして、壬午苑は却って落ち着いていた。

 ひだる神の目覚めは失敗した。政府に潜ませていたシンパも次々と摘発された。言い訳のしようもなく、完敗だと言っていい。

 敗因は――わからない。満州の廃神を使って『三種の神器』を揃え、日本中の怪異を操れたのに失敗するとは思いもしなかった。恐らく、理由を考えても無駄だろう。運が悪かった、とでも理由づけするしかない。

 ならば、運が再び回ってくるのを待つべきであろう。

 幸い、すべての協力者が排除されたわけではない。文科省を中心に、政財界にはまだ『戦線』の息が掛かった人間が多数潜んでいる。ほとぼりが冷めた後、彼らと協力すれば、5年で新たな計画を実行できるだろう。


 部屋のドアが開いた。硬い木製のドアを乱雑に開けて入ってきたのは、"元"警視庁公安部長の輪堂だった。


「壬午苑さん! 無事でしたか!」

「輪堂君、どうしてここに……?」


 壬午苑は訝しんだ。警視庁から追い出された輪堂に隠れるように指示は出した。だが、この隠れ家には招いていない。

 どうやってこの場所を見つけたのだろうか。


「ああ、それはね。ボクが呼んだんよ」


 閉まりかけたドアから、男が部屋の中に滑り込んだ。エセ関西弁を操る、ストライプスーツの男。大鋸万次郎だ。なぜか顔には包帯を巻いている。


「……万次郎君、君はこの場に呼んでいないが」

「ええやろ。細かい事は。それにどうせ、すぐ親父に呼ばれてたやろうし」

「そ、そうだ万次郎! ワシの会社はどうなっとる!?」


 突然現れた息子を、石黄は問い質す。石黄と違って、万次郎は警察にもマスコミにも追われていない。自由に動ける万次郎なら、外の状況をわかっているはずだ。


「早速会社の話かい……まあええわ。

 一言でいうとな、親父はもう社長やなくなるで。役員の人たちもまとめてサヨナラ。第三者委員会も入って、徹底的に絞られる事になっとる。検察は容赦無しや」

「なんだと!? ワシの会社だぞ、どいつもこいつも勝手な……! 万次郎、すぐに検察の連中に金を渡して止めさせろ!」

「無茶言わんといてな。親父の財産、全部ダメになっとるやろ。どっから金を引っ張ってこいって?」

「各務だ! 奴から引きずり出せ! あの小娘、"政治"の長のワシが頼んでいるというのに断りおった! 目に物見せてやらねばならん!」

「……わかっとらんなあ」


 万次郎は残念そうに呟いた。


「親父。あんたの時代はもう終わりや。一昨日、村で会議があったよ。"政治"の長は親父から渡辺さんに変えるって。全会一致や」

「な……?」


 石黄は二の句が告げなかった。大鋸村を引っ張ってきたのは自分だという自負があった。なのに、村の連中が自分を見捨てるとは。いや、全会一致ということは。投票権を持つ人間が、目の前に一人いる。


「万次郎、貴様も裏切ったんか、ワシを! 息子のクセに!」

「……あんな、息子ったって限度があんのよ」


 万次郎はタバコに火を点けた。口の周りがほのかに明るくなる。


「やれ、この国があるのはワシのお陰だの、村が続いてるのはワシが守ったからだの、お前が勝ち組なのは父親がいいからだの、事あるごとに恩着せがましく言いよって。

 その癖自分がトチったらすーぐ他人のせいにして、昨日までの身内をゴミみたいに見捨てるやないかい。アンタのやらかしでどれだけボクの仕事が増えたのかわかっとんの? わかっとらんやろうなあ。都合の悪いことは覚えない頭やし。

 まあ、それでも仕事してたのは事実やし、僕も我慢して働いとったよ? でもな……今回ばかりは、我慢できねえ」

「生意気な……! 何だ、何が不満だ言ってみろ!

 金が少ないか!? 地味だからか!? それとも、ワシより偉くなれないからか!?」

「お前が自分で守ったモン、全部投げ捨てたからだッ!」


 怒声を浴びて、石黄は身をすくめた。


「何が革命や、何が世直しや! 自分のモノにしたら思ったより言うこと聞かなかったから捨てちまおうってだけやないかい! ガキの癇癪か!?

 ハッキリ言って愛想が尽きたわ! ガッカリや! こんな奴が父親だなんて、尊敬するところもあったなんて考えてた自分が恥ずかしいわ!」


 口からこぼれたタバコを、万次郎は踏みつける。カーペットが焦げるが、咎める者はいなかった。

 石黄は何も言えない。万次郎の烈火の如き怒りに触れて、身動きが取れなかった。

 若い頃の石黄なら、迫力を呑み返していただろうが、老いた今では口をわなわなと震わせる事しかできなかった。


「落ち着きたまえ、万次郎君」


 そんな彼に、平然と話しかける人物がひとりいる。壬午苑だ。


「石黄さんが君にとって許せない事をしたようだ。だが、それは彼のせいではない。私が命じた。

 だから、親子同士で争うことは止めてくれないか。私も心が痛む」

「どの口で言っとるんやアンタは……」


 そうは言っても、万次郎は壬午苑の言葉を聞く姿勢を見せていた。


「我々は望んで君たちを蔑ろにしようとした訳ではない。配慮が足りなかったことは謝ろう。申し訳なかった。

 だが万次郎くん、君が父親に抱いたその怒り。蔑ろにされたという怒りは、我々がこの国に抱いている怒りだ。そして、全ての人民が支配者に対して抱いている怒りでもある」


 壬午苑最大の武器、それは言葉だ。極まった扇動アジテーションは魔法と区別がつかない。例え敵対する思想を持っていても、利益が相反するとしても、人は壬午苑の言葉を聞いてしまう。そして、聞いてしまえば言葉の網に絡め取られて味方になってしまう。

 このやり方で壬午苑は同志を、シンパを、味方を増やしてきた。万次郎も同じように、こちら側に引き込めると確信していた。


「そして万次郎君。君ほど優秀な人間なら、怒りに身を任せて行動することが愚かさだと知っているはずだ。だから――」

「待った」


 万次郎が手を掲げて、壬午苑の言葉を遮った。


「それ、ボクより怒ってるコに言ってくれへん?」


 壬午苑は同志たちを見回した。誰のことだろうか。万次郎ほど怒っている人間はここにはいない。


「……なんだ、この音?」


 輪堂が呟いた。壬午苑たちは顔を見合わせる。年寄りの集まりである。耳はそこまで良くはない。

 それでも、ドアの向こうから音の源が近付いてくれば、全員がそれに気付いた。向かってきているのは、ガソリンエンジンの駆動音。更に言うならば。

 チェーンソーの音だ。


 ドアが開いた。古めかしい、巨大なチェーンソーと、細長い木の板を持った男が現れた。

 交番の掲示板に貼り出されていそうな顔は、この場の誰よりも怒りに満ち溢れていた。

 大鋸翡翠。『全日本赤外套革命戦線』の策略によって、警察に追われる羽目になった替え玉である。


 翡翠は部屋の中をひと睨みすると、振り返ってドアを閉めた。それから手にした木の板を、ネイルガンでドアに打ち付ける。唐突な行動に、全員あっけにとられていた。

 木の板でドアを留め終わった翡翠は、向き直って万次郎に聞く。


「万次郎さん。どれが誰だ?」

「右から順に、公安部長、リーダー、親父、理事長」


 翡翠は小さく頷くと、壬午苑に向かって歩を進める。

 なるほど、万次郎が言っていたのは彼のことか。理解した壬午苑は、早速説得にかかった。


「君は……なるほど。君が大鋸翡翠くんか。石黄さんから話は聞いている。我々のせいで警察に追われてしまったそうだね。迷惑をかけて済まなかった。

 だがあれは不幸なすれ違いであって、決して君に危害を加えようとは」

「うるせェーッ!!」


 怒声と共に翡翠はテーブルを蹴っ飛ばした。宙を舞ったテーブルは、喋る壬午苑に思いっきりブチ当たった。

 壬午苑が状況を理解する前に、翡翠は飛び込み、テーブルごと壬午苑をチェーンソーで叩き切った。


「テメェこの野郎! 散々やってくれたなこの野郎が! 銃で撃たれて、警察に追われて、筋肉の神にぶん殴られて、東京中を駆け回って、地底人と戦って、挙句の果てには神様だ!

 自分から法律ブチ破っといて、謝れば済むと思ってんのか!? とっくに暴力の世界なんだよ! オラ死ね! とっとと死ね! それ以外に言うことはねェーッ!」


 壬午苑はとっくに死んでいるが、翡翠はチェーンソーを何度も振り下ろす。それぐらいキレている。何しろこの数ヶ月の苦難の大元がこれだ。何度殺しても殺し足りない、ということはない。

 それでも、自分が斬っているものが人間の形で無くなってしまうと、流石に暴力の対象にはできなくなったようだ。次の的を探して、部屋をぐるりと見回す。


「ひいっ!?」


 睨まれた輪堂は腰を抜かして、這いつくばって翡翠から逃げようとする。

 翡翠は輪堂にズカズカと近寄ると、チェーンソーを振り下ろした。『戦線』と手を組んで同期に先駆けて出世していた公安部長は、同期より一足先に退職することになった。


 ガン、と鈍い音が響いた。太田原が手にした斧で、塞がれたドアを破壊しようとしていた。しかし、高価な木材を使い、更に翡翠が木の板で補強したドアはそう簡単には壊れない。

 チェーンソーのエンジンを噴かして、翡翠が太田原に近寄る。


「くっ、キエエッ!」


 脱出が間に合わないと悟った太田原は、斧で翡翠に斬りかかった。彼女も『赤マント』の怪異憑きである。マントの中から刃物を取り出し、人間を殺す力を備えている。

 しかし、実戦経験は無いに等しい。

 翡翠は斧が振り下ろされる前に、チェーンソーで太田原の肘を斬り飛ばした。支えを失った斧はあらぬ方向へ飛んでいく。

 呆然とする太田原の顔面に、チェーンソーのエンジンブロックが叩きつけられた。顔面が陥没した太田原は後方に飛び、壁に後頭部を強打。頭蓋骨の前後を粉砕されて即死した。


 残るは1人。壁際で震えている石黄に、返り血と肉片にまみれた翡翠は近付いていく。その姿は悪鬼そのものだ。

 このままでは殺される。石黄は必死に口を動かす。


「ま、待てっ! ワシやぞ、大鋸石黄やぞ!? ワシに手を出したらどうなるかわかっとるやろ、翡翠君!

 今まで村を守ってきたのはワシや! ワシがいなけりゃ村人全員、殺人犯扱いでしょっぴかれるで! キミの親父さんも、お袋さんもや!

 それに同じ村人やないか! 仲間やろ!? 顔見知りを殺すつもりか!?」

「それとこれとは」


 翡翠はチェーンソーを振り被り。


「話が別だっ!」


 ためらいなく振り下ろした。石黄は袈裟懸けに斬られ、文句を言う間もなく死んだ。


 革命を志した4人が引き裂かれた血肉に変じるのには、3分もかからなかった。

 それでも翡翠の怒りはまだ残っていたようだ。あるいは、怒りをぶつけるには物足りない相手だったのかもしれない。地面に散らばるテーブルの破片を蹴り飛ばす。テーブルは壁にぶつかり、血のスタンプを残した。


「帰る」


 翡翠は肩を落とし、部屋のドアを塞いでいた木の板をチェーンソーで破壊した。まるでコンビニで買物を済ませたかのように、惨劇の現場を後にする。


「おつかれさん」


 その隣に万次郎が追いつく。翡翠の側からは包帯を巻かれた痛々しい横顔が見える。約束通り、翡翠が全力で殴った結果だ。


「……俺が言うことじゃないけどさ」


 ためらいがちに翡翠が問いかける。


「殺してよかったのか、親父さん?」


 少し間を置いて、万次郎が答えた。


「そいつはいいっこなしや」

「けどなあ」

「愛想が尽きたってのはマジやで。それでもって、親父はここで殺さなアカンかった。生かしておいたらどんな手段を使ってでも這い上がって来たからな。

 第一、ウチの村じゃあそんなに珍しい事やない。調子に乗った長の1人を止めるために、他の2人が協力する。今回は今の長だけじゃなくて、翡翠くんのお父さんみたいな他の有力者も全会一致やし、死んでもらわなアカンかったんや。

 だからボクひとりがワガママ言うわけにはいかんのよ。……いや、そもそもワガママ言ってないからね?」


 万次郎の表情は包帯に隠れてわかりづらい。そもそも、頭の出来では1枚も2枚も上を行かれている翡翠が、万次郎の本心を読み取れたことはない。

 それでも翡翠は感じ取るものがあったが、口に出さずにただ溜息をつくだけだった。

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