ワラズマ

 沼渕坂の過激派アジトは住宅街の奥まった所にある。トタンと鉄板で覆われたアジトは、ごく普通の住宅街の中で異様な存在感を放っている。敷地は有刺鉄線つきのフェンスで囲われており、野良猫も近寄れない。ちょっとした要塞だ。

 唯一、アジトに通じる道路には、『革命闘争継続中』『安保体制を粉砕せよ』『現政権は直ちに退陣せよ』といった威圧的なスローガンを貼り付けた看板が並んでいる。当然、無断で置かれているのだが、奇妙なことに行政は何の対応もしていない。


 更にこのアジトには奇妙な噂がひっきりなしに流れていた。肝試しに行った若者が行方不明になった。庭で男が一晩中棒立ちになっている。赤いマントの男が通行人に襲いかかった。いずれも警察が捜査して、ただの噂だったという結論になったが、噂は一向に収まらない。

 そういう訳で、近所の住民はこのアジトに近付かない。アジトに住んでいる自称革命戦士の老人ともども、できるだけ関わり合いにならないようにしている。


 だが、今日は違った。アジトでは朝から刑事たちが家宅捜索を行っている。更にアジトに通じる道路には数台の車が停まり、道路を封鎖している。そこには刑事だけでなく、民間の警備会社も参加している。

 そして、その厳重な警戒態勢に近付く奇怪な集団もある。河童、土蜘蛛、侍の幽霊。茨城から転戦を続けてきた怪異たちである。その顔には疲れの色が見えるが、それでも急かされるように前へ進んでいる。


《そこの集団、止まりなさい。現在ここは、関係者以外立ち入り禁止になっている》


 刑事の一人がスピーカーで怪異の群れに呼びかける。形式的なものだ。これで止まるとは思っていない。

 怪異の群れは呼びかけられたのを機に、バリケードに向かって駆け出した。刑事たちが拳銃で応戦する。何匹かが銃弾に倒れるが、それだけでは怪異の勢いは止まらない。


「っしゃあ! いくよ、アンタたち! 『四課四班』、久々のだ!」

「応ッ!」


 バリケードの内側から、吉田を初めとするアカツキセキュリティ『四課四班』の面々が飛び出した。今回は吉田たちだけではない。番町出張所で待機していた面々も参加している。正真正銘の全戦力だ。


「河童がなんじゃい! 相撲がなんじゃい! 全員マットに沈めたらあ!」


 意気揚々と河童を殴り倒すのは、警備員の原。総合格闘技の選手だったが、結果を出せずに引退。怪異との縁を買われて『四課四班』にスカウトされた男だ。


「2時方向、40m先に敵の弓隊を確認。排除します」


 車の上で大弓を引くのは白浪。元はアカツキセキュリティの要人警護担当だったが、吉田のやらかしに引きずられる形で『四課四班』に異動となった女性だ。


「吉田殿の前で刀を振るうのも久々でござるなあ」


 そして警杖を手に土蜘蛛と対峙するのは、頬に引っかき傷のある男。副班長の飯村だ。

 飯村は土蜘蛛が振り下ろした拳を避け、首筋に杖を当てる。そして、目にも留まらぬ速さで杖を引くと、まるで刀で斬られたかのように土蜘蛛の首から鮮血が吹き出した。


 飯村の杖から、指が生えていた。細い女性の指だ。それは杖からズルリと這い出し、腕と肩、女の上半身を見せる。だが、真っ当な人の姿ではない。その形は切断された指が無数に絡み合ったものだった。

 あまりにおぞましい姿に、周りの怪異たちが後ろに下がる。指の怪物は彼らを一瞥すると体を大きく震わせた。すると、連なった指が体の中から飛び出し、槍のように怪異たちを貫いた。

 続いて指の怪物は、ジロリと飯村を睨みつける。異形の怪物に睨まれ、飯村は軽く頭を下げた。


「いやあ、毎度のことながら申し訳ない、『フィンガーさん』。今日も一つ、よろしく頼み申す」


 飯村が『フィンガーさん』と呼ぶこの怪異は、正体がはっきりしない怪異である。わかっていることは、本来は『ワラズマ』と呼ばれていたこと。呪術の生贄とされた人々の集合体だということ。そして、怨霊ではあるものの飯村を守っているということだけだ。

 守っているといっても、善良な怪異という訳ではない。縁があれば誰彼構わず容赦なく襲いかかる凶悪な怨霊だ。ただ飯村に恩義があるらしく、彼が危険にさらされれば全力で守る。かつて『フィンガーさん』と正面からぶつかった吉田は、この怪異を『子供に命を助けられたマフィア』と評した。

 飯村と『フィンガーさん』は様々なトラブルを引き起こし、最終的には『四課四班』で預かることになった。副班長ではあるが、現場にはあまり出ない。彼らが出てくる時は、今回のように見境のない戦力が必要な時である。


 そして、筑波大学の時からこの事件に関わっていた吉田や陶たちも、新規参加の飯村たちに遅れを取ることはない。旋風の如き勢いで、怪異たちを圧倒していく。


「おらぁっ!」


 河童を蹴り飛ばした陶は、警杖を構えて周囲に視線を配った。バリケードに綻びはない。同僚と刑事たちが奮戦しているが、それ以上に怪異たちの腰が引けていた。


「どうしたぁ!? ビビってんのか、あぁ!?」


 陶が足元の石を蹴り上げると、怪異たちは目に見えてうろたえた。鹿島港で散々叩きのめされたトラウマが、敵全体に広がっているらしい。中には陶の顔を見ただけで逃げ出す河童もいた。

 機嫌を良くした陶だったが、素早く近付いてくる影を見つけて、すぐに表情を引き締めた。河童たちの影を縫うように近付いてきた影は、両手に持った鎌形チェーンソーで陶に斬りかかってきた。陶は警杖をかざして、鎌形チェーンソーを受け止める。

 相手の顔を確かめた陶は、目を大きく見開いた。


「テメェは……!」


 斬りかかってきた相手が飛び離れる。体勢を立て直し、鎌形チェーンソーを構えたのは、人型であるが人間ではない。動物のマスクを被った、否、タヌキとネズミの中間のような動物の頭部の怪異だった。

 左腕が疼く。忘れるはずがない。陶が『四課四班』に入るきっかけとなった事件。現金輸送車を襲い、同僚に瀕死の重傷を追わせ、陶の左腕を斬り飛ばした犯人だった。


「テメェ、コラァッ! あの時のマスク野郎がなんでこんな所にいやがる!?」

「うん……? どこかで会ったか?」


 陶に怒鳴られた怪異は訝しげな声を上げた。


「現金輸送車! 『猿の手』! 俺の顔!」

「……ああ、あの時の。『猿の手』に取り憑かれた男だったか」


 陶にキーワードを連発され、相手は思い出したようだった。あの事件は彼にとっても不本意な結末だったようで、顔をしかめている。


「何しに来やがったか知らねえが、ここで会ったのが運の尽きだ! あの時のリベンジ、しっかり果たさせてもらうぜぇ!」

「お前に付き合っている暇は……いや」


 面倒そうに答えた怪異は、しかし口を止めてしばし考え込んだ。


「どうしたァ? ビビったか!?」

「気が変わった。付き合ってやろう」


 怪異は両手の鎌形チェーンソーを眼前に掲げると、腰を落とした独特の構えを取った。その動きに淀みはない。

 相当な手練だと、陶は瞬時に見て取った。陶も警杖を槍のように構える。鎌形チェーンソーの間合いは狭い。リーチを十全に生かして戦うつもりだ。

 両者ともに動かない。相手の出方を伺っている。


「どうした? 来ないのか?」

「テメェこそ掛かってこいよ。やっぱりビビってんだろ」

「フン。さっきまでの威勢は」


 おもむろに陶が警杖を突き出した。喋ることに意識を向けた瞬間に打ち込まれれば、大抵の相手は動きが一手遅れる。

 しかし相手は突きを避け、更には踏み込んで切りつけてきた。陶は素早く警杖を回転させ、刃を弾き返す。その勢いを乗せて更に杖を回転させ、怪異の側頭部を狙うが、相手は後ろに飛んで避けた。

 速い。一連の動きを見て、陶は確信した。あの怪異は人間より一段上のスピードで生きている。小手先の技では見てから避けられてしまうだろう。

 ならば正面から真っ当に叩き潰す。杖を握る手に力が籠もった。



――



 黒いチェーンソーの男は、隊列の最後尾にいた。怪異の群れを統率するかのように、あるいは逃げ出さないよう見張るかのように、黙して前方を睨みつけている。その隣には白いヘルメットを被った警官がいる。こちらは『三億円事件』の犯人だ。

 列の先頭で戦いが始まった時、この2人は動かなかった。しかし、前線が硬直し、更に押し返され始めると、動かざるを得なくなった。

 十数体の怪異を護衛に引き連れ、黒いチェーンソーの男と警官は前線へ向かい始めた。

 そして2人が隊列の中ほどまで進んだ時、突如として銃声が響いた。横合いから叩きつけられた散弾が、警官と周囲の怪異を薙ぎ倒した。


 近くにあった空き家の2階で、雁金がショットガンを構えていた。彼女は怪異たちが来る前から、伏兵としてこの空き家に隠れていた。そして、リーダーの怪異が前に出てきたのを狙い撃ったのだ。


「ぐあああっ!?」


 散弾を撃ち込まれた『三億円事件』の犯人が悲鳴を上げる。雁金は情をかけず、立て続けに引き金を引いた。次々と放たれた弾丸が、鉛のスコールとなって降り注ぐ。警官は周りの怪異もろともミンチ肉になった。

 銃弾を逃れた怪異たちが、空き家に向けて突進する。しかし玄関を潜ろうとした所で、彼らは一様に両断された。中から出てきたのは、4本の腕を生やし、それぞれにチェーンソーを持った人形の怪異。アケミだ。


「ここから先は通さないよー」


 アケミは殺到してきた怪異を次々と斬り捨てる。生半可な怪異では相手にもならない。更に、雁金のショットガンも絶え間なく発射され続ける。次々と怪異が倒れていく。

 思わぬ奇襲にうろたえる怪異たちに代わって、黒い男が動いた。チェーンソーのエンジンを掛け、アケミに向かって突進する。アケミもチェーンソーを構え直し、黒い男に突進する。


「私、メリーさん」


 黒い男の背後に、メリーさんが出現した。


「今、あなたの後ろにいるの!」


 振り下ろされた刃は、男の背中を斬り裂いた。斬られた男はよろめくが、致命傷ではない。メリーさんに振り返ろうとするが、既にアケミが間合いに入っていた。


「こんのぉ!」


 4本のチェーンソーが交差する。黒い男は横に飛んで避けるが、刃先が腕をかすめた。

 立て続けに斬られた男は、しかしケガを意に介することなく、チェーンソーを構え直した。斬られた背中と腕の傷は健在。しかし、血は流れていない。


「浅かった?」

「真っ二つにしちゃおっか」


 メリーさんとアケミは互いに頷くと、黒い男に飛びかかった。メリーさんは足を、アケミは首を狙う。男は足を引いてメリーさんのチェーンソーを避け、自分のチェーンソーを掲げてアケミの攻撃を防いだ。

 男が腕に力を込める。山が動いたかのような腕力で、アケミが吹き飛ばされる。メリーさんは更に前に出て、男の脇の下へチェーンソーを振り上げる。

 男は体を捻って避けた。その捻りを使って回し蹴りを放つ。メリーさんが吹っ飛ぶ。チェーンソーのエンジンブロックで防いだので、ダメージにはなっていない。

 アケミが再び接近する。4本のチェーンソーを立て続けに繰り出す。人外の連続攻撃。男は防ぎきれず、いくつもの傷を負う。

 アケミは眉をひそめた。斬ってはいる。しかし、手応えがおかしい。真っ二つにする勢いで斬っているのに、薄皮一枚剥がした程度の感触しか得られない。


 男の背後にメリーさんが迫る。男はアケミを力任せに弾き飛ばすと、メリーさんに向けてチェーンソーを横薙ぎに払った。


「私、メリーさん」


 メリーさんの姿が消えた。チェーンソーが空を切る。


「今、3歩後ろにいるの」


 そして、間合いの外に現れた。すぐさま駆け出し、黒い男の胴へチェーンソーを突き出す。避けられないタイミング、完璧な一撃だった。

 だが、メリーさんのチェーンソーは男の服を切り裂いた所で止まった。布地の下から現れたのは、メリーさん自身の姿。


「……え!?」


 メリーさんは目を疑う。よく見れば、それは鏡であった。磨かれた丸い鏡が、男の胴体に仕込まれていた。

 鏡が輝く。すると、メリーさんは磁石が反発するかのように弾き返された。


「きゃあっ!?」


 チェーンソーごと吹き飛ばされ、メリーさんは尻もちをつく。そこに、チェーンソーを振り上げ黒い男が迫る。

 轟音が響き、男が横に吹き飛ばされた。雁金のショットガンから、白煙が上がっていた。


「ありがと、雁金!」

「待ってください……単発弾スラッグショットなのに!?」


 銃撃を受けた男は、平然と立ち上がった。クマをも屠る単発弾スラッグショットを受けたというのに、特に傷を負ったようには見えない。


「あれが効かないんじゃどうしようもないですよ!」

「でもチェーンソーは効いてるのよ!」


 雁金がうろたえる一方、メリーさんは闘志を燃やしている。チェーンソーによる傷は未だに男に残っている。ならば勝ち目がある、と考えていた。

 男はしばらく3人を睨みつけていたが、不意にに背を向けた。そのまま、今来た道を歩いて戻っていく。


「え……はい?」

「逃げるの!? なんなの!?」


 ここまでやっておいて、何の戦果もなく逃げ出す男に、雁金もメリーさんも呆気にとられる。

 その隣で、アケミは別のものに呆気にとられていた。


「え……ちょっと、あれ!?」


 メリーさんと雁金は、アケミが指さした方を見た。アジトのある方向だ。そこには、赤々とした炎が広がっている。

 過激派のアジトが火事になっていた。

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