アジト

「藤里、貴様どういうつもりだ!? 沼渕坂ぬまぶちざかの捜査令状を出すとは!」


 防音を施した自分のオフィスで、警視庁公安部長の輪堂は声を荒らげた。

 電話の相手は藤里判事。輪堂の息が掛かった人間だ。警視庁の警官が請求する令状は、彼がいる裁判所で発行される。ベテラン判事の藤里の影響力をもってすれば、令状に難癖をつけて棄却することも容易だ。

 事実、輪堂の都合に悪い捜査を打ち切らせたことは一度や二度ではない。その中には、沼渕坂にある『全日本赤外套革命戦線』のアジトの捜査令状もあった。あのアジトが重要なものだとは、藤里も知っている。


 しかし今朝、輪堂はアジトへの捜査令状が出ている事に気付いた。きっかけは、ここ最近周辺を探っていた総合対応課が、今朝は一人もいなかったからだ。不思議に思って近くの人間に居場所を聞いてみたところ、足立区沼渕坂にあるアジトへ家宅捜索に行ったと聞いた。なんと令状が出たという。驚いた輪堂は、責任者である藤里に電話を掛けたのだ。


「あそこには表に出せない資料が大量に眠っているんだぞ! 私が隠した証拠品もだ! 貴様、私を売ったのか!?」

《待て、待て待て待て! こっちの話も聞いてくれ! 令状を出すしかなかったんだ! 俺に選択肢は無かった!》


 藤里は大慌てで否定するが、輪堂は収まらない。


「そんな訳ないだろうがっ! いつものように、嫌疑が不十分なり、信憑性に乏しいなど適当な理由をつけて却下すればいいだけだろう! なぜそうしなかった!」

《できるわけがない! この前の、茨城県での工場爆破事件についての捜査なんだぞ!》

「……は?」


 思わぬ返答に、輪堂は一瞬怒りを忘れた。

 出来事そのものは輪堂も知っている。先日、鹿島港で起きた怪異と対応課、更にチェーンソーのプロを交えた三つ巴の闘争のことだ。怪異案件となったあの事件は、原因不明の爆発というカバーストーリーによって隠蔽された。


「あれは……あの爆発は原因不明だ! 事件にはなっていない!」

《いやしかしな、例の大鋸翡翠が、あのアジトに何度も出入りしているらしいんだ。そしてそこで受け取ったものを事件現場に持っていくように指示された、というような供述をほのめかしている》

「何だとぉっ!?」


 まるで『全日本赤外套革命戦線』が爆発物を翡翠に持たせ、工場に持ち込ませたかのような発言だ。事情を知る人間にしてみれば事実無根でしかない。

 だが、カバーストーリーには沿っている。原因不明の爆発が、過激派組織によって引き起こされたものだという可能性は十分にある。ましてや翡翠に濡れ衣を被せる段階で、過激派がバックについているかもしれないと言ってしまったのだ。輪堂が、自分で。


《警官殺しの犯人が極左組織に利用されて爆破テロを行った可能性がある! この捜査を妨害できるか? できるわけがないだろう!》

「ぐぐぐ……!」


 流石の輪堂もこれは認めざるを得なかった。



――



 長谷部さんとのテレビ会議から10日後。大麦たちは長谷部さんの捜査資料を解析し終えた。

 それによると、足立区の沼渕坂というところに、過激派のアジトがあるらしい。その周りでは『三億円事件』の犯人が何度も目撃されているが、アジトへの捜査令状が降りなかった。更に、過激派の捜査が専門の公安部も、このアジトには家宅捜索を行ったことがないらしい。

 怪しい。いかにも怪しい。そう思いながら現地に行ってみた。


「何これ、違法建築?」


 ひと目見た感想がそれだ。

 その建物は、二階建てで車庫付きの立派な一軒家だと聞いていた。ところが実際に出てきたのは、窓をトタンで塞ぎ、壁を鉄板で覆ったフルアーマー一軒家だった。敷地の周りは有刺鉄線とフェンスで囲われて、人が近づけないようになっている。

 あと、いろんな看板が立っている。『打倒資本主義』とか『政権粉砕』とか、近寄ったらヤバい系のスローガンばっかりだ。敷地だけじゃなくて、アジトに通じる道路にも置いてある。


「これ怒られないの?」

「そのはずなのですが、なぜか行政が動かないそうなんですよねえ」


 大麦が白々しく答える。多分、何らかの圧力が掛かってるんだろうなあ。


「ただ、それも今日までのことです。皆さん、準備はよろしいですか?」

「はい!」


 大麦の号令で、対応課の刑事たちがゾロゾロとアジトへ近付いていく。俺と後についていった。


 今、このアジトには、警官殺し・宝石店強盗・ヤクザ殺し・工場爆破の容疑者である俺が何度も出入りしてた、という容疑が掛かっている。ついでに言うと、俺はここに住んでいる人から荷物を受け取って、この前謎の爆発が起きた鹿島港の工場に持っていった、という設定になっている。

 黒幕はこのアジトに警察を入れたくないらしいが、こんな凶悪犯と関わりがあるとなったら話は別だ。万次郎さんの助けもあって、見事に裁判所から捜査令状を引き出せた。後は黒幕たちが気付く前に突入して、証拠品を押収するだけだ。


「ごめんください、警察です。ご在宅の方はいらっしゃいますか?」


 大麦が呼びかけるが、アジトの中から反応はない。何度か呼びかけたり、適当な壁を叩いたりしてみたけど、何も起こらない。どうやら誰もいないみたいだ。あるいは居留守か。


「こうなると強行突入するしかありませんね。まあ、元からその予定でしたが」


 しかし、突入するとは言っても、アジトはトタンと鉄板で防御されていて入り口が存在しない。

 そういう訳で、俺の出番だ。


「では、執行お願いします」

「あいよー」


 俺は手にしたチェーンソー……ではなく、金属用チップソーの電源を入れた。やかましいモーター音と共に、丸鋸が回転を始める。

 こいつで家のトタンをぶった切って、むりやり入り口を開けちゃおうって作戦だ。本当は刑事がやるべき作業なんだけど、免許持ってる人が怪我して動けないから代わりに俺がやることになった。

 ちなみに、こっそり病院を抜け出してるから、顔はゴーグルとマスクでしっかり隠している。


 金属用チップソーをトタンに押し当てる。火花が散り、薄いトタンがやすやすと切り裂かれる。

 こりゃ楽にぶっ壊せそうだ、と思っていると、俺の横の壁がいきなり開いた。


「コラーッ!」


 中から出てきた爺さんに怒鳴られた。ドアだったんだ、ここ。


「何だお前たちは!」

「警察です」


 すぐさま割り込んできた大麦が返事をする。


「警察だと!? 令状は持ってるのか!?」

「ええ、こちらに」

「本物か!? 正当な理由で許可を取っているのか!? 官憲の横暴ではないのか!?」

「この建物には、茨城県で起こった工場爆発事故に関わっている疑いがあります。その為、家宅捜索を行い、証拠品を押収いたします」

「だからといって、壁を壊すことが許されるのか!?」

「入り口がわかりませんからねえ。我々としても遺憾ですが、こうするしか無かったのですよ。住人が素直に出てきて中まで案内してくれるのなら、話は別だったのですが」


 どっから入ったらいいかわからないから、しょうがない。どんどんチップソーでトタンをぶった切っていこう。たーのしー。


「やめろ! 人の家で遊ぶな! ……ええい、ここが入り口だ、入れ入れ!」


 このままだと家が解体されると思ったらしい。爺さんは諦めて俺たちを中に招き入れた。もうちょっと切りたかったんだけど、残念だ。

 アジトに入ると、ジメッとした空気が溜まっていた。家を装甲化したから風通しが悪くなって、空気が淀んでいるんだろう。あちこちに黒カビが生えている。

 それを差し引いても汚い家だ。ゴミ屋敷ってわけじゃない。散らかってる。テーブルの上に本や新聞が出しっぱなしだし、タンスの引き出しは半開きだし、机や棚の上にはいろんなものが積み重なってる。流しだけはきれいだけど、それはこの爺さんが外食しかしてないってことだ。

 独居老人の孤独な生活。そんなワイドショーのタイトルが思い浮かんだ。


 だが、奥に進むと様子が変わった。散らかってるのは相変わらずだけど、出ているものが本や書類、CDなんかに変わってる。資料室、あるいは会議室みたいだ。


「亀谷くん、ここ、確保してください」

「了解しました!」


 いかにもな資料を刑事たちが段ボール箱に詰めていく。それを見て爺さんが喚いた。


「おいこらやめろ! 60年に及ぶ我々の貴重な活動資料だぞ! 資本家の犬め、我々の存在すら抹消するつもりか!」

「証拠として押収します。無関係なものは後日お返ししますので」


 大麦は動じない。爺さんを避けて2階に上がる。箱詰めしてない刑事たちも後に続く。

 階段には手すりがついていた。手作りらしく、ちょっとガタついている。上るのが辛いのか。爺さん、トシだもんなあ。

 2階はトタンに覆われてないから、1階よりもすっきりした空気が流れていた。ただ、やっぱり散らかってる。あと、明るくなったから家が古いってのがよくわかる。壁紙も剥がれているし。


「よく住めるな、こんなとこ」

「こんなとことはなんだ、こんなとことは!」


 爺さんに聞かれてた。めんどくさい。


「ここは資本主義に対抗するための最前線だ! 貴様ら官憲にはわかるまい、この場所の崇高さが!」

「わかんないっすね」


 俺は警察じゃないけど居心地悪い家にしか見えない。


「そうか! いいか、日本を戦争に引きずり込む悪の安全保障条約が結ばれてから50年。その時からこの砦は安保に反対し、抵抗運動を続けてきた。

 日本は先の大戦での過ちを償うため、戦争を放棄したはずだ! なのに政府は安保によって戦争に参加しようとする! そんな国は日本ではない! つまりこの砦と我々こそが真の日本国なのだ!」


 なんかむずかしいことを言ってる爺さんは置いといて、証拠品がないか部屋を見渡す。

 全然面白くなさそうな本が詰まった本棚。激安クソマズウイスキーの瓶。競馬新聞。空のビニール袋。しけった布団。


「爺さん仕事は何やってんの?」

「革命闘争だ!」

「その前は?」

「この道一筋60年!」

「儲かってる?」


 爺さんが言葉に詰まった。


「同志から資金提供は受けている! 飢えてはおらん!」


 こりゃ貧乏そうだ。60年間無職で遊ぶ金もロクにない、かわいそうなお爺さんだった。


 そうこうしているうちに、警察がどんどん証拠品を段ボールに放り込んでいく。一杯になった箱から外に持ち出し、車に積み込んでいく。俺も手伝ったけど、とにかく数が多い。ワゴン車1台が一杯になるほどだとは思わなかった。

 2台目のワゴン車に証拠品を積み込み始めた所で、スマホが震えた。雁金からの電話だ。


「もしもし?」

《先輩。怪異がこっちに近付いてきてます》

「来たか。準備はいいか?」

《任せてください》

「OK、わかった。気をつけろよ」


 アジトの捜査に妨害が入る事は大麦が予想していた。令状を取った以上、警察の権力で止めることは難しい。それなら怪異を使ってくるだろうって話だった。だから、雁金たちと陶たちが、アジトに続く道の前で守りを固めている。

 更に出てくる怪異の数は少ないだろうとも言っていた。モロに異界だった第四学群や、人の少ない鹿島の工場と違って、ここは住宅街のど真ん中だ。人が多いと、縁の薄い雑多な怪異は姿を現せない。その場所に強い縁があり、誰でも知ってるような知名度が無いとここには来れない。


「刑事さん! 妨害が来たぞ!」

「わかりました。積み込みを急ぎましょうか」


 本当は俺も雁金たちの方に行きたいけど、まだケガが治りきってない。チェーンソーを振り回そうもんなら病室に逆戻りだ。悔しいけど、ここは雁金たちを信じて任せるしかなかった。

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