Интернационал

 大阪府、重欧寺ビル。地上30階地下3階建ての巨大ビルは、重欧寺コンサルタント株式会社の本社である。

 そのビルの正面玄関に、一人の男が降り立った。眼鏡を掛け、ストライプスーツを着た痩せた男。大鋸万次郎だ。車から降りた万次郎はネクタイを直し、鋭く息を吐き出してから受付に向かった。


「いらっしゃいませ」

「ボクや。親父はおるか?」

「少々お待ちください」


 受付嬢が内線で2,3の言葉を交わす。


「申し訳ございません。会長は来客中でございまして……」

「おるんやな。ならええ」


 それだけ言って、万次郎はエレベーターへ向かう。


「あっ、ちょ、ちょっと!?」


 受付嬢が声をかけるが、万次郎は無視してエレベーターに乗り込んだ。エレベーターが上昇する間、万次郎はずっと苛立たしげに足で床を叩いていた。

 最上階に着くと、万次郎は歩き出した。途中、何人かの幹部社員とすれ違ったが、彼の顔を見ると皆立ち止まって礼をした。


 迷うことなく会長室に辿り着いた万次郎は、ノックもせずにドアを開けた。中は、小さな会社のオフィスがすっぽり収まりそうなほど巨大だった。

 そこかしこに絵画や壺、盆栽といった芸術品が置かれている。それらは決して派手ではないが、見る人が見れば背筋を正すほど価値のある一品ばかりだ。

 訪れた人間が、その価値に気付くかどうか。それを楽しむ部屋の主の底意地が知れる調度であった。


 もちろん、万次郎がそれらの美術品を目利きすることはない。とっくに見慣れているし、今は頭に血が昇っている。目に入っているのは、部屋の一番奥で椅子に座る男だけだった。


「親父!」

「なんや万次郎。ノックくらいせんか」


 大鋸おおが石黄せきおう。表向きは経営コンサルタント会社・重欧寺コンサルタントの会長だが、その正体は政財界、マスコミ、裏社会にすら通じる、"政治"の大鋸の首領である。

 "暴力"の大鋸が脅迫や殺人を起こしても捕まらなかったり、"金策"の大鋸が法律や人倫に反する事業を行っても平気でいられるのは、石黄を始めとする"政治"の大鋸が裏で手を回しているからである。

 代わりに、"暴力"が邪魔な政敵を排除し、"金策"から工作資金を受け取ることで、"政治"の大鋸は従順な政治家や資産家を手駒にする。

 時代に合わせて手段は変わるが、"暴力""政治""金策"の三本柱をもって、大鋸村は時の権力者の懐刀としての役目を果たしてきた。つい先日までは。


「親父、翡翠くんを殺そうとしたのはなんでや。説明してもらおうか」


 万次郎が憤っているのは、"暴力"の大鋸一族である翡翠が、石黄の策謀によって殺されかけたからだ。


「あれは現場の独断や。レッドマーキュリーを手に入れようとして、焦って怪異を突っ込ませよった。後で太田原によう言い聞かせとく」

「アホ抜かせ。輪堂サンが言っとったで。翡翠クンを殺してでも、レッドマーキュリーを奪い取れって、親父が命令したんやろ?

 ボク、言ったよなあ? 翡翠クンなら話聞いてくれるから、穏便にレッドマーキュリーを受け取れるって。それを横から叩き潰して、一体何考えとんのや?」

「……どの道、内閣警備局の怪異対応室が動いとった。奴らにレッドマーキュリーを奪われたら終いや。小僧ひとりとは天秤が釣り合わん」

「怪異対応室やと……? 政府筋の秘密機関やないか! 親父、国に逆らっとったんか!?」


 内閣警備局怪異対応室は、内閣総理大臣直属の対怪異部門である。彼らと敵対しているということは、石黄は国に逆らっているということだ。


「何考えとんのや一体!? 政府を相手にするなんてマジでわからん! ウチらの商売の一番のお得意様やないかい!」


 万次郎は堰を切ったように不満を撒き散らす。


「最近の親父はマジでわからん! 東京から大阪こっちに資産を引き上げとるし、与党のセンセの頼みもシカトするし! お陰でボクが大忙しや!

 かと思ったら、肥料の輸入だの、東京のゼネコンの手配だの、訳わからん仕事まで押し付けてくる!

 おまけに翡翠クンを殺そうとして、国にまで睨まれてるときた! ええ加減にしてくれ、これ以上付き合えるか! マジで一体何考えとるんや!?」


 激昂する万次郎の声を平然と受け止めた石黄は、大きく息を吐いてから答えた。


「革命や」

「……は?」


 思わぬ答えに、万次郎は固まる。それに対して石黄は語りかける。


「聞こえんかったか。革命や。東京に根付いとる腐った権力を引っこ抜いて、北海道から沖縄まで真に平等な国家を作り上げるんや」

「何言うとんねん一体」

「考えてみい。東京でふんぞり返ってる連中が、今まで地方に何をしてきた? 民衆に何をしてきた!? なんもしとらん! あいつら、自分らがいい思いをするためだけに政治家やっとるやないかい!

 それが戦後……いや、幕府の頃からずっと続いとるんや! こんなおかしな国、立て直さんといかん!」


 ふざけているのかと思ったが、石黄の目に嘲りの色はない。


「いや、ホンマ何言うとんねん。国を立て直すって、そもそもウチらは国のためにお仕事してるやないかい。野党のヤバい政治家を追い落としたり、警察が手を出せないアホどもを殺したり、選挙資金を貸し出したり……。

 今までさんざん国とつるんどいて、なんで急に革命なんか言い出すんや。お笑いにもならんで?」

「だからこそ、や。この国を知っとるワシらこそが、この国をひっくり返す権利があるんや。

 この国に住む民衆は搾取されとる。なのにあいつら、立ち上がるどころか気付きもせえへん。だから、ワシらがやるんや。この国の真の姿を知ってるワシらが立ち上がって、人々を導いて、目を覚まさせなアカン。ワシらにしかできん事なんや」


 万次郎はもう一度石黄の顔を見たが、やはり嘘やごまかしの気配はない。大真面目にバカげた思想を語っている。あまりの事に万次郎は怒りを通り越して冷静になった。

 確かに父、石黄は傲慢な人間である。政権が民主党から自民党に復帰したのは、自分の手腕のお陰だといって憚らない。気に入らない政治家やマスコミにはすぐ圧力をかけるし、私情で経営者から金を巻き上げる事も多い。大臣のスキャンダルを暴露したことも一度や二度ではない。こんなのが自分の親なのか、と幻滅したこともしょっちゅうだ。

 だが、傲慢になるだけの実力はあったし、現実も見えていた。八尺様によって"暴力"が弱体化し、リーマンショックによって"金策"が虫の息の状況で、大鋸一族のシステムを維持できたのは石黄のお陰だ。この国と大鋸一族が共犯関係にあることを誰よりもよく知っている。

 だから、石黄が革命など思いつくはずがない。教え込んだ人間がいると万次郎は考えた。


「親父、その話、どこの誰から吹き込まれたんや?」

「吹き込んだとは人聞きが悪い」

「ッ!?」


 探す相手はすぐ側にいた。部屋の一角に置かれたソファに、一人の老人が腰掛けていた。

 髪は真っ白で、顔には深いシワが刻まれている。80歳は越えているに違いない。しかし、目は爛々と輝き、背筋にも衰えは見えない。活力が漲っている。


「彼は人が持つ真なる正義に目覚めたのだ。我々が都合のいい思想を吹き込んだなどと思われては困る」

「誰や、アンタ」

壬午苑じんごえん英晃ひであきだ。顔を合わせるのは初めてだったな、万次郎くん」

「壬午苑……まさか、王錫おうしゃくグループ相談役の!?」


 珍しい名字だったので、万次郎は彼が何者かをすぐに思い出した。大手化学製品メーカー、王錫化学を中心とした巨大企業グループ。その相談役であり、実質グループの頂点として君臨しているのが壬午苑だった。石黄を始めとする"政治"の大鋸とも付き合いがある大物だ。


「アンタが親父に革命なんて教え込んだのか。一体何を企んどる?」

「そのままだ。この日本に革命を起こす。政治家による不正と搾取、独占と寡占を廃した真に平等な国家を作り上げる」

「……金儲けとかじゃなくて?」

「それは今までの過程に過ぎない。この60年、力と財を積み上げてきたのは、全てこの時のためだ。革命が成れば、むしろ私は全てを失うだろう」


 60年。つまりこの老人は、人生のほぼ全てを革命という目的のために費やしてきたのだ。意志だとか覚悟だとかいう問題ではない。その方向にしか進めない、機械のような人生に万次郎は戦慄した。


「……せやかて、アンタと親父が組んだとしても、革命なんて夢物語やで。2人でこの国をひっくり返そうなんざ……」

「我々だけではない。『全日本赤外套革命戦線』の同志たちは、太田原くんのようにこの国の要衝を抑えている。それに、君の父君や輪堂君のように、若いながらも我々の志を理解し、味方になってくれた者たちもいる。そして神もこの手の中にある」


 壬午苑が率いる組織の名前を万次郎は聞いたことがなかったが、どこかの極左組織だろうとアタリをつけた。そうでなければ自称か。どちらでもよい。


「ああ、そう。で、それは何百人? 何千人? 何人おるか知らんけど、お目当てのレッドマーキュリーはもう手に入らんで。

 さっき輪堂サンから連絡が来た。怪異の包囲網を突破されて、レッドマーキュリーは船に積み込まれて海外に出てもうた。翡翠クンは茨城県警に身柄を抑えられとる」


 このビルに来る前、万次郎は輪堂から作戦失敗の連絡を受けていた。現場の太田原が焦って動いた結果、却って状況が悪化した、と輪堂は言い訳していた。


「どんな作戦で革命するつもりだったか知らんけど、肝心のブツが手に入らんかった以上、お手上げやろ?」

「その話は既に石黄くんから聞いている。失敗したのは遺憾だが、問題ない。当初の計画に戻すだけだ」

「なんやて? レッドマーキュリー抜きでもできる計画なんか?」


 あらゆる物質を金に変え、核爆弾に匹敵するエネルギーを秘めた怪奇装置・レッドマーキュリー。それは当然計画の要だと万次郎は考えていた。しかし、壬午苑はまるで取り乱していない。


「必要なのは爆発だ。レッドマーキュリーを使用すれば、予定より早く、確実に必要な威力の爆発を起こせるが、あれは必須ではない。通常の爆薬でも十分な量を用意すればいいのだ」

「一体……何を狙っとるんや」

「東京だ」


 東京。すなわち、日本の首都だ。


「この一撃を以て、首都を再起不能なまでに破壊する。首都による全方面圧政を破壊し、政治家たちを抹殺する。同時に我々がここより旧政権の打倒と、連邦政府の樹立を宣言する。これによって革命が成るのだ」

「首都で爆弾テロを起こすつもりだったんか? アホらし。そんなことしたら外国が黙っとらんで。敵になるか味方になるかはともかく、絶対に横槍を入れてくる。そいつらを黙らせるだけの力はあるんか?

 それに、例え国会議事堂を吹っ飛ばして議員を全員殺しても、まだ官僚が残っとる。それに、議員を支えとる資本家や組合だって大勢おる。そいつらを味方につける根回しは済んどるんか?」


 諸外国を黙らせるだけの武力と、国内を黙らせるための政治力。現代日本においてそんなものはいくら金を積んでも手に入らない。万次郎はその点を暗に指摘して、革命を諦めさせようとした。

 ところが壬午苑は自信満々にこう答えた。


「どちらも問題はない。力などどうにでもなる。根回しなどという薄汚い行いも不要だ。我々は正義を成すのだからな。

 人は正しいものに味方する。つまり、正義を行う我々には、全ての人が味方する。敵対するのは薄汚い資本家、私腹を肥やす悪党だけだ」

「……は?」


 思わず万次郎は壬午苑の顔を見た。気味が悪いくらいに輝いた目をしていた。


「我々が立ち上がり、東京という資本主義の楔を取り除けば、民衆は必ず我々に味方する。根回しなどという下準備は不要だ。正義が成されるならば、全ての物事は上手くいくのだ!」


 そこまで言われて、万次郎はようやく壬午苑を理解することができた。この男は、妄執の輝きに目が眩んでいる。自分が人生をかけて求めてきた正義が絶対だと信じ切っているのだ。そう思わない人間がいる、ということを想像すらしていない。恐らく、彼の正義に当てはまらない人間は、滅ぼすべき鬼か悪魔ぐらいだと考えているのだろう。

 自分が考えた革命に酔いしれて60年。そんな人間が、どういう訳か金と力と魅力を兼ね備えて、机上の空論を現実に叩きつけようとしている。机と現実がもろともに壊れるという誰でもわかる答えを、この男は理解していない。


 クソボケ共が。喉まで出かかった言葉を飲み込めたのは、長年政治家と渡り合ってきた万次郎の自制心だった。


「……そこまで言うなら、ボクから言うことはあらへん。成功が間違いないなら、安心して見守らせてもらうわ」


 それから万次郎は父親の石黄に向き直る。


「邪魔したな、親父。壬午苑さんとの話し合い、ゆっくり進めてくれ。

 ボクは東京でまだ仕事が残ってるから、帰らさてもらうよ」

「そう急くな、万次郎。お前も話を聞いていったらどうだ。壬午苑さんの言葉にはいつも助けられている。ためになるぞ」

「そらまた今度。親父に言われて輸入した例の肥料の件、遅れてんねん」

「それなら……仕方ないか」


 石黄は、万次郎が機嫌を悪くしたことには気付いていなかった。

 耄碌したな、と思いながら、万次郎は部屋を出た。会長室に背を向け、エレベーターへ向けて歩き出す。

 昔の父は粘り強い交渉から双方にとって最大限の利益を引き出す、遣り手の交渉人だった。今では過去の業績を嵩に着て、相手を脅しつけるだけの人間だ。

 そんな迷惑な老人たちが、革命ごっこで気持ちよくなるためだけに世の中をめちゃくちゃにするなどまっぴらゴメンだ。

 何が何でも止めてやる。エレベーターのドアが閉まると同時に、万次郎はスマートフォンを操作し始めた。

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