三億円事件

「改めまして、警視庁人身安全対策本部総合対応課の大麦です」

「亀谷です」


 布団から引っ張り出された俺は、黒スーツの刑事とダウンジャケットの刑事に挨拶されていた。


「帰ってくれ。弁護士が来るまで俺は何も言わないからな」

「まあまあそう言わずに。せっかくなら、逮捕される前に言いたいことを言っておいた方が良いでしょう?」

「うん? 俺、もう逮捕されてるんじゃないの?」


 この病院に放り込まれた時点で逮捕されてると思ったんだけど。


「逮捕が必要なのは、被害者が逃亡、または証拠隠滅の可能性がある場合です。今の貴方は一歩も歩けない状態ですから、茨城県警が治療を優先し逮捕を見送りました」

「現行犯だとそういう問題じゃなくない?」


 何しろチェーンソー振り回してハチャメチャに暴れ回ってるわけだし、警官も何人かぶっ倒してるし、アウトだと思うんだけど。


「その通りですが……あの件は怪異案件になってしまったので、立件できないのですよ」

「え?」


 怪異っつったなコイツ。


「怪異、わかるのか?」

「ええ。我々、警視庁人身安全対策本部総合対応課は、一般には立証できない怪異による事件を捜査する、警視総監直属の秘密部門です」


 どうやらこいつら、ただの警官じゃないらしい。陶みたいに怪異専門の警備員がいるから、怪異の事件が専門の警官がいてもおかしくはないか。


「先の件に関しては、工場で原因不明の爆発が発生し、幻覚や錯乱を伴うガスが発生したことで被害が拡大した、ということになっています。

 何しろ、複数種類の怪異が徒党を組んで襲撃してくるという、前代未聞の事件ですからねえ。上層部も対応に苦労したようです」


 確かに、数え切れないほどの怪異が襲いかかってくるなんて、ごまかすのも大変だろう。俺が工場で暴れた件については、そのごまかしに巻き込まれてうやむやになったようだ。


「よし、それじゃあ俺は無罪だな。もう構わないでくれ」

「そうはいきません。立件できないのは工場での一件だけですから。警官殺害、宝石店強盗、それに暴力団員殺害の件についてはまだ容疑が掛かっていますよ」

「は!? なにそれ!?」


 警官殺しはともかく、強盗とヤクザ殺しは初めて聞いた。もちろんこいつらも身に覚えがない。知らない間に濡れ衣が3枚重ねになってる。冬支度には早すぎる。


「2週間前、台東区で起きた被害総額2億円の宝石店強盗事件。

 先週、港区と渋谷区で立て続けに起きた甲漬こうづけ組幹部の殺人事件。

 そして修文館しゅうもんかん大学で起きた巡査の殺人事件。

 いずれも犯人はチェーンソーを使用していました。なので、貴方に容疑が掛かっているのです」

「おかしいだろ。チェーンソーなんてホームセンターで売ってるぞ。俺じゃなくても誰でもできる」

「ですが修文館大学から走り去る貴方の車がカメラに映っています。あの日、貴方は大学で何をしていたのですか?」

「あの日は……いや、あの日は何もしてないな」

「おや。用もないのに車で2時間もかけて大学に行ったと?」

「違う違う。用はあったんだよ。あの箱の話で九曜院に会いに行ったんだ。それで駐車場に入ったら、九曜院が箱を持って逃げてて、なんかヤバそうだったから乗せたんだよ。

 そしたら後ろから白バイが走ってきて、いきなり撃たれたんだ。ヤバいと思って車で引き離して、そのまま筑波まで逃げた。だよな、雁金?」


 雁金が頷く。


「嘘だと思うなら九曜院にも聞いてみてくれ。あっちの方が詳しく知ってるから」

「……警部」

「ええ。矛盾はありませんね」


 あ、先に九曜院に聞いてたのか。俺に質問したのは擦り合わせってことね。……下手にごまかさなくてよかった。


「ひとつ、聞いてもよろしいでしょうか?」

「なんだ?」


 大麦が懐から顔写真を取り出した。角刈りで、顔のパーツが真ん中に寄った男が写っている。俺ほどじゃないけど、なんだか悪そうな顔の男だ。


「この男に見覚えはありませんか?」

「いや。誰だこいつ。悪人? 犯人? もしかしてこいつが真犯人?」

「違います。知らないなら結構です」

「あれ?」


 声を上げたのは雁金だった。


「この人……?」

「知り合い!?」

「ではなくて。先輩が工場で暴れてた時に、車にあったレッドマーキュリーを奪おうとした人です。河童と一緒でした。そうだよね、メリーさん?」

「うん。こんな顔、だったと思う。これにヘルメット被ってた。それで、筋肉が出てきたら逃げちゃったの」


 メリーさんも写真を覗き込んで頷く。俺が暴れてる時に車の方にも怪異が来たって聞いてたけど、その中に警察も混じってたのか。


「そんなバカな……」


 ダウンジャケットの刑事が呆然として呟いた。隣の大麦に至っては絶句している。


「そんなにビックリする事は無いだろ。警察と怪異は仲間なんだろ? 散々俺たちのことを追い回しておいて、今更知らなかったとか言わせねえぞ」

「そうじゃない。コイツはお前に殺された警官なんだ!」

「は?」


 もう一回写真を見る。知らん人だ。


「知らないって」

「警部、いくらなんでもおかしいですよ。こいつが実は生きてたにせよ、怪異だったにせよ、公安の奴らは嘘ついてる事になります」


 大麦は返事をしない。顎に手を当てたまま考え込んでいる。


「警部殿?」

「少々お待ちを」


 急に動き出した大麦は、スマホを取り出し操作し始めた。そして、表示された画面を雁金とメリーさんに向けた。


「もしや、あなた方を襲った警官は、こういう格好をしていませんでしたか?」


 画面を見ると、さっきの警官に似た顔の男が、白いヘルメットを被っている写真が映っていた。なぜか白黒写真だった。


「これです!」

「この人!」


 雁金とメリーさんが見たのはこいつらしい。大麦は画面を見ると、深い溜め息をついた。


「あれ?」


 肩越しに画面を見た吉田が声を上げた。なんだ、お前も知ってるのか、と思ったら、出てきたのは違う言葉だった。


「それ、『三億円事件』の犯人じゃん」

「『三億円事件』?」


 なんかまた知らない事件が出てきた。


「俺はやってないぞ」

「やってるわけないでしょ。アンタもアタシも生まれる前の事件よ。警官に変装した犯人が、三億円を積んだ車を奪ってまんまと逃げおおせたってやつ。  

 テレビでちょくちょくやってたから、この顔は知ってる。犯人、結局捕まらなかったのよね」

「……じゃあなんだ。この犯人が警官になって、俺が殺したことになってて、でも生きててメリーさんと雁金を襲ったってことか?」


 めちゃくちゃだろ何もかも。おかしいって。


「……実はひとつ、奇妙なことがありまして。本日はそれを伝えに来たのです」


 大麦が喋りだした。


「あなたの体に撃ち込まれた弾丸についてです」

「おう、そういやそうだ。事件のことはともかく、先に撃ってきたことは忘れてないからなお前?」

「先輩!」


 乾いた音。激痛。雁金にスリッパで頭をひっぱたかれた。


「い゛て゛え゛っ゛!」

「やめてください! 警察ですよ!?」

「警察だからだよ……」


 冤罪を掛けてきた上に騙し討ちだ。これはもう、ちゃんと説明してもらわないと納得できない。なんならケガが治ったら殴り込みに行ってやろうかと思ってたくらいだ。


「よろしいでしょうか?」

「あー、もういいよ。なんなんだよ」

「あの後、作戦に参加した刑事を全員確認しましたが、発砲した人間は1人もいませんでした」

「誰かが嘘ついてんだろ。犯人が吐くまで殴れよ」

「お前相手は司法機関だぞ?」


 陶がドン引きしてるけど、俺だって怒ってるんだ。譲るつもりはない。何しろアケミが撃たれてる。人間だったら死んでたぞ。


「私もそう思いまして。失礼ながら、貴方に撃ち込まれた銃弾を調べさせてもらいました。そうしたら、興味深いことがわかったんですよ」


 大麦が懐からビニール袋に入った銃弾を取り出した。


「この銃弾なのですが、45口径でした」

「なんだそれ」

「弾丸の種類です。我々刑事が使っているのは9mm弾。この45口径はそれよりも大型です。

 そしてここからが肝心なのですが……この種類の銃弾は、現在の警察には配備されていません」


 言われてみれば、何度か刑事に撃たれたけど、全部防護服で防げていた。服を貫通したのは最初の1発だけだ。っていうことは、銃弾が違うっていうのは本当なのか?


「じゃあ、誰が撃ったんだ?」

「恐らくは、彼かと」


 大麦は三億円事件の犯人の写真を指差した。


「いや、警察の銃じゃないんだろ?」

「現代は採用されていない、ということです。この口径の銃弾は、昭和50年頃までは警察で使用されていました。

 三億円事件事件が起きたのは昭和43年。この頃の警官なら、所持していてもおかしくありません」

「でも昭和だろ? 今は平成だぞ。このままの顔なはずが……」

「犯人が怪異だったとしたら?」


 そうか。それなら捕まらないし、今になっても同じ顔なわけだ。


「まだ、仮説の段階にすぎませんが。

 三億円事件の犯人は、何らかの手段で公安部に入り込んだ。そして九曜院氏が所持していたレッドマーキュリーを奪おうとした。

 ですがあなた方に邪魔されて失敗。そこで、大鋸さんが三億円事件の犯人を殺したという事件を偽造し、警察を総動員した」

「そこで俺が犯人にされるのがわからねえ。九曜院じゃないのか?」

「前科のある人間の方が捏造しやすかったのではないでしょうか。不起訴とはいえ、チェーンソーを振り回す事件を何度も起こしてますよね?」


 ぐうの音も出ない。


「恐らく警察の力で貴方を逮捕し、レッドマーキュリーを証拠品として押収するつもりだったのでしょう。

 ところが予想以上にあなた方が逃げ続け、遂には我々と茨城県警に確保されそうになった。我々はレッドマーキュリーのことを知りませんから、公安部からすれば都合が悪い。

 そこで怪異の軍勢を投入して、我々もろとも口封じを図った、といったところでしょうか」


 大麦の推理によると、今までの事件はそんな感じらしい。


「あのー、質問いいですか?」


 アケミが手を挙げた。


「どうぞ」

「結局どうして、警察の人はレッドマーキュリーを欲しがったんですか?」

「それは本人に聞いてみないとわかりませんねえ」

「誰がやったかわかります?」

「予想はつきますが証拠がありません。申し訳ありませんが、これだけはまだ語るべき時ではない」


 次に雁金が質問した。


「先程のお話だと、公安部とあなた方は協力していないようですが、何故なんです?」

「元々この事件は、公安部と刑事部、それに組織犯罪対策部の合同捜査でした。我々、人身安全対策本部総合対応課は、表向きは迷惑行為やストーカーの調査が仕事ですから、お呼びがかからなかったんですよ。

 しかし、事件に怪異の気配があったことから、別働隊として我々も捜査を始めました。するとチェーンソーを持ったコンビニ強盗が出たと聞いたので、茨城県警と共に皆さんを探していたのです」

「茨城県警は信用できるんですか?」


 今は手を出さないでくれてるけど、いつ公安部に売り渡されるか心配だってことなんだろう。

 ところが、大麦は余裕の笑みを浮かべた。


「ご安心を。縄張りを荒らした上に、何の役にも立たなかった警視庁に、警察署長から交番の巡査まで等しく激怒しています」


 警視庁は東京が管轄だもんな。県境を越えて好き勝手やって、なんの成果も得られませんでした、あと工場が壊れましたなんて言われたら、地元民は怒る。


「えーと、それじゃ、俺もいいか」


 聞きたいことがある。


「何か」

「レッドマーキュリーは無事に届けたのか?」


 すっかり忘れてたけど、わざわざ茨城の端っこまで来たのは、レッドマーキュリーを船に積むためだった。あれどうなったんだ。


「船には積んだわよ。ばっちり」


 答えたのはメリーさんだった。


「ちゃんと科学者の人に手渡しして、船が出発するまで見届けたから」


 それなら大丈夫か。


「だけどね」


 ところがメリーさんが不思議そうな顔をした。


「科学者の人が言ってたんだけど、今のレッドマーキュリーは動かないんだって。試しに砂を入れてみたけど、全然金にならないの。なんでかしら?」


 えっ。


「う、動かないって、え? 壊れた?」

「なんか、賢者の石が力を失ってるとか、そんなこと言ってた」

「……割れたか?」


 心当たりが多すぎる。車が横転してるし。鉛の箱だったから、結構雑に扱ってたぞ。割れ物注意ならシールを貼っておいて欲しかった。


「そうじゃなくて、ですね。急に力を引き出したものですから、いわゆるオーバーヒートを起こしちゃったみたいなんです」


 雁金が補足する。


「オーバーヒートって……そんな凄い事、一体何を」

「多分、筋肉マッスルがきちゃったのが原因だと思います」

「あれかあ……」


 あんな凄い筋肉を呼んだら、ぶっ壊れるのも仕方ないか……?

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