Someday

 オフィス前のバリケードに押し寄せる怪異の波が鈍った。

 陶や大麦の奮戦のせいではない。チェーンソーの鬼に蹂躙され、逃げ出す怪異が出てきたからだ。


「オラァ! 帰れ帰れ、こっちに来ても怪異は入れてやらねえぞ!」


 陶は警杖を振り回し、向かってくる怪異を派手に叩きのめす。隣で警察の亀谷が防盾で怪異の攻撃を受け止め、力任せに弾き返す。

 敵わないと悟ったのか、河童の怪異たちが海に向かって逃げ出した。それを見た他の怪異たちも、後に続いて離れていく。


「はァーッ……」


 ひとまず怪異の攻勢が収まったのを確かめて、陶は地面に胡座をかいて座り込んだ。


「ご無事ですか」

「怪我はねェッスよ」


 大麦が声をかけるが、陶は平然としていた。数は多いが雑魚ばかり。ダメージはない。ただ、いきなり混戦に放り込まれたので疲れた。


「……あっちは元気だなァ」


 陶はチェーンソーの鬼の方を見やる。頭に刃が生えた蛇を振り回して、広範囲の怪異を薙ぎ払っている。いつから戦っているのか知らないが、体力は底なしのようだ。

 ふと、陶はチェーンソーの鬼が陣取っている倉庫の方から、人影が向かってきているのに気付いた。


「警察の人!」


 人影が叫んだ。女の声だった。更に近付いてくると、彼女の顔が見えた。左半分が陶器のように砕けている。傷を負った怪異か。それにしては、元気そうにも見える。残った右半分の顔を見た時、陶は思い出した。


「アケミさんかァ!?」


 友人の大鋸翡翠が連れていた怪異の1人がアケミだ。以前、埋蔵金誘拐事件で一緒に戦ったことがある。

 なぜ彼女がここにいるのか。陶が驚く前に、アケミは更に驚くべき事を言った。


「どうして大鋸くんを撃ったんですか!? 答えてください!」

「ハァ!?」


 友人が警察に撃たれた。一体何がどうなっているのか。


「なんで生きてるんですか、貴方!?」


 一方、大麦も大麦でアケミに驚いていた。どうやらアケミが単なる人間だと思いこんでいたようだ。陶は慌てて説明する。


「いや、怪異だよ怪異! 人間じゃないから!」

「……ご存知で?」

「アケミっていうんだ。前に会ったことがある怪異だ。おい、そっちは危ないからこっちに来い!」


 アケミが怪異の群れに巻き込まれるとマズい。陶は手招きして彼女をバリケードの中に引き込んだ。


「一体何があった!?」

「この人が大鋸くんを撃ったの!」

「何やってんだテメェ!?」

「待ってください、撃てとは命令してません!」


 陶が食って掛かるが、大麦は即座に否定する。


「じゃあ私のこの顔は何!? 撃たれたこと覚えてるんだから!」

「それでも撃ってません! 全員銃を降ろしていました!」

「悪ィ、そもそもなんで大鋸が警察に追われてるんだ?」

「彼に警察官殺害の容疑が掛かっています。他に、宝石店強盗と、暴力団幹部2名の殺害も」

「何やってんだアイツ!?」

「やってないよ! 大鋸くんはそんなことしてない!」


 大麦がとんでもないことを言い出して、更にアケミがそれを否定するため、飛び込みで巻き込まれた陶は全く状況がわからない。


「あァ、もういい! お前らじゃダメだ! 大鋸の奴呼んでこい!」


 こうなったら本人に直接説明してもらおうと陶が叫んだところ、アケミと大麦は揃ってチェーンソーの鬼の方を見た。それから顔を見合わせた。

 その行動が意味するものを察した陶は、真っ青になった。


「あれ?」

「あれ」


 チェーンソーの鬼の方を見る。蛇の怪異を投げ捨て、倒れた骸骨の頭を踏み砕きつつ、武者鎧の怪異を唐竹割りにしている。


「いや、あれは人間じゃねえだろ……」

「人間じゃなくなったの!」


 アケミが聞き捨てならない事を叫んだ。


「どういう事だ?」

「大鋸くん、人間じゃなくなっちゃったの! 怪異になっちゃった! 今までは警察が相手で、法律があったから我慢してたんだけど、先に撃たれてキレちゃったんだと思う! お巡りさん、あなたたちのせいですよ!」


 信じられない話だが、アケミがここまで必死になっていることを考えると、嘘だとは思えない。どうやら翡翠は本当に怪異になってしまったらしい。


「……どうやったら止められる?」

「わかんない……」

「考えろ! 考えないと……ヤベェぞ!」


 怪異と戦い続けるチェーンソーの鬼は、徐々に陶たちがいる方向に近付いてきていた。意図的なものではない。近くの怪異を手当たり次第に殺しているうちに、たまたま近付いてしまったようだ。ただ、陶たちの事には気付いているようで、時折警戒した視線を送ってくる。

 あれに話が通じるとは思えない。きっかけがあればこちらに突っ込んでくるだろう。そうなれば警官だけでなく、後ろの建物にいる工場の従業員たちも命がない。


「なんでアイツぁ怪異になった!?」

「警察に撃たれたから!」

「オイ撃った奴出てこい! 今すぐアイツに土下座しろ土下座ァ!」


 謝れば止まるかと思ったが、刑事たちは顔を見合わせるばかりで誰も名乗り出ない。


「テメェらそれでも警察か!」

「ですから、誰も撃ってないのです!」

「……チィッ。森さん! 結界でなんとか閉じ込められないか!?」

「やってみよう……縛ッ!」


 森の掛け声と共に、バリケードに仕掛けられたいくつかの護符が光を放つ。それらが線を繋ぎ、地面に光る結界の『面』を作り出した。その中心にいたチェーンソーの鬼と、巻き込まれた怪異たちが動きを止める。

 効いたか。陶がそう思ったのと同時に、鬼が足を上げた。そして、地面を踏みつける。アスファルトが陥没し、周囲の地面にヒビが入り、結界が砕け散る。動けるようになった鬼が即座にチェーンソーを振り回し、周囲の怪異を両断した。


「ダメか!」


 結界でも止まらない。それどころか、今の妨害でチェーンソーの鬼は完全に陶たちを標的にしたようだ。確固とした足取りで、バリケードに向かってくる。


「……しょうがねえ」


 陶は警杖を構え直した。こうなったら打てる手は一つだ。


「何するんですか?」

「殴って止める」

「なっ……無茶ですよそんな!」


 アケミの言うことはもっともだ。無数の怪異をものともしないチェーンソーの怪物に挑むなど、普通なら自殺行為としか思えない。


「なァに、やりようはある」


 しかし、陶たちは元々チェーンソーの鬼と戦うつもりだった。勝算がある。


「笹原さん、柳原さん、大鯨さん! 俺ァあいつを止めてきます! バケモノどもが邪魔しないよう、援護をお願いします!

 森さん! 後ろのオフィスの結界を強化しておいてください! 九段下もサポート頼んだァ!」


 同僚に指示を出すと、陶はバリケードから外に出た。チェーンソーの鬼は20歩先にいる。


「何があったか知らねえけどよ、大鋸ァ」


 チェーンソーの鬼まで残り10歩。陶は警杖を下段に構え、腰を落とした。


「何が何でもお前を止めるぜ、俺ァ」


 残り5歩まで近付いた時、陶が動いた。姿勢を低くして前へ踏み込む。チェーンソーより長い警杖の間合いから、鬼の脛を警杖で殴りつける。

 鬼は足を殴られながらも一歩踏み込み、陶の頭へチェーンソーを振り下ろす。陶は後ろに飛んで刃を避ける。追うようにして鬼が前へ飛んだ。陶は間合いを離せない。腰を狙ってチェーンソーが振り上げられる。


「オラァッ!」


 陶は警杖で鬼の肩を力任せに殴りつけた。その反動で強引に横に飛び、チェーンソーを避ける。飛び退った陶に鬼が詰め寄る。それに対し陶は警杖で突きを繰り出す。鳩尾と額。二連撃。

 鬼の足が止まった。痛みを堪えているわけではない。陶の出方を見ている。手当たり次第に暴れるのをやめて、陶に集中することにしたようだ。ただ、集中しても陶が陶だと気付いた様子はない。


「ここはなんか反応するところじゃねェのかよ……」


 毒づきながらも、陶の構えに緩みはない。むしろ今まで以上に集中していた。一瞬でも気を緩めれば斬られると確信していた。


 まさかこんな事になるとは。慎重に間合いを計りながら、陶は大鋸との思い出を振り返る。

 初めて会ったのは大学のサークルに入った時だ。何だかやたらと凶悪なツラだなと思ったが、話してみると意外にもすっとぼけた奴だった。同じゼミの神宮寺と村田、それにもうひとりと合わせて5人でつるんで、一緒に旅行に行ったり、徹夜で麻雀を打ったりしていた。

 卒業した後は疎遠になったが、大鋸とは意外な形で再会した。身辺警護を請け負った依頼人の家で、庭の手入れをやっていた。それだけなら単なる再会だが、そこに現れた怪異と、大鋸は互角以上の戦いを演じてみせた。

 それから陶と大鋸は、怪異案件でたびたび共闘するようになった。特に紫苑と沙也加が誘拐されかかった事件では、死人が出るんじゃないかと心配するほどの大暴れを見せた。その容赦の無さに陶は少し引いたが、ちゃんと敵と味方を常識的に区別して、暴力に方向性を持たせていたからまだ安心できた。


 だが、今は違う。とにかく一番近い奴に手当たり次第に斬りかかっている。目的があってチェーンソーを振り回している訳じゃない。チェーンソーを振り回すだけの存在に成り果てている。

 そういう意味では確かに、アケミが言う通り怪異なのだろう。友人がそうなっているのを放っておくわけにはいかない。

 だから陶は警杖を構え、翡翠の前に立ちはだかる。


 鬼が動いた。警杖を握る指を狙った突き。技だ。今までの力任せの攻撃とは違う。

 陶は腕を引いて突きを避ける。同時に警杖で鬼の側頭部を狙う。鬼は僅かに身を屈めたが、避けるのには間に合わず、杖が頭を打った。硬い感触。杖が跳ね返された。陶は顔をしかめる。避け損ねたのではない。ヘルメットで防いだか。

 横薙ぎのチェーンソーが陶の胴を狙う。警杖でこれを防ぐ。回転刃が押し当てられ、特殊合金の警杖が火花を散らす。更に、斬撃の勢いで陶の体が後ろに飛んだ。着地して警杖を構え直す。人間の腕力ではない。


 鬼が間合いを詰めて、小刻みな斬撃を立て続けに繰り出してくる。隙がない。その癖、一撃一撃が人間にとっては重い。陶はそれらの斬撃を避け、いなし、隙を見て反撃を放つ。しかし鬼も慎重な斬撃を放っているだけあって、陶の攻撃を全て避けるか防ぐかしている。

 互いにダメージはない。しかし疲労が溜まっていく。手探りのような打ち合いは精神の比べ合いだ。先に集中力が切れた方が本当の傷を負う。そうなった時に有利なのは、余分を捨て去った怪異の方だ。

 陶の持つ警杖の先が僅かに下がっていた。それを見逃さなかった鬼が、不意に加速する。それまでの打ち合いよりも一拍速い斬撃が陶の首を狙う。


「チイッ!」


 反応が遅れた陶は、警杖を使って辛うじて斬撃を受け流した。

 直後、胴体を衝撃が襲った。蹴られた、と気付いたのは後ろに吹き飛んだ後だった。斬撃を放った勢いで、鬼が後ろ回し蹴りを放ったのだ。チェーンソーに気を取られていて、それ以外の打撃が意識から外れていた。

 地面を転がった陶は立ち上がろうとする。だが、それよりも速く鬼が駆け寄り、チェーンソーを振り下ろした。防ぐ間もなく、陶のスーツが駆動する刃によって斬り裂かれた。


「陶さん!」


 アケミが叫ぶ。破れたスーツの生地が飛び散る。

 鬼の動きが止まった。正確にはチェーンソーが、だ。エンジンは動いているのに、刃の回転が止まっている。そのチェーンには白い繊維が複雑に絡み付いていた。


「ラッキーアイテムは作業ベストか。九段下の言う通りだったな」


 出発する直前、九段下の『占い』があった。チェーンソーが相手とわかっているなら、それ相応の装備があった方がいいということで、国道沿いのワークマンで全員分の防刃作業ベストを買っていたのだ。

 特殊繊維で身を守った陶は、左腕を引いた。その左手は人間のものではない。怪異だ。

 『猿の手』。3つの願いを叶え、金属以外のあらゆる物質を貫く魔の手だ。


「骨一本、ぶっこ抜いたる」


 狙いは鬼の左足、大腿骨。これを抜かれれば歩くことはできない。

 陶の左手が手刀となって繰り出された。鬼の防御は間に合わない。揃った五指が鬼の左足に到達した。


 そして、弾き返された。


「いってえええ!?」


 突き指した陶は思わず叫ぶ。鬼は全くダメージを負っていなかったが、急にのたうち回った陶に驚いて間合いを取った。

 陶が知る由もないことではあるが、鬼が着ている防護服は特別なものだった。チェーンソーを防ぐ特殊繊維だけでなく、裏地には防弾、防刃の機能を付与する、金属繊維も使用されていた。

 そして『猿の手』は金属に弱い。弁当箱に入っているアルミホイルすら突き破れないほどだ。例えるなら、陶は分厚い鉄板に向かって手を突き出したようなものだ。指のほうが負けるのは当然であった。


 気を取り直した鬼が、チェーンソーで殴りかかった。回転は止まっているが、それでも刃がついた金属塊で殴りかかっていることになる。人間離れした腕力も加味すると、とても無防備に受けられるものではない。陶はチェーンソーを警杖で受け流すと、鬼を牽制しながら立ち上がった。


「チクショウ、ラッキーひとつじゃまだ足りねえか……!」


 今の一撃で決着がつけば良かったのだが、そう上手くはいかないようだ。長丁場を覚悟しながら、陶は再びチェーンソーの鬼に挑みかかった。

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