コンビニ

 ロードサイドのコンビニは駐車場が広い。そこで翡翠は店舗から一番離れた場所に車を停めた。店員にあまりジロジロと見られたくなかったからだ。

 エンジンを止め、大きく息を吐き出す。数時間ハンドルを握りっぱなしだったので、体が強張っていた。あまり疲れていないのがせめてもの救いか。


 スマートフォンが震えた。画面を見ると、万次郎からだった。通話アイコンをフリックする。


「もしもし?」

《おう、翡翠くんか!? 無事か!》

「ああ。途中まできた」

《……なんか声が遠いな。どこにおる?》

「コンビニの駐車場。電波が悪いのかな……」


 周りに建物が少ない田舎だから、電波が届きづらいのかもしれない。


《レッドマーキュリーはちゃんと持っとるか?》

「あるよ」


 箱は後部座席に置かれている。誰にも手を出せない。


《ほんならよかった……えーと、それを船に載せるんよな? 鹿島港で》

「ああ」

《大丈夫なんかな……ひょっとしたら、海の怪異が襲いかかってくるかもしれんで。

 大学の人はその辺、なんか言うとったか?》

「いや……まあ、なんか考えてるだろ。レールガンとか」

《レールガン……? まあええわ。警察の方は、今説得しとる。もうしばらく我慢してくれ》


 翡翠は黙り込んだ。


《翡翠くん?》

「万次郎さん」

《お、おう。なんや》

「昔さ、万次郎さんに聞いたの、覚えてる?」

《何をや》

「どうして人を殺しちゃいけないのかって」


 スピーカーの向こうで万次郎は溜息をついた。


《覚えとるで。翡翠くんが中学入ったばっかの頃だったよな。よう覚えとる。

 ありゃあ、みんなで生きていくための決まりごとなんや、って。それを破ったら、チェーンソーのプロでも敵わない、特殊部隊とか軍隊とかが来て殺されちまうから良くないって、言うたよなあ。翡翠くんは覚えてるか?》

「覚えてるに決まってるだろ。真面目に答えてくれたのは万次郎さんだけだったし。そいつを信じて、今まで大人しく生きてきたんだから。だけどさ……」

《だけど?》

「向こうから約束を破ったなら、守る意味は無くないか?」


 会話が途切れた。電話越しだというのに、抜き差しならない張り詰めた空気が漂っていた。


《バカなこと考えるんじゃないよ、翡翠くん。今は警察がちょっと間違えてるだけやから》

「何をどう間違えたら警察と怪異が手を組むんだ」

《もう少しだけ、もう少しだけ待っとれ! 何とか話をつけっから!》

「それで身内になにかあったら、どうしてくれる?」


 スピーカーの向こうで万次郎は何か叫んでいたが、構わず翡翠は電話を切った。


 翡翠は座席の背もたれを倒して横になった。後部座席のチェーンソーとレッドマーキュリーを確かめてから、スマートフォンを漫然と操作する。丸1日、まともに寝ていないはずなのに眠る気になれない。


「夜更かしはワクワクするもんねえ」


 幼い声。翡翠は視線を動かす。後部座席の窓の向こう側から、粘ついた笑みを浮かべた少女が車内を覗き込んでいた。

 九曜院に取り憑いている狐の怪異、ヤコだった。


「お前、九曜院はどうした」


 翡翠はチェーンソーの位置を確かめる。手の届く範囲にある。仕掛けてくるなら防げるはずだ。


「んー? こっちの方が面白そうだったから、ついてきちゃった」


 しかし、ヤコに襲いかかってくる気配はなかった。本当に興味本位でついてきたのだろうか。わからない。翡翠は訝しむ。


「そんなに怖い顔しないでさぁ、リラックス、リラーックス。ひとりになれたんだから、好きにすればいいじゃない」

「お前がいると落ち着かない」

「あっそう? それじゃ隠れるから」


 そう言うと、ヤコは屈んでしまった。見えなくなったが、そこにいるのはわかってるから落ち着かない。


「……出てこい」

「はーい」


 ヤコが下からひょっこりと顔を出した。


「何考えてんだ?」

「だからさっき言ったじゃん。こっちの方が面白そうだって」

「何が面白いんだ?」


 戦場から離れて、港に箱を届けに行くだけなのに、わざわざついてくる気がしれない。学園都市にいた方が面白いはずだ。


「いやあ、だってねえ? 何年モノの欲望かって話だよ。しかもこんなレア物、長生きしててもそうそうお目にかかれるものじゃないし。これを見逃すなんてもったいないよ。あんなにつまらなかった子に、こんなお宝が眠ってたなんて。うーん、灯台下暗しだなあ」

「よくわからないけど、お前が考えてるほど俺はむずかしいことは考えてないからな?」

「いいのいいの、考えなくて。なーんにも考えないで好きなようにするのが、一番おいしいんだから」


 ヤコの話はどうにも要領を得ない。ただ、翡翠に危害を加えようとする気配はなかった。


「好きなようにしろ、か」


 そう呟いた翡翠は、おもむろに起き上がると車から降りた。目の前には、翡翠を見上げるヤコがいる。


「どうしたのー?」


 ヤコはニヤニヤ笑っている。その笑顔に向かって、渾身の蹴りを繰り出した。


「これから寝るんだよ、ウロチョロすんな!」


 ヤコは当たる寸前で両手を掲げ、蹴りをガード。その勢いで後ろに吹っ飛んでいく。


「おやすみー!」


 余裕のある声とともに、ヤコは近くの茂みの中へ飛んでいった。起き上がってくる気配はない。そのまま倒れているのか、あるいは怪異の力でどこかにワープしたのか。いずれにせよ、翡翠の近くに寄ってくるつもりはないようだ。

 そのまま車に戻って寝ようとした翡翠だったが、その目をコンビニの光が打った。眩しい。文明の光だ。何でも揃っている。

 不意に翡翠は、腹が減っていることを思い出した。



――



 深夜のロードサイドのコンビニは極端に暇だ。レジの中身を確認して、掃除を終わらせれば、後は朝まで来るか来ないかわからない客を待ち続けるだけになる。そういう時間帯はたいてい、1人がレジに立ち、1人が休憩でバックヤードに入る。

 このコンビニでは、休憩中の1人はバックヤードを越え、店の外にまで出ていた。タバコを吸うためだ。

 スマホでSNSをチェックしながら一本吸い、吸い殻を灰皿に放り込むと、彼はバックヤードに戻った。すると、もう一人のバイトが部屋の中にいた。


「おいおいおいおい」


 今のシフトは2人。レジが空になってしまっている。客が来たらクレーム間違いなしだ。


「だーめっすよ、レジ空けちゃ。どうしたんすか」


 もう一人のバイトは、店内を指差して小声で何か喚いている。バングラデシュの言葉だ。わからない。ただ、その表情はただならぬことが起こっていることを示していた。

 バイトはバックヤードの隅、防犯カメラの画面を見た。そこには、マスクとヘルメットを被り、チェーンソーを手に持った男が店内を物色する様子が映っていた。


「うぉい……!」


 事態を察したバイトは、慌てて店側のドアから離れた。強盗がこちらに来るなら、裏口から外へ逃げ出すつもりだった。

 画面上の強盗は、食品コーナーを物色していた。カップ麺、弁当、おにぎり、お茶。そういえば、弁当は廃棄の時間じゃなかったか、とバイトは場違いなことを考えていた。

 一通りの食品を手に取った強盗は、今度はレジに向かった。チェーンソーでレジを叩き壊すのか、と思いきや、箸を一膳持っていった。そして、入口横のポットでカップ麺にお湯を注ぐと、そのまま店を出ていってしまった。


 バイトはぽかんとしていたが、我に返ると慌てて電話機に飛びついた。レジの金こそ取られなかったが、商品がいくつか持ってかれた。立派な強盗だ。


「警察だよ警察ッ!」



――



 四課四班が第四学群に到着すると、地獄絵図が広がっていた。そこら中に怪異の死体が積み上げられ、淀んだ瘴気を発している。まだ息のある怪異もいるが、地面に寝そべったまま虚空を見るばかりだ。


「一体何が起こったっていうんだい……?」


 アカツキセキュリティ四課四班班長、吉田千菊は、社用の改造バンの座席に揺られながら、周囲を見渡した。

 彼女たちが装備を整え、九曜院のいる筑波大学にやってきたのが昨日のこと。大学に入ろうとしたら、警察に止められた。

 一度引き返し、上司の指示を仰いだところ、異界側から侵入せよという指令を受けた。そこで異界『第四学群』に入った。なぜか結界が展開されていたが、そこは対怪異部門の四課四班である。上手く術式をごまかし、夕方には突破することができた。

 そうしてやってきたのが、この怪異の死体だらけの地獄の一丁目であった。


《そこの車、停まってください》


 第四学群の敷地に近付くと、前方からスピーカー音声が聞こえた。見ると、上半身は人型、下半身はキャタピラ装甲のロボットが、交通整理のあの棒を振り回していた。


「おお……」

「ときめいてんじゃないよ陶くん」

「ときめいてません。どうします、班長?」

「一旦停止。エンジンはかけたまま」


 車が停まると、吉田は窓を開けてロボットに話しかけた。


「こちらはアカツキセキュリティ株式会社、四課四班です! そちらにいる九曜院明准教授をお迎えに上がりました!」

《……少々お待ちください》


 ロボットはすぐには返事をしなかった。どうすればよいか、向こうでオペレーターたちが話し合っているのだろう。

 やがて返事が来た。


《安全な場所まで誘導します。この機体についてきてください》


 ロボットがキャタピラで大学に向かって進む。四課四班の社用バンはその後に進む。

 途中、多数のロボットやアーマード教授とすれ違った。側にはバリケードがある。


「戦争でもやってんのかねえ」


 思ったより大事な気配に、吉田は溜息をついた。

 やがて車は大学の建物の側に着いた。そこでは九曜院が待っていた。他にも数人の研究員がいる。吉田は車から降りると彼らに一礼した。


「アカツキセキュリティ株式会社、対怪異警護部門『四課四班』です。九曜院准教授、お迎えに上がりました」

「君は……確か、吉田さん、だったか?」

「やだー!? 覚えててくれたの、嬉しいー! だったら、仕事終わったら飲みに行かない?」

「班長ォ! せめて仕事が終わるまでシリアス続けてくれませんかねェ!?」


 運転席から怒鳴る陶に対し、吉田は口をとがらせた。


「えー。こんなイケメンを出会って3秒で口説かない方が失礼じゃない?」

「口説いたほうが失礼でしょうが!」

「君、まさかナンパのためにこんなところへ……?」

「違う違う違う」


 九曜院が勘違いしそうだったので、陶は慌てて説明する。


「依頼があったんスよ。『チェーンソーの鬼』に追われて第四学群に避難してるから、アンタを護衛して東京まで連れてきてほしいって」

「……出迎えか。悪いがまだ帰れない。行かなければならない所がある」

「なんです? また何か、変な事件に巻き込まれてるんスか?」

「ああ。簡単に言うと……核爆弾を発見してしまい、それを怪異と警察から守っている」

「かっ!?」


 思わぬ言葉に陶は絶句した。吉田もあんぐりと口を開けている。


「今、それを相手の手が届かない場所に移動させているんだが、相手がそれに気がついて追いかけていったんだ。このままだと向こうが危ない。

 ……すまないが吉田くん。帰るのはもう少し後にならないか?」

「って言われてもねえ……」


 吉田は渋い顔になった。九曜院の事件は確かに大事だが、吉田たちにも仕事がある。それを放り出して九曜院を危険地帯に送り出すわけにはいかない。


「一応上に相談するけど、その時間はあるかい?」

「ああ。そもそも君たちはすぐに出られないからな」

「え?」


 吉田が周りを見ると、白い防護服を着た研究者たちが、吉田たちにホースを向けていた。


「えっ、何これ?」

「いやほら、外に大勢の怪異が倒れていただろう?」

「うん」

「あれは病気で倒れたんだ。天然痘に黒死病、エボラ出血熱と言った、現世に持ち込んだらマズいことになる病原体たちだ」


 げぇ、と吉田の喉から悲鳴があがる。


「つ、つまり……」

「まず消毒、次に検査。陰性なら出発だ」


 吉田が返事をする前に、ホースから消毒液が放たれた。

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