Don't Stop Me Now
第四学群防衛戦は、終始学園側が優位であった。数こそ怪異が圧倒していたものの、予算と倫理を投げ捨てた研究者たちの戦力には及ばなかった。唯一、医学エリアは火災による被害を受けたものの、病院機能には問題がなかった。
大した被害が出ないまま、初日の攻防戦は終わった。
翌日、怪異たちは医学エリアに集中攻撃を行おうとした。だが、それも上手くいかなかった。原因は北側の農学エリアと西側の工学エリアだ。
農学エリアの実験生物たちは、敵が攻めてこないと知るや否や、狩りのために持ち場を飛び出した。森の中からクローンスマトラトラや三ツ首のハトや八本足のニワトリが飛び出してくる光景に怪異たちは恐れおののいた。
工学エリアではチェーンソーの鬼が橋から踏み出してきた。開けた場所に出てきたことは、怪異たちにとっては一斉に襲いかかるチャンスでもあった。しかし彼らは、前日に無数の仲間を殺されたトラウマから逃げ回るしかなかった。
これら2ヶ所の逆攻勢に対応するため、医学エリアの集中攻撃は中途半端なものになってしまった。
それでもお七の炎が病棟ひとつに被害を与えたが、そのお七は昼過ぎに動きを止め、そのまま撤退してしまった。更に、他の怪異たちも次々と動きが鈍り、倒れるものも続出した。
生物学部が散布していた炭疽菌、天然痘、エボラ出血熱といった凶悪病原体が、怪異たちに襲いかかったのだ。現世ならジュネーブ条約違反で国際的な非難を受けるところだが、学園都市は異界だ。咎める国際機関は無い。
3日目になるとほとんど戦闘は起こらなくなった。学園都市はようやく一息つくことができた。
「よし、あいつら全部ぶっ殺してくる」
「ストップ! ストップです先輩!」
「休もう大鋸くん!?」
丸2日間、橋の上に陣取り続けていた翡翠は、敵が攻めてこないとわかるとすぐに橋の向こうに攻め込もうとした。雁金とアケミが止めに入らなかったら、敵陣に突っ込んでいただろう。
「休むのは殺せるだけ殺してからだ」
「そこまで頑張らなくていいですから! 血塗れで見た目とか臭いとか最悪ですよ!?」
「寝てないじゃない大鋸くん! そんなんじゃ死んじゃうよ!?」
「おにぎり作った! 食べて!」
メリーさんが白いおにぎりを差し出すが、翡翠は見向きもしない。
「いらん」
「食べましょうよ! アケミちゃんそっち押さえて!」
「わかった!」
アケミが翡翠の体を押さえ込んだ隙に、雁金が首の後ろに手を回して翡翠のマスクを外す。口元が解放されると、すかさずメリーさんがおにぎりをねじ込んだ。
「食べなさい!」
「んがんぐ……!」
米を口に押し込まれては食べざるを得ない。もぐもぐと口を動かし始めた翡翠は、ようやく足を止めてその場に座り込んだ。メリーさんが膝の上に乗っかり、翡翠が立ち上がるのを阻止する。
「……大丈夫か?」
様子を見ていた九曜院が声を掛けた。
「すいません。先輩、ハイになっちゃってるみたいで……」
「まあ、この状況ではな……」
無実の罪で警察に追われ、隠れ場所にも追手が来て、100体を超える怪異と戦った。多大なストレスがかかっていて当然だ。そもそも生きているのが不思議なくらいである。
「それはともかく、今のうちに伝達しておきたいことがある。
現世の筑波大学に警察が来ている。大鋸君が大学付近に潜んでいるという建前で、厳戒態勢を敷いているようだ」
「今度は警察か。だったら俺んがんぐ」
口を開いた翡翠の口に、2個目のおにぎりが押し込まれた。
「警察が異界に侵入できないが、現世から物資を調達できなくなった。備蓄はあるが、いつまでも籠城はできない。
それに、
実際、レールガンの修理部品を買いにいった舞阪が警察に捕まっている。異界での事件を警察が立件できるわけがないので、数日で釈放されるだろうが、その間は手痛い戦力低下だ。これが重なれば、防衛戦に致命的な穴が空きかねない。
「そこで、だ。大鋸君たちはレッドマーキュリーを持って、ここから脱出してほしい」
「……厄介払いか?」
2個目のおにぎりを食べ終わった翡翠が冷ややかに睨みつける。それに対して、九曜院はゆっくりと首を横に振った。
「レッドマーキュリーを警察の手の届かない場所に移動させる。深層海洋学部は海外に研究拠点を持っているんだ。アブレオジョス島というのだが、ここなら警察も怪異も近付けない」
「おい、パスポートは持ってきてないぞ」
「君たちが直接行く必要はない。鹿島港に船を手配している。明日の昼ごろに到着するから、彼らにレッドマーキュリーを渡してくれればいい」
「つまり、その人たちにレッドマーキュリーを渡すために、私たちに港まで行ってほしい、ってことだね?」
アケミの言葉に九曜院は頷いた。
「今夜、こちらから敵陣に夜襲を仕掛ける。それに乗じて脱出してほしい」
「私たちが抜けて、ここは大丈夫なの?」
「生物兵器が予想以上に効いたからな……」
九曜院の目が橋の向こうに向けられる。病気に倒れた怪異たちの遺骸が野ざらしのまま放置されている。人間ではないとはいえ、凄惨な光景だ。このような状況では、敵は攻めて来られないだろう。
「むしろ君たちの方が大変だろう。レッドマーキュリーを守ることになるのだからな。心苦しいが、これを託せるのは君たちしかいない。頼む」
「はい!」
雁金たちが元気よく返事をする。翡翠は不服そうだったが、下から3個目のおにぎりがせり上がってきたので渋々頷いた。
――
深夜、学園都市勢力による反攻が始まった。
「コモドドラゴンを放てッ!」
北エリアの地下実験施設で繁殖実験をしていたコモドドラゴンの群れが、地上へと解き放たれた。体長2m以上、体重50kg超、人間を軽々と食いちぎる咬合力と、傷が塞がらなくなる毒を持つ危険な野生生物だ。
河童たちは応戦するが、疲労と疫病で思うように動けない。そこで、東エリアから海の佐伯の軍勢が救援に駆けつけた。
「チイッ、なんだってコモドドラゴンなんか飼ってるんだよ!」
毒づきながら海の佐伯は短剣を投げつけ、コモドドラゴンを殺害する。部下の亡霊たちも剣や槍でコモドドラゴンを討ち取りにかかった。
このタイミングを見計らって、東エリアから一台の車が飛び出した。翡翠の改造4WDである。翡翠たちとレッドマーキュリーを載せたモンスターマシンは、海の佐伯が北エリアに移動したことで薄くなった包囲網に突っ込んだ。
「どけえええっ!」
翡翠は容赦なくアクセルを踏み込む。4WDは狩猟部の銃弾を防ぐために築かれた塹壕を乗り越え、盗賊の亡霊たちを次々と轢き飛ばしていく。
不意に前方が明るくなった。焚き火だ。大勢の亡霊が焚き火を囲んで休んでいる。彼らは近付いてくる車に気付いて、大慌てで動き出した。
「先輩! 前、前!」
「ああ!」
「避け……」
「突っ込むぞ!」
雁金が止める間もなく、4WDは加速して亡霊の群れに突入した。バンパーに弾き飛ばされる者あり、タイヤに踏み潰される者あり、ボディに叩き潰される者あり。地獄への道が、善意ではなく内燃機関によって舗装されていく。
「騒がしいな……何事だ?」
そこに現れたのは、亡霊たちの指揮官、山の佐伯であった。天幕から出てきた彼は、4WDが自陣のど真ん中を突っ切っているのを見咎めると、すぐさま混乱する部下たちに檄を飛ばした。
「正面に立つな! 轢かれるぞ! 弓隊、横から射撃せい!」
指揮官の声に冷静さを取り戻した亡霊たちが、4WDを攻撃し始める。矢を射掛けても大半は弾かれたが、それでも車体をへこませる程度の威力はある。それを嫌がった翡翠は、弓隊から離れるように車の進路を変える。
その先には山の佐伯が大斧を持って待ち構えていた。大岩を一撃で粉砕する自慢の大斧だ。先の戦いでも、第四学群の警備ロボット5台を粉砕している。4WDでも破壊できる自信があった。
「ダメだよぉ。ここからが面白いところなんだから」
その背後から声。山の佐伯は迷わず後ろへ向かって斧を振るう。間合いに踏み込もうとしていた小さな影は、高く飛んで斧を避けた。地面に降り立ったのは、狐耳と尻尾を生やした小柄な人影だった。ヤコだ。
「ぬうんっ!」
山の佐伯は前方に突撃、速度と体重を乗せた最高速の斧の振り下ろしでもって、ヤコを両断しようとした。だがヤコは、斧の刃を人差し指と中指で挟んで止めた。驚いた山の佐伯は、斧を引き戻そうとするが、ビクともしない。
「ほいっ」
ヤコが手首を軽く動かす。それだけで山の佐伯の巨体が宙に投げ上げられた。
「うおおっ!?」
叫ぶ山の佐伯の体が落下する。その先にヤコが飛び回し蹴りを放った。白い脚が振り抜かれると、山の佐伯の首がねじ切られた。体が地響きを立てて地面に落ち、遅れて首が落ちてきた。
ヤコは満足げに息を吐くと、大きく跳躍して電柱の上に飛び乗った。そこから別の電柱へ次々と乗り継いでいく。そして最後に降り立ったのは、包囲網を突破した翡翠の車の屋根の上だった。
車内は弾丸轢殺レースを終えたばかりの興奮で騒然としており、誰もヤコが頭上にいることに気付かなかった。
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