AGAINST ALL ODDS

 第四学群防衛戦は北から始まった。ここは農場であり、障害物が少なく、大軍の利が活きる地形だった。河童を始めとした大勢の怪異が、牧場の柵を倒して敷地に侵入した。

 そんな彼らに襲いかかったのは、無数の怪生物たちであった。四つ目の大男。足が8本ある巨大ニワトリ。超大型クマムシ。人面犬。マンイーター。シャコ人間。サメ。怪異でもドン引きするような造形の異常生物たちであった。


 新人類創造プロジェクトというものがある。環境汚染や異常気象、過剰人口に対応するため、人類や動植物に遺伝子改造を施す研究だ。

 倫理を地平線の彼方に置いてこなければできないこのプロジェクトは、当然都市伝説の産物であり、それ故に異界の第四学群では主要なプロジェクトとして取り組まれている。そうして生まれたのが、怪異たちを迎え撃っている怪生物たちであった。



――


 北側の攻勢と同時に、東側の駐車場エリアにも怪異の軍勢が進軍した。ここは中枢エリアに隣接する場所でありながら、農場と同様に開けた地形で非常に攻めやすい。

 ここを攻める怪異は古墳時代の鎧兜に身を包んだ亡霊たちが主体だった。


「進め進めぇ! 逆らう者どもは皆殺しだ!」

「我ら佐伯さえきの軍勢の恐ろしさ、敵に見せつけてやれぃ!」


 中心にいるのは、大斧を担いだ男と、三又槍を手にした男。『常陸風土記』に名を残す賊の長、『山の佐伯』と『海の佐伯』の亡霊であった。

 軍勢が駐車場に入ると、反対側の建物から第四学群のロボット軍団が飛び出してきた。装輪式のロボットたちは素早く佐伯の軍勢に接近し、搭載していた銃を発砲する。前衛の兵士が倒れる。


「盾構えぃ!」

「突撃ぃーっ!」


 佐伯たちの号令で、兵士たちが盾を構えて突進する。分厚い青銅の盾は銃弾をいくらか弾いた。それでもロボットたちは射撃を続けるが、すぐに弾切れになってしまい、撤退を始める。

 逃げるロボットを追いかけ、亡霊の軍勢が建物へと押し寄せる。その勢いが建物にぶつかろうとした瞬間、前進が止まった。


「なんだあっ!?」


 前列の兵士たちがもがいている。中には血を流している者もいる。

 彼らの前進を阻んだものは、張り巡らされた有刺鉄線であった。


「鉄の茨だとぅ!?」


 建物の窓という窓、扉という扉が一斉に開け放たれた。そこから姿を現したのは、銃を構えた人々。実験生物の脱走やロボットの暴走、研究者の発狂、怪異の襲撃、野生動物の侵入などに対処する第四学群狩猟部の面々であった。


「21世紀の『茨城いばらき』へようこそ!」


 狩猟部部長の50口径対物ライフルの轟音を皮切りに、熾烈な十字砲火が開始された。



――



 北と東に比べると、西側の戦闘は散発的なものだった。特に重要な拠点がない。そもそも建物がない。森が広がっている。大軍を進ませる場所ではない。

 それでも何もしないのはもったいないので、少数の怪異が忍び込み、奇襲を行おうと試みた。だが、誰一人として、侵入はおろか帰還することすらできなかった。


 この森にはオセアニア呪術によって呼ばれた『ロゴ・トゥム・ヘレ』が陣取っていた。森の奥にある池に陣取り、触手を伸ばして侵入者を一匹残らず握り潰していたのであった。


「これ本当に大丈夫なんか?」

「大丈夫」


 同じく防衛に当たっていた錬金学の教授は、敵よりも禍々しいタコの怪異を警戒していたが、オセアニア呪術学の教授は平然としながら池の鯉にエサをやっていた。



――



 第四学群南部、医学エリア。戦闘状態となった第四学群において、中枢エリアと同じくらい重要な場所である。北にある新人類創造プロジェクト研究所でも怪我人の手当てはできるが、本格的で安全な治療はやはり病院でしかできない。

 攻め手もそれは承知している。故にこのエリアには重要戦力のひとつを送り込んだ。


「燃えて、燃えて、燃えて!」


 灼熱の華が咲く。不運な研究者や異常生物たちが、炎に呑まれてのたうち回る。

 炎を巻き起こしながら進むのは、頭に簪を挿した、赤い着物の少女。だが、それは顔だけだ。袖口から覗くのは人の手ではなく鳥の羽。裾から覗くのは人の足ではなく鶏の脚。


「どうぞ炎よ、天の果てまで! あの人の目に届くように!」


 想い人に会うためだけに放火の大罪を犯した少女の成れの果て。体が異形の者と化しても、なおも燃え尽きぬ恋の炎。その名を『八百屋お七』と言った。


 炎は全てを解決する。人も、怪異も、機械も、数千度の高熱には耐えられない。熱に浮かされたお七は、ゆっくりと、しかし止まることなく医学エリアに近付いていく。

 だが、突如お七の足元の地面が大爆発を起こした。お七はとっさに火炎を展開し、爆風の衝撃を和らげる。しかしゼロにはできず、小さな体が大きく後ろへ吹き飛ばされた。


「残念だったな。セムテックスは炎では爆発せん」


 病棟で呟いたのは、爆薬研究を専門とする化学科の教授であった。彼は研究室にある爆薬を片っ端から地雷に加工し、医学エリアの周囲に埋めていた。炎は全てを解決するが、爆発は炎すら吹き飛ばす。

 お七が立ち上がった。袖口から伸びた手には、筒状の物体がいくつか握られている。お七はそれらを炎の中に投げ込んだ。特に何も起きない。しかし、お七が翼をバサリと鳴らすと、地面を抉るほどの爆発が巻き起こった。


 爆発は教授が埋めた地雷も諸共に吹き飛ばしていた。爆風と共に漂う甘い香りに、教授は目を見開いた。


「この匂い……トリアミノトリニトロベンゼンか。怪異だというのに、随分と高度な爆薬を使うものだ」


 トリアミノトリニトロベンゼンはセムテックスよりも爆発しづらい爆薬だ。燃やしても叩いても反応せず、爆発させたいタイミングで爆発してくれる。例えば核爆弾の起爆に使われるものだ。そんな近代的な爆薬を怪異が使うとは意外だった。


「勉強しましたから。もっと派手に! もっと大きく燃えてくれないと、あの人は気付いてくれませんもの!」

「よかろう。ならば特別講義を行って進ぜよう。最後まで聞けたら、単位をくれてやろう」


 そう言うと、教授は特注の実験用遠距離爆薬投射器――つまりはバズーカ砲を構えた。



――



 第四学群に纏わる都市伝説のひとつに、『地下には東京まで繋がる秘密の通路がある』というものがある。怪異の力を利用して成立した第四学群は、当然その噂も内包している。

 その秘密の地下通路を進む人影があった。地上を攻める怪異たちとはまるで違う。ヘルメットとマスクで顔は見えない。炭のように黒いジャケットとズボンで肌も見えない。その手に握られた大型のチェーンソーが、地下の蛍光灯に照らされて不吉な輝きを放っていた。


 黒い人影は黙々と歩く。目指すのはこの通路の最奥、第四学群中枢エリアに他ならない。地上の騒ぎに研究者たちが気を取られている間に、地下から奇襲をしようという腹積もりだった。


「いやあ、そうはいかないんだよね?」


 場違いに明るい声が響いて、黒い人影は立ち止まった。先の暗がりから、小さな人影が歩いてきた。狐耳と尻尾を生やした着物の少女。ヤコだ。後ろには九曜院もいる。


「わざわざ東京から来るなんてお疲れ様。ここから先は通行止めだから、回れー右!」


 徹底的にふざけるヤコに対し、黒い人影は何も言わずにチェーンソーのスターターを引っ張った。無数の刃がついたチェーンが、ガソリンエンジンによって回転を始める。

 それに対してヤコは両手を広げて前傾姿勢の構えを取った。獲物に飛びかかろうとする獣のような姿勢だった。


 僅かな対峙の後、先に飛びかかったのはヤコの方だった。右腕を大きく振り上げ、黒い人影めがけて振り下ろす。人影はチェーンソーを掲げてこれを防いだ。

 ヤコの細腕には、見た目からは想像もできない破壊力が込められている。腕が巻き起こした風圧だけで、地下通路の壁が抉れた。しかし、人影はそれを受けても微動だにしなかった。


 黒い人影がヤコを押し返す。ヤコは後方に宙返りを打って着地した。そこへ人影がチェーンソーを振り下ろす。ヤコは着地の勢いを殺さず、更にバク転を打ってチェーンソーを避ける。

 チェーンソーはアスファルトの床をバターのように軽々と斬り裂いた。物理的には無理な話だ。何らかの怪異の力が働いている。


 更にヤコが攻撃を重ね、それらを受けきった黒い人影が反撃を繰り出す。一合撃ち合う度に床が抉れ、壁が斬られ、天井が崩れる。それでも、互いに傷ひとつ負っていない。

 恐るべき事に、この黒い人影は、人の欲を喰らい、太陽と月を飲み込み、三国を食い散らかしたヤコと互角に渡り合っていた。


「ふうん。『チェーンソーの鬼』って呼ばれるだけの事はあるじゃん」


 ヤコは横薙ぎのチェーンソーを弾き返す。爪が少し削れた事に、不快げに顔をしかめる。


「だけどねえ、キミよりもっと相応しい子がいるんだよ。残念だったねえ、偽物さん?」


 黒い鬼はヤコの顔面めがけて蹴りを放った。ヤコは防御もできず食らう、と見せかけて自ら後ろに跳んだ。ふわり、と九曜院の前に着地すると、右手を腰に当て、左手で鬼を指さした。


「さて、鬼さん。いつまで遊ぶ? ボクは1日でも2日でも構わないけど、上の人たちはいつまで待ってられるかな?」


 黒い人影は動かなくなった。ヤコもその場から動かない。睨み合いになる。

 やがて、人影のほうが動いた。チェーンソーを構えたまま、ゆっくりと後退していく。徐々に遠ざかり、やがて暗闇の中へ消えた。


「ひぃー……」


 敵が見えなくなると、ヤコは大きく息を吐いた。額の汗を拭う。べったりとした汗が着物の袖を濡らした。


「大丈夫か、ヤコ?」

「へーきへーき。明がいたから、この前みたいに逃げずに済んだよ。それよりこの通路、早く埋めちゃおう?」


 ヤコがあの黒い人影と対峙するのはこれが2度目であった。前回は、九曜院の研究室に踏み込んできた時に戦っている。その時は数合打ち合った後、ヤコの方から逃げざるを得なかった。

 

「怪異を問答無用で操る能力ってずるいと思うんだよねえ。そりゃあ怪異も神も亡霊も、一緒に行動させられる訳だよ」



――



 重要戦力が送り込まれたのが医学エリアと地下通路なら、最大戦力が送り込まれたのは工学エリアだった。ここが陥落すれば医学エリアが孤立するし、中枢エリアに攻め込むこともできる。そのため、河童、夜刀神、その他大勢の怪異たちが集結した。

 レールガンの砲撃によって出鼻をくじかれたものの、それが連射できないとわかると、怪異たちは工学エリアに通じる橋へと殺到した。2射目が撃たれる前に敵陣に雪崩込んでしまおうという目論見だった。


 これらの怪異を率いるのは、『カマイタチ』という雇われ怪異であった。強敵が現れたら対処するという契約で従軍した彼だが、出番はないと考えていた。何しろ周りにいるのは数百匹の怪異である。第四学群がどれほど危険でも、数の力で押し潰せると考えていた。


「えっ、俺に行けって?」


 だから、初日から出番が来たことには驚いた。なんでも橋の上にバケモノがいるらしい。頭から刀を生やした蛇の怪異がバケモノ呼ばわりとは何事だ、とカマイタチは思ったが、仕事は仕事なので前線の様子を見に行くことにした。


 到着して驚いた。橋の上に立っているのはたった1人。チェーンソーを構えた男だった。

 そして無数の怪異の死体が、文字通り橋の上に積み重なっている。ただでさえ狭い橋の上に死体という障害物ができたせいで、怪異たちは一人ずつチェーンソーの男に挑み、返り討ちに遭うしかなかった。

 ただ、地形を差し引いても、チェーンソーの男の強さは異常だ。カマイタチが見ている間に、10匹以上の怪異を斬り殺していた。橋の上の死体も合わせれば、とっくに百人斬りを達成しているに違いない。

 驚きはしたが、カマイタチの仕事はこういう手練を仕留めることだ。得物の鎌型チェーンソーを両手に握ると、カマイタチは橋へと向かっていった。


 先に行っていた夜刀神がチェーンソーの男に両断された。男の表情はマスクに隠されてわからないが、ゴーグルの向こうから視線は感じ取れた。

 カマイタチに気付いた男は動きを止め、どっしりと腰を落とし、カマイタチを待ち構えた。カマイタチは歩くペースを変えずに男に近付いていく。

 間合いまで残り5歩のところで、カマイタチは急加速した。瞬きの間に2人の距離がゼロになる。カマイタチは男の首筋を狙って鎌型チェーンソーを振り下ろした。

 だが、男は神速の一閃をチェーンソーで受け止めた。回転刃同士が噛み合う異音が辺りに響き渡る。完璧なタイミングの攻撃が防がれ、カマイタチは目を見開いた。


 チェーンソーを弾いた男が、カマイタチの頭を狙って斬撃を放つ。カマイタチは後ろに下がってこれを回避、両手の鎌型チェーンソーで、男の手首と太腿を同時に狙う。それに対して男は手首を引き、カマイタチの胴体に蹴りを放つことで強引に避けた。


「ぐうっ……!」


 とっさに後ろに飛んで蹴りの威力を半減させたカマイタチは、すぐに攻撃に転じる。二刀流の手数の多さで相手を翻弄しようとするが、チェーンソーの男は全く崩れずにカマイタチのチェーンソーを防ぎ続ける。相当な数の怪異を相手にしているはずなのに、疲れが見えない。化け物か。

 首狙いの横一閃。カマイタチは屈んで避け、同時に足払いを放つ。奇襲だったが、腰を落とした男の体勢は崩せなかった。


「チィッ!」


 後ろに飛んで、振り下ろされたチェーンソーを避ける。男が動いた。逃げるカマイタチに追いすがり、首めがけて突きを繰り出す。カマイタチはバク転を打って回避、同時に振り上げた足で男の顎を打つ。会心の一撃。まともな人間なら脳震盪間違いなしだ。

 反撃のチャンス。カマイタチは前に進む。だが男は踏みとどまった。飛び込むカマイタチの斬撃は正面から受け止められた。


 爆発。そう錯覚するほどの衝撃がカマイタチを吹き飛ばした。それが、男に腕で押されただけ、と理解した時には、既にカマイタチの体は水中に落ちていた。

 慌てて手足を動かし、水面に浮上する。イタチは泳ぎも上手い。橋の上の男は、流石に池の中までは追ってこないようだった。

 命拾いした。心底そう思いながら、カマイタチは岸へと泳いでいった。あれは小手先の技でどうにかなる相手ではない。第四学群はとんでもない怪異を味方にしていた。


がいるなんて聞いてないぞ、冗談じゃねえ……」


 戦後の混乱期、あらゆる怪異を恐れさせた、怪異の中の怪異がいた。

 軍隊も、戦車も、呪いも、爆撃機も敵わなかったという厄災。


 その名を『チェーンソーの鬼』と言った。

 

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