Glorious Revolution

 レッドマーキュリーが持ち込まれたことにより、第四学群はかつてない盛り上がりを見せていた。何しろ『未知』である。学生から教授まで熱中するのも無理の無いことであった。


 特に盛り上がっている、というかはしゃいでいるのは理工学系と魔術系である。

 原子変換を行い、異常な電力と放射線を発生させるレッドマーキュリーは、高エネルギー研究学や反物理学、錬金学にとっては格好の研究対象だ。

 また、それらを怪異として成立させ、暴走しないように制御している術式コードには、総合神学、超心理学、陰陽学、ヨーロッパ呪術学の研究者たちが興味を示している。普段は蚊帳の外のオセアニア呪術学の教授まで出てくるほどだ。


 人文学系もこの祭りに興味を示している。きっかけは、レッドマーキュリーの制作年代が戦後だと判明したことだ。格納容器に使われている高純度の鉛は、時代背景を考えると国内では精製できない。海外から輸入してくる必要があるが、それができるのは当時の日本政府くらいだ。

 つまり、レッドマーキュリーの製作には日本国政府が関わっている。

 この事実に、無政治学、危険思想学、陰謀論学といった、第四学群の中でもとびきりヤバい連中が反応した。彼らは戦後日本の極秘資料を片っ端からあたり、レッドマーキュリーが関わっていそうな事案をリストアップしていった。


 この祭りを止めるものはいない。第四学群の研究者たちは、中央の大学群での政略に敗れたり、危険思想すぎて大学や研究所をクビになったり、ヘンな研究にドン引きしたスポンサーから出資を打ち切られたり、年会費の未納で学会を追放されたりした爪弾き者たちである。こんな面白い研究対象を手放そうという人間は一人もいなかった。

 そこに冷水をかけたのは外部の人間だった。


《レッドマーキュリーを我々に引き渡しなさい》


 電話口から聞こえてきた横柄な声に、第四学群長の木戸は顔をしかめた。


「太田原理事長、その意見には賛同できかねますね」

《意見ではありません。これは命令です。レッドマーキュリーを即刻、我々、日本多目的研究振興会に引き渡しなさい》


 電話の相手は独立行政法人日本多目的研究振興会理事長の太田原だ。大仰な名前がついているが、この団体は特に何の研究もしていない。彼女たちの仕事は、全国の大学に助成金を配ることと、その審査である。


「何の根拠があっての命令でしょう? 我々は学校法人、そちらは独立行政法人。上下どころかそもそも同じ団体に属してすらいませんが?」

《逆らえる立場にはない、ということですよ。大学に価値があるかどうか決めるのは我々です。来年度の助成金申請がどれだけ却下されるか、予想してみますか?》


 木戸は心の中で溜息をついた。太田原理事長が横暴だという噂は聞いていた。気に食わない大学や研究に圧力をかけ、助成金を止めたり、酷い時には研究の成果を取り上げ、忠実な別の大学の手柄にすることもあるという。

 しかし今回は度を越している。財産権の侵害だ。それに疑問点もある。


「あの、命令はともかくとして、レッドマーキュリーとは何なのでしょう? 物質ですか、それとも何かの隠語ですか?」

《とぼけても無駄です。賢者の石の亜種をあなたたち第四学群が不法に所持していることはとっくに把握しています》

「出典は?」

《信頼できる情報筋です》


 どうやらレッドマーキュリーな何なのかは把握しているらしい。ならば、どこからそれを知ったのか。太田原が怪異と繋がりがあるのは間違いない。しかし、何故。


「何故、レッドマーキュリーをあなた方に引き渡さなければいけないのでしょう?

 研究目的と言うのであれば、金勘定と事務しか脳のない振興会に渡すのは、それこそ猫に小判だと思いますが」

《崇高で学問的な目的のためです》

「答えになっていませんね。知識人を金の力で言いなりにしたいだけの活動家崩れが、レッドマーキュリーの何を理解できるのかと聞いているんですよ」


 電話の向こうから歯ぎしりが聞こえた。そのまま目的を吐いてほしいと思ったが、残念ながら太田原は次の脅しを放った。


《従わないと言うのであれば、補助金の凍結、更には筑波大学への監査が入りますが、それでも?》

「当然。そもそも現世の筑波大学をいくら締め上げても、異界の第四学群にはなんの影響もありません。好きなようにやってください」


 これは少し強がりも入っている。第四学群を知る人物は筑波大学の中でも僅かだが、彼らが圧力に屈して第四学群への支援を打ち切ると辛い。広大な異界でも、完全自給自足体制を作るのは難しいのだ。


《……第四学群と筑波大学が無関係と言うのであれば。

 第四学群が危機に陥っても助けは入らない、例え負傷者や死者が出ても関知しない。そういう事になりますよ?》

「ほう? 脅しでしょうか、それは」


 さしもの木戸も、これには驚いた。もう少し段階を踏んで交渉してくるかと思ったが、いきなり最後通牒を投げつけてきた。

 そこまでしてレッドマーキュリーが欲しいか。危機感を覚えると同時に、木戸はこうも思った。


「ナメてるのかい?」

《はい!?》


 思うどころか口に出してしまった。ついカッとなってやってしまった、後戻りはできないだろう。

 だが、いい加減我慢の限界だ。言いたいことは全部言っておこう。


「黙ってりゃあ自分の都合のいい事ばっかりペラペラと。

 アンタがやってることはね、大学自治への介入だ。ウチに限らずどこの大学でも反対するだろうさ。今まで誰も文句を言わなかったのは、アンタに財布を握られてるからだよ。じゃなかったら崇高で学問的なお題目なんぞ、揃ってドブに捨てとるわ。

 そもそもこっちはねえ、アンタら振興委員会に予算を切られて職場を追い出された連中が集まってるんだ。そんな奴らがときめいてるオモチャをアンタに渡すと思ってるのかい?

 思想を掲げてチヤホヤされる時代は50年前に終わったんだ。いつまでも夢見るお嬢様やってるなんて気持ち悪いんだよ、クソババア!」

《バ……!? そ、そこまで言うからには覚悟はできているんでしょうね!? 茨城中の怪異が第四学群に押し寄せますよ!》

「茨城中? ケチくさいね、日本中の怪異くらいブチ上げてみせな!」

《くぅぅ……! 今に見てなさい、第四学群を蹂躙して差し上げます!》

「かかってこい! 相手になってやる!」


 電話が乱雑に切られた。木戸も受話器を叩きつけ、椅子に深々ともたれかかった。天井を見上げ、ポツリと呟く。


「ババアは言えた義理じゃなかったか……」


 木戸弥生。御年71歳。第四学群の大御所であった。



――



「という訳で怪異が第四学群に攻めてきます」


 急に講堂に集められたと思ったら、木戸学群長からとんでもない話を聞かされた。雁金と九曜院は頭を抱えてるし、メリーさんはポカーンとしている。ヤコだけが爆笑している。

 いきなり集められて偉い人の悪口を聞かされたと思ったら、その偉い人のゴネにキレて宣戦布告したと言われても、正直どう反応したらいいか困る。


「そもそもなんで、その、なんとか委員会っていうのは怪異を操れるんだ? そういう宗教団体?」

「いえ、独立行政法人です。ですから怪異とは無関係のはずなのですが……」

「学群長! 利根川と霞ヶ浦の定点カメラに河童の大群が映りました! その数、およそ1,000匹! こっちに向かっています!」


 講堂に駆け込んできた研究員が叫んだ。理由はわからないけど、なんとか委員会が怪異を操れるのは間違いないらしい。そして堂々と河童を行進させているということは、第四学群を暴力で叩き潰すと宣言したも同然だ。

 警察と怪異に加えて、国のなんとか委員会までレッドマーキュリーを狙ってきている。それ自体はいいんだけど、なりふり構わないってのが気に入らない。いつも法律に我慢して従ってるのに、法律を決めた国が無視するとかふざけんじゃねえぞ。


「聞いての通り、日本多目的研究振興会はこの第四学群を占領し、レッドマーキュリーを強奪しようとしています。まだ、研究費や助成金の削減もほのめかしています。第四学群の存続を認めないと言っているも同然です。

 このまま黙って滅ぼされる訳には参りません。第四学群はこれより無期限の武力闘争状態に突入します。

 これは第四学群の存続のみに非ず。日本における学問の独立性を守るための戦いです。総員、出し惜しみ無しで、全ての研究成果を公開しなさい」


 木戸さんが重々しい声で宣言するが、研究者たちはどうにも乗り気じゃない。お互いに顔を見合わせている。まあ、そりゃなあ。素人がいきなり鉄火場に放り出されたら、そうなる。


「あの、学群長」


 そのうちの一人が手を上げた。


「何か?」

「対怪異戦闘は承知しました。しかし、全ての研究成果を公開するというのはちょっと……」


 ほら見ろ困ってるじゃん。


「構いません。全ての責任は私が取ります。今回は従来の対怪異戦闘とは違い、第四学群の存亡を賭けた戦いです。遠慮はいりません」

「その……私は生物学を研究していまして。全力を出すとなると、炭疽菌や天然痘、エボラウイルス、つまり生物兵器を散布することになるんですが」


 えっ。


散布いて良し!」


 えっ。


「全部やれと言ってるのですから言葉通り全部です! 大体相手は怪異ですから、条約とか倫理とか気にせず実験しなさい!」

「じゃ、じゃあ爆薬科ですが、セムテックスやアストロライトを申請無しで使っていいんですか!?」

爆破トバして良し!」

「オセアニア呪術科です。ロゴ・トゥム・ヘレを召喚しても良いのでしょうか」

召喚んで良し!」

「ロボット工学科には144機の重警備ロボットの備えがありますが、予算とか気にせずに全て投入して良いと!?」

起動うごかして良し!」

「うおおおおお!!」


 フロアがブチ上がった。マッドサイエンテイストたちが、怪異を使って好きに実験していいというお墨付きをもらったので、サンタさんにおもちゃを貰った子供みたいにはしゃぎまわってる。


「実験ができれば何でも良いんですか?」

「倫理……!」


 雁金は困惑してるし、九曜院は天井を見てなんか言ってる。


「まあ、でもやる気になったんならいいんじゃないのか?」

「はい?」


 雁金が不思議そうにこっちを見てきた。いや、不思議なのはこっちなんだけどな。


「こっからは我慢しないで暴力で解決すればいいんだろ。わかりやすくていいじゃないか」

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