Rhythm And Police

 東京都千代田区霞が関、警視庁。


「被害者は都内巡回中の巡査。通報を受けて大学に向かったところ、チェーンソーを持った不審な男と遭遇。追跡中に連絡が途絶えた」


 現在、修文館しゅうもんかん大学殺人事件の捜査会議が行われていた。

 会議には50人以上の刑事が出席している。彼らの表情は真剣そのもの、中には怒りを露わにした者もいる。

 それも当然だ。仲間である警官が殺されたのだから。


「応援の警察官が駆けつけたところ、路上で倒れている巡査を発見。被害者はチェーンソーのようなもので斬られており、病院で搬送後、死亡が確認された」


 続いて、プロジェクターに顔写真が映し出される。短髪の、人相が悪い男だった。


「容疑者は大鋸翡翠。東京都刈止町在住。器物破損、迷惑行為などで逮捕歴あり。道路でチェーンソーを持って暴れていた、チェーンソーを持って夜中に走っていた、コンビニにチェーンソーを持って乱入したなど。いずれも不起訴になっているが、危険人物なのは間違いない」

「何でこれで不起訴なんだ?」


 刑事の一人が疑問の声を上げるが、特に答えが出ることなく会議は進む。


「また、警官殺害以外にも、同じくチェーンソーが使われた事件である、台東区の宝石店襲撃、渋谷区、港区の暴力団員連続襲撃事件に関与している可能性が極めて高い。

 これらの事件には極右暴力集団の関与も疑われている。そのため、今回の事件は公安部からの申し出により、刑事部の合同捜査になった」


 会議室がざわついた。一部の刑事は、席の一角を占領する公安部の刑事に目を向け、納得したような表情をしていた。


 同じ警視庁の刑事であるが、刑事部と公安部は犬猿の仲である。政治目的や社会体制そのものを揺るがす事件を操作するのが公安部だが、彼らの活動は極秘とされており、刑事部にも知らされていない。都内で起こった事件を調査したら公安部の作戦であったとか、犯人が公安部がマークしていた人物なので横取りされたということもしばしば有る。

 その公安部が、刑事部に協力を要請してきた。刑事部は胸がすく思いをする一方、一筋縄ではいかない事件だと気を引き締めていた。


「容疑者は現在逃走中。最後に確認されたのは茨城県の谷和原インターチェンジだ。現在、茨城県警にも協力を要請し、容疑者の足取りを追っている。

 なお、一連の事件から容疑者は武装している可能性が極めて高い。接触には細心の注意を払い、発見次第応援を要請すること。続報が入り次第共有する。以上、解散!」


 号令を受け、刑事たちが一斉に席を立った。

 捜査が始まる。この場にいる50余人の刑事たちだけではない。刑事部、公安部、合わせて数千人の警察官が、たった一人を追い詰めるために動き出した。


 その中で一人、奇妙な動きをする刑事がいた。公安部長の輪堂りんどう警視監である。彼は会議室を出ると、人目を気にしつつ非常階段に出て、ポケットからスマートフォンを取り出し、電話をかけた。


《もしもし!? 輪堂さんか!?》

「ああ。捜査会議は終わった。これから翡翠君は追われることになるぞ」


 電話の相手は大鋸万次郎。輪堂が長年協力関係にある選挙プランナーだ。

 万次郎がもたらした情報は、いくつもの事件を解決し、その裏に潜む政治的関係や怪異の存在を暴露してきた。代わりに、万次郎にとって都合の悪い政治家を失脚させるための証拠品を、輪堂が捏造していた。

 だが、今日、その協力関係は微妙なものにあった。


《止めてくれゆーたやないか! 何でや!?》

「阿呆! レッドマーキュリーと男一人の命、どっちが重いと思っている! 指名手配にして公開捜査にしなかっただけ、ありがたく思え!」

《アホか! 大体なんで翡翠クンが犯人扱いなんや! 箱を持ってるのは九曜院、っちゅー大学教授なんやろ!? そっちを追わんかい!》

「……うるさいっ!」


 確かに、九曜院を容疑者に仕立て上げるのがスジである。そもそも当初は九曜院が違法な物品を密輸入したという疑いをかけて、レッドマーキュリーを没収するつもりだった。

 だが、冤罪計画を立てている最中、上層部から待ったがかかった。彼、というよりも彼の血筋に手を出すことは認められないという政治的な判断だった。

 そこで輪堂は怪異を使い、九曜院からレッドマーキュリーを強奪する計画を立てた。しかし別の怪異の邪魔が入り、しかも万次郎の遠い親戚である大鋸翡翠が九曜院とレッドマーキュリーを連れて逃亡してしまった。

 そのため、翡翠に冤罪を掛け、警察組織を動かしたのだ。これを嗅ぎつけた万次郎から抗議の電話が来たが、輪堂は無視して計画を進めた。


《ええ加減にせんと怒るでホンマ! 親父も黙っとらんで!》

「その父親からも、レッドマーキュリーを優先しろと連絡が来ている」

《……え?》


 どうやら、万次郎はその辺りの話は聞かされていなかったようだ。


《……ふざけんな。すぐ聞いてくる》


 余裕を失った声の後、電話が切れた。輪堂はため息をつくと、スマートフォンをポケットにしまった。

 非常階段から屋内に戻る。刑事たちが慌ただしく行き来している間を縫って、自分の部署へと戻る。


「輪堂警視監殿」


 その途中で声をかけられた。振り返ると、茶色いトレンチコートを着た刑事が立っていた。見覚えがない。輪堂は眉をひそめる。


「人身安全対策本部総合対応課の大麦です」

「うん? ……ああ、ご苦労。何か用かね?」


 人身安全対策本部は、刑事部や公安部とはまた別の部署だ。主な仕事は不審者やストーカーの対策、また行方不明者の捜索など。良く言えば地域密着型の、悪く言えば地味な部署だ。もちろん、輪堂とは関わりがない。


「いえ、お疲れのようでしたので。つい心配してしまいました」


 どうやら特に用があったわけではないらしい。輪堂は適当にあしらうことにした。


「……ああ。殺された巡査のことで、一人になって考えていた」

「そうですか。お悔やみ申し上げます。しかし、市民と秩序を守る警官を狙った犯罪とは、許しがたいですね」

「その通りだ。この事件、警察の威信にかけて、何としても解決せねばな。君たちも何か情報を得たら、なんでもいい、すぐに報告してくれ。では、失礼する」


 輪堂は軽く会釈をすると、歩き出した。その背中が見えなくなるまで、大麦が見つめていたことには気付かなかった。



――



 東京都千代田区番町、アカツキセキュリティ㈱番町出張所。

 ここは対怪異の警備員が配属される『四課四班』の本拠地である。人外を相手に要人警護を行う『四課四班』は、通常のボディーガードの仕事はまず回ってこない。そのため普段は暇である。一般向けの護身術教室を開こうという案が出ているくらいだ。


「んむえー……」


 特に暇そうにしているのは、班長の吉田千菊だ。机に突っ伏して、スマホを眺めながら何とも言えない鳴き声をあげている。


「班長、何してんすか」


 通りかかった社員の陶が、呆れた声で注意する。


「DM待ってる」

「DM?」

「そー。出会い系に若い子が釣られないかなーって思って」

「何してんすか? 本当に何してんすか?」


 陶がドン引きしていると、彼女たちの上司である所長がやってきた。


「おーい、緊急案件。緊急案件よ。全員集合。吉田くんいる?」

「はぁい! 暇ですよ!」

「そんなら良かった、話が早い。この前ウチの会社に来てた、九曜院さんって教授、覚えてる?」

「あー、覚えてます覚えてます。電話番号は交換してくれませんでしたけど、あんな可愛い子忘れるわけありませーん」

「その人の護衛依頼。今、筑波にいるんだけど、東京まで安全に連れてきて欲しいって」

「あの子の護衛? 狐っ娘に任せとけばいいんじゃないですか?」


 ヤコの事を知っている吉田は首を傾げる。


「いやそれがね、追いかけてる怪異が尋常じゃなく危険らしくて。政府筋から急いで確保して欲しいって」


 吉田はますます不審に思った。九曜院の護衛依頼が政府筋から出ていることも奇妙だが、それ以上に政府が怪異を『危険』と断定するのがありえない。国にとって危険な怪異ということは、国家権力を相手に回して戦えるということだ。そんな怪異は聞いたことがない。


「一体何が相手なんです?」


 吉田の問いに対する答えは、確かに聞いたことのないものだった。


「『チェーンソーの鬼』」

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