Overclock 八尺様
昔の話だ。
庭で遊んでいたら、生垣の向こうに防災頭巾を被った女の人がいた。
だけど生け垣は2mもあって、そんなに背の高い女の人がいる訳がない。それは山に住む神様で、『八尺様』と呼ばれていた。
その事を親に話すと、両親は真っ青になった。そして、俺に村を出ていくように言った。八尺様に見つかった人間は殺されると言われていた。
当然だ。あんなもの、人間に殺せるわけがない。もし、殺せるとしたら――。
――
村に入った龍庵は、自宅の横を通り過ぎて真っ直ぐに山へと向かった。非チェーンソーのプロの村人が遠くから様子を伺っていたが、彼が山に入っていったのを見届けると悲しげに溜息をついた。
山に入るとチェーンソーを持った怪異たちが襲いかかってきたが、いずれも龍庵のチェーンソーの錆になった。まるで相手にならない。岸の下を去ってから、龍庵に太刀打ちできるような怪異は現れなかった。
しかし、龍庵に実感はない。チェーンソーを振るう時以外、常に意識が霞がかっていた。気がついたら怪異と戦っていて、それが終わればぼんやりとしてしまう。意識を保てない。村に帰ってこれたのも、どの道をどうやって来たのか、何日かけてやってきたのか、まるで思い出せなかった。
投げつけられた岩を避け、向かってきた怪異を斬り伏せて、龍庵は更に山の奥へ進む。
不意に視界が開けた。違う。明るくなった。見上げると、絵の具を塗りたくったような雲ひとつない青空が広がっていた。さっきまで辺りを覆っていた森は無くなり、代わりにひまわり畑が広がっていた。
振り返る。今まで歩いてきたはずの山が無い。延々とひまわり畑が続いている。龍庵は大きく息を吐き出すと、再び歩き出した。
連なるひまわりの道は曲がりくねって視界が悪い。角で待ち伏せするには絶好の地形だ。しかし、何かが襲ってくる気配はない。
それどころか、ものが動く気配がない。鳥の声も、虫の羽音も聞こえない。風も吹かず、日差しも止まっている。
「ぽぽぽ、ぽぽぽぽぽ……」
そんな世界に音が響いた。どこか高いところから聞こえる。
龍庵は辺りを見回し、見つけた。ひまわり畑の向こう側から、それが顔を覗かせていた。背の高い女の形をしていた。白い野良着を着て、頭には防災頭巾を被っている。その顔に目玉は無く、その口に歯は無く、黒い3つの穴が龍庵を見下ろしている。
あの時、生垣の向こうにいたものと同じだった。
「八尺様か」
「ぽぽぽぽぽぽ」
音が近付いてくる。龍庵はチェーンソーを構えた。
突然、ひまわり畑を突き破ってチェーンソーの刃が現れた。龍庵はチェーンソーで防ぐ。衝撃。重い。足に力を入れ、踏ん張る。
チェーンソーが止まった。八尺様は微動だにしない。龍庵は足を踏み込むと、その衝撃を自らのチェーンソーへと伝えた。チェーンソー発勁。八尺様のチェーンソーが弾き返された。
八尺様はチェーンソーを弾かれた勢いを利用して回転、遠心力を乗せて逆方向からチェーンソーで斬りかかる。ひまわりが斬り裂かれ、青臭い匂いが辺りに飛び散る。
龍庵はチェーンソーを受けずに伏せた。あの勢いは防げない。頭上を通過したチェーンソーは、八尺様が構えることで止まった。ひまわり畑は、まるで土俵のように円形に斬り裂かれていた。
現れた八尺様の全貌に、龍庵は息を呑んだ。大きい。名前の通り、八尺(240cm)の身長なだけではない。手にしたチェーンソーもまた八尺。龍庵が持つチェーンソーの4倍もの長さがあった。
即ち、4倍のリーチがあるということ。
「ぽぽっ」
手の届かない間合いから、八尺様がチェーンソーを振るった。龍庵が掲げたチェーンソーに衝撃が走る。回転刃同士が噛み合う異音が響き渡る。
龍庵は何とかチェーンソーを弾き返し、反撃しようとするが、自分のチェーンソーは届かない。ならば間合いを詰めようと、一歩踏み出したところで、八尺様が次の斬撃を放つ。足を止めて防ぐしかない。それを乗り越え間合いを詰めても、八尺様が一歩下がるだけで再び間合いが離れてしまう。
これが、過縄村の守り神にして祟り神。村ができるはるか昔から山に住み続けてきた太古の神。『八尺様』。時を重ねてなお恐れられ続ける力を、龍庵は思い知らされていた。
八尺様が横薙ぎの一撃を放つ。首を真っ直ぐに狙った一閃。龍庵はチェーンソーを掲げて防ごうとする。だが、八尺チェーンソーはチェーンソーにぶつかる直前で止まった。
フェイント。
龍庵が反応する前に、八尺チェーンソーが直角に落ちた。その先には、地面を踏みしめている龍庵の足。
「が、あ……っ!」
激痛。思わず膝を折りそうになるが、歯を食いしばって耐え、後ろに下がる。八尺様が追撃を放つが、チェーンソーで防ぐ。その勢いも利用し後方へ跳躍。八尺様と大きく間合いを取った。
呼吸が浅い。痛みのせいだ。龍庵は傷を確かめる。左足。つま先が無い。革靴が真っ赤に染まっている。一歩踏み出す。足に激痛。ただ、痛みさえ耐えれば、歩くことはできる。
「はあっ、はあっ、はあっ……!」
呼吸を整え、チェーンソーを構え直す。問題ない。傷を負うのは久しぶりだが、傷付いたから戦えないような軟弱者にはなっていない。
八尺様と相対した時点で、無傷での勝利は諦めていた。相打ちも贅沢だ。無惨に殺されると覚悟していた。それに比べれば、今の状況は遥かに良い。
「ぽぽぽぽ」
八尺様が飛びかかってくる。八尺チェーンソーが振り下ろされる。勢いの乗った一撃。まともに受ければ車も両断されるだろう。
龍庵は、まともに受けた。
「ぽっ……!?」
驚愕の声を上げる八尺様。龍庵は八尺チェーンソーを正面から受け止めて、微動だにしなかった。
それどころか。
「おおおあああっ!」
チェーンソー発勁。身の丈より長い八尺チェーンソーを、力任せに弾き返した。八尺様の体勢が大きく崩れる。その隙を逃さず、龍庵は八尺様の懐に飛び込んだ。
確かに八尺様は強い。だが、その腕力に限って言うならば、戦車の砲弾よりはマシだった。
間合いに入った八尺様に、チェーンソーを振り下ろす。八尺様は素早く反応し、チェーンソーを防ぐ。
ならば、と素早くチェーンソーを引き戻し、八尺様の手首を突きで狙う。八尺様は手首を返し、エンジンで突きを弾く。
反撃の八尺チェーンソー。斜めに振り下ろされたそれを、龍庵は体を回転させて避ける。その回転の勢いでチェーンソーを振り回す。攻防一体の動きに八尺様は追いつけない。八尺チェーンソーを握る手が斬られた。
間合いを取ろうと八尺様が後ろに下がる。龍庵は同時に前に飛び出す。そして、八尺様の心臓めがけてチェーンソーを突き出す。
刃先が八尺様の胸元に浅く刺さった。だが、それ以上届かない。予測よりも間合いが遠い。龍庵は八尺様に合わせて前に出たつもりだったが、八尺様と龍庵の歩幅の差を読み違えた。
腹部に衝撃。八尺様の蹴り。そう思ったときには、龍庵の体は十歩以上後ろに吹き飛ばされていた。
「ごは……っ!」
龍庵の口から血が溢れる。内臓のどれかが破れたか。しかし、チェーンソーは降ろさず、視線も逸らさない。
八尺様は八尺チェーンソーを構えて佇んでいる。強烈な一撃を与えたのだから、追撃してきてもいいはずだ。そうしなかったのは。
八尺様の手から、赤い血が垂れた。
龍庵が動いた。一直線に間合いを詰める。まさか龍庵の方から動いてくるとは思わなかったのだろう。八尺様の反応が一瞬遅れた。
八尺チェーンソーが横薙ぎに振るわれる。龍庵は飛ぶ。ガイドバー上に着地。幅30cmにも満たない鋼鉄の橋の上を駆け抜ける。
八尺様が手首を返す。鋼鉄の橋が回るチェーンソーの刃となる。龍庵は斜め前に跳躍。八尺チェーンソーに足裏を斬られる前に、自ら降りる。
跳んだ先は間合いの中。八尺様の脇腹めがけ、チェーンソーを振るう。
「ぜあっ!」
渾身の一撃は、しかし、既のところで八尺チェーンソーに防がれた。八尺様が素早くチェーンソーを引き戻したのだ。
鍔迫り合い。龍庵の口の端から血が垂れる。八尺様の手に血がにじむ。
龍庵は足を踏み込んだ。斬られた爪先から鮮血と激痛が走るが構わない。地面を踏み込んだ衝撃は、膝から腰へ、腰から肩へ、肩から肘へ、肘から手首へ、手首からチェーンソーへ伝わる。
チェーンソー発勁。手に傷を負った八尺様では受け止めきれない一撃であった。
八尺様の防御がこじ開けられる。龍庵が一歩前に出る。肉薄。横薙ぎに振るわれたチェーンソーが、八尺様の胴を薙ぐ。横に斬られた八尺様の腹から鮮血が溢れ出す。
「ぽ、ぽぽ……!」
八尺様は倒れない。八尺チェーンソーのエンジンで、龍庵の頭を殴りつける。衝撃で視界が眩むが、龍庵は止まらない。返す刀で八尺様の左腕を斬り飛ばす。
片腕にされた八尺様は、それでも八尺チェーンソーを振るう。迫る回転刃。龍庵は前に踏み出して、左腕を掲げた。強烈な一撃が左半身を襲う。だが、龍庵は斬られなかった。前進したことにより、チェーンソーではなくエンジンブロックが衝突したのだ。
そして、右手のチェーンソーを、八尺様の喉に突き込む。八尺様の気道と動脈、そして脊椎がチェーンソーによってズタズタに破壊された。
八尺様の体から力が抜け、腕がだらりと垂れ下がる。龍庵がチェーンソーを引き抜くと、その巨体が仰向けに倒れた。
彼は――まだ立っていた。
爪先を失い、全身に切り傷を負い、頭を殴られ、左腕は折れ、それでも自分の足で立っていた。
八尺様ですら、彼を殺すには至らなかった。
歩き出す。
何処へ行くあてもない。誰に会うつもりもない。それでも、何かが変わるのではないかと、微かな願いを杖にして歩く。
どれくらい歩いたか。それとも、ほんの一瞬か。
彼は、自分がひまわり畑を抜け出していることに気がついた。
周りには何もない。人もいなければ、怪異もいない。動物もいなければ、植物も生えていない。剥き出しの山の斜面だった。
杖が折れた。
膝をつく。それを気遣う者も、笑う者もいない。彼はひとりだ。
そんなものは望んでいなかった。どこかに居させてくれればそれでよかった。チェーンソーを真面目に振るい続けていれば、いつかは居場所を切り開けると思い続けていた。
だが、これが自分の切り拓いた場所だった。誰もいない。
誰の手を取れば良かったのか。誰かの手を取れば良かったのか。今さら手に取れるものは、この駆動するチェーンソーだけだ。
刃を逆さに向け、切っ先をその先に沈める。赤黒い血が溢れ、内臓が掻き回される。なおも深く。更に深く。
八尺様は、これを与えようとしていたのかもしれない。
傾く視界。途切れる意識。それが、チェーンソーの鬼という物語の結末だった。
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