Overclock
議事堂前での暴動は、一時、正門を突破するほどの勢いを見せたものの、そこまでだった。議場入口で警官隊に阻まれたデモ隊は拘束され、中に入ることはできなかった。首相官邸を取り囲んでいたデモ隊も同様で、こちらは敷地に入ることすらできなかった。
それでも、最終的な負傷者は双方合わせて700人、死者も出るという惨事になった。
この事態に最初に恐れをなしたのは報道機関であった。テレビや新聞で民主主義の危機を喧伝し、国民を煽り立てていたものの、それによって武力衝突が起き、あまつさえ死者が出ることを考えてもいなかった。
武力衝突から2日後、主要紙各社は共同宣言を発表。『暴力を排し議会主義を守れ』という、それまでの主張を180度転回し、安保反対派を避難するものであった。
この梯子外しに対して反対派は激怒。報道機関に対して非難の声を上げるものの、それらを国民に届けるラジオや新聞、テレビは揃って沈黙した。
デモ隊の勢いは削がれたが、怪異の方は更に悲惨であった。首魁の藤原千方が討たれたのだ。その上、B-29が発見、撃墜されたことで、各地に散らばっていた霊能者たちも戻ってきた。
リーダーを失った怪異たちは、逃げるか各個撃破されるしかなかった。
参加者と怪異、両者を大量に失ったことで、反安保デモは急速に沈静化した。
デモに失敗し、孤立する形となった過激派は、水面下で支援を受けていた社会党や共産党にも見捨てられた。ソ連の工作員は辛うじて支援を続けていたものの、雀の涙程度の資金しか与えられなかった。
報道機関の後押しも失い、窮地に陥った過激派は、手製の雑誌やセミナーなどの草の根活動で抵抗。その思想は先鋭化し、以後、長い間燻り続けることになる。
それは怪異をも苦しめる結果となった。全国各地の噂や怪奇現象の主役が、怪しげな活動を行う過激派に取って代わられたのだ。
噂されなくなった怪異は眠りにつき、大半は忘れ去られてそのまま消えていった。再び怪異が闊歩するのは10年後。『コックリさん』『口裂け女』『UFO』などが世間で話題となるまで待つことになる。
そんな中、ひとつだけ異様な噂が生まれていた。
この世には、出会った者が何であれ斬り殺す、『チェーンソーの鬼』がいる、というものだ。
その噂は人間だけでなく、怪異の間でも広まり、恐れられた。
やがて高度経済成長期の影で、反社会勢力や危険人物がチェーンソーで死ぬ『事故』が多発することになる。
世間では敵対勢力による襲撃だと考えられていたが、一部の人間や怪異は『チェーンソーの鬼』の仕業と信じて疑わなかった。
肝心の日米安全保障条約の改正案であるが、6月19日に自然承認された。4日後、批准書が交換され、安保は正式に改正される。アイゼンハワーは結局来日せず、テキサスのチェーンソーのプロも帰国した。
その後、岸は安保反対デモの混乱の責任を取るために辞意を表明。『真の独立国家』の第一歩を踏み出した所で、その野望は潰えることとなった。
およそ1ヶ月後の7月14日。岸は暴漢に刺され重症を負う。以後、積極的な政治活動を断念することとなる。
岸をよく知る人間はこの事件を不思議がった。表沙汰にはなっていないものの、岸に対する襲撃は過去何十回と行われている。だが、工作員も怪異も、岸に傷をつけることはできなかった。それが今回、ただの人間によって立てなくなるほどの重症を負うなど、一体何があったのだろうか。
確かな原因を知るのは、岸本人と、身の回りの極一部の人間だけであった。
――
長野県北部。鉄道はおろか満足な道路も敷かれていない山奥に、過縄村という集落がある。一見すればどこにでもある普通の田舎だが、その正体は神話の時代から続くチェーンソーのプロの一族の村である。
とはいっても、日常的にチェーンソーを振り回す狂人の村ではない。普段は田畑を耕し、あるいは布を織ったり木を切ったりして平和に暮らしている。村の外から部外者がやってきた程度で、チェーンソーを持って取り囲むような事はない。
「お前……どうして帰ってきた!」
だから、やってきた男に対して、20人程度の村人がチェーンソーを構えて立ちはだかっている今の状況は、極めて特殊な事態だと言えた。
更に言えば、チェーンソーの切っ先を向けられている男は、厳密には部外者ではない。
「ここしか、来れる場所がなかった」
「何をバカな! 総理大臣の側近になったんだろう!? 金も自由もあるはずだ!」
村人の先頭に立つのは大鋸鉄之助。龍庵の父親であった。
「金と自由はあっても、居場所が無かったんだ」
「だからって帰ってくることはないだろう! 死ぬつもりかお前は!」
鉄之助の言葉に対し、龍庵は自嘲気味に笑った。
「殺されるんだったら、俺はまだ人間だろうな」
「はぁ?」
「迷惑は掛けない。まっすぐ山に行くから。通してくれ」
龍庵は一歩踏み出す。村人たちは身構えるが、誰も動こうとしない。
「どいてくれ」
「死ぬとわかってて、行かせるか」
それ以上、龍庵は喋らなかった。黙々と前に進む。村人たちに近付いてくる。
「すまん! 無理を言う! 殺さないで、叩き出してくれ!」
「おうよ!」
「あったりまえじゃい!」
鉄之助の言葉を受けて、チェーンソーを持った村人たちが龍庵に飛びかかった。エンジンは掛かっていない。刃が回転していなくても、チェーンソーはそれだけで立派な鈍器になる。
龍庵も背負っていた鞄からチェーンソーを取り出した。こちらもエンジンを掛けていない。殺意がなかった。
先頭の村人が龍庵に殴りかかる。頭を狙った一撃を、龍庵は苦もなく受け止めた。そのまま押し返す。
「おあっ!?」
「ぬおおっ!?」
村人は吹き飛ばされ、後続を巻き込んで倒れた。
続く村人の手首に龍庵はチェーンソーを振り下ろす。村人は痛みにチェーンソーを取り落とした。無防備になった顔面にチェーンソーのエンジンが叩きつけられた。
次の村人に龍庵は蹴りを放つ。チェーンソーを振りかぶった村人は腹に重い一撃を受け、その場にうずくまった。
それを飛び越え、龍庵は後ろの村人に殴りかかる。意表を突かれた後ろの村人はとっさに防ぐが、パワーが違う。チェーンソーを弾き飛ばされてしまった。そして、龍庵の肘を顎に受けて昏倒した。
過縄村の男たちは、いずれもチェーンソーのプロである。一般人はもとより、武装した犯罪者や怪異にも後れを取らない強者達のはずだ。
それが、たった一人のチェーンソーのプロに、赤子の手を捻るように転がされている。
パワーが違う。
スピードが違う。
テクニックが違う。
全てが規格外。人間の枠に収まっていなかった。
「おおおおおっ!」
鉄之助が殴りかかる。同時に龍庵の左右から、親戚の金造と辰砂が迫る。残った3人による同時攻撃。凌げるはずがない。
龍庵は金造の方へ踏み出した。振り下ろされたチェーンソーを、体を回転させて回避。その勢いで肘打ちを放った。こめかみに肘を受け、金造はその場に倒れた。
龍庵は足を止めず、鉄之助に対して辰砂を盾にするように回り込む。鉄之助の動きが鈍る。
一方辰砂は両手の小型チェーンソーを龍庵へ突き出す。1本を避け、1本をチェーンソーで防ぐ。そして、チェーンソー発勁。吹き飛ばされた辰砂が後ろの鉄之助に衝突する。
「おっ!?」
「ぬうっ……!」
体勢を崩す2人。そこへ龍庵が殴りかかる。エンジンブロックによる殴打は、辰砂のガードを打ち抜き昏倒させた。その背後から鉄之助がチェーンソーを突き出した。刃が龍庵の頬をかすめる。突き出された鉄之助の手首を、龍庵が掴んだ。
「な……!?」
とっさに腕を引き戻そうとするが、動かない。鉄之助の体が浮いた。視界が回転し、背中に衝撃が走る。投げ飛ばされた。全身を地面に思い切り叩きつけられ、動けない。受け身を取り損ねた。
首を動かし辺りを見回すと、龍庵が山に向かって歩いているのが見えた。もう地蔵を越えている。
「おいっ! 龍庵! 行くな! 戻ってこい! 龍庵!」
鉄之助が叫ぶ。龍庵は片手を掲げて答えるが、振り返らなかった。
そのまま龍庵は畦道を歩いていき、見えなくなってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます