1960 東京 月光が見た悪魔
大木よりも太い腕が横に振るわれた。
龍庵は屈んで一撃を避ける。B-29の側面装甲が大きく抉られる。すぐさま立ち上がり、悪魔の足首にチェーンソーを突き出す。だが、チェーンソーは火花を散らして弾かれた。
硬い。以前、満州で斬った時よりもずっと頑丈になっている。生半可な斬撃では傷をつけられそうにない。
悪魔が爪で龍庵を切り裂こうとする。龍庵は後ろに下がって避ける。しかし、悪魔は腕を振った勢いで一回転した。すると尻尾が棍棒のように龍庵を打ち据えた。
「ぐうっ……!」
強烈な衝撃に、龍庵は顔を歪める。何とかその場に踏み止まり、B-29から叩き出されることを防ぐ。
そこへ、悪魔の爪が迫った。
「ッ!」
咄嗟にチェーンソーで防ぐ。だが、衝撃までは殺しきれず、隔壁の穴から機体後部まで吹き飛ばされた。壁に叩きつけられ、肺の息が絞り出される。まだ大したダメージではない。壁を蹴って前に出る。
悪魔が口を開いた。牛を丸呑みにできそうな巨大な口から、炎が吐き出される。龍庵は避けずに、炎にチェーンソーを振り下ろした。実体を持たないはずの炎が2つに断ち切られる。その間を龍庵は駆ける。
肉薄。悪魔の腕めがけてチェーンソーを振るう。悪魔は後ろに飛んで刃を避けた。その先に床はない。空中に身を投げ出す形になる。
悪魔の背中の翼が羽ばたいた。落ちるだけだった体に浮力が与えられる。空中で方向転換した悪魔は、獲物を狙う鳥のように、B-29の周りを旋回する。
厄介だ。龍庵はチェーンソーのハンドルを握り直す。こちらの行動範囲は狭い機上のみ。対して相手は周囲360度の空間を自由に移動できる。追い詰められない。
突然、重たい銃声が鳴り響いた。見ると、B-29の機銃が悪魔を狙っていた。何故。怪異同士仲間ではないのか。
龍庵は辺りを見回して気付いた。悪魔が暴れたせいで、B-29はボロボロだ。悪魔にB-29を気遣うつもりはないらしい。そしてB-29は怪異なりに身の危険を感じたのだろう。
決死の抵抗を嘲笑うかのように、悪魔は巧みに銃弾を避け、機首下部の機銃をもぎとった。鉄屑となった機銃を投げ捨てると、悪魔は悠々とB-29に降り立った。
月光を背に龍庵を見下ろす姿には、禍々しさが満ち溢れていた。
龍庵はチェーンソーを構えて突進する。だが、悪魔の爪によって弾かれる。たたらを踏んだ龍庵に、悪魔は一気に攻めかかる。腕が振るわれる度に龍庵の体に重い衝撃が奔る。
突き出された腕を屈んで避けると、悪魔の腕はB-29の隔壁に大きな穴を開けた。前部、格納庫、後部。3つに分かれていたB-29の機内は、今やひとつの大部屋になっていた。
龍庵は周囲の状況を確かめる。B-29は半壊しているが、まだ飛んでいる。パラシュートや機銃などの備品はいくつか残っている。格納庫の爆弾もそのままだ。ただ、いずれも長くは保たないだろう。
鋭く息を吐き、大きく吸い込みながら前に出た。迎え撃とうと、悪魔が爪を振るう。横に動いて避け、その腕にチェーンソーを振り下ろす。狙いは手首。
火花が散る。構わず押し込む。刃が食い込む。硬いが、ソ連の新型戦車に比べたらマシだ。火花はまもなく血飛沫に変わった。
悪魔が悲鳴を上げて飛び退った。勢いで空中に飛び出したが、そのまま翼を使って飛行する。空を飛ぶという優位。龍庵より空間を広く使えるという優位。
その優位を見せつける瞬間を待っていた。
龍庵は手を伸ばす。その先には、B-29の側面に取り付けられた12.7mm機関銃。金具を外し、台座から引き剥がし、銃口を悪魔に向ける。
分速750発の弾幕が悪魔に襲いかかった。着地しようとしていた悪魔は、不意を撃たれて銃撃を浴びてしまう。だが、人体なら一撃で両断させる50口径弾は、悪魔の肌に弾かれてしまう。ソ連戦車の主砲すら効かなかった筋肉に、機関銃では力不足。
ならば、骨も筋肉も無い部分はどうか。
悪魔の翼が吹き飛んだ。空力を得るための薄い翼は、銃弾を受けられるほど頑丈ではなかった。悪魔は悲鳴を上げて体を仰け反らせ、B-29上に落下する。
そこへ龍庵が飛びかかる。着地直後の不安定な姿勢では避けられず、悪魔は太腿を大きく斬り裂かれた。
悪魔は瞳に怒りの炎を灯し、掬い上げるように爪を振るう。龍庵は下がって回避。間合いを詰め直そうとするが、素早く振り下ろされた腕に阻まれる。
ならば、と龍庵は左手の機関銃を連射する。狙うは顔面。怪異といえども顔に衝撃を受ければ、反射的に目を瞑ってしまう。その隙に肉薄、胸に向かって右手のチェーンソーを突き出す。
だが、悪魔が弾幕を嫌って腕を振り回した。不運にも突き出したチェーンソーが腕に当たる。普段と違って片手でチェーンソーを握っていたため、龍庵はチェーンソーを手放してしまった。
弾き飛ばされたチェーンソーは格納庫の爆弾に突き刺さった。龍庵は肩を震わせたが、幸いにも爆弾は爆発しなかった。
機を逃さず悪魔が迫る。龍庵はチェーンソーを取りに行こうとするが、悪魔に回り込まれてしまう。武器を失った龍庵にとどめを刺そうと、悪魔は爪と尻尾で猛攻を加える。龍庵は攻撃をなんとか避け続ける。
このままでは埒が明かない。龍庵は機関銃で悪魔の顔を狙った。だが、悪魔も学習したようで、顔を両腕でしっかり守った。
銃弾は無情にも弾かれ、機外へと飛び出す。そのうちの何発かが、B-29のエンジンに命中した。
B-29に搭載されたエンジンは、1945年当時のものとしては破格の性能であった。当時の四発爆撃機のどれよりも巨大なB-29を時速650kmという高速で飛ばし、日本のいかなる機体も追随できない高度12,000mまで引き上げることができた。
高性能の代償は不安定さだ。エンジンがかからない。飛んでる途中に止まる。あっという間にオーバーヒートする。熱や衝撃で簡単に発火する。部品が非常に燃えやすい。燃えるとすぐ爆発する。構造が複雑で、点検や修理が面倒。値段が高い。飛行機のエンジンで起こりうる問題を全て搭載したかのような問題児だった。
その性質は怪異となった今でも変わらない。
銃弾を受けたエンジンは一瞬で燃え上がり火の玉となった。その勢いは龍庵は当然のこと、悪魔も目を瞠るものであった。そしてほんの数秒後、2人が動き出す前に爆発した。
翼が破損した衝撃で、機体が大きく傾いた。龍庵は咄嗟に格納庫の網にしがみつき、悪魔は機体後部の縁に掴まった。
B-29は必死に飛ぶが、片方の翼が燃え始めたことで高度が下がっている。下方には東京湾が見える。このままでは墜落だろう。
龍庵の目に、格納庫の壁に引っかかった爆弾が映った。そこにはチェーンソーが刺さっている。龍庵は網に掴まりながら歩を進め、爆弾に近付く。
背後から咆哮。振り返ると、悪魔もまた床に爪を突き立てながら、龍庵に近付いてきていた。龍庵は舌打ちし、足を早める。
遂にチェーンソーに手を掛けた。爆弾から引き抜こうとして、手が止まる。抜いて大丈夫なのか。こすれた火花で爆発したりはしないか。
考える暇は無かった。悪魔はすぐそこまで迫り、龍庵を叩き潰そうとしていた。意を決してチェーンソーを引き抜く。火花を散らすチェーンソーが、悪魔の腕を断ち切った。
悪魔が悲鳴をあげて仰け反る。その喉元に龍庵が飛び込んだ。両手で握ったチェーンソーを深々と突き刺す。硬い肉を断ち割る確かな手応え。
「おおお……!」
チェーンソーを引き上げる。上へ。頭へ。悪魔は喉を裂かれながらも、口から炎を吐き出そうとするが、遅い。
「……だァッ!」
龍庵のチェーンソーが悪魔の頭を断ち切った。縦に割られた頭から、吐き出されなかった炎が吹き出す。天空の月を火柱が舐める。悪魔の巨体が力を失い、傾き、墜ちていく。龍庵が見下ろす先で、悪魔は海中に没した。
いつの間にかB-29は雲の下まで落ちてきていた。眼下に広がる海は東京湾だ。後方には遠ざかる東京の夜景。進路が傾いている。翼が燃えているせいで、コントロールが利かなくなったのだろう。
最後まで付き合う必要はない。龍庵は壁に引っかかっていたパラシュートを背負うと、操縦席へ向かい、計器にチェーンソーを突き立てた。ガクン、とB-29が揺れる。辛うじて保っていた浮力が崩れた。B-29が急速に落下する。
龍庵は床を蹴って、B-29の外へと飛び出した。背負ったパラシュートの紐を引くと、布幕が飛び出して落下速度を軽減した。B-29は火達磨になって墜ちていく。
あのB-29は、このまま東京湾のどこかに落ちるのだろう。中に積まれていたものも。そのまま見つからずに忘れられればいいのだが。
パラシュートを背負った龍庵は、燃え上がるB-29とは反対方向、東京の方へと流されていった。
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