1960 下総航空基地 B-29

 6月15日。


「ここにもいないな。次だ」


 格納庫を念入りに探し、おかしな機体が何もない事を確認した大鋸おおが龍庵りゅうあんは、待たせていたジープに飛び乗った。運転手はすぐにエンジンを掛け、ジープを走らせる。

 今、龍庵は関東中の飛行場を回り、B-29の怪異を探している。怪異といえども飛行機である以上、飛び立つためには滑走路が必要だ。各地の飛行場を探していけば、いずれ見つかると考えられていた。

 もちろん、関東以外の飛行場も、岸が手を回して探している。特に、現実のB-29が発進したマリアナ諸島の基地は、米国のエクソシストたちが真っ先に確認した。

 幸い、マリアナにはいなかったため、日本国内の霊能者たちが、懸命に全国の飛行場を調べている。


 しかし、手が足りていなかった。怪異を探すという都合上、一般人の警官や自衛隊員では意味がない。縁を結べる霊能者が必要だ。

 しかし、全国の霊能者の大半は、安保闘争のために岸が東京に呼び寄せてしまっていた。北海道の霊能者に至っては3人しかおらず、北海道中の飛行場を探すなら一ヶ月かかると泣いていた。


 やむを得ず、岸は東京に集めた退治屋の一部を地方に戻した。そのため治安は再び悪化し、羽田空港でハガティ大統領報道官が乗った車がデモ隊に包囲されるという事件が起きるほどであった。

 それでも岸はB-29の捜索を優先していた。龍庵も岸の側を離れて、関東の飛行場を巡っている。

 だが、一週間探してもB-29の怪異は見つからない。本当にB-29が怪異になっているのか、という疑問の声も上がっている。


 龍庵は岸の判断を信じていた。論理的な理由がある訳ではない。そう思うようになったのは、岸の頑なな態度が原因だった。

 岸との付き合いは長い。岸は政治家だから、都合の悪いことは黙ったりはぐらかす事をよく知っている。だが同時に、根拠のない思い込みに踊らされるような人間ではないことも知っている。


 恐らく岸は、B-29の怪異がいると確信できるだけの証拠を持っている。そしてそれは、他人に知られると都合が悪いものなのだろう。

 どこから持ってくるかわからない、選挙用の裏金に関するものなのか。

 それともアメリカとの交渉に使った何かなのか。

 あるいは龍庵が今まで倒してきた怪異に関するものなのか。


 いずれにしろ、B-29の怪異が日本のどこかにいることは間違いない。

 もしもB-29が飛び立てば、大惨事は免れないだろう。何しろ今の東京は、デモと怪異で混乱状態だ。そこに焼夷弾を投げ込めば、どれだけの被害が出るかわからない。必ず阻止しなければ。


 意気込む龍庵を乗せたジープは、次の飛行場に向かう。下総航空基地。千葉県北東部にある飛行場だ。かつては陸軍の飛行場だったが、終戦後に米軍に接収され、昨年末にようやく返還されたらしい。


「ここ、本当に基地だよな?」


 龍庵は辺りを見回す。基地だというのに人が少ない。


「昨年末まで米軍と共同で使用していたのですが、その米軍がいなくなったため、敷地が余っております」


 案内人が答えた。贅沢な話だな、と龍庵は思った。


「それじゃあ、格納庫を見せて貰えないか?」

「かしこまりました」


 そうして案内された格納庫だったが、特に怪しげなところはない。普通に飛行機がしまわれているだけだった。


「ここも外れか……」


 徒労感。かれこれ1週間、こうして飛行場巡りをしているが、手がかりのひとつも見つからない。それに一日中車に揺られているから腰が痛い。正直言って疲れている。


「何を探しているのですか?」

「うーん、B-29」


 だから、案内人の質問に、龍庵はつい正直に答えてしまった。


「いや……あるわけないでしょう、こんな所に」

「えっ、あー。うん、そうだな、そうだそうだ。ごめん、気にしないでくれ」


 呆れ顔の案内人に、龍庵はごまかすように頭を下げる。


「『屠龍とりゅう』や『秋水しゅうすい』ならともかく、米軍が来たのは戦後ですから。試験などできませんよ」

「うん……うん?」


 妙な言葉に龍庵が反応した。


「トリュウ? シュウスイ? 試験って何のことだ?」

「え? 違うんですか? 旧軍の試作機を探しに来たものかと思っていたのですが」

「いや、B-29だ。そもそも何だ試作機って。そんなものが置いてあったのか、この基地?」

「ここの隣に秘匿滑走路がありまして、そこで試作機のテストをしていたんです。滑走路はもう整地されましたが、燃料庫や掩体壕ならまだ残っていますよ」


 秘匿滑走路と聞いて、龍庵は嫌な予感がした。


「……案内してくれ」

「だからB-29は無いと思いますけど」

「いいから! 案内してくれ!」

「は、はいっ!?」


 迫力に圧され、案内人は龍庵を隣の敷地へと案内した。

 秘匿滑走路の跡地は雑木林に囲まれていて、中の様子は伺えない。ただ、見える所にコンクリートのドームがあった。あれが空襲から飛行機を隠すための掩体壕なのだろう。

 龍庵は案内人より前に出て、掩体壕に近寄る。


「あ、ちょっと……」


 慌てて追いかけてくる案内人を無視して、龍庵は掩体壕の中を覗き込んだ。円筒状のドームの中には何もない。15年も放置されていたため、床には砂埃が溜まっている。

 その上に足跡がある。それもひとつではない。靴を履いた足跡もあれば、裸足のものもある。鳥の足跡もあれば、犬の足跡もある。捻くれた四本指の人間らしい足跡もあれば、何かが這いずったような跡もある。明らかに、大勢のものがここを出入りしていた証拠だ。

 そしてそれらを押し潰す、巨大なタイヤの跡があった。


「おい、どういうことだ、これは?」


 龍庵は振り返り、案内人に問いかける。

 いない。

 辺りを見回すと、違和感を感じた。どこか食い違ったような光景。肺に溜まる生温い空気。背筋が逆立つ感覚。間違いない。異界に迷い込んでいる。

 龍庵は背負っていたバッグからチェーンソーを取り出した。周囲を探るが、怪異の姿は見当たらない。龍庵を見つけて怪異に引きずり込んだ、という訳ではなさそうだ。


 掩体壕の周囲の雑木林は、少し姿を変えていた。林の中に道がある。広い。車が3,4台、横に並んで走れるほどだ。頭上には緑色の網が張られていて、トンネルのようになっている。

 龍庵は脇の茂みに入り、身を隠しながら先へ進む。ここが秘密飛行場の異界だと言うのなら、この先に何があるかの予想はつく。


 思った通り、道の先には滑走路があった。そして滑走路上には、四発のエンジンを搭載した巨大な飛行機が鎮座していた。

 B-29。日本を散々に焼き尽くした、あの爆撃機だった。

 既にプロペラは回りだしている。このまま放っておけば離陸してしまう。そうなったら止められない。


 離陸する前に、壊す。


 龍庵はチェーンソーのスターターを勢いよく引いた。唸りを上げて刃が回転を始める。燃焼機関の振動を腕で感じ取りながら、龍庵は茂みから飛び出した。

 滑走路の回りには、怪異が多数うろついている。B-29を飛ばすための準備をしていたのだろう。彼らは飛び出してきた龍庵にすぐに気付いた。


「何だ貴様はッ!?」

「チェーンソーのプロ!?」

「止めろ、止めろっ! B-29に近付けるな!」


 数匹の怪異が龍庵の前に立ち塞がる。龍庵は唸りを上げるチェーンソーで、それらを立て続けに斬り捨てる。足止めにもならない。

 B-29が動き始めた。巨大なプロペラが回転し、機体がゆっくりと進み始める。その前方、滑走路上に龍庵は立ち塞がった。チェーンソーを大上段に構える。

 飛行機である以上、離陸するまでは直進しかできない。こちらに突っ込んできた時に、すれ違いざまに叩き切る。そういう作戦だった。


 咆哮が響いた。声がした方に目を向けると、巨大な猿の怪異が突進してきていた。狒々ひひだ。身の丈4mはあろうかという狒々が、龍庵に拳を振り下ろす。龍庵は横に飛んで拳を避けると同時に、チェーンソーを狒々の手首に突き立てた。

 狒々が痛みに驚き、腕を引き戻す。だがチェーンソーは突き刺さったままだ。それを持ったままの龍庵も一緒に引き戻される。龍庵の体が宙に浮く。そこでチェーンソーを引き抜く。自由になった龍庵の体は、慣性の法則に従って直進。狒々の顔に飛んでいく。

 一閃。龍庵のチェーンソーが、狒々の首を斬り落とした。繋ぎを失った狒々の首がアスファルトに落ち、続いて狒々の巨体が倒れた。


 着地した龍庵はB-29に向き直る。B-29は加速しながら龍庵に向かってきている。


「来るなら来い」


 高さ8.5m。全長30m。重さ4.5t。隣で倒れている狒々とは比べ物にならない巨体だ。『超空の要塞スーパーフォートレス』の渾名に相応しい。

 それでも斬る。チェーンソーなら斬れる。


 不意に、B-29の機首が光った。一瞬後、銃声が響き、龍庵の周囲のアスファルトが飛び散る。それが何か理解した龍庵は、舌打ちして走り出した。機銃だ。B-29が機首の機銃で龍庵を狙っている。

 ジグザグに走り、狙いを反らしながら龍庵はB-29へ向かって走る。銃撃したところで直進しかできないのには変わりない。ならばこちらから接近して叩き切るのみだ。

 B-29に肉薄する。狙いは翼の付け根だ。エンジンが4つあろうが、巨体であろうが、翼をもがれれば飛行機は飛べない。狙いを澄ましてチェーンソーを振り上げる。


 腕に冷たい感触が巻き付いた。見ると、太い鎖が龍庵の腕に絡まっていた。チェーンソーを繰り出す腕が止まる。切っ先はB-29の翼に届かなかった。

 鎖を投げたのは、滑走路の端にいた赤い外套の男だった。見覚えがあった。『怪人赤マント』。大阪で逃した怪異と、こんな所で再会するとは。

 B-29は龍庵の横を通り過ぎていった。走って追いつけるものではない。龍庵は舌打ちし、チェーンソーのエンジンを止めて背負った。腕の鎖が、じゃらり、と鳴った。


「ふんっ!」


 龍庵は腕に渾身の力を込めて引っ張った。赤マントがバランスを崩す。それに構わず、龍庵は鎖を振り回す。赤マントが振り落とされ、鎖が自由になった。


「おらァッ!」


 そして龍庵は、鎖をB-29に向かって投げた。鎖は尾翼に絡み付き、B-29に引っ張られていく。当然、その先にいる龍庵も。


「うおおおおっ!?」


 アスファルトに叩きつけられないよう、両足でバランスを取りながら、龍庵はB-29に引っ張られ続ける。

 すると、龍庵の体が浮いた。B-29が離陸したのだ。風を受けて、超空の要塞が急速に上昇していく。その尾翼に絡み付いた鎖と、鎖を握った龍庵も。

 地上に残った怪異たちは、その姿を呆然と見送ることしかできなかった。

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