1958 東京タワー 邪視 (前編)
東京、芝浦ふ頭。
倉庫がまばらに立ち並ぶ地区を、一人の男が歩いている。よれよれの白いシャツ。汚れたジーンズ。髪は伸ばしっぱなし。見るからに金のなさそうな青年だ。ただ一点奇妙な所、それは、夜なのにサングラスをかけていることだった。
青年は銭湯にでも向かうような足取りで、とある倉庫へ近付いていく。
「おう、待たんかい兄ちゃん」
「こっから先は入ったらアカンで」
倉庫に入ろうとした青年の前に、屈強な男たちが立ちはだかった。顔に傷、派手なスーツ、どこからどう見てもその筋の人間だ。
青年はヘラヘラ笑って、サングラスをずり降ろした。
「いやあ、すみませんね?」
そう言って、男たちの間を歩いていく。男たちは青年を止めない。それどころか、その場に倒れてしまった。息をしていない。死んでいる。
倉庫の中に入ると、強面の男たちが机を囲んで話し合っていた。机の上には2つのアタッシュケースが置かれている。片方には札束が、もう片方には白い粉が満載されている。
「おー、やってる。やってるねえ」
青年は平然と歩いて行く。当然、周りの強面たちが気付いた。
「おう、誰だお前は!?」
「どっから入ってきやがった!」
男たちは懐から銃や短刀を取り出し、青年に突きつける。無数の殺意を身に受けても、青年は笑みを消さない。
「こっちが仙元会、そっちが関東国士連合……だっけ? 麻薬売ってる方が仙元会だよね? それとも位置が逆? だったらゴメン」
「フザけてんじゃねえぞコラ! 何しに来やがったテメェ!」
男の一人が青年に近付き、頭にリボルバー拳銃を突きつける。それでも青年の笑みは崩れない。
「いや何。簡単なお願いをね」
「あんだァ!?」
「死んでくれ」
青年がサングラス越しに視線を向けた。
銃声が響いた。リボルバー拳銃が火を噴いていた。
ただし銃口は、青年の頭ではなく、持ち主の男の眉間を向いていた。弾丸は男の脳天に穴を開け、脳味噌をぐちゃぐちゃに掻き回した。
男が倒れた。当然、絶命している。
「なっ……!?」
「て、テメエ!?」
突然の男の自殺に、周りの構成員たちは泡を食うものの、すぐにそれぞれの武器で青年に襲いかかった。
それに対して青年はその場から一歩も動かず、落ち着き払ってサングラスを外した。
銃声が響き、鮮血が辺りに撒き散らされた。
男たちは一人残らず、自分の得物で自分自身を殺していた。
銃を持った人間は、自分のこめかみを撃っていた。
刃を持った人間は、自分の心臓を抉っていた。
棒を持った人間は、自分の頭蓋骨を打ち砕いていた。
何も持たない人間は、自分の首を締めていた。
一人残らず自殺していた。
「あー、しまった」
そして、集団自殺の中心にいる青年は、声色ひとつ変えることなく呟いた。
「もうひとつお願いがあったんだが……先に死んじまったか」
青年は傷一つ追っていない。倉庫に着た時の格好そのままだ。外したサングラスも元通りに掛け直している。
青年は机に近寄ると、札束のアタッシュケースを右手に、麻薬のアタッシュケースを左手に持った。細腕には辛い重量のようで、青年の体がふらふらと横に揺れる。
「これ、貰ってっていいかいって頼もうと思ったけど……死んじまったからどの道必要ないよな?
じゃ、貰ってくから」
死体に向かって気安く告げると、青年は倉庫を出ていった。
――
「
龍庵の前に置かれた写真には、サングラスを掛けた貧乏そうな青年が写っている。一見すれば、何の危険もない普通の男に見える。
「右翼団体8人が死亡した『柱島の会同時多発自殺』、大手建設業者の社長一家が旅行先で自殺した『天瑠山一家心中』、そして先日、芝浦ふ頭で取引中の仙元会と関東国士連合が起こした『芝浦ふ頭自殺抗争』……更には多数の警官が捜査中に自殺を遂げた事にも関与していると言われている」
資料を読みながら、岸は苦々しげに顔を歪めた。その様子に、龍庵は推測する。
「怪異絡みの事件だから、自殺って処理するしかなかったわけですか」
「違う」
「違う?」
「正しく自殺なんだ。死に方そのものに不審な点は見当たらない。全員、自分の手で自分を殺している。だが、20人がほぼ同時に同じ現場で自殺するなど、どう考えてもおかしいだろう?」
一家心中ならまだしも、別組織の構成員が取引現場で仲良く揃って自殺するなどありえない。怪異がそうさせた、と考えるのが自然だろう。
「それでこいつが怪異憑きってわけですか」
「ああ。検非違使が知っていた。『邪視』の使い手だと。見ただけで相手を死に追い込むらしい」
「どうしようもなくないですか、それ?」
見られただけで死ぬなど神か悪魔の所業だ。
すると岸は、封筒の中から板を取り出した。丸い板の中に籠目模様が編み込まれ、更に中心に目玉のマークが描かれている。
「検非違使から護符を貰った。これをつけていればある程度は耐えられるそうだ」
「試したんですか?」
「試作品は片目で済んだ、らしい」
あまり信用はできないということだ。自分の目を抉る羽目になる前に決着をつけなければなるまい。
「……で、肝心の、この、目方って奴はどこにいるんですか?」
「どこにいるかはわからないが、どこに来るかはわかっている」
岸はテーブルの上に広げた地図の一点を指差した。
「東京都港区芝公園の電波塔――東京タワーだ」
――
1958年、東京の景色は大きく様変わりした。立ち並ぶビルの背を突き抜けて、青空を貫く赤い鉄骨の塔が屹立した。
東京タワー。高さ333mの電波塔である。
このような巨大構造物が求められた理由は、テレビ放送が始まったからであった。
テレビとは、映像が乗った電波を受信して、ブラウン管に映し出す四角い機械である。遠くの映像、過去の光景が見られるという特徴は、人々の心を釘付けにした。
金を持っている人間はテレビを自宅に置き、そうでない人間は電器屋のショーウインドウの前に集まって、番組に夢中になっている。
これからは映像の時代になるだろう。今はまだ高いが、これからどんどんテレビは安くなり、そうなれば各家庭に普及する。日本中の誰もが、同じ時間に同じ映像を見るようになる。
つまり、日本中に『邪視』が届く。
「便利な時代になったもんだ」
角の飲み屋で一杯引っ掛けた青年、目方広明は、ほろ酔い気分で東京タワーに向かっていた。
夜だというのにサングラスをしている彼を訝しむ通行人もいるが、貧相な外見に面倒事を見出して、関わらないようにしていた。
目方に与えられた仕事は、テレビ画面を通して『邪視』を送り、要人を暗殺するというものであった。送信元は東京タワー。東京中のテレビに電波を送れる、日本一高い電波塔である。
『邪視』をテレビで送るという考えを聞いた時、目方自身も半信半疑であった。本当にそんな事ができるのかと。そこでテストをした。
民法の放送塔に忍び込み、『邪視』をある議員に向けた。顔を直接見ることはできないので、議員の写真を持っていき、念じ殺すイメージを固めた。
次の日、新聞にはその議員の自殺の記事が踊った。
この結果を受けて、本格的に暗殺計画が動いた。狙うのは総理大臣、岸信介。更には大臣数名と、自民党の重鎮もターゲットに入っている。成功すれば国内は大混乱に陥るだろう。
果たして依頼者がその状況において何をするつもりなのか、目方は知らない。そもそも依頼してきたのは代理人であり、目方は依頼人の顔も見ていない。ただ、目方が『邪視』の怪異憑きである事を知っていて、一生遊んで暮らせる金を用意できる地位の人間であり、今の政権を倒したい人間だということは把握していた。
そして、そういう人間が目方が生きていることを喜ばないのも把握している。恐らく依頼者は、仕事を終えてノコノコ報酬を受け取りに来た目方を殺すつもりだろう。人が殺しに来るなら邪視で対処できるが、通り道に爆弾を仕掛けられたり、寝ている所にトラックが突っ込んできたらどうしようもない。
だから目方は、仕事を終えたら報酬を受け取らずそのまま逃げるつもりだった。アテはある。大陸に密入国して、そこからヨーロッパへ。あまり日本人に馴染みのない北欧辺りまで逃げれば、いくらなんでも追手は来ないだろう。
逃走資金も準備している。やたら気前の良かった前金に加えて、先日、芝浦ふ頭の闇取引現場から奪った現金と薬物もある。一生遊んで暮らせる金は、もう十分にあるのだ。
それでも目方がわざわざ東京タワーに向かう理由は2つある。
1つは、依頼を成功させることで、依頼主からの敵意を減らして、安心な生活を送るため。
そしてもうひとつは、歴史に残る大事件を引き起こしてみたいという、傍迷惑な主役願望からだった。
目方は東京タワーに辿り着いた。ここからが腕の見せ所だ。目指すのは東京タワー下部にあるビル。その5階に電波の送信機室がある。そこから『邪視』を放って総理大臣たちを殺す。緊張と、微かな興奮に目方は喉を鳴らした。
警備員の目を潜り抜けて、目方はタワービルの非常口に張り付いた。ここの鍵が空いていることは、事前の調査でわかっている。中に入ると、チケットカウンターや土産物屋が並んでいる。電気が落ちていて非常に暗いが、目方の『邪視』は暗闇をものともしない。
関係者用通路に入り、階段を登って5階へ。ドアを開けると、目方は眩しさに目を細めた。電灯がついている。
目方は訝しんだ。なぜこの階だけ電気がついているのか。消し忘れか。それとも、誰かいるのか?
息をひそめ、物音を立てないようにゆっくりと進む。この階は放送機材のための階で、一般公開されていない。下の階のような観光客向けの装飾は一切なく、殺風景だ。隠れられるような場所はない。
廊下の突き当たりに出た。ここを曲がれば送信機室だ。しかし、嫌な予感がする。目方はポケットからハンカチを取り出すと、角に向かって投げた。
角から突き出されたチェーンソーが、ハンカチを叩き落とした。
「おっとぉ……!」
やはり待ち伏せされていた。目方はサングラスに手をかけつつ後ろに下がる。
角を曲がって出てきたのは、チェーンソーを手にした男だ。一昔前の軍服をジャケット代わりに羽織っている。
男はチェーンソーのスターターを力強く引いた。エンジンが唸りを上げ、刃を回転させる。あれで斬られれば死ぬだろう。だが、斬られればの話だ。目方は男に近付くつもりはない。
「お勤めごくろうさん。死んでくれや」
目方はサングラスを外し、男を睨みつけた。『邪視』。魔力を帯びた目方の視線が男の魂に手を掛けた。
激痛。
「ッ!?」
痛みのあまり、目方は男から目を逸らした。両目に錐を突き込まれたかのような痛みに、思わず自分の目が無事かどうか、手をやって確かめてしまう。目には傷ひとつついていない。つまり物理的な痛みではない。
「おい、マジかよ……!」
この痛みは知っている。かつて、山の神に『邪視』を使った時と同じだ。つまり相手は人間じゃない。
「東京タワーは墓場を潰して造ったって聞いたけど……ホンモノが出るなんて聞いてないぞ!」
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