1956 大阪 怪人赤マント

 岸が国会議員になってから3年が経った。

 岸はトントン拍子で出世して、外務大臣になっている。怪異退治と引き換えに、裏社会の人間から政敵の弱みを仕入れているためだ。

 それでいいのか、と龍庵は思っていたが、岸曰く、日本の未来のためにできるだけスムーズに政治を進められる体制を作らなければいけないらしい。


 ただ、日本の未来をより良くするために、なんとかしなければならない問題がある。もちろん、怪異だ。

 岸の努力と龍庵の暴力によって、怪異の数は着々と減っている。その代わり、手口が巧妙化している。怪異が単体で暴れるのではなく、人間に取り憑いたり扇動したりして事件を起こすようになった。


 今、その結果のひとつに、岸は悩まされている。


「何が、明治維新を超越する真の武力闘争だ。放火、殺人、誘拐……やってることは犯罪者だろうが。怪異の力を傘に来て、やることが犯罪など、バカバカしい……」


 ソファで葉巻をふかしながら、岸は苛立たしげに呟く。

 目下の問題は、大阪で暗躍する怪異だった。名前を『怪人赤マント』という。

 名前の通り、赤いマントを羽織った不審者で、下校中の子供を誘拐したり、出会った人間に謎掛けをした後に殺してしまう。警察が追いかけると空を飛んで逃げたとか、赤いマントの下には大小様々な刃物を吊り下げているという噂もあった。


 これ自体は戦前から存在していた怪異で、目新しいものではない。問題は、過激派組織がこの怪異を利用していることだった。


 大阪の過激派『全日本赤外套革命戦線』。1955年、日本共産党が武装闘争路線を表向き放棄したことに反発した活動家たちが結成した、過激な新団体だ。

 彼らは武力による革命のみが真の社会正義を実現するものだと主張しており、トレードマークの赤マントを羽織って破壊活動や資本家の誘拐、暗殺などに勤しんでいる。

 あまりにもやりすぎで、同じ過激派からも同志ではなく犯罪者集団と扱われている有様だ。犯罪被害はともかく、政治的な影響力は皆無と言っていい。


 問題は、彼らが赤いマントを羽織っているという点だった。

 『怪人赤マント』の噂は記憶に新しい。人々は『怪人赤マント』は『全日本赤外套革命戦線』だったのではないかと考え始めた。すると過激派側も、戦前、戦中の怪事件が自分たちの仕業であり、それが階級破壊闘争だったと主張するようになった。

 いつしか大阪で起きた怪事件は全て『怪人赤マント』の仕業であり、『全日本赤外套革命戦線』が起こしたものだと認識されるようになっていった。

 つまり、怪異憑きの条件を満たしてしまったのである。


 こうなるともう警察や暴力団程度では太刀打ちできない。何しろ団体の構成員50人弱が、全員『怪人赤マント』の怪異憑きだ。どこからともなく現れ、マントの下の刃物で相手を攫ったり殺したりして、追いかければ空を飛んで逃げる。

 彼らを野放しにしておけば、遠からず大阪は無法地帯、最悪の場合は焼け野原となるだろう。事態を察知した岸は、ただちに龍庵を派遣することに決めた。


「龍庵、頼むぞ。こんな奴らを野放しにしておいたら、国が滅びる。一人残らず殺してくれ」


 岸は当然のごとく命じる。しかし、龍庵は言葉を濁した。


「それは、その……」

「何だ、何か都合が悪いのか?」

「悪いというか……殺していいんですか? 怪異憑きは人間ですから、人殺しになりますよ?」


 過激派とはいえ戸籍がある。住民票もある。日本国内では人間扱いだ。

 いや、そもそも人間だ。犯罪行為に走っているとはいえ、れっきとした命である。

 戦場でもないのに、それを50人殺せというのは、龍庵でもためらうものがあった。

 だが、岸は言い切った。


「構わん。問題になったところで、俺の力で揉み消せる。それよりも今は、国を安定させなければならん。今は諸外国に認められるかどうかの瀬戸際なんだ」


 外務大臣になってからの岸は、必死さを増していた。出世しているはずなのに、傍から見れば追い詰められている。政治の世界とはそんなに厳しいものなのか。人間よりも怪異を相手にしている時間の方が長い龍庵にはわからない世界だった。



――



 大阪市沿岸部。海岸沿いに立ち並ぶ倉庫のひとつは、『全日本赤外套革命戦線』のアジトとなっている。構成員は港湾労働者や事務員、船舶業者などになりすましてここに出入りしている。

 だが今夜、この倉庫の前には高級外車が停まっていた。それは即ち、彼らにそぐわない来客があるという事を示している。


 客の名は鴨沢かもざわ周平しゅうへい。日本共産党に所属するとある議員の秘書であり、表向き武装闘争を捨てた共産党と過激派を裏で繋ぐパイプ役でもあった。

 立場としては大物である。しかし出迎えた赤マントたちも、訪れた鴨沢たちも、表情は険しい。その理由は、鴨沢が赤マントたちの闘争行為に苦言を呈したからであった。


「君たちのー、その、なんだ。闘争精神に関しては大いに評価している。だがねー、本来我々の味方になるべき労働者に積極的に牙を剥くのは、いささかどうかと思うのだがね?」


 鴨沢の探るような言葉を受けたのは、赤いマントを羽織った、彫りの深い顔の男。『全日本赤外套革命戦線』のリーダー、壬午苑じんごえん英晃ひであきである。


「我々は常に労働者の味方であります。攻撃するのは資本家であり、労働者に危害を加えることはありません」


 鴨沢が40代後半なのに対して、壬午苑はまだ若い。せいぜい30歳くらいだろう。ただ、お互いが纏う迫力に差はない。むしろ壬午苑の方が上回っている。


「いやー、だがね。大阪の事件……あ、いや、活動の内容はこちらでも調べているんだがね。1月の工場火災、3月の社長暗殺、それに先週の市場の爆発事件。どれも被害者は資本家とはいえない、中小企業が被害に遭っている。

 中小とはいえ企業は企業だが、彼らは下請けなどで大企業に苦しめられる側だ。闇雲に敵に回すのはー、よろしくないと思うのだがね?」

「彼らは我々への資金提供を拒否しました。我々の正義に対する支援を行わない、即ち悪です。攻撃して当然なのでは?」

「即座に攻撃するよりもー、説得して味方に引き入れる、というのはしないのかね?」

「正義であれば最初から我々の申し出を受け入れるはずです。後から転向するなどあり得ません」


 鴨沢はこの場に来たことを後悔していた。壬午苑たちの言うことは、一事が万事この調子だ。絶対的な正義と悪が存在し、その間には深い断絶があると思っている。政治という概念が通用しない。旧日本軍を思い出させる頑迷さだ。

 こんな奴らを説得できるわけがない。程々で話を切り上げて帰ろう。そして、彼らと党の繋がりを抹消した上で警察に突き出そう。鴨沢がそう考えていた矢先のことだった。


「もう嫌だああああ! 帰るううう!」


 子供の叫び声が辺りに響き渡った。そして、ドアが乱暴に開かれ、中から泣き叫ぶ子供が飛び出してきた。赤いマントの構成員が後を追いかけ、子供を蹴り飛ばした。


「なっ!?」


 驚く鴨沢に目もくれず、構成員は倒れた子供を捕まえると引き返していった。鉄のドアが重い音を立てて閉まる。


「い、今のは……?」

「次代の闘争を担う人材として、市中から選抜した子供たちです。日夜ここで教育を受けさせています」

「それは、親の許可は……?」

「正義の活動をすることに、何の許可が必要ですか?」


 限界だった。


「いい加減にしろっ、この狂人どもが!」


 鴨沢は拳をテーブルに叩きつけた。

 彼は社会主義者であるが、その頭に"熱心な"という形容詞はつかない。大金が手に入れば高級外車を買うし、秘書という立場から代議士に昇格したいという欲も持ち合わせている。だから、人並みの倫理観というものも当然持ち合わせていた。


「お前たちのやっていることは革命でもなんでもない、ただの犯罪だ! 誰彼構わず金をせびって、従わなければ危害を加える! 正義だなんだと言っているが、単なる強盗ではないか!

 挙句の果てに子供を攫って教育しているだと!? 誘拐ではないか! 親から子を引き剥がしておいて正義など嘯くな、このバカどもが!」


 鴨沢の視界が煌めいた。次の瞬間、体に灼熱の痛みが奔った。


「お、がぁ……!?」


 思わず腹に手をやる。熱い液体が吹き出している。手が真っ赤に染まっていた。血だ。


「我々の正義を理解しないということは――悪だな?」


 いつの間にか立ち上がっていた壬午苑の手に、半円型の鎌が握られていた。鎌の刃からは血が滴っている。そこまで見てようやく、鴨沢は斬られたことを自覚した。


「ぎゃあああああ!?」


 鴨沢は無様な悲鳴をあげて床を転げ回る。周りの赤マントたちは眉一つ動かさず、冷ややかに見つめている。

 壬午苑がトドメを刺そうと、鎌を振り上げた。


 その時、倉庫のドアが乱暴に蹴破られた。全員の視線がそちらに注目する。

 チェーンソーを持った男が立っていた。羽織った国民服には返り血がベットリと塗れている。彼の後ろには、見張りの赤マントが2人、血の海に倒れ伏していた。


「侵入者だ!」


 誰かが叫んだ。室内の赤マントたちが、一斉に外套を翻した。

 赤い布の下から出てきたのは、様々な刃物。剣。槍。斧。鎌。包丁。鋏。鉈。刀。それらを手にして、赤マントたちが一斉に襲いかかる。


 それに対して侵入者はチェーンソーを両手で握り、前へ踏み出した。

 先頭の赤マントにチェーンソーを振り下ろす。赤マントは剣で防ごうとしたが、防御を砕いて一刀両断した。返す刀で、斧で殴りかかってきた赤マントを斬り捨てる。

 男の背後から槍が突き出される。男は身を捩って槍を避け、柄を左手で掴んだ。力任せに振り回すと、槍を手放すのが遅れた赤マントが宙を舞い、壁に叩きつけられた。

 包丁と鉈が前後から同時に襲いかかる。男はチェーンソーを構えて前に突進した。包丁を持った赤マントが、車に跳ね飛ばされたかのように吹き飛ばされる。鉈が空を切り、引き戻す前にチェーンソーで斬られた。


 赤マントたちは様々な刃物で襲いかかるが、チェーンソーの男は歯牙にもかけない。次々と死体を作り出していく。

 返り血を頭から被ったその姿は、昔話に出てくる鬼を想起させた。


 壬午苑が飛び出した。右手の鎌を水平に構えつつ、左手にも同様の鎌を握っている。二刀流だ。

 チェーンソーの鬼は屈んで首狙いの斬撃を避ける。続いて、手首を狙った鎌をチェーンソーのエンジンブロックで弾き返す。

 鬼はチェーンソーを突き出すが、壬午苑は体を横に傾けて避けた。その体勢のまま、鬼の足を鎌で斬ろうとする。鬼は素早く足を引いて避けた。


 反対側の鎌が鬼の手首を狙う。しかし鬼は、チェーンソーの刃で突き出された鎌を絡め取った。巻き上げられた鎌が宙を舞う。

 武器に気を取られた壬午苑に、チェーンソーの鬼が迫る。壬午苑は下がったが、遅かった。唸るチェーンソーが、壬午苑の腹を横一文字に切り裂いた。

 だが、壬午苑は倒れなかった。腹から血を溢れさせながら走り、ドアの向こうへ逃げてしまった。

 チェーンソーの鬼は後を追うが、他の赤マントたちが襲いかかり足止めする。それでも4,5人が斬られると、太刀打ちできないと悟ったのか逃げ出した。


 鬼は大股でドアに歩み寄る。その途中で、ソファの影に隠れていた鴨沢が見つかった。


「ひ、ひいいっ!」


 殺される。

 鴨沢はソファの影で震える。

 それを見た鬼はつまらなそうに呟いた。


「なんだ、人間か」


 それだけ言うと、鴨沢には目もくれずに去っていった。

 残された鴨沢はしばらく呆然としていたが、胸の傷の痛みで我に返った。


「きゅ、救急車、救急車、警察……!」


 鴨沢は腰を抜かして地面を這いつくばりながら、倉庫から出ていった。

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