1949 東京 昭和の妖怪

 向かい合ってソファに座るのは二人の男。


「これが、甘粕さんからの荷物です」


 鞄を差し出したのはカーキ色の国民服を羽織った青年。大鋸おおが龍庵りゅうあん


「……ご苦労さん」


 受け取ったのは、高級スーツで身を固めた50代の男。きし信介のぶすけ

 岸は鞄の中身を見つめてポツリと溢した。


「こんなモンより、わしゃあ甘粕さんに帰ってきて欲しかったんじゃがのう……」

「……すみません。約束、果たせませんでした」

「いや、君が気にすることじゃない。あの状況では、誰が迎えに行っても変わらん」


 龍庵はかつて、満州国にいた甘粕を日本へ連れ戻すよう、岸に頼まれていた。

 龍庵は甘粕に会うことはできたものの、日本に連れてくることはできなかった。別れた後にソ連の侵攻が始まり、日本は降伏した。

 その数日後、甘粕は満洲映画協会の自室で服毒自殺した。遺骨は日本に送られ、多磨霊園に葬られているという。龍庵が日本に帰ってくる前年の話だ。


 その間、岸は巣鴨拘置所にいた。終戦後、GHQによってA級戦犯の被疑者とされ、逮捕されていたのだ。

 だが、昨年の12月、不起訴となり釈放された。その理由は明らかになっていない。東條英樹に反旗を翻して倒閣させたからとも、GHQと裏取引をしたからとも、チェーンソーのプロが釈放のためにひと働きしたからとも言われている。そもそもマッカーサーは岸を処刑するつもりはなかったという話もあった。


 理由はどうあれ、岸と龍庵は生き残り、甘粕は死んだ。今、岸の手元には甘粕が遺したものがある。束になった書類だ。最初の数枚に目を通した岸は、龍庵に尋ねた。


「君、これは最後まで読んだか?」

「読もうとしましたが、1枚目でもう何がなんだかわかりませんでした」

「だろうな、うん」


 岸は論文を鞄に戻した。それから小切手を取り出すと、一般人なら目を剥くような金額を書き込み、龍庵に差し出した。


「改めて、これが報酬だ。命懸けの仕事を4年も続けた分には足りないかもしれないが……今はワシも貧乏でな。それが精一杯だ」


 龍庵は小切手を両手で受け取って、しげしげと眺めた。


「どうした?」

「これ、何ですか?」

「小切手じゃ。銀行に持っていけばその額の金が貰える。見たことないんか?」

「はい。銀行、行ったことないんで」

「したら、一度田舎に帰って、親御さんに渡せばええ」


 すると、龍庵は少しだけ表情を曇らせた。


「帰れないんです」

「何?」

「村には帰れません。死ぬまで、いや、死んでも」

「……おい、そりゃあどういうことだ?」


 岸は身を乗り出す。故郷を勘当されたという話は聞いていない。もしも龍庵が問題を起こすような人間なら、彼をよこしてきた過縄村に文句を言わなくてはならなかった。


「神様に目をつけらたんです」

「神様……それは、人が神を騙っているとか、神様のような偉い人、というものではないんだな?」


 この世界には人智が及ばぬものがいることを、岸は知っていた。だから甘粕の様子がおかしいことにも気付けたし、それに対処するために怪異退治のスペシャリスト集団である過縄村に連絡して、龍庵を借りることができたのだ。

 そして、龍庵が語る神様というものが、人の理では計りきれない存在であることも察することができた。


「はい。正真正銘の怪異です。甘粕さんが呼び出したような奴です。あれよりも、ずっと強いですけど。

 村に戻ったら神様に殺されます。だから出てきたんです。ちょうど、岸さんがウチの村の人を探していたから、行ってこいって親父に言われました」

「目をつけられたと言ったが、何かやらかしたのか? 神社を荒らしたりとか」

「いえ。そういう事はやりません。ただ、ある日突然、視えるようになったんです。

 俺以外にも、昔からそうでした。急に背の高い人が見えるようになって、名前を変えて村を出ていかないと殺されるんです」

「……それ、村の外に出てきたりはしないだろうな?」


 岸は龍庵の強さをよく知っている。その龍庵をして強いと言わしめる怪異。危険すぎる。もしもそんなものが村を出て、龍庵を追いかけて東京までやってきたらどうしようもない。


「大丈夫です。村の外に出たことはないって、ばあちゃんが言ってました。

 山の境にあるお地蔵さんが、神様を封じているんです。その中に入らない限りは、神様は大人しくしてます」


 幸い、神が村から出てくる心配はないらしい。岸は胸を撫で下ろしたが、同時に次の疑問が湧いてきた。


「そうしたら、君。これからどうするつもりだ?」

「これから?」

「故郷に帰れないなら、どうやって暮らしていくんだ。こっちで仕事を見つけるのか? どこか行くアテはあるのか?」


 龍庵はしばし、腕を組んで考え込み。


「……考えてませんでした」

「おい」

「いや、こっちに帰ってきてから2年間、上手いことどうにかなったので、まあ、なんとかなるかな、と」

「闇市の用心棒と、怪異退治をしていたんだったか。まあ、それでもいいが、今後はどんどん仕事が少なくなるぞ」

「そうなんですか?」


 龍庵は首を傾げる。暴力装置としてはこの上なく優秀なのに、こうして普通に話していると、ぼんやりとした青年にしか見えない。

 仕方がないので、岸は詳しく説明してやる。


「君、考えてみたまえ。戦後はいつか終わる。まだ焼け跡は残っているが、3年前に比べれば随分と減った。

 配給の量も増えたし、物価統制も順次廃止されていく予定だ。そうなれば、君が働いている闇市も、そのうち無くなるだろう。

 これからはどんどん家と工場が建って、みんな普通に働くようになるぞ。そうしたら、君のような生き方は難しくなる」


 岸は公職を追放されているが、前政権の大臣だっただけはあり、これくらいの情報は簡単に入ってくる。

 様々な情報を加味すると、この戦後の混乱期は長くても2,3年で終わり、10年も経てば経済は戦前の水準まで復帰するだろう。そうなれば、その先は産業の時代になる。

 そうなれば、日本は必ず、元産業大臣の自分の力を求めるだろうと、岸は確信していた。


「でも、普通に働くったって……学校だってロクに行ってないんですよ、俺。何をすればいいんですか?」


 どうやら本当に将来のアテがないらしい。そこで岸はひとつの提案をした。


「思いつかないなら、しばらくウチで働いてみないか?」

「ここで?」


 龍庵は応接室を見渡した。


「事務仕事とか、やったことがないんですけど」

「当たり前だ、素人にそんなもの任せられるか。

 仕事というのは、怪異退治だよ」

「……まだいるんですか」


 龍庵の表情がすっと引き締まる。さっきまでのぼんやりした顔はどこへやら、怪異を斬り伏せるチェーンソーのプロの顔になっている。


「いるんだよ。お上の威光が弱ったのをいいことに、我が世の春を謳歌するバケモノどもがな」


 敗戦は、この国の霊的構造を覆した。絶対的な現人神がマッカーサーの隣に立つ写真が公開されたことで、神威が崩れた。それにより、抑え込まれていた怪異たちが解き放たれ、全国各地で跋扈していた。

 岸も無関係ではいられなかった。彼に縁が深い政治家、実業家たちが怪異に悩まされており、秘密裏に相談を持ちかけてきている。

 チェーンソーのプロは、そうした連中に対する抑止力になるだろう。更に、そうした連中に恩を売れば、岸は権力を固めることができる。


「このまま怪異をのさばらせていては、いつまで経っても日本は一等国に復帰できない。

 どうだろう、龍庵くん。この国のために、私と一緒に働いてはくれないだろうか?」


 龍庵はしばし考える素振りを見せた後、無言で頷いた。

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